護衛
ユミルとエリスが大学へと辿り着く少し前。二人の消えた通りを、ジャックは一人歩いていく。向かう先は大通り近くにある、一件の建物。事前に渡されている地図をチラチラと見ながら、ジャックそこを目指して歩く。
見慣れた通りを歩いていくと、ギルドの近くへとたどり着く。その対面に目を向けると、お目当ての建物と入り口の前に立つ人影を見つける。
その人影もジャックに気がついた様子で、ジャックの方へ歩み寄ってくる。
「わざわざご足労いただきありがとうございます。ローウェン様」
ぺこりと頭を下げる燕尾服の男。ガブリエルの所の使用人だ。
「早速ではございますが、こちらへどうぞ。お嬢様が中でお待ちになっております」
男に連れられるまま、ジャックは建物の中に入っていく。そこは四階建ての住居で、外側を一見しただけでは何の変哲もないように見える。
玄関の白い扉を潜ると、深緑の壁紙の貼られている廊下が奥に続いている。横幅は狭く二人の人間が隣り合えば、肩がぶつかってしまう。
一階には二階へと上がる階段が脇にあり、廊下の突き当たりには部屋が一つあるだけだった。
男は階段を伝って、二階、三階へと上がっていく。どうやら共同住居のようで、それぞれの階に一部屋ずつ踊り場を挟んで設けられており、それぞれの扉の表面には表札なのか、鉄プレートで誰それと名前が書かれている。
ジャクソン・オズボーン、シャトール・リーガル。ジャックは何気無しに二階三階の住人の表札に目を走らせる。そして、四階の部屋につく。
ヴィリアーズ。表札にはそう書かれていた。男は扉を開けて彼を中へ招き入れる。
「お待ちしてました。ローウェンさん」
迎えてくれたのは、エマだ。二月ぶりの再会になるが、感慨は浮かんでこない。挨拶代わりの握手をかわして、ジャックは用意された椅子に腰をおろす。
部屋の中は思ったよりも広い。15帖程の横に長い部屋には箪笥、小箪笥、本棚、化粧台などの家具とベッドが置かれている。
また入り口から見て正面には大きな窓があり、開け放たれているのか、外から入ってくる風でレースのカーテンがたなびいていた。
左手には今は役目のない暖炉がひっそりとそこに佇み、その上には彼女に関係する人々だろうか。何人かの人間の絵が小さな額に入って立て掛けられている。
「ごめんなさい。折角娘さんの入学試験の日にお呼び立てしてしまって」
「仕事だ。気にするな」
なるべく気にしないような素振りを心がけたが、言葉の端々に険が立つ。
事の発端は三日前にさかのぼる。
その日の依頼の帰りに、ギルドでいつかのように受付嬢に呼び止められ、奥の部屋へと連れて行かれた。待っていたのは、ガブリエルの執事、コフィだ。
コフィは恐縮しながらもジャックとユミルにある依頼を申し出てきた。娘のエマを護衛して欲しいという依頼だ。間の悪い事に丁度エリスの試験とかぶる。すぐにも断ろうとしたのだが、横やりを入れてきたのは、コフィとは別の男だった。
見覚えのない、いや、よく見ればある。
奥の椅子に腰掛けて腕を組んで肘を着くその男。パウロを思い出したのはその人物をじいと見つめてからだった。
「パウロさん……」
ユミルの口からつぶやきが漏れる。再会の喜びというよりも、パウロがここにいることへの驚きから出たものだった。
思い出してくれたようでなによりとパウロは言いながら、二人に歩み寄って握手を交わす。そして、どうか依頼を引き受けてくれないかとも口添えをしてくる。
古くからの友人の頼みなのだとパウロは言っていた。貴族の知り合いがいることに対しての驚きもあったが、それよりも驚かされたのは彼の次の言葉だ。
「友人としてもそうなのだが、これはギルド長としての頼みでもあるのだよ」
パウロがこのギルドの長を勤めていることが一番の驚きだった。
しかし、パウロはジャックとユミルの驚きなど知ったことではなかった。二人が目を見開いて驚いているさなかに滔滔と口を動かし続ける。なんでもこの機会に貴族にもギルドの名前を売り込みたい腹づもりがあるらしい。
だが、例えギルド長の頼みであったとしても関係はない。こちらは用事があるのだとジャックは言って聞かない。受けろ、受けないの押し問答が続き、ではその用事とは何かという質問に変わる。
エリスの試験の付き添いだ。そう応えると、パウロは意外に思ったのか眉を上げて「ほほぅ」と意外そうに声を出した。コフィは何故か微笑ましげに頬を歪めている。と同時に、コフィは言葉を口にした。
「なら、丁度いいでしょう。一緒に行くことは出来ないでしょうけれど、それでも娘様を一番近くで見る事が出来ますよ」
その結果、ジャックはエリスと離れ離れになり、こうしてエマの元へ訪れることとなった。
エマの服装はあの時の薄汚れたドレスではなく、胸元に大学の刻印が刺繍された黒のローブを身にまとっている。話を聞くとエマは大学の4年生。学校の生徒会長なるものになっているという。
エマは今回監督者の一人として試験の会場に呼ばれているらしく、その護衛をジャックとユミルに依頼した。だが、エリスを一人で行かせる訳にもいかない。仕方なく、ユミルにエリスを任せジャック一人がエマの護衛に着くという話に一先ずは落ち着いた。
ただ、この話をエリスに打ち明けた時、彼女の曇った表情が脳裏に焼きついている。
健気にも、気にしないでと笑顔を浮かべて言葉をかけていたエリス。けれど、その笑顔はいつもよりも弱々しかった。
「そ、そうですか。では、早速ではありますけど、あちらの方へ向かいますので。よろしくお願いします」
少々恐縮しながらも、エマは入り口へと向かう。彼女の背中を追っていくと、扉の所にかの金獅子の頭が張り付いている事に気づいた。ローブのポケットから色の違うプレートを取り出すと、獅子はそれを飲み込み、吐き出す。
扉を開けた先には、見慣れたあの薄暗い廊下が奥へと伸びている。
「こちらです。着いてきて下さい」
エマはジャックを連れ立って廊下へと進む。ジャックが扉の中へ入った後、閉じようとする扉の隙間から、主の娘を送り出す使用人達の声が聞こえてきた
廊下を進むと、突き当たりで両側にT字に廊下が伸びている。横一列に並んだ白い扉にはそれぞれ大学、部屋と書かれた表札がぶら下がっている。
エマは迷う事なく大学と書かれている扉に立ち、ドアノブをひねる。
その先にあったのは、どこかの執務室の様な部屋だった。大きな円卓が部屋の中央にあり、それを囲うように九つの椅子がおいてある。
右側には書類の入った二つの大きな本棚、そして戸棚。左側には何かの書類が貼られた黒板が壁にかかっている。よく見れば月ごとの行事の予定や集会の日程などが、白いチョークで細かく書かれていた。
「ここは生徒会室です。今は春休みだから誰もいませんが、普段なら役員の子達がここでおのおのの仕事をしています」
「ここの会長だそうだな。随分な肩書きをもっているじゃないか」
「名前だけです。生徒会といっても、やる事はサークルの活動予算の策定と、学生達から上がってくる要望を検討する事。簡単に言ってしまえば、他の学生の雑用と言った事ですよ」
肩をすくめて、苦笑をしながらもエマは答える。
「私も本当はやりたくはなかったのですが、先輩から押し付けられて上手く断りきれずに、今こうなっているだけです」
「後輩に押し付ければいいじゃないか」
「そうなんですが、何だか後輩の子達が可哀想で。せめて卒業するまでは私がやり抜こうと思っているんです。それに、折角任された仕事です。やりきってみせたいじゃないですか」
同意を求めるようにエマはジャックを上目遣いに見上げてくる。とても興味の持てる話ではなかったが、変に噛みつかれてもたまらないと、
「そうだな」
と言葉を添えて頷いておく。
それを聞いてエマは満足そうに少し頬を上げる。
円卓の横を通り、エマの足は生徒会室を出て廊下を進んでいく。あくまでもあの部屋は彼女のプレートに登録されている入り口であるだけで、目的の場所ではない。
右手に教室らしき部屋が並んでいる。左手には窓が並び、そこからは大学の建物と中庭が見渡せた。大学の建物は四角の形になっており、四隅には塔がそびえている。屋敷というよりもどこかの城にいるような姿だ。
中庭を見下ろすと、円形の噴水と背もたれに花の彫刻をあしらったベンチが四つ、間隔を空けて置かれている。よくみると一階の一角がアーチ型に空いており、通り抜けることが出来るようになっている。
何とはなしにそれを見ながら、エマの案内に任せて廊下を進む。曲がり角に来るとそこを右に曲がり、そして、左に曲がる。
大学の全景が彼の目に飛び込んできた。
首を左右に動かせば石積みの城壁を思わせる学舎がそびえている。
その先には長い渡り廊下が伸び、建物の中心で十字に別れそれぞれの学舎へ続いている。廊下の両端には足下から腰当たりの高さの手すりが設けられていて、頭上には木で組まれた屋根が付けられている。
何よりも目を奪われたのは、渡り廊下の下。幾人もの種族を問わない頭が並んでいる。目算だけでおよそ200人。等間隔を開けて並んだその中に、見知った顔を見つけた。エリスだ。不安げな面持ちで当たりをきょろきょろと見回している。その胸には34番という番号札が貼られている。
エリスは見下ろしているジャックに気がついた様子で、笑顔を浮かべて彼に手を振っている。
「あの子が、貴女の娘さんですか」
前を歩いているエマがそう言ってくる。
「娘ではない」
ジャックはそう答える。では、あの子は貴方の何なのか。エマが彼にそう問いかけようとした時、廊下の向こう側から男がこちらへ歩み寄ってきた。
「やあ。ヴィリアーズ君。今日はよく来てくれた」
豚。男を見てジャックの抱いた印象はそれだった。でっぷりと肥えた腹はローブの上からでも分かるほどに膨らんでいて、顎に蓄えられた贅肉はあるはずの首を隠している。
顔つきは柔和で蓄えた髭を撫でながら、青い双眸を細めてエマを見つめていた。
「おはようございます。校長先生」
エマはそう言うと、男に向けて丁寧に頭を下げる。
「そちらの方は、君の新しい恋人かね」
男はエマからジャックに視線を移す。
「紹介が遅れました。こちらの方はジャック・ローウェンさん。私の護衛をしてもらっている冒険者さんです」
「ほう。君の護衛とは。あのお硬いガブリエル老がよく許したな」
髭を撫でながら意外そうに男は言った。
「ローウェンさん。こちら校長先生のレイモンド・ブラム・ヴィットリオ先生」
「よろしく、ローウェン君」
レイモンドはジャックに向けて手を差し伸べてくる。言葉だけでは満足しないで手を差し伸べてくるのは、帝国に住んでいる人間の習性なのだろうか。大して意味のない想像を振り払い、男から差し伸べられる手を掴み、握手をかわす。
「今日は彼女をよろしく頼むよ。それにエマ君も。監督者の仕事を全うしてくれ」
レイモンドはそう言うと、ジャックから目をそらす橋の中央部にいる男に向けて手を掲げ合図を送る。
「これより、事前指導を行う」
男は頷き高らかに号令をあげた。
「ではな。がんばってくれ」
エマの肩を叩くと、レイモンドは二人の横を通り、二人が先ほどやってきた学舎へと入っていった。




