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裏表

 「あの男とはどうなった」


 「あの男、とは?」


 住居へと帰る道すがら、ジャックは話題になればと少し記憶をさかのぼって彼女に言う。


 「お前が交際していた貴族の男だ」


 「ああ…。ウィルの事ですか。彼とはもう、あれ以来会っていません。私から会う気にも慣れませんし、彼も私に会わせる顔がないのでしょう」


 あまり触れられたくはない話題なのか。笑ってごまかそうとする彼女の顔に、ふっと影がさす。


 「そうか」


 聞いたのは彼なのだが、その言葉どうりに思うばかりで、その後の言葉が見つけられない。


 「なぜ、そんな事を聞くんですか」


 終わったとばかりに思っていた会話が、今度はエマが彼に訊ねる形で続けられる。


 「とくに理由はない。気になっただけだ」


 「そうですか…」


 折角作られた会話の種が、無情にもジャックの手によって今度こそ摘み取られる。途絶えた会話の静けさを埋めようと、空からぽつぽつと雨音が聞こえてきた。


 始めは小さい雨粒が次第にその大きさと量をまして、道行く人の頭上から雨脚を強めていく。傘を持つ人は悠々と傘を刺して道を行くが、生憎準備を怠った人々は荷物なり己の手なりで雨よけをつくり、急ぎ足で通りを行き交って行く。


 ジャックは使用人に渡されていた傘を開いて、自分とエマとの頭上に持ち上げる。


 強く降り出した雨が傘を叩く。二人の足下を雨がはねて裾を濡らす。湿気で折角の紙袋が次第にふやふやになっていく。けれど、急ぐ事はしない。来た時と同じように、それよりも近くで二人は隣り合って通りを進んでいく。


 「…貴方は、私の事どう思っているんですか?」


 エマの声が雨音に混じってジャックの耳に入ってくる。


 「なぜ、そんな事を聞く」


 「理由はありません。気になっただけです」


 同じ台詞をついさっき来たような気がする。それも、彼自身が自分で言った台詞に似ている。それを分かっているのだろう。彼女を見ると悪戯っぽく笑っていた。


 「私は、正直言うと貴方が怖かった」


 その言葉をどう受け取ったのか。エマは隣を歩く彼の表情を伺うが、別段変わった様子はない。ただ前を見据えたまま次の言葉を促している。


 「尊敬、恩義。それらの感情を貴方に抱くのと同じ位、敵に襲いかかる貴方が、酷く恐ろしかった。何の感慨も浮かぶ事のない。何の哀れみを向ける事のなく、敵を殺してしまう貴方が、酷く恐ろしい何かに見えてしようがなかった」


 前を見据えながら、彼の顔を見る事なくエマ言葉を続ける。


 「でも、貴方と言葉を交わす事とが出来たお陰で、少しではありますけど、貴方の人となりが分かったような気がします」


 「…分かるものか」


 「えっ?」


 小さなつぶやき。隣り合っていなければ、今のように肩と肩をふれあう距離でなければ聞き取ることの出来ない声。ジャックの口から漏れたそれは、雨音のかき消されることなく、彼女の耳へと吸い込まれる。


 「お前の思う私はきっと、今の私よりも上等な生き物なのだろう。だが、それは私のただ一つの部分を切り取って作り上げられた幻想に過ぎない。本来の私は、どうしようもない、男だ。人を人として見る事の出来ないどうしようもない男なのだ」


 彼の口から連なる言葉には暖かみはなく、ただ淡々と冷め切ったまま二人の間をさまよい、揺蕩う。それを黙して聞いている彼女の目は、じっと彼の横顔を見つめていた。


 「私には、そうは見えません」


 「腹の底を覗かない限り、本来の人間を見る事は出来ない。だが、残念ながらこの二つの目玉はそこまでの能力は備わっていない。せいぜい人の皮と肉までしか見えん。どんな悪人だろうと、聖人君主の皮を着れば、そいつ民衆からはそう見える。逆に善人に汚い皮を被せれば、そいつはもう薄汚いコソ泥にしか見えない」

 

 言葉を切り、再び口を動かす合間に一瞬の逡巡。


 「お前の眼に映る私は、あいつらによって作られたものだ」


 「あのエルフの娘さんとユミルさんですか」


 「あいつらがいたお陰で、今の私がある。そして、お前の目に移る私がいる。その皮を知らぬうちに私は着込んでいただけだ」


 「でも…」 


 彼女が言葉を紡ごうとした時、間の悪い事に住居にたどり着いてしまった。入り口の脇にジャックが立ち、中に入るようエマに促す。


 彼女はジャックの脇を通り抜けて、扉を開いて中に入り階段を登る。


 傘に着いた雨粒を開閉して払い、折り畳む。そして、彼女に遅れて彼もまた階段を登る。


 「おかえりなさいませ、お嬢様」


 部屋に入ると、中にいた使用人の男がタオルを持って出迎えた。ジャックはタオルを受け取りながら、彼から預かった傘を返却する。


 「それで、外部から魔力を使うというのはどういうことだ」


 帰ってから教えると言われただけに、ジャックは早速その話題をきりだす。


 「少しお待ちください」


 そう言うと、エマは奥の部屋へと向かう。待っている間、男がジャック椅子に座るように促してくるが、それを手で断り、立ったまま彼女を待つ。


 奥から何やらがちゃがちゃと音が聞こえてくる。戸棚でもひっくり返しているのかと思うほどの騒音だが、それを少しの間だけだった。


 物音はすぐに治まり、エマが戻ってくる。


 「これを」


 そう言って差し出されるエマの手には、鉄のバックルがあった。だが、二つそろえのものではなく、片腕にはめる分しかない。さらに奇妙な事にその表面には何かをはめる様の凹凸が彫られている。


 「何だ、これは」


 「私の友人が研究して造り上げたバックルです。ここの凹凸に魔力の籠った意思をはめ込むと、その石の内包しているだけの魔力を自分のものとして使う事が出来るものです。言わば魔力補助器のようなものと考えて下さい。私はもとより魔力には事欠かない為、無用の長物でしたが、よろしかったらこちらをお使いください」


 ジャックは手渡されるそれを受け取ると、試しに自分の腕にはめてみる。どうやら鉄と思っていたそれは何か違う鉱石らしい。少し大きいと思っていたバックルが彼の腕のサイズに縮み、ぴったりとはめられた。



 「ちょっと、失礼しますね」


 エマはそれとは別に紫色に輝く鉱石をバックルの凹凸にはめる。すると、鉱石は妖しく光始め、その光がそれまで隠されていたバックルの紋様を浮かび上がらせる。


 「エルフ語で書かれた魔法文字です。ここに魔力が満たされると、貴方自身の魔力にこの鉱石分の魔力が加算される術式が組み込まれています。試しに武器に魔力を流してみて下さい」


 エマに促されるまま、ジャック剣を抜き、そこへ魔力を流すイメージを持つ。


 これまで何の変化も見られなかった剣に、紫色の光が纏わり付いていく。どうやら上手くいったようだ。


 自分の手にある剣をしげしげと眺める。思いも知らない形で我がものにした技術。装備に補助されているとはいえ、今も自分が握っている剣が光を湛えている。


 流れを断ち切るようなイメージを持つと光は失せ、もういちど流し込むイメージを持つとまた光を放ち始める。何度か試していると、次第に流しても反応がなくなってしまう。


 手元を見ると、鉱石の光がちかちかと点滅し、やがて光を失った。


 「魔力切れですね。随分前のものですから、魔力の容量も少なかったのでしょう」


 光の消えた鉱石を取り外す。


 指先でつまむと、あまり力を入れていないにも関わらず、石は砕け小さな粒となって床に落ちる。


 「効力のなくなった石は、ご覧の通り砂となってその役目を終えます」


 床に小さな粒子の山をつまむとざらざらとした僅かな硬さと色以外、あの石だった面影はない。指をこすらせてそれを拭い取る。


 「報酬は後ほどギルドの方へ送ります。ですので、後日そちらで受け取って下さい」


 「分かった。では、これで失礼する」


 エマと使用人の男に対して、軽く会釈をすると踵を返して部屋を出る。


 「送ります」


 その後に続いてエマが部屋を出る。


 「先ほどの話なのですが…」


 階段を折りながら、エマは彼の背中に声をかける。が、ジャックは意に介すことなく階段を降りていく。それでも、彼女の口は言葉を続けていく。


 「貴方の仰ることは、もっともなことだと思います。人の表面を見る事は出来ても、腹のそこを伺い知る事は出来ない。それでも、人と人との関係はその表面の繋がりで造られるものだと思うんです」


 エマはジャックの反応を窺うように、一旦言葉を切る。けれど、返ってくる言葉はなく、硬い靴音だけが響いている。


 「…私が言うのも何ですが、貴族はその最たるものです。人目に己がどれほど財ある者か。どれほどの権力を握っているか。家名とエゴと見栄を豪華な衣装とともに着飾って見せつける。そうやって、どちらが上でどちらが下かを暗黙のうちに決めて、互いの関係を結びます。貴族にとっては中身よりも身に纏う皮の方が重要になるのです」


 目の前をゆく彼の足は止まる事はなく、階下を目指して歩き続ける。 


 次第に彼の歩みが遅まり、足が止まる。彼女を待ってのこと、ではなく。単に玄関まで降りて、扉を開けようと足を止めただけだ。


 「でも、もし貴方の気が向いたなら。少しでもいいので、貴方の事を聞かせてください。私の目からではわからない、貴方のこと」


 「どうして、話さなければならない」


 振り向いて彼女を見ることなく、ジャックが言う。


 「自分を窮地から救ってくれた方の事を知りたいと思うのは、当然の知的欲求ですよ」


 「さっきは私を恐れていたと言っていたではないか。それでもか」


 「恐怖は自分の知らない未知なるものへの不安からくるものです。ですが、それが一旦崩れてしまえば、それを上回る好奇心に変わります。それに、貴方の事を知りたくないと言った覚えはありません」


 エマは彼の背中に手のひらを当て、そっと撫でる。


 「私はとても貴方のことが知りたい。とても、とても、たまらないほどに」


 ジャックはその手を払いのけようと腕を動かし、背後を振り返る。


 エマは目を見開いて意外そうな表情を見せるが、すぐに表情を歪ませて笑みを浮かばせる。微笑みとも違う、男を誑かす怪しい微笑。玉のような白い肌に浮かんだその笑みは、彼女の整った顔立ちと相待って、妖艶さを感じさせる。


 腹の中に潜んでいたこいつが、ちらりと顔をのぞかせた瞬間だった。


 「…私の過去など、面白くもなんともない」


 「それは、聞いてみなければわからないことです」


 「だからとて、聞かせるつもりもない。こいつには感謝はするが、それ以上のことをお前に言うつもりはかけらもない」


 腕にはめられたバックルを掲げながらそう言い残し、彼はエマの前から立ち去った。


 「また、お願いしますね」


 ジャックの背中に投げかけられる彼女の言葉に、彼は振り向くことなく歩き続けた。

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