砦跡
夜の闇は相変わらず濃い。帝都から続く街道の脇には点々とかがり火が続いている。だが帝都を離れていくに連れて道道を照らす篝火は少なくなり、少し離れただけでもう目の前が黒一色になってしまう。
先頭を行くコビンと最後尾を行くカーリアのランタンに灯がともる。二人の間に挟まれるようにジャックとユミルが馬に乗って進んでいく。
時刻は虫も泣き止む丑三つ時。虫の羽音も鳥達の囀りも聞こえてこない。
ランタンの明かりを頼りに、彼らは闇の中をひた走る。
ユミルがコビンのすぐ横に馬をつけて、親しげに話しかける。
「ところでさ。コビン君がお嬢様の居場所を見つけたって聞いたけど、どうやったの」
「ああ、それはですね」
そう前置きをしてから、少し間を開けてコビンが語り始める。
「始めは、犯人達はどうやってお嬢様を路地から運び出したのだろう、というちょっとした疑問から調べたんです。人気のない路地で貴族様方を襲うのは護衛も着いていなかったという事なので容易かったでしょう。ですが、お嬢様をその場から連れて行くとなると、目撃者がいないのはおかしい。そうは思いませんか」
「それなら、気絶させて大袋か何かに入れて出たんじゃないの」
「それも考えました。でも、もしそんな大荷物を持っていたとしたら、帝都入口の検問で引っかかると思うんです。最近人攫いが帝都でも横行していますから、大きな荷物は片端から調べる事になっています。手荷物程度なら見逃すかもしれませんが、人一人入るくらいの荷物です。兵士が見過ごすはずがありません」
「でも、そんな証言はなかった」
ユミルの言葉にコビンは頷く。
「だったら、お嬢様を殺してバラバラにして持って行ったんじゃない。それなら手荷物で済むはずだし、貴族様から金をいいだけ毟り取ったら、後は捨てるなり嫌がらせに貴族様の元へ送るなりやればいいんだから」
「……恐ろしいことを考えつきますね」
引きつった頬を動かして、コビンは言う。
「そうかしら。私は普通だと思うけど」
ユミルはあっけらかんとした表情で答える。
「でも、それも違います。犯行があった場所にはスタンリー様と殴られた際にとびちった血痕があるだけでした。もし、あの場で殺されてバラバラにしたのだとしたら、辺り一面血の海になっているはずです」
「じゃあ、どこか別の場所で」
「それもないでしょう。あの路地は建物の間にはありますが、入り口や裏口の類いはありません。ユミルさんの考えるように、もし仮に建物の中に入って殺害しようとすれば、一度大通りに出なければなりません。でも、近くで露天を開いていた商人はそんな人たちを見ていない」
「じゃあ、どうやったのよ」
「地下道を使ったんです」
まるで教師が教え子に言い聞かせるように、コビンはユミルの問いに答える。
「地下道って、下水が流れてるあそこ?」
「ええ。あの路地には地下道に降りられる穴があります。簡単には降りられないように石蓋がかぶさっていますが、それも開けられない訳ではない。男三人が力を合わせれば難なく持ち上げられます」
「でも、そこを使って逃げたという証拠はないんじゃないの」
「お嬢様の血痕です」
「……さっき血痕はお坊ちゃんのものだけだって言ったじゃない」
「見えるものはそれだけした。自分が見つけたのは血の匂いです。これでも、嗅覚には自信があるんですよ」
自分の鼻を掻きながら、コビンはすこし胸をはりながら答える。
「路地の血は拭かれていましたが、地下に降りてみると点々と血が続いていました。勿論新しい血です。それを追っていくと、案の定外へと出ていました。場所は帝都の西側にある橋の下です。橋の上に昇ってみると、急いでその場を離れたんでしょう。馬車の車輪と馬の足跡がくっきりと残っていました。それを追っていき、砦の場所に辿り着いたという訳です」
「へえ」
ユミルの持って生まれた質なのだろう。背後から二人を見つめるジャックはふと思う。着飾らないあか抜けた性格、とでも言うのだろうか。
物怖じせずに誰にでも親しげに話しかけて、交遊を深めていく。
きっとユミルのような奴がその他大勢に好かれやすいのだろう。会話の内容にまでわざわざ耳を傾けるつもりにはならないが、コビンと会話を楽しむユミルの姿を見てそんなことを思う。
「何であの人を連れてきたの」
何とはなしにどうでもいい事を考えていると、ジャックの背後から声が聞こえてくる。
「必要になると思ったからだ」
顔を向ける事をせずに、ジャックは後ろにいるカーリアに声を返す。
「私たちだけでは足りない、ということ」
「お前達の実力がどれほどのものなのか、私は知らない。実力の知れない奴に私は背中を預ける事は出来ない。私の知る限り、それが出来るのはユミルだけだ」
「それは、私たちに実力がないって言いたいの」
「そうではない。ただ、私はこの目で見たものでなければ信じる事が出来ないだけだ。自分は役に立つと言うのは簡単だ。だが実際に見てみなければ、使えるかどうかの判断はしようがない。何かの信頼を得るためにはある程度の嘘がいる。だからこそ、疑ってかかる」
「……でも、貴方達に迷惑を掛けるようなことはないわ」
「ならば、大いに働いてくれ。そして、それが嘘でないことを証明してみせろ。お前の実力を認めるのはそれからだ」
それきり、ジャックとカーリアの間から言葉が消え去った。二人とも口を一文字に結んでいる。
言うべき事を余さず言い終えた者と、その言葉に返す言葉を見いだせずに奥歯を噛み締める者。
その違いも、考え抱く思いも、沈黙が隠していく。そんな二人の間を和やかに笑い合うコビンとユミルの声が通り過ぎていく。
暗闇から曙へと空は移り変わり、太陽が青空を引き連れて地平線からやってくる。辺りが明るくなると同時に、馬の尻を叩き四人は街道をひた走る。
石畳から土に変わり、軽快な音から鈍い音の響きになる。馬の足が跳ね上げた土片が宙を舞い、彼らの軌跡となって残っていく。
上に昇った日に当てられながら、彼らの目先にようやく砦がその姿を現した。
うずたかくそびえる石壁は遠目からでもその存在感を見せつけている。昔も今も変わらず、その堅牢さを感じさせる砦。
だが、砦の入り口である門には門扉の変わりに巨大な穴が穿たれている。
ジャックの去った後、エルフが押し寄せて開けられたのか、この百年の間に何者かによって開けられたのか。何にしろ、その大穴によってこの砦の守備力は著しく落ちてしまっている。
石壁の上には人影がちらほらと見える。恐らくは見張り役の人間だろう。その他に大穴の前に二人。中庭に一人の人影が確認できる。だが、敵の人数はこれだけという事はないだろう。
砦を右手に捉えながら、一旦街道を進み続け、砦から離れた所で馬を止める。
「で、どうするの」
馬を降りたユミルは、誰に言うでもなく、されど誰かの耳に届くように言葉を放つ。
「正面から突撃する」
「敵の人数も把握出来ていないのに、か。勇猛なのはいいが、馬鹿を見るだけだ」
カーリアの提案をジャックが一蹴する。
「それじゃ、どうするのよ」
「……付いてこい」
ジャックは見張りのいない裏手に回る。砦の真裏は崖になっていて、その下には深さのある大きな川が流れている。降り立って見るとその流れは穏やかで、波も立てずにゆっくりと水流が砦の方角へ下っていく。
ジャックは川の前まで来ると、何の迷いもなく水の中へと入っていく。
「ちょ、ちょっと。何をしているんですか」
コビンが慌てて彼の手を握る。
「川の底に砦の地下に通じる隠し穴がある。そこを通れば、恐らく見張りに見つかる事なく侵入できるはずだ」
「そうなんですか。……知らなかった」
「分かったら、さっさとこの手を離せ」
「あ、すみません」
コビンは恐縮しながらジャックの手を離す。
「ローウェン殿。少し待っていただけますか」
今にも川に潜ろうとするジャックを、コビンが止める。
「何だ」
「……風鎧」
ジャックの身体に手をかざしながら、コビンが呟く。すると、コビンの手が淡く光りだし、その光がみるみるとジャックの身体を覆っていく。
「これは……」
「風魔法の防壁です。通常は敵の攻撃から身を護る為に使うのですが、これを掛けたまま潜水すれば、水中でも息が出来ます。結構便利な魔法なんですよ」
重さや痛みはなく、感覚もない。何か透明な膜に包まれた腕をしげしげと眺めながら、ジャックはコビンの言葉に耳を傾ける。
「魔法とは、エルフの言葉でしか使えないのではないのか」
「それはもう昔の話ですよ。確かに大学ではエルフ語を学ぶ授業はありましたが、それは言語学の一授業としてでしかなく、魔法、魔術の授業ではエルフ語から訳された言葉を使っています。言葉は魔法をイメージするのに役立つツールというだけで、その他の言葉でもイメージして魔力を操る事ができれば、魔法を発動する事は出来ます」
「杖がなくとも使えるようになるのか」
「杖は術を行使するための媒介物でしかありません。魔力を介せる物であるなら、剣や盾であっても魔法を行使する事は出来ます。自分の場合は杖の代わりにこの身体が媒介となっているだけです。熟練した魔術師であれば、詠唱なしで魔法を発動する事も出来るそうですが、その点、自分はまだまだです」
自分の身体から目を離し、コビンを見る。自嘲なのか頬が少し緩められている。自信のない事の裏返しなのだろうが、ジャックからすれば充分な力だ。何を謙遜する事があるのか分からない。
視線の中に入ったカーリアを見る。今も変わらない仏頂面を保ってはいるが、その顔にはどこか誇らしげに見える。どうだ、私たちは役に立つだろう。そう言いたいようだ。
「これだけの事が出来るのであれば、それで充分だ。残りの二人にも掛けてやってくれ。私は先に行って待っている。場所は砦の方へ泳いでいけば分かる。用意ができた奴から追いかけてこい」
ジャックは背を向けて今一度水の中へと入っていく。息を止めずとも水の中で呼吸をする事が出来る。そうは言われたが、彼は自然と大きく息を吸い込んでから、川の中へ潜る。
不思議な感覚だった。肌では冷えた川の冷たさを感じるのに、一切の水の感触がない。意を決し、口から息を吐き出して呼吸をしてみる。
問題はない。
ただ、川の空気だからか、泥臭い匂いが空気に混ざっていた。
驚きと感心を抱きながら、当初の通り砦の隠し穴を目指して川を泳ぐ。
砦の立つ崖の壁面。水の中にある岩肌の所に不自然に開けられた穴。砦を建設する際に奴隷を使って掘り進めた結果出来上がった抜け穴だ。
大きさは大人の男一人が横になって通れるくらい。昔と変わらない事に少しの安堵を憶えながらも、ジャックはその穴の中へ向けて足をばたつかせる。
穴の端に手を掛けて残る三人の到着を待つ。少しもしないうちに三人が来る。それを見計らって穴の両端に手を掛けて、自らの身体を穴の中へと引っ張り込む。
緩い昇りの続く穴の中をよじ上っていくと、その先に明かりが見えてくる。ジャックは狭いながらも短剣を抜き、水面の縁で一旦止まる。
聞き耳を立ててみるが、声は聞こえない。人はいないと当たりを付けて、ゆっくりと顔を水面から出す。
思った通り、そこに人影はなかった。
水から上がり、警戒をしつつ残りの三人を呼び寄せる。
「どこよ、ここ」
「地下の牢獄。その牢の中だ」
石壁に囲まれた一室の正面には、鉄格子がはめられている。その間から見えるのは、向かい側にある鉄格子のはめられた一室。牢と牢に挟まれた通路がその間にある。
「牢の中に抜け道を作っているの。脱走とかなかったのかしら」
「少なくとも俺の知る限り、ここに囚人を収容したことはない」
「どうして」
「先客がいつもここにいたんだ」
そう言うとユミルに分かるようにジャックは指を指す。その先を目で追っていくと、一体の骸が寝転がっていた。
「ここに寝泊まりしていた死体だ。こいつを囚人の代わりとして転がしていた」
「貴方がやったの」
「私よりもっと前の世代からだ。囚人に不快感と恐怖を与えるためにそうしていたという話もあるが、実際はこの抜け道を知らせないための措置だろう。骸になれば交換し新たな死体をここへ転がして布を掛けておく。幸い、ここは死体には困らない」
「へえ、考えたものね」
ジャックは通路の左右を確認し、人影がいないと見ると鉄格子の扉を押し開く。牢という建前上扉には鍵穴があり、一見すれば施錠されているように見える。だが、実際にこの扉は施錠された事はない。
「……ねえ一つ聞いてもいい」
錆び付いた扉がキィと音をたてて開いていく。そこへユミルの声がかかる。
「何だ」
ユミルへ目を向けると、彼女は穴に顔を向けたままで、彼の方を見向きもしない。
「あの穴ってさ。もしかして、トイ…」
その言葉を言いかけたとき、その穴からコビンが姿を現した。手を穴の左右にしかれた木板に掛けて、ぐいと身体を穴の中から持ち上げる。
「どうかしましたか」
自分を見つめるユミルに小首をかしげてコビンは訊ねる。小動物を思わせるくりくりとした目に見つめられると、先ほどでかかった言葉を出す気にはならなくなった。
「いえ何でもないわ。何でもないのよ」
「確かにアレは便……」
「お願いだから、それは言わないで。もう、考えないようにするから」
「お前が聞いてきたのだろう」
「そうだけど、それは謝るから。とにかく、今は任務だけに集中しましょう。その方がお互いのためになるわよ。うん、きっとそう」
ユミルは自分で訊ねた問いに自分で答えを見つけて納得する。確かにあれは便所の形をしているが、誰も使った事はないはずだ。そう言葉を続けようとしたが、ジャックはそれをため息にかえて口から吐く。
これ以上付き合うのも納得したものをいちいち掘り返すのも時間の無駄だ。それよりもユミルの言う通り今の任務に集中する方が互いのためになる。思考を改めて誰の気配もない廊下へと進む。
「何かあったの」
最後に穴から出てきたカーリアは状況を上手く理解できずにコビンに問いかける。だが、コビンとて詳しく知っている訳ではないため、カーリアの問いには首をかしげる他なかった。




