試験
それから一月、二月と時は経ち、いよいよエリスの試験の日がやってきた。
そのためエリスは朝から準備に追われことになるのだが、内容は至って簡単なことだ。買ったばかりのドレスに着替え、髪を整えるだけ。後は緊張をほぐす為に深呼吸を繰り返すだけだ。しかし、緊張からか前の夜はよく眠れなかったのだろう。エリスの目元にはくまが浮かんでいた。
9時を少し回った頃だろうか。部屋の扉を誰かが叩いてくる。こんな珍しいことをしてくるのはジャックの知る所で誰もいない。
ジャックが扉を開けると、そこには紳士然とした男が立っていた。
黒は燕尾服に身を包み、手には白い手袋。片腕を折り曲げて腹にあて、腕には黒い傘を引っ掛けている。一瞬エマの所のコフィが来たのかと思ったが、そうではない。
目の前に立つ男はコフィよりも若く、何ならジャックよりも歳が下のように見える。皺の少ない若々しい白い肌にかき上げた金髪を髪油で固めた髪型をしている
「おはようございます。魔法大学の者です。エリス様をお迎えに上がりました」
作り物めいた笑顔を浮かべ、男は頭を下げる。
「エリス、迎えが来たぞ」
「は、はい!」
突然声を掛けた訳でもないのに、エリスは猫のように飛び跳ねる。だいぶ緊張が身体に回っているようだ。
「大丈夫か」
「う、うん。大丈夫……」
ベッドの縁から立ち上がり、ジャックの横を通りエリスは男の前に立つ。
「貴方がエリス様ですね」
「は、はい」
「大変お待たせいたしました。では会場の方へご案内させていただきますが、ご準備の方はよろしいでしょうか」
「大丈夫……、です」
「結構。では、参りましょう」
そう言うと男はエリスを連れて一階へと向かった。
ジャックは部屋を出ると向かいの部屋の戸を叩く。
「ユミル、起きているか」
彼の声の後、扉は開かれてユミルが廊下に出てくる。
「ええ。何、もうお迎えが来たの」
「ああ。エリスは先に行った。着いていってやってくれ」
「はいはい。じゃ、また後でね」
ユミルはエリスを追って階下へと向かっていく。
一人残ったジャックは、鎧を着込み剣を腰に差した後、部屋をでた。
ジャックより先に降りた二人は男に連れられるまま宿を後にし、通りに出る。どこに行くかと思えば、宿から少し離れた所にある煉瓦造りの建物だ。
木造と煉瓦との境にあるそれは、隣り合った四階建ての建物に比べて高さの低い二階建てだ。その代わり横に幅をとっていて、見た目はまるで倉庫のようだった。
建物の周囲には背の高い鉄柵が立っていて、簡単には乗り越えられないよう、その先端は鋭利に尖っている。
鉄柵で作られた門を開けて、建物の入り口へと向かう。整然と積み重なった煉瓦に付けられた黒い扉。片側に開くそれのドアノブに使いの男は手を掛けて、引き開いていく。
男はドアノブを掴んだまま扉を固定し、さあ、中へ。ともう一方の手で二人にそう促す。
エリスはそれに従って一歩踏み出しかけるが、すぐに引っ込めて、背後を振り返る。後ろにいるユミルを見ている訳ではない。それよりも後ろ、人通りのない通りに彼女の視線は向かっている。
「大丈夫よ。一緒には行けないけれど、ジャックも会場には向かうって言っていたんだから」
「……うん」
ユミルの言葉にうつむきながらエリスは応える。寂しさを我慢してここまで来たはいいが、ふとした事でそれが心の縁から漏れ出てしまったようだ。
普段から少し大人びたように振る舞って入るが、こういうふとした時に年頃らしい表情を見せるだけ、まだかわいげがある。
「ここで待っていても仕方がないわ。さっさと中に入りましょう。折角試験を受けにきているのに、遅刻なんてしたら恥ずかしいでしょ」
ユミルは彼女の背中を押して、扉をくぐった。
玄関の扉から真っすぐに伸びている廊下。その両端には白壁がそびえ、右側の壁にだけに掛けられた振り子時計が、一定のリズムで時を刻んでいる。
左側の壁には窓口が置かれ、ハンチング帽をかぶった老人が、パイプを拭かしながら窓越しに二人をじっと見つめていた。
「少々お待ちください」
廊下を進もうとする二人を、扉を締める男が呼び止める。二人が振り返ると、男が老人に声をかけている。しかし、それは時間を要するものではなく、老人が会釈をすると男はすぐに二人の元へと歩み寄る。
「お待たせして申し訳ありません。では、こちらへどうぞ」
二人の横を通り、男は廊下を進んでいく。エリスとユミルも男に続いて歩く。
建物が横に長い分、この廊下も異様に長い。何より異様なのが、部屋らしい部屋が一つもない事だ。
変わり栄えのしない白壁が廊下とともに続いているだけで、他に折れる所もなく、次第に本当に進んでいるのかさえ怪しく思えてくる。
だが、その心配をよそに男の足は止まりくるりと振り返る。
「では、この階段をお降りください」
彼の手が指し示す方へ目をやると、一瞬何もないように見える。しかし、よくよく見ると、そこには下へと下る螺旋階段があった。手すりも階段の段差すらも白く塗られていた為に、壁とどうかして見分けが着かなかった。
「貴方は来ないの」
「ええ。自分の役目はここで終わりです。ここを下りましたら、突き当たりにある扉に入って下さい。そこにも係の者がおりますので、彼女の案内に従ってください」
御健闘をお祈りいたしております。男はそう言うと深々と頭を下げて、それ以降、何も言う事はなかった。ここでじっとしている訳にも行かず、二人は男の言うがまま螺旋階段を伝って下へと下っていく。
ぐるぐると蜷局を巻いて続いている階段。降りても、降りても下までたどり着かない。手すりから下を覗いても未だに底まであるのか、それとももうじき着くのかの判断がつかない。
何もかもが白い空間に辟易としてきた頃。ようやく、階段が終わり、目の前に扉が現れた。男の言っていた扉とはこれの事だろうか。エリスがドアノブに手をかけて引いてみる。
だが、開かない。ならばと、今度は押してみる。留め金がかちゃりと外れる感覚の後、扉が開く。
その先には待っていたのは、栗皮色のドレスを身につけた女と、椅子に座って羽ペンで何かを書き連ねている男。
部屋は先ほどまでと此れまでとは打って変わって、白い花柄のあしらわれた赤い壁紙で部屋の四方が彩られている。
また、得体の知らない仮面や呪文の書かれた札と魔方陣の描かれた大きな紙面など、魔法、魔術に関するものが壁の至る所に掛けられている。
「貴女がエリスさんね」
長い裾を引きずりながら、女が二人の元へ近寄ってくる。
年齢は40そこそこと言った所だろうか。ふっくらとした白い顔には皺が着いていて、少したれた丸みのある目つきはどことなく優しげな印象を持たせてくれる。
長い茶髪が項と襟にかからないよう、シニョンを使って後頭部にまとめている。
「はい」
彼女の目を見つめながら、エリスは返事を返す。
「ここの教員をしている、パーシー・クレゴルです。そちらが、エリスさんの親御様かしら」
「ええ。まあ」
いちいち説明するのも長い時間を要してしまう。ここは曖昧な返事を返すだけにとどめる。
「そうですか。では、お母様は観覧席の方へご案内させていただきますね。お嬢さんと一緒に試験を受ける訳にも行かないでしょうから。エリスさんは私と一緒に来てもらいますよ」
「よ、よろしくお願いします」
「はい、よろしく。礼儀正しいのね。親御さんの教育がいいのかしら」
パーシーはエリスに微笑みかける。
「さあ、着いてきて」
彼女はそう言うと、二人が入ってきた扉とは別の扉へ歩いていく。当然、エリスも彼女の後を追って扉へと向かう。
さてどうしたものかと残されたユミルは考えていたが、ふと前を見ると、先ほどまで羽筆を走らせる事に夢中になっていた男が、彼女をじぃと見つめていた。
「……保護者様は、こちらへどうぞ」
腰を上げた男が手で指し示すのは、エリスの向かった方とは反対にある扉。猫背で腰の折れた男は、ユミルの前に立って彼女を先導する。
服装は白いシャツに黒いスラックス、唐茶色の皮で出来たサスペンダーを身に纏っている。
白髪まじりの長い黒髪を項で髪紐を用いて一括りしてまとめ、深い隈が刻まれたその顔には、無精髭が生えている。一見しただけでは老人と見まがう風体をしている。
「あの、失礼ですけど。おいくつでいらっしゃいますか」
「はい?」
光のない黒い瞳が、生気のない声とともに彼女を見る。
「ああ、いえ。少し気になったものですから。気に障ってしまったのでした、すみません」
「今年で30になります」
「……えっ、30ですか」
一拍の間を置いて、ユミルが反応を示す。納得というよりも、驚きに近い反応を。
「老けて見えますか」
「ああ、いえ、その。……少し」
何となく利いてしまった事が忍びなく、ユミルはおずおずと応える。
「そう畏まらないで下さい。よく言われることです。顔もさることながら、この猫背だ。余計に老いてみえるのでしょう」
「そ、そうですか」
自嘲気味に自分の事を語る男に、ユミルは愛想笑いを浮かべながら相づちをうつ
「そうそう。申し遅れました。私、ここで事務員をしております。ゴフと申します。私などの名前など、すぐに忘れてしまっても構いませんが、一応、お見知り置きをお願いいたします」
猫背で曲がった腰を、更に曲げてユミルに頭を下げる。
「ユミルです。よろしくお願いします」
慌てて自分の名乗りを上げて、ユミルもコブに負けずと頭を下げる。
「私などにご丁寧にどうもありがとうございます。ここでおもてなしをいたしたい所ですが、あまり時間もありません。どうぞ、こちらへ。ご案内させていただきます」
コブは扉を開けて彼女が通るのを待つ。微笑んでいるのだろうけれど、にへらと頬を上げているその表情は、どことなく薄気味悪さを感じさせる。
とにもかくにも、せっかく扉を押さえてもらっているのだ。進まない訳にはいかない。軽く会釈を返して、ユミルは扉の先へと足を踏み入れた。
そこにはまたしても長い廊下が伸びていた。
だが、どういうことだろうか。廊下の片側には窓が並び、外の光が入ってきている。窓を覗いてみると、曇り空と石畳の敷かれた広場のような空間が広がっている。
地上にある建物から階段を降りてきたのだから、光はまだしも、空をのぞむことなど出来ないはずなのに。それに、なにより帝都の地下にこのような場所があるなど聞いたためしがない。
「驚かれましたか」
彼女の心情を知ってしらずか、ゴフが顔だけを動かしてユミルを見る。
「え、ええ」
「貴女様の目に移るものは夢幻ではありません。歴とした現実でございます」
そうだろう。ゴフの目の前で頬をつねってみても、叩いてみても目の前の景色は消え失せることはない。鮮明に、色濃く彼女の目に映っている。
「中継地点を介しての移動魔法とでもいいましょうか。帝都の軍人様方や貴族様方がよくお使いになられている、金のプレートによる空間移動と似たようなものでございます」
それには彼女も身に覚えがある。ガブリエルの屋敷に行く時も、アーサーの執務室へ行く時も、そのプレートを使って移動していた。
だが、それでも謎は残る。ここに来るまでにプレートを使った事はなかったし、獅子の着いた扉もなかった。ただ案内に従って歩いてきただけだ。
「ここの場合は建物自体が大学へと続く扉の役目を担っているのですよ」
ユミルの抱く疑問に、ゴフの何気ない言葉が答えとなってやってきた。
「どういうこと」
「入り口近くの受付に、男が一人いたでしょう」
「ええ」
「その男が言わば獅子の役目。案内役の男がプレートとお考えください。案内人が声をかけ、男が手元にある道具のダイヤルに番号を入れる。すると、螺旋階段の下にある扉の行き先が変わる。そういう仕掛けです」
そう言われれば、確かに案内人の男が何やら受付に声をかけていた事を思い出す。
「でも、随分大掛かりな仕掛けですね。軍の人達はプレート一枚で済んでしまう事でしょう」
「確かに、そうですね。随分前から金の無駄だと言われているのですが、まあ、大学の拙い風習とでも考えていて下さい」
ゴフが力なく笑う。彼一人の力ではどうにもならぬ事、そしてどうこうするつもりもないことなのだろう。
何気ない会話をしている内に、いつしか目的の一室へとたどり着く。
ゴフが扉をあけると中には幾つかの椅子が並び、数人の男女がそこに座っていた。扉が開く音につられて先に座っていた面々の視線が二人に向けられる。
一瞬、息を飲む音が聞こえた。それは傍らにいるゴフに対してではなく、ユミルの見た目に対しての反応だ。
この見た目にはつきものだし、ここでの暮らしも長い。この手の反応にはうんざりするが、それでももう長い事それを見せられれば嫌でも慣れるというものだ。
彼ら、彼女らの視線など気にせずに、ユミルは部屋の中に入る。
彼女が椅子に座ったのをみるとゴフが扉を閉める。
部屋の中央には台座に置かれた水晶があり、車座に置かれた椅子に人が座っている。多くは人間族だが、中にはちらほらと亜人種の姿もあった。
恐らくも何も、ここに通されたという事は受験者達の両親達に違いない。
部屋の中心には台座に置かれた水晶が据えられ、それを囲うように車座に椅子が置かれ、大人たちはそこに座っている。
「失礼します。失礼します」
断りを入れてからゴフは椅子の間を通って、水晶の前に立つ。
何をするかとエリスがじっと眺めていると、彼はおもむろに杖を取り出すと、静かに呪文を唱え始める。
玉に向けて杖を振るうと、水晶に光が満ち、その光が徐々に上へと昇る。光は煙となって水晶と天井との間を漂う。しかし、決してどこかへ流れていくことなくその場に留まっていた。
「間も無く、試験の時間になります」
ゴフはそういうと水晶から離れ、壁際へと移動する。
するとどうだろう。とどまっていた光に次第に何かが映り始める。鮮明になっていくそれは、どこかの広場に集まった子供たちだった。
頭上から撮られているのか。彼らの頭が一列に並んでいる。見ようによっては、色とりどりの玉が並んでいるようにも見える。
映像が移り、子供達の顔が映し出される。その中にはエリスの姿もあった。
緊張している彼女の顔を見て、ユミルは自然と拳を握りしめる。
『これより試験を始める』
投影された映像の中で、男の声が高らかに開始の合図を告げた。




