2-8
翌日は早朝からの出立となった。
馬に乗ってユミルとジャックは帝都を離れ、一路西へと走る。右手に広大な草原と森林を眺めながら、左手には連なった山々を眺めることができる。背後からは太陽が彼らを追いかけて、地平線の彼方からのそりのそりと、その顔を上げ始めていた。
「はい、これでも食べて」
休憩がてらに川辺に立ち寄った時、ユミルがポーチからリンゴを一つ取り出して、それをジャックに差し出してきた。ジャックはそれを受け取ると、おもむろにかじりつく。芳醇なリンゴの甘さと、シャリシャリとした食感。そして噛みしめるほどににじみ出る水分が、乾いた喉と腹をすかせた胃袋にじんわりと染み込んでいく。
「ここからもう少しいったところで、もう一度休憩を取りましょう。それで、峠を超えて麓の宿で一泊。で、次の日も早朝から動くわ」
この道程で何度となく聞かされた内容だった。あえて返事を返すつもりもなければ、ユミルも返事を求めているわけではない。ただ確認と記憶の刷り込みのために、何度となく口にしているに過ぎないのだ。ジャックはリンゴをかじりながら、彼女に目を向けることなく頷いた。
「……ところで、さ。話は変わるんだけど」
先ほどまでのハキハキとした口調が打って変わり、ユミルの歯切れが突如として悪くなった。親に叱られる前のような、ひどく緊張しながらジャックの様子を伺っている。あえてなんだと聞いてやっても良かったのだろうが、ジャックはあえて無言のうちに話の続きを促した。
「私の村で、一体何があったの」
意外な質問だった。あの村で生まれたにも関わらず、いまだにあの惨状を耳にしていないことに対して。
しかしいずれはくるはずの質問だった。その場合、疑問を解決するには兵士か、エリスか、ジャックに聞く他にない。兵士は軍旗がどうのこうのと言ってはぐらかすだろう。エリスの場合はもってのほかだ。よっぽどイかれたやつか無神経なやつ以外、家族を失った悲しみをぶり返させるような真似をするわけがない。となれば、残るのはジャックしかいない。
「知らないのか」
一応の確認のために、ジャックは訊ねた。ユミルは、頷いた。それは予想が半分外れ、半分が当たった。
「生き残ったのはエリスだけってことは、知ってる。でもどうして村の人たちが殺されたのかは、全くわかっていないの。別に知ったからってどうこうできるわけもないけど、でも、知らないでいるのは辛いのよ」
「知ったとしても辛いだけかもしれんぞ」
「それでも無知でいるよりかはよっぽどいい」
毅然としてジャックの目を捉え、ユミルは言った。それに応えるつもりはなかったが、けれど秘密にしている義理もなかった。ジャックにとってあの悲劇は突然の不幸であり、また対岸の火事と似たように、他人事の側面もまたあったからだ。
記憶を遡りつつジャックはこんこんとユミルに聞かせてやった。村を急襲した魔物たちのこと。兵士がジャックを救助し、そしてエリスの身をも救ったこと。エリスがどのようにしてジャックの元に預けられたか。覚えている限りを、全て、洗いざらいユミルに行って聞かせてやった。彼女はじっとジャックの話に耳を傾けていたが、鎮痛の面持ちに変わり、目を瞑り眉間に深い谷間を作り始めた。
「……そう、だったの」
ようやくしぼりだした言葉は、ひどく弱々しい響きだった。懐かしい村の面々を思い浮かべるように、ため息とともに宙を見上げる。悲哀、憎悪、怒り。それらを一緒くたにした深い哀愁が、彼女の表情には現れていた。
短く、そして力強く息を吐き出す。するとどうだろう。彼女の顔にあったはずの哀愁は消えて無くなっていた。
「ありがとう、聞けて良かった」
ユミルは颯爽と馬に飛び乗ると、手綱を引いてゆっくりと街道を進んでいく。気丈な女だ。心の中では深い悲しみに暮れているはずなのに、それをこれ以上見せまいとしている。が、彼女がどれほど気をつけていても、感情というのはその態度に表れてしまうもの。ゆっくりと遠ざかっていく彼女の背中は、まさにそれだ。深い悲しみを背負った背中は、一瞬の衝撃によって崩れてしまいそうな、脆く儚い印象を覚えた。
ジャックもまた馬に乗り、彼女の後を追いかける。重苦しい沈黙と気まずさが、これからの道中に付きまとってくることを感じながら。




