本番
廊下には彼女の他にも、監督者の姿がある。十字に伸びる廊下に5人ずつ。間を開けて下を見下ろしている。その誰もが学校のローブを着込んでいて、顔を覗くことはできない。
「第一は火の魔法。火炎弾。事前に指導した方法に沿って唱えよ」
時間を置いて簡単な指導が行われた後、いよいよ試験が始まった。
高らかな号令の後に響くのは、足下から聞こえる呪文の大合唱。下にいる人の群れが同じ文言を声に出して、大気を揺らしている。見下ろすと皆が一様に空に杖を掲げている。火炎弾、火炎弾と連呼する群れの中。
何の変化もなく棒切れを掲げているだけの者。
何となく杖の先が光を持っているもの。
歴として杖から火炎が空へと昇り、爆ぜる者。
様々な反応が広い空間の中で、足下をつぶさに見つめる監督者達は、成功してみせた受験者の番号を呼び上げていく。勿論、その中にはエマも含まれている。
あんな小さな数字を見れるのであれば、よっぽど目がいいのだと関心するばかりだが、裸眼の視力によるものではない事は隣に立つエマを見て気づく。
いつの間に掛けていたのか彼女の片眼鏡を掛けていた。耳に掛けるフレームのない、鼻にかける形の眼鏡だ。どうやらそれを使って合格者を選別しているようだったのだが、端から見ているジャックからではどういう仕組みなのかが分からない。
「なんだそれは」
「ああ、これですか。ただの視力矯正の魔具ですよ」
フレームを叩きながら、エマは答える。
「受験者に配られた番号札とセットで使う物なんです」
「セット?」
「ええ。この眼鏡を通して見ると、合格した人が赤く光って、その頭上に番号が浮かんでくるんです。見て見ますか」
彼女から渡されたそれを手に取り、そのままかける事なく眼鏡の世界を覗き見る。
確かに、頭上に受験者の中に赤い光をまとったものがいる。そして、それの頭の上には番号が浮かんでいる。
15 29 40 113……。
これまでに呼び上げられた数字と同じものが目の前に並んでいる。なるほど、これなら楽だ。
「あの…。そろそろ返してもらっていいですか」
「…すまん」
夢中になって眼鏡をのぞいているとエマが言ってくる。予想していたより反応が良かったものだから、声をかけづらかった彼女だが、それがなければ仕事にならない。それに、他の監督者からの無言の注意が背中に刺さるのも辛いものがあった。
ジャックもそれに気がついたのだろう。詫びを入れてから、彼女に眼鏡を返す。
それを受け取った彼女は再び下を見下ろして、役目を全うしていく。
手持ち無沙汰になった彼は、自然とエリスの方へ目を向けていく。
中々どうして苦戦しているようで、空に杖にふるっては空を切るばかりだった。
遠目から見ていても、焦っている事は手に取るように分かる。
回りの受験者は次々と成功する中で、どうして自分だけが出来ないのか。このままでは不味い。その思いは焦りを生むばかりで、結果を生み出す集中力を奪っていく。
さてどうする。ジャックはエリスを見つめながら、思う。
制限時間が設けられているらしく、残り10分と監督者の男が受験者達に叫ぶ。
それを後10分もあると考えるのか。それとももう10分しかないと考えるのか。与えられた時間は同じであっても残された時間をどう捉えるかによって心の余裕に違いが生じる。エリスはどう捉えたかは恐らく後者。脂汗が額を伝い、焦りだけが顔に生まれる。
どうにか気持ちを落ち着けようと深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
少しは気分が楽になったようだ。杖の先を見つめ、今一度呪文を唱える。
すると、杖の先が光を帯びて、ついに切先から炎を吐き出した。
エリスのはなった火炎球は空高く舞い上がり、花火のように爆ぜて消える。
その途端彼女の番号が高らかに呼び上げられた。
一先ずは安心した。エリスはジャックの方を見ると、ほっとしたように笑みを浮かべて手を振っている。
終了の鐘が響き渡る。
「これにて第一の試験を終了とする。番号を呼ばれた者はこの場に留まる事。呼ばれなかった者は即刻この場を立ち去るように。嘘偽りでこの場に居座っても無駄だ。我々には分かっている。それでもこの場に留まろうというのなら、土産に魔法をたらふく喰らわせてやろう」
男の号令が聞いたのか不合格者は三々五々に広場を後にしていく。皆一様に暗く、うつむいている。肩を叩いて慰め合う奴らも入れば、涙をためて喚き散らす者もいる。
一瞬の混乱はあったものの、大学側の警備員らしき男達によってそのものは連れて行かれ、大事にはならなかった。そして、次の試験が執り行われる。
氷槍。雷撃。石飛礫。属性ごとに分けられた魔法を伝えられ、受験者達はそれに応えていく。空には様々な色彩をまとった魔力たちが、我先にと空に浮かんでは消えていく。試験の全てが終わる頃には、200もいた頭数が40ほどに減っていた。その中に、エリスの姿があった。
「これにて試験を終了する。皆の者ご苦労だった。そして、おめでとう。君たちはこの魔法大学の新たな入学者だ」
男の声の後、男は手を掲げて拍手を送る。すると、それにつられて監督者達が一斉に拍手を送っていく。
受験者達は呆けたままそれを受けていたが、だんだんとその事実が身体に染み渡って現実味を帯びてくる。それは次第に喜びへと変わり、多くの受験者の顔に笑顔が広がっていく。
しかし、初めて魔法を使った事は想像以上に身体に堪えている。笑みを浮かべるもののほとんどは体に力が入らず、膝をついている。それ以外のごく少数はさも当然の事と言わんばかりに、立ったまま拍手を受け入れている。
エリスは、流石はエルフの民だけあって額に汗をかいているものの、まだ元気は残っている。
「これより1時間ほど食事休憩の時間をとる。その後、説明と制服を与えるため勝手に帰らいでいただきたい。折角入学の権利を手に入れたのだ。みすみすふいにする事のないように」
監督者の一人が声を張りあげて連絡すると、その場にいた監督者、受験者はそれぞれ学舎の中へと引っ込んでいく。
「…行って上げて下さい」
エマが言った。一瞬何の事を言っているのか分からないジャックだったが、彼女の視線の先を見て、分かった。
彼の足下から見るとそこにはエリスが立っており、じいとこちらを見上げている。
「今は、仕事中だ。護衛対象を放っておいて会いにいくのは、いかんだろう」
「大丈夫ですよ。これから監督者同士の会議があるんです。部屋には監督者以外入ることはできないんです。ローウェンさんにはその間時間が空くと思うので、折角ですから、ね」
「だが…」
「大丈夫です。あの時とは違って私にも自衛の手段はありますから」
そう言うとエマはおもむろにローブを少しめくる。丈の長いチェック柄のスカート、白い生足に黒いブーツ、黒いジャケットの裾がそこから覗ける。しかし、彼女が自衛の手段としているのはそんなものではない。腰に巻かれたベルトに差している杖のことだ。
「それに、本当に護衛をして欲しいのはこの後。街へ買物に行くときです」
「ならば、なぜ私をあそこへ呼びつけた。ここで合流をすれば済む話ではないか」
「それもそうなのですが、父が始めから連れて行けとうるさくて」
無理もない話だ。一人娘が誘拐されたのだ。娘が救われた今、彼女の行動に注意を払わない親はいない。それも、自分の下らないこだわりによって生み出された不幸であるなら、なおさら放っておかないだろう。
「…どこで落ち合えばいい」
ため息をつきながら、ジャックは訊ねる。ため息に含まれるのは呆れ。愛娘に対する父親の措置に対してでもあり、彼女の提案に乗ろうとしている自分に対してでもある。
「一時間後、ここで落ち合いましょう。それまで、娘さんとゆっくりされて下さい」
エマはジャックに会釈をすると、他の監督者と同じく渡り廊下を渡って向かいの学舎へ歩いていった。
階段の場所を聞くのを忘れていたことに気づいたのは、彼女の姿が見えなくなってすぐの事だった。下手に学舎を歩き回りエリスを待たせてしまうのも気が引ける。では、どうしようかと考えたあげく、ジャックの答えは簡単なものだった。
下を見る。思ったよりも高くはない。せいぜい二階程度。エリスに少し離れている様に伝えると、彼は手すりを乗り越えて身を踊らせる。
息を飲む音が、エリスの口から漏れる。
浮遊感は一瞬、その後は落下するだけ。足が地面に着いた途端に身体を折り曲げて前転。衝撃を逃がす。
身体に着いたほこりを払って、何事もなかったかのように彼はエリスの前に立つ。
呆気にとられ、呆然と彼を眺めていた彼女だったが、すぐに我に返りジャックに詰め寄る。
「危ないじゃない。怪我したらどうするつもりなのよ」
「このぐらいでは何も問題はない。三階ぐらいでは少し気を付けなければならないがな。お前も憶えておいたらどうだ。有事の際、受け身は役に立つぞ」
「それより魔法を使えた方が役に立つわよ」
腕を組み、胸を張りながらエリスは言う。
「…それもそうだな」
ジャックはエマに歩み寄ると、その頭に手を置く。
「だが、まだ始まってはいない。寧ろようやくこれから始まるのだ。喜び勇むのはいいが、ここで安堵して満足していてはいかんぞ」
「分かってるわよ」
ムッとしたように、エリスは少し頬を膨らませる。
「ユミルはどうした。一緒に来たんじゃなかったのか」
「分からない。途中で別々になったから、きっと他の場所に案内されたんだと思う」
当たりを見渡してみるが、それらしい人影は見当たらない。ここには今の所ジャックとエリスを含めて、休憩時間を有意義に使う受験者達の姿がある。談笑したり、今唱えた魔法を今一度試したり、何をするでもなく空を眺めていたり。それぞれに時間をつぶしているようだったが、その中にユミルの姿を見つける事は出来ない。
すると、学舎の一階、ジャック達が出てきた方の校舎から何人かの人が出てきた。受験者達とは違う。ジャックと同じぐらいと年頃と思われる男女だ。彼ら彼女らは自分の子どもの姿を見つけると、子どもらに歩み寄り彼らの努力を誉め称える。
「ああいうのは、やってくれないの?」
それを見ていたエリスが、上目遣いにジャックに言った。
「…よくやった」
ジャックはエリスの顔を見ずに、それを言う。
「顔を見て言って下さい」
なおもジャックに食い下がるエリスを尻目に、学舎から出てくる人の中にユミルを見つける。
ユミルも二人に気がついたようで、二人を見つけるなり歩み寄ってくる。
「お疲れさま。がんばったじゃない」
エリスの肩を叩きながら、ユミルは言った。
「どこかで見ていたのか」
「ええ。凄かったわよ。空中に魔法でここの映像が浮かんできたのよ。流石魔法大学だと思ったわ。それに、ここに来る道も面白くてね。地下に降りたはずなのに、いつの間にかここに着いていたのよ」
「地下?」
「宿の近くにあった建物の中に入って、そこから階段で地下に降りるよう言われたの。そうしたら、ここに着いたって訳」
エリスが言葉を付け足す。
納得は行かないがどういう事かは理解が出来る。というより、似たような体験はこれまでに何度もあった。
魔法とは万事そういうことなのだ。説明するのは難しいが、そうなっているのだから仕様がない。いちいちその仕組みを考えた所で脳みそが受け付けない。
「何か仕掛けがあるのだろう。気になるのなら、ここの職員にでも聞けばいい」
「いま、考えるのをやめたでしょ」
「そもそも考えるつもりもない」
ユミルの視線を意に介すことなく、ジャックは言う。
「…そう。それより、二人ともご飯は食べてないでしょ」
少しは驚いてくれる事を期待していた彼女だったが、いつも通りのそっけない彼の態度に呆れ半分、諦め半分といった頷きをつく。終わった事はどこかに放り投げて、ユミルは話題を変える。
「う、うん」
「今食堂で食事を用意しているって話だから、食べに行きましょう。場所は事務員さんに聞いておいたから」
そう言うとユミルは二人を連れて学舎の中へと入っていく。
三人が入っていったのは、渡り廊下につながれた四つの校舎の内の一つ。時計の0時方向にある校舎だ。
他の受験者達も一様にその校舎に入って、同じ方へと歩いていく。ユミルの案内に従うというよりも、その先客達の後を追っていくと、食堂の入り口へとたどり着いた。
扉のない大きな入り口を潜ると、そこ広々とした空間が広がっていた。
縦に長いテーブルが三つ。それに合わせて背もたれのない長いベンチがテーブルを挟むように並んでいる。うずたかい天井は石膏で出来た彫刻の意匠が施され、一瞬どこかの城にでもいるような荘厳さを感じさせる。
また奥には大きな仕掛け時計が壁に埋め込まれている。むき出しになった歯車が動くと、それに呼応して秒針、分針、時針が文字盤の上で動いていく。針は12時半を差していた。
天井から吊り下がる間を開けて並んでいるシャンデリアにはランプが幾つも付けられ、灯された炎が煌煌と照らしている。
両側の壁には窓が開けられていて、その間にある石柱には照明の燭台が掛けられている。
テーブルの上には事前に用意されていたのか、様々な料理が並んでいる。
分厚いローストビーフ。バターの溶けたハニートースト。肉団子とマッシュルームの乗ったミートソースのパスタ。大皿に入ったグラタン。サラダ、パン、カップケーキなどなど、多くの料理が揃えられている。
受験者とその親はベンチに座り、目の前に置かれた取り皿に料理を取り寄せていく。和やかな会話の裏には試験の緊張からの解放と、合格をつかみ取った事に対する安心があるのだろう。
三人も空いている席に腰をかけて料理に手を伸ばし、食事をとっていく。
腹もふくれた頃、時計を見ると午後の1時15分。そろそろ約束の時間だ。食後の休憩をゆっくりと満喫した三人は他の受験者と同様に食堂を後にする。
歩きぎわ近くにいた職員に階段の場所を聞き出したジャックは、途中で二人と別れて上の階の渡り廊下に向かう。
廊下を進み、階段を見つけ上へと登る。
二階に昇るが、見知らぬ場所だからいまいる場所が何処か分からない。校舎は四角い形をしている。ぐるりと回って歩けばいつかは見知った場所に抜けるだろうと、適当に廊下を歩きだす。
廊下を進んでいる最中、何とはなしにそれぞれの部屋の扉に掛けられた札に目を走らせる。某教授、某講師。授業を担当する職員達、教師達の名前が刻まれた部屋が多く並んでいる。その向かい側には実験室と刻まれた幅をとった部屋がある。
そうして歩きながら見ていると生徒会室のある廊下へ来ていた。
一度通っているだけあって、すんなりとあの渡り廊下へたどり着いた。
エマ嬢の姿は、まだない。
早く着きすぎたかと思ったが、そんなことはない。その監督者同士の会議なるものが長引いているだけなのだろう。ここは大人しく待っておこうと、欄干に背中を預ける。
先ほどの受験者の声が響いていた中庭は、寂しいほどに静けさが満ちている。今頃は、エリスとユミルは大学の説明を受けているのだろうか。家に戻ったら聞いてみるかと何とはなしに考えていると、彼の方へ駆け寄ってくる足音を耳にする。
「お待たせしました」
手を膝を着きながら、エマが言った。僅かな距離を駆けてきただけでそんなに息が切れるものかと、彼は少し訝しむ目を彼女に向ける。しかし、そもそも貴族は自分が動かずとも回りの使用人達がやってくれるのだから、運動不足で体力がないのも仕方のない。そう思い直すことにした。
「…どうしたんですか?」
小首をかしげながら彼女はジャックに問うてくる。
「何でもない」
欄干から離れ、彼女の前に立つ。
「どこに行く」
「街に行って本を買おうと思っています」
「本。か」
「興味、あるんですか?」
「いいや。行くなら、さっさと行こう」
「はい」
エマは彼に返事を返すと彼の横を通り、前を進む。その後をジャックは追っていった。




