2-9
旅宿に一泊し、翌日の早朝には再び街道に沿って歩き始めていた。天気は快晴。晴れ晴れとした青空を白雲が優雅に流れて行く。絶好の旅日和となったが、空の模様とは打って変わって、二人の間には重苦しい沈黙が流れていた。
沈黙の原因はいうまでもなくユミルにあった。昨日、ジャックから聞かされた村の話が、いまだに応えている。それをジャックには見せまいと、気丈に振る舞ってはいるが、それでもこうした沈黙をよしとしているところを見ると、心の方がすでに耐えかねているようだった。
ジャックも沈黙を良しとする方ではないが、けれどわざわざ彼女に声を掛ける気は起きなかった。彼女の心根がわからないでもないが、そういった悲しみや怒りという感情は、彼の中ではすでにすりきっていて、鈍麻な感情になっていた。同情も、またそれを分かち合おうと思っても、彼の心は一切の波も起きはしない。そんな血も涙もない人間に声をかけられて、一体誰が心安らぐだろうか。
しかしどれだけ空気が重かろうと、時の流れも、馬の歩みも止まることはない。気づけば、目的地である洞窟の前にたどり着いていた。
山肌にぽっかりと空いた穴は奥まで続いており、どこまでも闇が続いている。ユミルは松明にマッチで火を灯すと、それを頼りに洞窟へと入っていった。風の鳴る音。洞窟の奥から冷たい風が吹き付けてくる。炎が揺れ、それが消えてしまうのではないかと、一抹の不安がよぎってしまう。
緩やかな坂を下り、さらに奥へと進んだ時、暗闇の中に赤い光を見た。炎が地底の水にでも反射したのかとも思ったが、どうやらそうではなく、発光体がそこにあるようだ。ユミルは迷わずにその赤い光の元へと進んでいく。
「これが、ヒバナよ」
依頼書にかいてあった薬草の絵と照らし合わせても、その形はピタリと当てはまる。赤々とした花びらを垂らし、花の中心からは一筋の長いめしべが背を伸ばしている。葉はなく、茎が地中より直に生えていた。
ヒバナは薬術、錬金術に使用される薬草として、広く知られている。人工的な栽培は難しく、また入手も困難であることから、こうして冒険者に依頼し入手させるという方法が、一般的に通用している。だが、こんな花ごときに、どうして手こずるのか。ジャックにはまだ理解ができていなかった。
「とったら、すぐにここを離れるから。注意していて」
ユミルはガラス瓶を取り出して、それをヒバナの上にかぶせる。そしてナイフを茎の部分に当てると、一息に両断した。地面に落ちる前に容器に蓋をすれば、ヒバナが逆立ったまま瓶の中に収まる。
「行きましょう」
手早くポーチの中にしまうと、さっと踵を返して早足で引き返し始める。何を焦っているのかと不思議に思いながら、ジャックも彼女の後を追って元来た道を戻って行く。
と、背後から物音が聞こえてきた。それは何か硬いものが割れるような音。卵が割れるような、ピキというやや甲高い音だった。振り返ってみると、そこには花をなくしたヒバナの茎が、寂しげに地面から顔を出している。
気のせいかとも思ったが、再びあの割れる音が聞こえてきた。それもどうやらあのヒバナから、いや、正確にはヒバナの生えている地中から聞こえてきたように思う。
「急いで」
ユミルの催促の声が聞こえてきた。だが、それを上回る音が、ヒバナの方から聞こえてくる。
なぜ、彼女がそこまで急いでいたのか。その理由がようやくわかった。
ヒバナの生えていた地中より、赤々と燃える炎が吹き出してきたためだ。
炎はたちまち洞窟の中に充満し、みるみるとジャックの方へと迫ってくる。
「急いで!」
言われるまでもなく、ジャックは走った。もはや一刻の猶予もない。脇目も振らず駆け走り、洞窟から飛び出せば、すぐに横手に飛び退いた。
その直後、炎が吹き出し、火柱となって宙に伸びていった。
「……これが、冒険者よ」
引きつった笑みを浮かべながら、ユミルはそう言った。




