休日2
人ごみであふれる大通りを離れ、人通りのない石畳の道を進む。そして見えてきたのは小川の向こうに佇む一件の平屋。
煙突からは煙が上がり、人の声に替わって聞こえてくるのは、金槌で鉄を叩く音。今日も休む事なく働いているようだ。小さな橋を渡り、ジャックは平屋の前に立つ。横開きに開く扉を開け、中へ足を踏み入れる。
「邪魔するぞ」
奥に聞こえるよう少し大きく声を出す。すると、奥からひょこりとドワーフが顔を出した。
「テメェか。何の用だ」
「こいつを整えてくれ」
ジャックは腰に下げた剣を取り、バルドに渡す。彼は鞘から抜くと、じっくりと刃を観察し始める。
「刃こぼれがヒデェな。ちゃんと手入れしてなかったのか」
「ここの所、暇がなくてな。どうせ手入れするなら、この際専門の奴に任せたほうが仕上がりはいい」
「そうかい。だが、すぐにはやってやれねぇ。今日は先客がいる」
「構わない。いつぐらいには出来そうだ」
「三日後に取りにこい。代金は銀貨5枚だ。テーブルの上にでも置いておけ」
そう言い残してバルドはジャックの剣を持って、奥の部屋へと入っていく。
彼が懐から財布を取り出していると、キコキコとペダルが回る音と甲高い摩擦音が聞こえてくる。壁一枚を挟んだ向かいの部屋が、彼の仕事部屋なのだろう。
扉のない入り口からはバルドの背中が見える。集中しているのか、こちらを見る気配はもうない。
財布から取り出した金をどこに置こうかと建物の中を見回す。
少し振り返ると入り口に近い所にテーブルを見つけた。その上にはほこりがかかり、何かの設計図や鉱石のかけらが散らばっている。掌で少しだけ綺麗にした後に金を置く。
「ここに置いておくぞ」
返答はない。肩越しにバルドを見ると、こちらに背中を向けたまま作業に没頭していた。わざわざ彼の手を止めさせるのも忍びないため、ジャックはそのまま後にすることにした。
敷居をまたいで引き戸を閉める。さあ立ち去ろうかと足を踏み出したとき、こちらにやってくる人影を見つける。その人影もまたジャックに気づいていた。
「……どうして、ここに」
カーリアはジャックに歩み寄るなりそう問いかけてきた。
「剣を預けにきた。お前もその口だろう」
「ええ。貴方もよくここを使うの?」
「いいや。最近になって通い始めた。お前の方こそ、よくここに来るのか」
「バルドさんに頼んだ方が、これの調子がいいから。よくね」
腰に差した刀を少し手で持ち上げながら、カーリアは言った。鍛冶や鉄加工に慣れたドワーフにかかれば、見慣れぬ東洋の剣も安心して預けられるのも頷ける。
カーリアに道を開けるように、ジャックは身体を脇にそらす。彼女は少し会釈をすると、引き戸を開けて鍛冶屋の中へと入っていった。
このまま帰っても良かったのだが、ジャックはその場で彼女が出てくるのを待った。たいした用ではなかったが、聞いてみるには良い機会だ。
彼女もまたジャックと同じ待遇をされたのか、入ってからすぐに引き戸が開き、姿を現す。
ジャックが待っているとは思わなかったのか、彼の姿を見ると意外な物を見るように目を見開く。
「この後、少し時間はあるか」
まさかの誘いに、彼女は怪訝な顔つきに変わった。
バルドの鍛冶屋を後にして、二人が向かったのは木造区画にある一件の建物。横に長い一階建ての平屋だ。
扉には赤錆が所々に浮いた錠前がかかっている。カーリアはズボンのポケットから小さな鍵を取り出すと、錠前に差し込み、ひねる。
かちゃりと音を立てて留め金が外れる。外れた錠前を取り、引き戸に手を掛ける。
建て付けの悪い戸が彼女の力に抗おうとがたがたと音をたてる。
二回、三回と力を込めて横に押し、中程まで開いた所で彼女は建物の中へ足を踏み入れる。ジャックもその後に続く。
中は思ったほど狭くはない。舟底のような形をした天井。それを支える太り梁が端から端に掛けて真っすぐに伸び、それを中心に屋根板が隙間なく付けられている。
入り口から見て前後の壁の上部にはガラスがはめられ、外からの光がそこから取り込まれる。左右の壁の上部には円形の穴が開けられ、交差する木の格子がはめ込まれている。
土がむき出しになった床の上には家具や調度品は一つもない。あるのは幾つもの模造刀が差さる筒状の物と、剣と槍が立て掛けられた武器立てのみだ。なけなしの給金で買った掘建て小屋。それを少しずつ改築して造り上げた彼女だけの訓練場だ。
「武器に魔法を乗せる方法を教えろ、だったかしら」
「そうだ」
「……教えるのは構わないけど。ただで教えるのは私に得がない。
カーリアは模像刀の中から二本を取り出すと、その内の一つをジャックに投げる。
宙を舞うそれをジャックが受け取ったのを見ると、カーリアは瞬時に身体を低くし、一足飛びにジャックの懐に入る。
模像刀を下に上げ、掌の中心に柄の底を乗せて切っ先上向かせ、ジャックの顎めがけて打ち上げる。
顎を上に向かせ、上半身を少しそらせて避ける。鼻先をかすめながら眼前を通り過ぎ、天井に当たる。
軸足に体重を乗せて身体をひねり、肘打をジャックの腹に打ち込む。だが、軸足をジャックに払われ、それは空を切ったまま背中を地面に打ち付ける。
一瞬息がつまるが、彼女の都合などおかまいなしにジャックの握る模像刀が、彼女の首めがけて突き落とされる。
横に転がる事でそれから逃れると、片膝を立てて立ち上がる。彼女が避けた事で地面へと突き立ったそれをジャックは抜き取り、そのままおもむろに構えをとる。
「その条件に手合わせでもしようと言うのだろう。こちらはいつでも構わない。こい」
首をならしながら彼女が立ち上がるのを待つ。その言葉に彼女は少し頬をゆるめ、模造刀を二つ抜きとる。
片方を逆手で握り、もう片方は上手に持つ。
構えなどはとらない。ただ真っすぐにジャックへと駆ける。
上段を防げば、足下から。足下から来る攻撃を防げば、喉元への突きがくる。
距離を離せばすかさず詰め寄り、常に己の間合いを維持し続ける。
攻撃の手を休める事なく、ジャックが攻撃する暇を与えない。
だが、そのすべてが彼に対して有効に働いているかと思えば、そうとは言い切れない。
模造刀とはいえ急所に当たれば痛みはある。それらの攻撃は全ていなされ、他の攻撃は篭手で防がれ、回避される。
攻め続けているものの、決定打にかける。
だが、カーリアの表情には笑みがこぼれている。
悔しさなどという汚れた感情はなく、純粋に自分の技の全てをこうも捌く彼への賞賛だ。
実力において新兵の中でも頭一つ抜けだしていた彼女にとって、対等以上に手合わせの出来る相手は、彼を置いてこれまでにいなかった。
自分の攻撃を悉く防いでくれるのは、嬉しい事以外に言葉が浮かばない。
その興奮が却って彼女に僅かな隙を生み出させる。横薙ぎに振るわれる刀をジャックは刀で受け止めて防ぐ。カーリアはすかさずもう一つの刀を上段から振り下ろす。
そこに一瞬の遅れ。その隙を突き、彼女の懐に身体を入れ、肘打で彼女の鳩尾を打つ。
鈍痛とともに一瞬息が詰まる。一歩、二歩と背後に下がる。
痛みに耐えて前を見ると、ジャックの蹴りが彼女の腹を捉える。彼女の身体がくの字に曲がり、口から胃液が吐き出される。たまらずカーリアは片膝を着いて、腹を抑える。
「一回、死んだぞ」
項に当たる硬い感触。眉根を潜めながら見上げると、ジャックの握る模造刀が自分の首に当たっている。
これが本物の剣ならば、自分の首は落ちている。確かに自分は死んだ。
噎せ返りながらよろよろと立ち上がる。
「まだやるか」
「……当然」
息を整え、再度構えをとる。今度は両刀に魔力を纏わせて。
「手合わせではなかったのか」
「このぐらいしなくちゃ、貴方と対等に渡り合えそうにない。それに、折角手合わせしてもらっているのだから、退屈させてばかりでは貴方に申し訳ない」
「……こい」
息を短く吐き出し、彼女は再びジャックに迫る。
模造刀は肉を切る事はできない。木製で、刃の部分はつぶしてある。切れ味などそもそもない。
だが、カーリアの握るそれは模造刀でありながら、今や刀と同様の切れ味を誇っている。ただの模造刀では満足に受け切る事は出来ない。
下段から迫り来る彼女の刀を、ジャックは刀で受ける。勢いを殺す事なく寧ろ押される勢いを活かし、身体を反転させて肘打を彼女に見舞う。
狙ったのは彼女の顔、鼻先めがけてうったはずだが、彼女の頭はそこにはなかった。
彼の肘の下。身体を倒しながらひねりをくわえ、もう一歩に握った刀をジャックの横腹に突きを放つ。
彼は横に飛び退いてそれをやり過ごす。地面を這いながら彼女はすかさず距離をつめる。
足下を狙って右から左から剣を振るう。立ち上がりながらも止まる事はない。
足から太もも、太ももから腹。腹から首へと対象を移し、刀を振るう。
ジャックは移動を繰り返しながら、訓練場の広さを活かして避け続ける。
より広い方へより広い方へ空間をとり、逃げ道を常に確保する。
カーリアはその空間を少しずつ狭めさせながら、速度を更に上げる。
振り下ろし、打ち上げ、突き。しなりを加えたそれを腰や肩、太もも、鳩尾、攻撃を当てやすく避けづらい所を狙って仕掛けていく。
篭手や具足も使って彼女の攻撃を捌いていくジャックだが、それでも捌ききれずに肌が露出している箇所には傷が増えていく。
避け続けていたジャックだったが、運の悪いことに、彼の背中が壁についてしまう。追い込まれた彼を逃すまいと、両手に持った刀で彼の腹を挟み込むように、横薙ぎに振るう。
切られる事も覚悟の上で、ジャックは上段から彼女の頭めがけて振り下ろす。当たれば怪我どころでは済まない。ジャックは当たる寸前に刀をとめ、カーリアは魔力を解いて彼の腹に優しく刀を当てる。
「……一回ね」
「そうだな。一回死んだ」
二人は互いに模造刀をおろす。約一時間ほどの手合わせはここで幕をおろした。
「魔力を纏わせるのに専用の道具はない。剣、槍、杖、あるいはこんな木刀でも、手で握れるものなら何でも構わない」
「だが、魔法は魔力をながせる物でなければならないのではないのか。コビンがそう言っていたではないか」
「魔法を使うのであれば、それ専用に武器も用意しなくちゃならない。でも、これは魔法じゃない。魔力を纏わせるだけならそこまでしなくてもいい」
手合わせの後、地べたに腰を下し約束通りカーリアによるジャックへの講義が始まった。
彼女は模造刀をおもむろにつかみ取ると、先ほどと同じように青い光を纏わせる。昔から、時を越えるより前から何度となく見てきた技術。それをこれから己の物に出来る。その期待に彼の胸は少なからず高まっていく。
「どうやるんだ」
「俗な助言になるけど、己の身体から力を流すイメージを持つの。血や水、なんでもいい。身体の中から剣へ力を流すイメージを持つこと。教えるのが下手で悪いけど、それが全てよ」
彼女の指示にそうかと応えてみたはいいが、やってみるとこれがなかなか上手くいかない。
力を流すイメージ。それを実践しようと模造刀を握る手に力を込めるが、腕の筋肉が突っ張るだけで、模造刀には何の変化もない。
そう簡単に出来る訳はないと分かっていても、こうも上手くいかないとため息を着かざるを得ない。
「簡単にできないものではないわ。エルフの様に魔力を操る事に長けているならいざ知らず、そう簡単に出来てしまっては私も困る。昔使っていた訓練用の道具を貸そう」
カーリアは腰のポーチから、小さな箱を取り出した。金属で出来たそれの表面には直線が組み合わされた幾何学模様が彫られている。また、箱の上部表面に穴が開いている。
彼女はその中に金貨を一枚落す。そして、小さな部品を穴に差し込み栓をする。
「魔力を上手く流し込めれば、これは開く様になっている」
カーリアの持つ箱の溝に青い光が満ちていく。光が栓に集まると、栓が自然と上がる。
持ち上げて箱をひっくり返すと、中からは先ほど入れた金貨が転がり出た。彼女は再度それを箱にしまい、栓をすると箱をジャックに渡す。
「もし、私に魔力がなかった場合はどうすればいい」
「魔力自体は誰しもが持っている。それに気づいて使うか、死ぬまで腐らせておくかはその人次第。大学にでも行こうと思わない限り、後者のまま生涯を閉ざす事の方が多いけどね。エルフでない限り個体差はそうない。硬くなる事はない、気楽にやって頂戴」
気楽も何も、まだそのスタートにもたっていないのだからそんな事を考えても仕方がない。
試しにカーリアをまねて力を送ってみるが、反応はない。手元にはただの金属の箱があり、それを自分は握りしめているだけだ。
明日も私はここにいるから、気が向いたら来るといい。
別れ際にカーリアから告げられた言葉を耳に、ジャックはその場を立ち去った。外に出ると、大通りを目指して足を進める。
日は少し傾いてはいたが、まだ沈むにはいたらず、依然として空から通りを照らしてくれている。恐らく店もまだやっているだろう。
宿に戻る前に、彼は消耗品を買い足すべく大通りの店へと向かう。
薬師の店。雑貨屋とそれぞれの店に立ちより、傷薬と貼り薬、それと布を何枚か購入する。
買い足さなければならないものはこれで全て。後顧の憂いなく、ジャックは宿への帰路についた。




