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頑固

 魔物の足音は、エドワード達の元にも近づいていた。

 魔法攻撃によって有利に戦況を進め、ついに魔物の撃退に成功せしめたことに一喜していたのも束の間。橋からやってくる魔物の軍勢に不安が一気に湧いてきた。


 「……何だ、あの数は」


 橋を埋め尽くすばかりの魔物に、冷や汗がエドワードの背を伝って落ちる。あれだけの数が城に入ってくれば、たちまち潰されてしまう。疲労は確かに感じていたが、魔物達の群れは彼らの心をも疲れ果てさせる。


 「早いところ、ジャック達を呼び寄せた方がいい」


 ロドリックの言葉で我に返ったエドワードは、こくりとうなずいて見せればすぐに足を動かす。今のエドワードの脳裏には戦闘という言葉はなく、撤退の二文字ばかりが踊っていた。


 廊下を進み、いよいよ謁見の間が目前に迫ってきた時、謁見の間の方から早足で何者かが向かってきた。一瞬の警戒のあとその正体に付けば、すぐに警戒を解いた。

 ユミルだった。負傷したエルフや狩人、冒険者を連れている。それに彼女の背中にエリスを負ぶさっていたものだから、エドワードは喜びよりも驚きの方が優っていた。


 「……無事だったのか」


 エドワードがユミルに言った。彼女はエドワードの顔を見ると、こくりと頷く。


 「早くここを去りましょう。もう、ここにいる理由はないわ」


 そう言うとユミルはエドワードの横を通り、廊下を進んでいこうとする。しかし、エドワードが彼女の腕を掴んだことによって阻まれてしまう。


 「理由がないとは。ドミティウスはどうなった。打ち倒したのか」


 「そうよ」


 ユミルはなんでもないことのように返事を返した。エドワードは驚きから戸惑いに変わって行く。


 「だから、ここにいる理由はないと言ったでしょう。聞こえなかった?」


 ユミルというのはここまで感情のないエルフだっただろうか。エドワードが不審に思うほどに、ユミルの表情は乾き、凍てついている。

 と、ユミルとともにいるはずのジャックの姿がないことにエドワードは気づいた。


 「ジャックはどうした。一緒だったはずだろう」


 エドワードの言葉に、ユミルの顔に緊張が張り詰める。口を固く結んではいたが、よく見ればかすかに震えていた。


 「……ジャックは、死んだわ」


 ようやくユミルが口に出した言葉は、エドワードの耳に浸透し、そして衝撃を与えた。


 「……本当か」


 「ええ。嘘をついてどうするの。あの人が生き返ってくれるわけでもないでしょう。……そろそろ離して頂戴」


 エドワードの手を振り払い、ユミルは再び足を進めた。一瞬、ほんの一瞬だけエドワードを睨んだユミルの目は、涙をたたえていた。

 信じられない事実の連続に、エドワードは唖然とユミルの背中を眺めている。彼の横をエルフと狩人、冒険者が通り過ぎて行く。


 「団長。我々も行きましょう」


 部下の兵士が言った。


 「……ああ。そうだな」


 エドワードがそう言うと、団員とエルフたちを連れてユミルの後を追う。しかし、ロドリックの足だけは動かなかった。


 「どうした」


 エドワードが尋ねる。


 「……村長がいない」


 「何?」 


 言われて見れば、確かにあのろうエルフの姿がない。エドワードが行違いの冒険者に聞けば、まだ謁見の間に残っているという。


 その話を聞けば、ロドリックの足はすぐに動き出し、謁見の間へと向かって行く。エドワードが止めようと呼びかけたが、先に戻っていてくれと聞く耳を持たない。迷った挙句兵とエルフを何人か謁見の間へと向かわせ、エドワードは他の団員とエルフを連れてきた道を引き返して行った。




 謁見の間の前には、いくつもの死体が転がっている。敵兵士のものであろうとは思うが、そのどれもが黒ずみになっている。そうでなくとも焼け焦げた死体ばかりだ。ジャック達がつれたエルフ達が派手に魔法を使って暴れたのだろう。


 死体と煤を踏みつけながら、ロドリックが扉の中に足を踏み入れる。


 「テメェ、ロドリック!ここで何してやがる!?」


 謁見の間に入った途端、聞き慣れた怒声がロドリックの鼓膜を揺さぶった。


 「さっさとここを離れろ!この馬鹿!」


 村長は己の怪我を意図に介さず、デカイ怒声でロドリックに言い放つ。村長以外誰一人動くもののいない謁見の間では、いやに響き渡る。


 「ならば一緒に行きましょう。村長。もうじき魔物どもが押し寄せてきます」


 ロドリックも負けまいと、声を張り上げて村長に言う。しかし、村長は腰をあげるどころか頬を歪めてせせら笑った。


 「はん。それならそれでいい。まとめて相手してやる」


 「何をバカなことを言っているんですか。あなた一人がどうこうできるはずないでしょう」


 「確かにそうだ。だがな、俺にゃ無理でも。俺の命と引き替えなりゃ、十分だろ」


 村長の言葉を聞いて、ロドリックの脳裏に古い魔術が思い浮かぶ。


 「まさか、『黄泉送り』をやろうと言うのですか。ここで」


 ロドリックの口にした『黄泉送り』とは、エルフ族の魔術、その中の禁術の一つに数えられる魔術だ。術者の命を代価にして発動される。その威力は術者の魔力量によって変わり、人一人だけということもあれば山一つ消しとばす威力を発揮する。一撃をもって大いなる厄災をもたらす。そのために長い間封じられてきた。しかし、それが今日この時をもって再び現れようとしている。


 「おう。だからさっさとここを離れろ。お前も一緒に消し飛ぶぞ」


 「なぜそんなことをするんです!ドミティウスはもう死んだのでしょう。なら、ここにいる理由はもはやないはずです」


 「ドミティウスの野郎なら、ここにいる」


 そう言うと、村長は自分の尻の下を杖で指す。そこでようやくロドリックの視線がそちらに向いた。

 村長の尻に敷かれているものは、ロドリックもよく知る人間、ジャックだった。そして、どうしてジャックを尻に敷いているのか。理解が追いつかない。


 「こいつはもうジャック・ローウェンなんかじゃねぇ。今じゃ、ドミティウス・ノース皇帝陛下様様だ」


 「……どういうことです」


 「『魂移し』だ。元はエリス嬢ちゃんの中にいたようだが、今はこいつの中に収まっている。何をどうやったのかは知らねぇがな」


 かかとでジャックの横腹を村長が小突く。ジャックの表情は苦々しく歪み、村長とロドリックとを交互に睨む。しかし、その視線はジャックの意思でいるわけではない。ジャックの中に巣食うドミティウスによって動かされている。


 「俺はこのクソ皇帝と一緒に地獄に行く。お前は村に戻れ。それと、ついでに俺がいない間村を治めておけ。なんなら、村長の肩書きを名乗ったっていい」


 「そんな、ならば私も共に……」


 「馬鹿なことを言うんじゃねぇよ。小僧。これは、俺の役目だ。戦を知り、このクソ皇帝とこの帝国の兵士に息子を殺された、俺だけの役目だ。栄光ある犠牲なんて綺麗な言葉じゃねぇ。ただただ私情ついでに吹き飛ばそうってだけの話だ。そんなクソみてぇなわがままに、村の若人(わこうど)を巻き込めるわけねぇだろ」


 「ですが……」


 「うるせぇ。でもも、ですがもいらねぇんだよ。ロドリック。お前はただ胸を張って『わかりました』って言ってりゃいいんだ。わかったか」


 「……」


 「わかったかって聞いてんだ。早く答えろ」 


 返す言葉が見つからず沈黙するロドリックに、催促するようにロドリックが声をかける。


 「……わかりました」


 「そうだ。最初からそう言ってりゃいい」


 村長は満足したらしく、何度か頷いて見せる。


 「さ、分かったらとっととここを離れろ」


 そして村長は手をひらひらと揺らして、ロドリックを追い払うような仕草を見せる。ロドリックは迷った挙句に村長の言葉に従って、一旦は踵を返す。しかし、その足は一度立ち止まると、意をけっして村長の元へ再び足を向ける。


 何事かと怪訝な顔つきをして村長はロドリックを見つめていたが、ロドリックには村長の視線などこのさい気にしないことにしていた。


 握っていた杖を村長に向ける。何をするつもりかと村長は注視していたが、何てことはない。治癒の魔法を唱えて村長にかけてきただけだった。しかし、治癒の魔法とはいえ、ちぎれかけた腕をつなげることはできない。止血と火傷の治療だけであったが、それでも見てくればかりは怪我以前の村長に戻った。


 「……これから死ぬって言ってんのに、無駄な真似を」


 「ええ。そうでしょう。でも、このまま放っておいたままというのも、私が我慢ならなかっただけです。自己満足と言われてしまえば、それまでです」


 村長の傷を治すと、ロドリックは杖を下ろす。


 「貴方の頑固さは今に始まったことではない。私が何を言おうと首を縦にふることはないんでしょうね」


 「ほう、よく分かってるじゃねぇか」


 ロドリックの言葉に、頬をゆがめながら村長はいった。


 「……どうか、お元気で」


 ロドリックは深く頭を下げる。村長は目を見開いてロドリックの頭を見ているが、気恥ずかしそうに鼻を撫でる。


 「よせや、気色悪ぃ。……んなことしてねぇで、行け」


 「……はい」


 そういうと、ロドリックは今度こそ村長に背中を向ける。どんどんと遠ざかるロドリックの背中を、村長は静かに見つめていた。


 「……全く。これから死ぬって奴に、元気もくそもねぇってのになぁ。馬鹿な奴だ」


 ロドリックが消え、再び静けさを取り戻した謁見の間に、村長の独り言が寂しく響いた。

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