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本屋

 生徒会室からエマの部屋に戻る。それから、彼女はジャックを連れ立って帝都の街の中へと繰り出した。


 空はどんよりとした曇り空。今にも雨が降り出しそうな危うさを孕んだ雲が、風に流れて飛んでいる。


 大通りには依然として人並みがあったが、雨を予見してか、道行く人の手には雨傘がある。


 「これをお持ちください」


 使用人が彼に渡したのは、黒い雨傘。だが、開けば有に二人をその内に入れることのできる大きさに広がる。もしもの為の備えとして持っていけということだろう。 


 彼にそれを持たせて、エマが先導して通りを歩いていく。


 その本屋は住居から大通りを道沿いに進んだ先にあった。


 四階建ての住居、その一階部分にすっぽりと収まっているその店は、ちらと見ただけでもあまり大きくはない。


 入口の横に設けられた店のショウウィンドウには山積みにされた書籍と、新刊というプレートが張られた書棚に、表紙を見せる様に飾られた本がある。通りに置かれている看板には、本が開かれた状態の絵が飾られている。


 窓からは店の明かりが漏れだして、曇り空が見下ろす通りをうっすらと照らし出している。


 エマは迷う事なく、店の扉を押し開く。カランカランとなるカウベルの呼び鈴が店内に響き渡る。


 「いらっしゃい」


 初老の店主が来客に声をかけてきた。前髪の禿げ上がった、物腰の柔らかそうな好々爺だ。


 彼女と顔なじみなのか、店主はにこやかに笑って会釈をすると、それ以上はこちらに目をやる事はなかった。


 店内には壁に並んだ書棚と店の中央に置かれた書棚、あわせて8つの書棚がある。棚と棚の間には通路が通されていて、そこには本を吟味している客の姿があった。


 しかし、帝都にあるほとんどの店と比べ、客足は少ない。先客は一人、二人と数える程しかおらず、決して儲かっているようには見えない。これが常なのだとエマはいうが、これでよく店を続けられるものだと、ジャックは内心関心さえしていた。


 エマはジャックを待たせると、一人店内を歩き回り、お目当ての本を探していく。


 しばしその様子を見守っていた彼だったが、しだいに彼の目は店内の本の数々に移っていく。


 『異種間における血統受胎の可能性』


 『今日の料理1000種−ラズベリーパイ』


 『ドワーフに学ぶ−鍛冶のイロハ−』


 『エルフ族の生活−隔離された村における民俗文化』


 整然と並べられる本の背ラベルを、何とは無しに目に写しては、移動して行く。


 どれも興味を引かれるタイトルではなかったが、つらつらと目を走らせているとふと一冊の本にとまる。


 『ゴブリンでも分かる魔法魔術講座。入門編』


 少しの興味でそれを手に取ってみる。表紙には三角頭巾をかぶった可愛らしいゴブリンの絵が描かれている。なんの感慨もなくそれを眺めてから、冒頭に書かれた文章に目を走らせる。


 『人間、エルフ、ドワーフ問わず、生物の体内には魔力を有している。しかし、それに気がつき魔力を行使しようと考えうるのは、自らの意思でそれを決定し、自らの身体を操作することのできる、いわば野獣、蛮獣では到底不可能極まりない領域であり、それを成功せしめるのは言葉を有する種族でなくてはならない。そして…』


 ゴブリンという種族を出している割には、本に書かれている文字には硬さが目立つ。読み進めていくうちに彼の辞書に乗っていない単語が多くなり、次第に困難さをきわめて行く。結果、彼は本をそっと閉じて元の場所に戻した。


 「それが気になるんですか?」


 彼の背後からエマがかける。彼が置こうとしている本を、彼が今手にして持ち上げているように見えたのか。


 「いや…」


 「魔法入門、ですか」


 ジャックの言葉を遮って、エマが彼の手元にある本の表題を読む。


 「娘さんにプレゼントですか」


 「いや、そういうわけではない」


 「では、ローウェンさんご自身の興味ということですか」


 「…まあ、そうなるか」 


 「魔法にご興味が?」


 「いや、魔力を武器にのせる技をものにしたいと思っていてな。これに詳しい事が載っていないかと思っていたのだが、私の頭ではどうも理解できないようだ」


 本を元の棚に戻し、エマの方へ身体を向ける。


 彼女は数冊の本が入った紙袋を抱えて立っている。


 「…読みます?」


 袋の中から一冊を持ち出し、ジャックの前に差し出す。

 

 『ヨシュアの独白』


 黒く塗られた下絵の上に、そうタイトルが銘打ってある。タイトルの上には髑髏の下顎の絵が描かれていて、その口は開き、まるで今にも何かを伝えようとしているような、そんな雰囲気を醸し出している。


 彼女がいうには巷で話題になっている大衆ミステリー小説なのだという。あらすじを嬉々として語って行くエマだが、あいにく彼は読書家ではないし、そもそも本を読む男ではない。

 

 遠慮すると断り、しまうように彼女に伝える。彼女は残念そうにしながらも、おとなしくその分厚い小説を紙袋の中にしまった。


 「魔力を武器に。ああ、魔力操作の事ですか。よろしかったら、私がお教えしましょうか」


 唐突な提案に眉根をひそめながら、ジャックは彼女の顔を見る。何か裏があるのではないかと疑っての事だったが、彼女の表情からは何か企んでいるようには見えない。


 小首をかしげてなぜ自分を見ているのだろうと、不思議そうに彼女は彼を眺めるだけだ。


 「…別に他意はありませんよ。私なりに貴方にお礼が出来ればと思っただけです」


 何をそんな神妙な面持ちをしているのかと思っていた彼女だが、ようやく合点がいったようで、微笑みながら彼に言った。


 「私はただ仕事をこなしただけだ。それに礼なら報酬で住んでいる」


 「それは、父からでしょう。私からは何のお礼も出来ていません。他に教示されている方でもいらっしゃるんですか」


 「一人な。帝国兵のカーリアだ」


 「ああ。あの犬族の女性兵さんですか」


 「奴に訓練用の秘密箱を借りてある。魔力を送り込むと開く仕掛け箱だ。上手い事開けられれば、いい訓練になると渡されたんだが…」


 「開けられたんですか?」


 「…まだだ」


 エマから視線をそらし、ばつが悪いのか答える彼の声も少し小さくなる。


 「カーリアさんはなんと言って教えているのです」


 「液体を流すようなイメージを持て、と。私なりにやってはいるのだが、どうにも上手くいかん。一朝一夕で出来るものでない事は分かっているんだが、こうも上手くいかないと気落ちもするものだ」


 そういう割には、彼の顔にはそれらしい感情は見て取れない。元からの仏頂面がそこにあるだけだ。


 「もしかすれば、私には魔力がそなわっていないのかも知れんな」


 「魔力は誰もが持っているものですよ。でも、個人差は確かにあります。魔力の多い人は魔道の道に秀で、逆に少ないからといって死んでしまう訳でありません。ローウェンさんの場合は、もしかしたら魔力が少ない為に上手く流す事が出来ていないのかもしれませんね」


 エマは顎に手を添えて、考える素振りを見せる。すると、何か思い立ったのか顔を上げてジャックを見る。


 「魔力が少ないのなら、自前の魔力以外に使えばいいじゃないですか」


 「どういうことだ」


 「それは帰ってから教えます」


 そう言うとエマはジャックを連れて店を出た。

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