対面
翌日からは再び冒険書としての仕事を始める。けれど、宿とギルドを往復するだけの日々にカーリアの訓練場が追加されることとなった。
依頼をこなし、ギルドから報酬を貰うとユミルとは別れ、ジャックは一人訓練場へと向かう。そこで待っているカーリアと一、二回と手合わせを行うと、カーリアからの講義と魔術操作の指導が行われる。
根は真面目な性格なのだろう、カーリアは熱心に魔力の流れをジャックに教えていく。しかし、教育の成果はなかなか現れてこない。ジャックの魔力操作は一向に上達の兆しを見せず、箱に入った金貨は未だに取り出されないままだ。
その代わり、それ以外の部分。剣技においては二人の技術はより熟達していった。木刀での手合わせから自然と剣での立ち会いへと変わっていく。
以前に追い込まれた手に互いにかかる事はない。そうなれば、二人の頭はより裏をかき、無理にでも次の新たな一手を生み出し続けていかなければならない。
手がかみ合うごとに新たに攻める箇所を替え、剣の速度に緩急をつけ、またさらに拳や蹴り、頭突きでペースを乱し何処までも相手の僅かな隙につけ込んでいく。
たった一、二回の立ち会いでも、その時間は長く、怪我は付き物ではあるがそれ以上に得られる実は大きかった。
そうした生活を送るようになってしばらく経った頃。カーリアがジャック達の暮らす宿に行ってみたいと言い出した。発端はジャックがエリスが大学の試験を受ける事を言ってしまった事にある。
別に言いたくて言った訳ではなく、つい口をついて出してしまったに過ぎない。しかし、考えてみれば何も隠す事も、その必要もないことだ。彼がそれを明かした所で何の問題もない。
ところが、彼のその言葉に思いのほかカーリアは食いついたのだった。何でも、コビンと同じく彼女も大学の出なのだという。
しかし、コビンの様に真面目に通っていた訳ではなく、魔力操作と簡単な回復魔法の講義を受けただけできちんと卒業をした訳ではないのだそうだ。
だが、エリスが入学すれば後輩になることには違いはない。
どんな子なのかと彼女から聞かれて、エルフだとジャックが答えると彼女の興味関心をさらに引いてしまう。会ってみたいとカーリアの口から出たのはそのすぐ後だ。普段感情をあまり表情には出さない彼女の目が、その時ばかりは輝いているように見えた。
面倒くさいが、日頃教えをあおいでいる身としては強く断る事は出来ない。エリスに知らせずに会わせるのも彼女も都合が悪いだろうと思い、エリスの了解を得てからという条件を付けて、その話を一旦棚に上げる事にした。
話を聞いたその日のうちに、ジャックはエリスの仕事終わりを狙って彼女に聞いてみる。
いい返事は聞かれないだろうと彼は踏んでいたのだが、その予想を覆し、エリスは二つ返事でそれを受けた。
人見知りで他人と打ち解けるのが苦手。それがジャックの持つエリスという少女の印象だった。それがもろく瓦解し、拍子抜けにも似た裏切りを味わう。
「ジャックさんが認めている人だもの。悪い人ではないわ」
判断する上で自分が認めているか否かが入っている事に意外さがあったものの。エリスがいいのであればと、ジャックはそれ以上は言うことはなかった。
ユミルには次の日、ギルドへと向かう道中にその耳に入れた。彼女から異論が出る事はなかったが、コビンも連れてくればという提案はもらった。依頼を終えてカーリアにそれを伝えると、快く了承してくれた。
日取りを決めて、後日カーリアがコビンを連れて宿へやってきた。午後3時頃だろうか。昼時の客が引き上げて、人のいない、空いているテーブルが目立っている。
ジャックとエリス、ユミルは一つのテーブルを囲んで座り、二人を出迎える。
「お久しぶりです」
コビンだ。その言葉はジャックとユミルに向けられる。しかし、顔はユミルの方を向いていて、ジャックには遠慮がちに会釈をするだけだ。
どうやら彼に苦手意識をもたれているようだ。それに対してジャックが特段何かを言うつもりはない。その原因を作ったのは、己にあるのだと踏んでいたからだ。
一応の挨拶をかわした後、いよいよエリスが二人の前に立つ。緊張をしているのか、表情は強張っている。だが、ジャックの影に隠れる事なく、二人の手をとって握手をかわす。
「エ、エリスです。はじめまして」
緊張が声になってエリスの口から言葉を出す。それが微笑ましかったのか、コビンは彼女の手をとりながらにこやかにそれに応える。カーリアも少し頬を緩ませて彼女の手をとる。
それから一緒のテーブルで帝国兵士を交えて会話に華を咲かせる。ジャックとエリスの出会いから、二人の間にユミルが加わってからの事。
言葉に詰まる事もあったが、時間が経つに連れて緊張もほぐれ、口調も喜々としてくる。
話題は次第に身近な事から、魔法大学に関することに変わっていく。
事前にアリッサから聞いていた事を含め、試験で心がける事。それから大学で授業の様子など、彼女の口から次々と言葉が生まれ二人の先輩へと飛んでいく。
エリス、コビン、それにカーリア。会話の中心は三人に移り、ユミルはその話の聞き役に回る。元々大学への進学を志した事もあって、昔を思い出すかのように彼らの話に耳を傾けていた。
一方、ジャックはそんな4人とは距離をとり、トイレに行くふりをして、一人カウンターに座って彼らの様子を見ていた。
「戻らなくていいのか」
いつもの如く、カウンターの向かいからグラスを磨くディグが彼に話しかける。
「私が混ざった所で仕方がない。興味のない事にいちいち首を突っ込むのも、面倒なだけだ」
「そう言うわりには、随分あっちを気にかけているようだが」
「ただの気のせいだ」
否定はするものの、ジャックの目は四人の方へ、楽しげに話すエリスの方へと向いている。
二人を前にして怯えはしないか。怖がりはしないか。そんな不安が彼の中に少なからずあった。だが、それはいらぬ心配となって彼の頭から消え失せる。
3年前のあの人見知りで彼の背中に隠れていた少女は、今彼の影から身を出して、少しだけ彼の前を歩こうとしているのだ。怖がりで臆病なエリス。
だが、もしかすれば彼の抱いていたそんな印象はまやかしであり、あの笑顔を見せている彼女こそが、本来の彼女なのかもしれない。
つまらない感傷だと笑ってみせるが、その姿を見ているとどことなく喜ばしくもあり、少し寂しくもある。なぜそんな感情が自分の中から浮かんでくるのだろう。
その理由も、原因もわからない。寧ろ、そんな感情がまだ自分の中にあったのかと、驚く自分もいる。
敵を殺す事しか出来ない木偶が、ずいぶん人間らしい事を思うようになったと、自分をあざ笑うように、彼は頬を緩ませる。そんなものは何の価値も見いださないと思っていたのだが、そんな事を思うのも別段嫌いではない事に気づいた。
ジャックの抱いている感情とは関係なく。彼の表情のそれは、まるで子どもを見守る父親のような表情だった。
少なくとも、近くで彼を見ていたディグは、こんな顔も作れるのかと、驚いていた。言葉にはしないけれど、実際この男も人間なのだと、密かに思った。
楽しい会談も時間という規制には勝つことは叶わない。
夜の帳が降り、通りに瓦斯灯の灯りがともり始める。夕食を共に楽しんだ後、二人は兵舎への帰路に着いた。帰りしなにコビンはジャックの元に歩み寄り、いい娘さんですねと言葉をかけた。
娘ではないと言ってはみるのだが、
「血はつながっていなくても、種族が違っていても、二人は親子ですよ」
そう言って譲らない。頭を書いて面倒くさそうにするジャックを見て、コビンは少しだけ笑って見せた。本当はもう少し表情を緩めても良かったのだが、またあの時の様に睨まれてはたまった物ではないと、この時ばかりは自重していた。
見送りに玄関までエリスは出向いて、二人の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
宿に戻ってきたエリスに、何を話していた。とは聞かない。二人から掛けられた言葉をどう捉え己の物にするかは、エリスが考えるべき事だ。
辛い言葉でも、喜ぶべき言葉でも、どう考えて解釈するかはエリスだけに許されている。
エリスがジャックのほうへ歩いてくると、
「二人に会わせてくれて、ありがとう」
笑顔を見せながら、エリスはそう言った。




