潜入
彼らのいる牢は牢獄の中程にあり、左右にはまだ牢が続いている。一応その一つ一つのを覗いてみたものの、誘拐された女達の姿はなく、誰ともつかない骸が転がっているだけだった。効果が切れたのか、身体を覆っていた風のベールはいつの間にか消えている。
上へと上る階段を見つけると、そこを昇り一階の廊下へと進む。窓一つない廊下の壁には燭台が架けられ、火の灯ったろうそくが廊下の奥にまで続いている。
廊下の先は突き当たりとなっている様に見えるが、どうやら右に折れているらしく、うっすらと燭台の明かりが見える。廊下の左右にはいくつかの部屋があり、茶色のところどころ腐食した扉が並んでいる。
一つ二つと見ていくが、悪党の一人はおろか肝心の令嬢や女達の姿もない。武器の飾り棚とベッドが二つあるだけの質素な部屋だけが彼らの視線に入ってくる。
いつまでも無人の部屋を覗いていても時間の無駄だ。手分けして次々に部屋を覗いていくが何処も同じだった。だが、廊下の突き当たりの部屋へ来たとき、足音が聞こえてきた。それと女の悲鳴も。
4人は部屋の中に身体を隠し、様子を伺う。すると、廊下の奥。右に折れた廊下から男が一人やってくる。武器は腰に差した片手鎚。装備は肩あてと篭手、それに具足だけ。
顔はフードを被っているためにはっきりと見ることはできない。男の手には茶色の髪が握られ、その下にはぼろを纏った女が頭を抱えながら男に連れ歩かれている。
「いや、いやああ!」
女は必死に足を動かして抵抗をするが、男は髪を引っぱり無理矢理に部屋の中へ共に消えていく。
足を忍ばせて、その部屋へと四人は向かう。
明かりが部屋から屋から漏れ、二つの陰が伸びている。男の影が女にのしかかり、女の影は懸命にあがいている。
苦しげなうめき声、布の引き裂かれる音。影は音と声が聞こえるたびに、激しく動き、暴れる。男は女の顔を何度も打ち据えた。すすり泣く声が聞こえてくる。
見るに堪え兼ねたカーリアが部屋へ飛び込んでやろうとした時だ。それよりも早くジャックの身体が動いた。
ジャックは剣を留めていた腰紐をゆるめ、鞘に入ったままの剣を手に握る。そして女に夢中になっている男へ一気に詰め寄る。
物音に気づき男は振り返るが、もはや遅い。ジャックの力任せに振るわれた剣が男の後頭部を打ち据えた。避ける事も防ぐ事もままならない男は力なく女に覆い被さるように倒れた。
ジャックは倒れた男の襟首を掴み、男の身体を引き上げて床に投げる。石床に強く頭を打ったように見えたが、それでも男が目を醒ます気配はなかった。
下敷きになっていた女を見る。先ほどまでの悲鳴が嘘のように、女は静かにベッドに横たわっている。まぶたは降りていて眠っているらしい。もっともただ眠くて寝ている訳がなく、現実から逃れるために無意識に意識を飛ばしたのだろう。
ジャックは女の顔を軽く叩く。だが、起きない。今度は強めに叩く。すると、女の目がゆっくりと開き始める。その途端、やかましい悲鳴が部屋中にこだまする。
「うるさい、騒ぐな」
ジャックは剣を女の首元につき付ける。無我夢中で喚き散らしていた女だが、喉元に当たる冷たい感触に声を引っ込める。
「ちょっと、やめてあげてよ」
見かねたユミルがジャックの手を取る。
「大人しくさせるためだ。殺すつもりはない」
「それはわかっているけれど、乱暴されそうになった後よ。可哀想じゃない」
ユミルはジャックの行為を戒める。ジャックは彼女を見た後、肩をすくめながら剣を鞘に収めた。
何が起きたのか把握できていないのか。女は目を丸くして身体を震わせている。
「大丈夫ですか」
コビンが女に声を掛ける。そして、ユミルに支えられながら身体を起こす女は我に返ったのか。すばやく身体を抱きしめ、視線から身を隠す。
「あ、あ、あの…。貴方達は一体」
「帝国兵のコビン・ルーです。こっちが同じくカーリア・ヴェルク。そして冒険者のユミルさんとジャックさん。我々は貴女の敵ではありません。貴女達を助けに来ました」
コビンは膝をおり、なるべく真摯に女へ向けて説明する。そして、これでもと皺になったベッドの毛布を女に手渡す。女はコビンから毛布を受け取ると、自分の体を隠すように毛布を体にかぶせる。そして、コビンの親切心にほだされたのか。女は身体を震わせながらコビンに訴え始める。
「お願いです。皆を助けて下さい。あ、あのあいつらに、酷い事されて。もう……、何人も……」
「他の方々は、どこに」
「廊下の、先にある部屋です。突き当たった右手にある、部屋。そこに、皆、います」
震える指先。その先には確かに廊下が続いている。
「もう大丈夫よ。落ち着いて」
ユミルは女の頭を胸に抱き寄せて優しく声を掛ける。すると、安心したのか女の身体は恐怖から解放され、涙を流してえづく声が聞こえてくる。
「……少しそいつの面倒を見ていてやってくれ」
「貴方はどうするの」
「こいつに少し聞きたい事がある。だが、まずは場所を変える」
剣を腰に縛り、ジャックは気絶している男を担ぎ上げ、他の四人を残してその部屋を後にする。
「カーリア」
「何」
「こいつの仲間が見回りにきたら、容赦するな。気づかれる前に倒せ」
「わかってる」
「期待している。ユミル、もしここの連中が一斉に押し寄せてきたら、私を置いてここを出ろ」
「でも……」
「でもはなしだ。すぐに戻るつもりだが、それまで警戒は怠るな」
それを言い残して部屋を出た。
ジャックが部屋を出た後、コビンとカーリアは入り口の影に立って、外を警戒する。ユミルは女の背中をゆっくりとさすりながら、感情が落ち着くのを待つ。
ユミルの胸の中で泣いている女は、まるで母親に甘える子どものようだ。
「コビン君。お嬢様の顔が分かる物って持ってる?」
「え。あ、はい。ちょっと待てください」
静かな空間の中で突然名指しで呼ばれたコビンは、慌てながらも腰に付けたポーチの中から一枚の紙を取り出しユミルに手渡す。
そこにはエマの絵が描かれている。ありがとう。その一言を添えて受け取ると、それを女に見えるように差し出す。
「この女の人、見た事ある?」
詰問の様な厳しさはなく、慈しみで包んだ声でユミルは訊ねる。女は顔を上げてその写真に目を移す。
「……ええ。でも」
「でも、何」
「この人は、他の皆と違うんです」
「違うって、どういうこと」
「私や他の皆は、一部屋に閉じ込められて、いたんですけど。この人だけは、奴らが上に連れて行ったんです」
「上のどの部屋かは、分かる」
「ごめんなさい。そこまでは……」
「そう。わかった、ありがとうね」
「あ、あの。さっきの男の人は何で、あいつを連れていったんですか」
「貴女が気にすることはないわ」
ユミルはそれだけを言って、後は笑顔を女に向けるだけにする。
ジャックが男を連れて何をするつもりなのか。それは想像するに難くない。男は言わば敵方から捕えた捕虜兵であり、ジャックは味方側の尋問官もしくは拷問官とでも言えばいいだろう。
情報を捕虜から得るために尋問にかけ、もし抵抗しようものなら、容赦のない暴力でもって強引に吐き出させる。
「や、やめ……」
隣の部屋から廊下を伝って声が聞こえてくる。そして、くぐもった男の声だ。ジャックのじゃない。そして聞こえてくる鈍い打撃音。男の悲鳴よりも小さなそれが連続して続く。
けれど、やがて声は一つとして聞こえなくなった。
時間にしてものの数分だろうか。ジャックが彼女達の前に戻ってくる。
出て行ったときと違う点が二つ。
一つはその両肩に背負っていた男はいないこと。恐らくは、部屋に置いてきたのだろう。いつまでも男を負ぶさっているのも面倒なだけで、それをしなければならない理由も彼にはない。
もう一つは、ジャックの顔や腕に飛び散っている赤い液体。着いたばかりなのか鮮やかな赤色をしたその液体は、重力に従って下へ下へと流れ、滴り落ちていく。
それは彼の血ではない事は誰しもが分かっていた。ユミルにしてみれば珍しくもない事だが、彼の姿を見たコビンとカーリアが一瞬息を飲む。
「ここにいる連中は全部で15。外で見張りをしているのは5人。残りの連中は二階の広間にいるらしい。場所は奥にある階段を昇って真っすぐに行った突き当たりだそうだ」
それぞれの視線を無視し、ジャックは男から聞き出した情報を平然と伝えていく。
「そうなると、城の中にいるのは残り9人ってことになるわね」
ユミルの言葉にジャックは頷く。
「外の見張りを加味しなければ、だがな。もし援護を呼ばれでもすれば、挟み撃ちにあう可能性もある。急ぐ事もないが、遅々とした行動は己の首を絞めかねない」
「ご令嬢も上にいるって。この子が教えてくれたわ」
「そうか」
ジャックの目が女を捉える。その途端、ユミルに抱かれる女の身体が固まり、小刻みに震え始める。男というだけで恐怖を感じてしまっている。
それを見てという訳ではないだろうが、ジャックは女から目を切り、他の三人へ目を向ける。
「これから二階を目指す。部屋は各自で見て回れ。敵を発見した際には速やかに息の根を止めろ」
「この人はどうするの」
「一旦部屋に戻ってもらう。連れ歩く場合、こちらの動きがその女を護ることで制限されかねない。肉盾になってくれるのであれば別に構わないが、そういうのはご免被るだろう」
ジャックは女を見ながら言う。彼なりに女の身を案じてのことだろうとユミルは解釈するが、女はそれを真に受けて何度も首を縦に振っていた。
「コビン、カーリア。こいつを部屋に連れて行ってやれ」
「は、はい。カーリア、お願い」
コビンの頼みにコクリと頷いた彼女は、女の元に歩み寄る。女の腰に手を回し支えとなって共に部屋を後にする。その際にジャックから女が見えないように間に立って壁となることを忘れない。
ジャック自身わざわざ見るつもりはかけらもないのだが、恐怖で戦慄いている女に言った所で信用はされないだろう。
ぺこりと一礼して、コビンはカーリアの後を追う。
さて自分も後に続こうかと、腰を上げるユミルにジャックの声がかかる。
「これを見てみろ」
そう言って投げ渡される物を受け取る。握った拳を開いてみると、それは血にぬれた金色のメダルだった。その表面に刻まれているのは八芒星に一つ目の紋章。
「これって……」
「あの男が持っていた」
ユミルが問いただそうとジャックへ目を向けるが、返答の言葉は短い。それだけを言うと、彼は踵を返して部屋を出て行ってしまう。だが、それだけでも彼の言いたい事をおおよそは分かる。
3年前、村にいた教会の神父からもらったメダルにもこれと同じ刻印が刻まれていた。教会の連中は軍に依頼されて村々の遺体を供養して回っている。今のこのメダルはさっきの男から取ったもの。
これらの点を合わせてみるとこの件に教会が関係しているかもしれないという疑惑が浮かんでくる。そして、帝国軍は教会と少なからず関係を持っている。
コビンとカーリアがいなくなった後に此れを見せたのは、証拠を隠滅されるのを恐れたためだろう。限りになく0に近い疑いだ。
だが、確実にそうではないと否定できる材料と、そうであるという確信が持てない今、兵士の二人を信じてこれを見せるのは危うい。
彼がそう考えたかどうかは分からない。ただ、軽率に危険に飛び込むようなまねをジャックがするはずがない。だから、二人には隠す事にした。そう思っていたとしても不思議ではない。
ユミルはジャックの後を追って部屋を出る。けれど素直に着いていく事はなく、一旦右手に折れて隣の部屋を覗き見る。単に少しの興味に従っての行動だったが、すぐに後悔する事になった。
部屋の奥の壁に寄りかかって座っている男がいる。だが、その顔はつぶれている。皮が剥がれ浮き出た肉が灯りに照らされてぬらぬらと光っている。
逃げられないように膝を砕き、抵抗できないように肘があらぬ方向へ折れ曲がっていた。徹底していたぶった後がそのまま残されている。
しかし、それのどれもが致命傷にはなっていない。よく見れば小さく男の肩が動いていた。けれど、治療が施されないままでは血が流れ続け、死に至るのも時間の問題だった。
気絶させられて痛みによって気がついて、ジャックのいいように喋らされる。不意を突かれたまま容赦のない暴力に晒されては、抵抗する気も起きなかっただろう。せめて命だけはと責付き、その結果があのざまだ。
哀れみも、憐憫も、同情もあの男にはもったいない。恐怖を味わいながら汚らしく死んでいけ。ジャックから男に送るせめてもの手向けによって、無様な死に方だけが男に残される事になった。
あくまでもユミルが勝手に考えついた妄想だ。だが、何かしらの感情を向けるとしたら、同情の類いの感情でないことには違いない。あの男に向けるほど、彼女の感情は安くはない。
ひどく冷えきった視線を男に浴びせた後、ジャックを追ってユミルはその場を立ち去った。




