4-1
宿に戻ってからは部屋にこもってカーリアから借りた箱の攻略に乗り出す。雑貨と一緒に入れた箱を紙袋から取り出し、手に握る。少し前に見たカーリアをイメージして、魔力を流す。
けれど、どれだけ睨もうが、どれだけ力を込めようが、箱はびくともしない。イメージは出来ていたとしても、その実感がないから流れているのかそうでないのかも分からない。
10分位は粘ってみたものの、お手上げとばかりに箱を戸棚の上に置いてしまう。気分を入れ替える為に未だに身につけていた装備を外していく。
そのとき、部屋の扉がひとりでに開いていく。注視していると、エリスが紙袋を持って中に入ってきた。
「ただいま」
「もう帰ったのか」
装備を外しながら、会話を続ける。
「うん。エリスさんも一緒にね。ジャックさんは、どこかに行ってたの?」
「ああ」
「……ねぇ、それどうしたの?」
紙袋をベッドの脇に置いたエリスが、ふと戸棚の上に置いてある箱に目を向ける。
「知り合いから借りた物だ」
ジャックはなんて事はなさそうに言う。
「知り合い?」
「一昨日知り合った犬族の女だ。カーリアと言う。ユミルとも面識のある奴だ」
「へえ。ユミルさん以外に女の人の知り合いがいるんだ」
意外そうにそう呟きながら、ユミルの手は箱に伸ばされる。
壊すんじゃないぞ。エリスにそう言いかけたジャックだったが、その言葉は寸での所で飲み下される。
金属が擦れ合う音が聞こえたかと思えば、エリスが手に取った箱が開かれていた。
ジャックは一瞬何が起こったのか分からず、彼には珍しく口を開けたままエリスを見つめていた。
「懐かしい。これ、秘密箱よね。小さかった頃母さんからこれに似た奴を貰ったんだけど、壊しちゃったんだっけ。……どうしたの?」
かつての思い出を引だしながら応えるエリスは、ふと唖然とするジャックの顔が目に入る。
彼の見た事もない表情に、笑いよりもなぜそんな顔をしているのかという不可解さの方が際立っている。
何かおかしな事でもやっただろうかと考えるが、いや、そんな事をした覚えがない。部屋に入って荷物を置いて、彼と言葉をかわしただけだ。なにもおかしな事をしていない。
「ねえ。どうしたの」
再度彼に向けて言葉をかけると、ジャックはエリスの手を握り、その手に持つ秘密箱に目を落す。
「……どうやった」
「えっ?」
「これをどうやって開けた。これは、魔力を送り込まないと開けられない。今、魔力を送り込んだのか」
「魔力かどうかは分からないけど、少し力を入れると開いただけよ」
「力を入れたのか。どうやって」
「えっと。普通に、こう」
箱の形を元に戻し、先ほどと同じように箱を開いて見せる。カーリアほどの光はないものの、箱の溝には確かに青白い光が走っていた。
「……貸してくれ」
「うん。はい」
再び箱の形を整え、ジャックに渡す。エリスと同じように握ってみるが、どうにもこうにも開けられない。
何となく情けなくなったジャックは、箱を棚に下す。何となく勝った気分になったエリスは、彼の肩を叩いて慰めの視線を送る。
「……何をしてるの」
二人の間に流れる不思議な空気に、ユミルが思わず口を挟む。これまで見た事のない、打ち拉がれたジャックの顔と少し得意げになっているエリスの顔。どちらの顔も交互に見た後、棚の上にある箱に彼女の目が止まる。
「あれ、懐かしい。これどうしたのよ」
手に取ったそれに力を込める。ちょっとの力だが、箱の仕掛けが作動し、栓が飛び出した。
ユミルにとってなんて事はない行動だったのだが、彼女を見つめる視線に気づき顔を上げると、ジャックがじっとユミルを見つめていた。
「何だ、そういうことだったのね」
一階に降りた三人は、一つのテーブルを囲んでいる。会話の発端となったのは、ジャックの態度とそうなってしまった理由だ。
普段見せることのない珍しい現象が目の前で起きた物だから、ユミルもまた面白いよりもエリスと同様どうすればいいか戸惑っていた。
だが、話を聞いてみれば、単純な話で。魔力の操作が上手く出来ずに偓促していた自分をよそに、こうもすんなりと成功させてしまう二人を見て脱力していただけだったのだ。
「そんな落ち込む事ないわよ。私達は昔からあの手の玩具で遊んできたから慣れているだけであって。いきなりやれと言われても出来る方がおかしいってものだから」
「落ち込んでなどいないさ。そういえば、お前達はエルフだったと、思い知らされただけだ」
「落ち込んでいるって言うのよ。それは」
肩を叩きながら、少し茶化しも加えてジャックに話しかけていくユミル。
「しかし、まさか女の子と貴方が外で、それも二人っきりで会っていたなんてね」
「そんなに意外な事か」
「だって、ねぇ」
頬を緩めながら、ユミルの視線はエリスに向く。彼女はユミルの疑問に賛同したのか、コクリと頷いた。
「ジャックさんがユミルさん以外の女の人と会っていたなんて、あんまり想像できないから。こう言っては失礼だけど、ジャックさんてあまり女の人に興味があるように見えないから」
「相手はカーリアだ。そんな変な関係はない」
「カーリアってどんな人?」
「帝国軍の兵士だ。それ以上でも以下でもない」
「それは乱暴よ。もうちょっと丁寧に説明して上げないと」
「お前がしてやればいいだろう」
「私はコビン君とはよく喋ったけれど、カーリアちゃんとはあんまり喋る機会なかったのよね。だから、あの子がどんな子よく知らないし、何とも言えないわね」
肩をすくめながら、ユミルは話す。
ジャックはため息を吐きながら、カーリアに合う言葉を頭の語彙の中から探す。
「あいつは、寡黙な女だ。必要以上の事は話さない。実力は私と同等か、それ以上の物を持っている。まだ若いからか、いくらか己の力を過信しているところがあるが、時間とともにそれも落ち着くだろう。そうなればより洗練されたものになり、私などすぐに歯が立たなくなる」
「随分あの子を買っているのね」
「目の前で奴の実力を見たからな。それなりには買っているさ」
晩酌にと注文したラム酒がテーブルの上にある。ジャックはショットグラスに注ぎ、一気に呷る。臭みと度数の高いアルコールが喉を焼きながら、胃の中へと伝っていく。
「それで、どうしてカーリアちゃんと二人きりで会う事にしたの?」
「魔力を武器に纏わせる方法。それを知りたかった」
「それだけ」
「他に何がある。魔力を纏った武器であれば魔法を切り裂ける。そんな事が出来るのであれば、魔術師と相対した時に力を拮抗させられる。そんな魅力的なものを目の前で学べるのであれば、手を伸ばさない理由はない」
「……そう」
ジャックの答えに頷いているものの、どこか納得していない様子のユミル。何が彼女の心に引っかかっているのか、彼にしてみれば分からない。
「何がそんなに気に食わないんだ」
たまらずジャックはユミルに訊ねる。
「いや、気に食わなくはないんだけど。ねえ」
首をかしげながら、その答えをエリスに求めるように彼女に目を向ける。エリスは困ったように肩をすくめながら、言葉を紡ぐ。
「その魔力操作を教わるのとは別に、そのカーリアさんて人に気があったんじゃないか。ってユミルさんが勘ぐりしているんだと思う」
「下らん」
ぐいとグラスを傾け、新たに注いだ酒を呷る。そして、箱を持ってすっと立ち上がり、二人に背を向ける。
「私はもう休む。後はお前達の好きにしろ」
そう言って、ジャックは一人部屋へと戻っていった。
「ユミルさんは、ジャックさんの事をどう思っているの」
エリスは唐突にユミルに訊ねる。
何を聞かれているのか一瞬理解できなかった彼女は、
「へ?」
と間抜けな声を上げてしまう。
ユミルの顔を見て、くすりと笑うエリス。気を取り直して再び言葉を続けていく。
「私たちの知らない所で女の人と会っている。それでジャックさんに突っかかっていたんじゃないの」
「ちがう、ちがう。あの人がどこで誰に会おうと構いはしないわよ」
ユミルは笑いながら手を振って否定する。
「じゃあ、何で」
「考えてもみてよ。あの女っ気の一つもないあの人が、外で女の人と会っていたってだけで面白そうじゃない。で、聞いてみたら、ただ訓練の為に会っていた、なんて言うつまらない言い訳だったから、ちょっと拍子抜けしちゃっただけよ」
「心が締め付けられるとか、そういうのはないの?」
「……エリスちゃん。私とあの人がどうなって欲しいのよ」
「だって、3年も一緒にいたら、そんな風に見るのも不思議じゃないかなと思って」
ふうとため息をこぼしてから、ユミルの口が再び動く。
「あの人を好きか嫌いかと聞かれたら、そりゃ勿論好きよ。でもね、異性として好きとかじゃなくて。何て言うか、人間として好きなのよ。性格はまあ、決して良いとはいえないけど。それでも時々優しい所を見せてくれたり、励ましてくれたり、良い所もあるのよね。それに…」
聞いてもいない事を、ぺらぺらとよく喋る。ここ最近はエリスよりもユミルの方がジャックといる時間は長い。その分、彼の癖や性格を見る機会も多くあっただろう。
しかし、こうも次々と出てくるという事は、よくよくジャックの事を観察しているということだ。
どうやって話の腰を折ってやろうか。長々と続くユミルの話に心底飽き飽きしていたエリスは、頭の中でそればかりを考えていた。
「……やっぱり、好きなんじゃないの」
「だから、そういうんじゃないんだって」
一瞬の言葉の切れ目を狙って言葉をねじ込んでみるが、簡単にあしらわれ、ユミルは再びジャックの事を話し始めようとする。仕方なしに、エリスは立ち上がり無理に話を終わらせる事にした。
「ちょっと、どうしたのよ」
「私も部屋に戻るね。もう眠くなっちゃった。じゃあ、また明日」
ユミルを残してエリスはそそくさと階段を昇って、部屋の扉を開ける。ジャックが付けておいてくれたのか、中にはランタンの灯りがともっていて、薄暗い部屋の中を温かな灯りで照らしている。
ジャックは、二段目のベッドに横になっていた。
ただまだ寝てはいないらしく、手を上に掲げて、秘密箱を握っている。まだ練習中らしい。
エリスにしてみれば何て事はない箱なのだが、彼女に出来て自分にできない事がよっぽど悔しかったようだ。
「……もう戻ったのか」
ジャックは首だけを起こしてエリスを見る。
「うん。ランタンの灯り、消そうか」
「お前が寝るのなら、それでいい」
そうぶっきらぼうに言うと、ジャックは目線を箱へと戻す。少し迷ったが、ユミルはランタンの火を消して、ベッドに潜る。
「おやすみ」
「ああ」
エリスの視線の先には、ジャックとベッドが乗っている二段目の床がある。そこからジャックの声がふってくる。今もあの秘密箱をいじっているのだろうか。
「ねえ。開け方教えて上げようか」
エリスはふと思い立ってそんな事を言ってみる。何の裏もないただの親切から出た言葉なのだが、ジャックから返ってくる言葉は何となく分かっていた。
「いや。結構だ」
親切を突っぱねる断りの言葉。遠慮のない否定の言葉だが、傷つきはしない。ジャックの口調に慣れてしまったのもあるが、予想通りの言葉が返ってきたから少し可笑しかった。
「どうかしたのか」
どうやらエリスの笑い声がもれたらしい。上からジャックの声が降ってきた。
「何でもない。お休み」
そう言って、エリスは布団をかぶり目を閉じた。




