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本性

 暗い廊下を進み、アーサーの部屋まで戻ってくる。

 各自解散。今日はゆっくり休んでくれ。アーサーの言葉の後、コビンとカーリアが敬礼を送り彼の部屋を出る。

 

 「面倒な事をしてくれたな」


 椅子に座るなりアーサーの口が開く。その声色にはいつものような飄々とした態度はなく、苛立が見え隠れしている。


 「何の事だ」


 「さっきの教会の事だ。わざわざ貴族様の目の前で言いやがって。横やりがないように陰ながら捜査していたことが、全部明るみに出ちまった」


 「……全て知っていたという事か」


 「知らないとでも思っていたのか。これでも態は軍の大佐だ。帝都にはびこる疑わしい事の大半は俺の耳に入っている」 


 机の上に足を置いてふんぞり返り、アーサーは言葉を続ける。

 

 「人攫いどもに教会が加担している。これは随分前から言われていたことだったが、所詮は噂程度の情報だ。確証は何一つない。あやふやで不確かな情報を教会の連中に突きつけた所で、しらばっくれられるのは目に見えている。それにな、教徒の連中には貴族も何人か名を連ねてやがる。何が目的なのか知らないが、下手に貴族どもの耳に入って妨害されでもしたらたまったものじゃない」


 肩をすくめながら、さらに言葉を続ける。


 「切り崩す為には何か一つでも確証の持てるものが欲しかった。そんなとき、ある情報が俺の耳に入った」


 アーサーは机の抽き出しから一枚の紙を取り出し、机の上に投げる。


 「こいつに見覚えがあるはずだ」


 気が進まないまま、ジャックはそれを手に取る。そこには一人の男の絵が書かれている。急いで書かれたのか所々は乱雑に筆が走っていたが、その顔だけはしっかりと書き込まれている。


 その顔に、彼は見覚えがあった。砦の中で女に襲いかかっていたあの男だ。


 「そいつは教会の神父であるにも関わらず、何かと不審な噂が付いて回る男でな。そいつが砦の中へ入っていくのを巡回していた兵士が目撃した。お前がそのメダルを持っているという事は、そいつを殺したか何かしたのだろうが、まあそんな事はどうだって良い話だ」


 アーサーは机の上に両肘をつき、両手を組む。


 「お嬢様がそこへ攫われたお陰で、こっちも大手を振って捜査できる機会が出来た。十中八九お前はメダルを見つけるだろうと踏んでいたから、お前が俺の所かエドワードのところへ直談判にでも来た所で種明かし。ということを想定していたんだが、読みは見事に外れてしまった訳だ」


 「私を巻き込んだのは、なぜだ」


 ジャックは口を動かしながら、その手は剣の柄へと向かっている。だが、それを阻むように背後からエドワードの手が伸び、その手を掴む。


 肩越しに彼の顔を見ると、ジャックの目を見つめたまま首を横に振っていた。ここは我慢してくれ。そんな切なる願いが彼の視線から伝わってくる。


 「兵の出費を抑えるためだ。もし損害が出ても冒険者ならいくらでもいるし、新兵ならまだ替えがきくからな」


 手をおおっぴらに広げながら、アーサーは話し続ける。


 「だが、お前の期待以上の働きによって兵士を失うことなく、お嬢様を救出してくれた。これで俺は貴族様の期待を更に上げ、兵士もお前も名を売る事が出来た。誰もが喜ぶすばらしい結果だ。…蛇足が一つ着いてしまったがな」


 手の上に顎を乗せてわざとらしくため息を着いてみせる。


 「まあ、いずれは衆目の元に晒して断罪しなくちゃならない。それが早まっただけと考える事にしよう。それより、お前をますます冒険者にしておくには勿体なくなった。どうだ、今からでも軍に入らないか。今なら騎士団一つと破格の報酬を与えると約束しようじゃないか」


 アーサーは口元を緩ませながら、ジャックをいつかのように勧誘をする。その時と違うのは、彼はエドワードに掴まれていることと、この場にユミルが居合わせている事だ。


 エドワードを蹴り飛ばし、そのにやついた顔を切り落としてやろうと考えてきたとき、ユミルが動く。


 彼女はおもむろにアーサーの前に立つ。そして片手を振り上げたかと思うと、瞬く間にアーサーの頬を平手で打ちぬいた。アーサーの顔は衝撃で横を向くが、何でもないかのように首を振りながら片手でぶたれた頬を抑え元に戻る。


 「…私たちは貴方の都合のいい駒なんかじゃない。ふざけるのもいい加減にしなさいよ」


 ジャックからでは彼女の表情は見る事は出来ない。だが、その言葉の節々から感じられるのは、彼に対する苛立だ。


 「駒、か。いい事を教えよう。この世の人間、亜人達は所詮誰かの駒でしかないんだ。それはお嬢さんでも、ローウェンでも、エドワードでも、私でもそうだ。誰かの都合によって動かされ、適すべき場所で働かせる。その中で淘汰される者は使い捨てられ、生き残ったものだけが今度は使う側に回る。この世は、少なくともこの帝国はそうやって回っている」


 何の反省もなく、ただただそう話す。その顔には依然として笑みがこぼれている。


 「兵士を使って帝国の敵を打ち倒す。それが帝国から俺に与えられた駒としての仕事だ。その間に兵士を何人失おうが、雇った冒険者が何人死のうが、その目的が果たされれば何も問題はない」


 そこで言葉を切るアーサー。そして、ふっとその顔からは笑みが消え、酷く冷え冷えとした目でユミルを見つめる。


 「君や私が母の胎から生まれでた時点で、誰かの駒になる事は決まっていたんだ。人の為、国の為、正義の為。耳触りのいい言葉で人の脳みその中を塗り固めてやるが、本質はそれ一つだ。そうやって誰かが操ってやらなければ、糞の役にも立たない愚鈍な肉袋には何も出来ん」


 ユミルが何かを言いかけるが、それを遮るようにアーサーの口が言葉を紡ぎだす。


 「例え君が俺を悪人だの、糞野郎だのと思っていたとしても、一向に構わないさ。それだけでは何も変わらんからな。所詮は君たちと俺との間にある思考の差異でしかない。こればっかりは、無理矢理擦り込みや洗脳を行わない限り、どうにもならなんよ。君は私ではないし、私は君ではない。君がいくら俺を罵ろうと、死ぬ奴は死ぬし、生き残った奴は俺に使われ続ける」


 背もたれに身体を預けて、腹の上で腕を組む。


 「さあ、無駄話は終わりにしよう。とりあえず、血を一滴もらおうか。それが終わればとっとと帰ってもらって構わない。いけ好かない奴の顔を見るのは、お前達も酷だろうからな」

 




 薄暗い廊下を渡り、扉を開ける酒屋へと戻ってくる。階段をあがると、人一人いないフロアの中に窓から差し込んでくる陽光が、テーブルと床を照らしている。


 カウンターには丸坊主の店主が酒瓶をいじくっていた。階段から上がってきた彼らをちらりと一瞥するが、また何事もなかったかのように酒瓶のロゴに目を落としている。


 店を出てすぐの所でコビンとカーリアが彼らを見つけて駆け寄ってくる。だが、彼らの様子が明らかにおかしい事に気づいた。


 困惑、怒り、後悔。三者三様に種類の違う感情をその顔に浮かべている。声を掛けるべき時にその声を見失い、掲げられた手を所在なさげに下へとおろす。


 「当分の間。私に顔をみせるな」


 エドワードに向けてそう言うと、ジャックは軍人達とは別れて未だに静けさの残る大通りを進んでいく。ユミルはその後に続いていった。


 コビンは何があったのかとエドワードに問いかけたが、彼は肩をすくめながら、何でもないと言うだけだった。


 けれど、それで納得する二人ではない。それが分かっているから、エドワードは二人の間を通り、足早に兵舎へと向かっていった。



 ユミルは歩きながら、先ほどのアーサーの言葉を思い返していた。というより、何度も、何度も頭の中で勝手に反芻させられる。


 自分も何もかもが駒としか見えない人間。怒りに任せて平手をやってしまったが、何より気に食わないのは、そんなめちゃくちゃなことを言う輩に何も言い返せなかった自分だ。


 お前は間違っている。そんな簡単な言葉も見つからなかった。これでは、まるであの男の言っていた事を認めているようではないか。


 「あまりあの男の言う事は気にするな」


 自己嫌悪と不甲斐なさでうつむいていた彼女に、前を行くジャックが声を掛ける。


 「まともに考えても答えなどでない。そもそもあいつの本性がまともではない。いちいち相手にするのも馬鹿を見るだけだ」


 「……そう、そうよね」


 いまいち歯切れの悪い回答に、ジャックは足を留めて振り返る。


 「お前はあいつの様になりたいか」


 「えっ?」


 「人を駒のように使い、己の目的の為ならば他がどうなろうと構わない。そんな奴になりたいか」


 「……私には、それは無理ね」


 「ならば、いちいち奴の言う事をまともに考える必要はない。所詮は赤の他人だ。あやつの言葉に惹かれるのであれば、生来あいつのような人間だということだ。そうでないのなら、いちいち奴の言葉などに悩まされることはない。そんなことに時間を費やすのは、馬鹿馬鹿しいだけだ」


 それだけを言うと、ジャックは再び前を向いて足を進めていく。ユミルは少しの間彼の背中を見つめていたが、くすりと笑ってからその後を追っていく。


 自分を慰めてくれたのか。そんなものはなく後ろでうっとうしくうつむきながら歩いてこられるのが嫌だったのか。

 どちらにしても、彼らしくない言動だった。3年ちょっとの付き合いになるが、初めての事だった。

 気づけばユミルの心に残っていたしこりが、完全にではないが、少し軽くなった気がした。


 大通りをそれて違う通りを進む。通い慣れた道であるから、その足はよどみなく進んでいく。そうこうしていると見知った建物が見えてくる。


 ディグの宿だ。扉を開けると、中にはモップを持ったエリスが床を磨いている。彼女は物音で一旦顔を上げてジャック達を見る。


 「おかえりなさい」


 モップをカウンターに立て掛けて、エリスはジャックに歩み寄る。


 「ディグはどうした」


 「今は食材の買い出しに行ってる」


 「そうか」


 ジャックはおもむろに手をエリスの頭に乗せて、ポンポンと頭を叩く。その後彼女の横を通り二階へと上がっていった。


 「何よ、急に」


 ジャックの後ろ姿を置いながら、彼の背中に言葉を掛ける。


 「ユミルさんもお帰りなさい」


 「ただいま」


 二人の様子を微笑みながら見ていたユミルにエリスが振り向いてくる。思わず出てしまった微笑みを隠す時間はなく、それを見たエリスは不思議そうに小首をかしげた。


 「何でもないわよ。仕事がんばってね」


 ユミルは先ほどジャックがやったように、エリスの頭をぽんぽんと叩いて二階へと昇っていく。もはや自分の頭に何かついているせいなのかと頭を払って塵を落してみる。けれど、そんなものは着いておらず頭頂部の髪を乱暴にはねつけるだけだった。


 そこへ返ってきたディグに


 「馬鹿な事をしてないで、さっさと掃除を終わらせろ」


 とお叱りを受けたのは、二人が二階で休んでからすぐの事だった。

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