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覚悟

各々の準備が進み、いよいよ計画を詰める段階へ入る。

 大学からガブリエルの家へ。そして屋敷から帝都にある議員の家へと入る。屋敷からの道順はエマが確認し報告が上がっているために問題はない。


 先頭をジャックとユミルが担当し冒険者・狩人合わせて15人ほどが二人の後に続く。それからエドワード率いる団員と取り込んだ兵士合わせて30人が続き、エルフが後方からの支援を任される。弓に魔法が後方から飛んでくるとなれば、これほど心強い支援はない。


 狙うのは謁見の間。そして皇帝の寝室。謁見の間にいなかった場合を想定して二つの場所に目星を立てる。それゆえに二班に別れ戦力を分散させるほかない。謁見の間へはジャックたちが、寝室にはエドワードたちが向かうことに決めた。それに合わせてエルフたちも別れ、それぞれ村長とロドリックが指揮にあたる。


 攻め入る時間は明日の明け方。帝都の城を見張る兵たちが交代する時間を狙う。エドワードや兵士たちがいるために知ることができた。

 いよいよ迫る戦の時に向け、村の女たちが総出で夕食を振舞ってくれる。メニューは豆乳のシチューに鶏肉を焼いたもの。雑穀の黒パン。それに村で作ったという赤ワインだ。女たちの中にユミルやカーリアも混じって手伝い、村内にいる全員にいきわたるように渡していく。


 この時ばかりは戦やこれまでの悲劇を束の間忘れて、皆思い思いに騒ぎ楽しむ。明日になれば今生の別れとなろうと、このひと時ばかりは誰一人として泣き悲しむ者はいない。たとえ心から悲嘆にくれていようとも、この時だけはそれを心の懊悩へと押し込めて、皆のただ目の前にある幸福を噛み締める。このたったひと時のために亜人や人間などという浅はかな肩書きは意味をなくし、同一の幸福の元に歌い、踊る。




 彼ら彼女らが宴会に興じる中で、一人用意された村の家へと戻っていたジャックはベッドに寝転びながら、ふっと息を漏らす。

 酒も料理も腹に収め、心地のいい満腹感が彼の体を満たしている。しかし、一切の眠気は湧かず、思考が彼の脳内に渦をまいている。


 雲を掴むようなあやふやな物事を考えているわけではない。思考の先にある者は明確で、その時ジャック自身がやるべきことも明らかだ。ジャックが考えているものはそれを実行するにあたって、いくつかの障害を超え、不確かな幸運を味方につける必要がある。それに、いくつかの協力も。


 これは公の問題に拡大してしまった。ジャック個人の問題だ。これに巻き込むに値するのは多くの種族と関わってきたが、片手で足りるほどの人数しかいない。

 そして答えは導き出せる。いや、最初から分かりきっている。問題なのはそうやって説得を試みるかだ。

 と、その時だ。扉を叩く音が戸口の方から聞こえてくる。そして、すぐ後にユミルが恐る恐る顔を出した。


 「よかった。まだ起きてたのね」


 安心したようにユミルは頬を歪める。彼女は両手に二つのグラスとワインの入ったボトルを一つ、それぞれ持っている。


 「呑み直そうと思って。付き合ってくれる?」


 そう言いながらテーブルの上にグラスを並べ、ワインを注いでいく。赤々としたその色は血液を連想させるが、この血はどの生物のものよりも格別にうまい。

 断る理由もなく、むしろいい機会だと思いジャックは体を起こしてテーブルの方へと向かい椅子に腰掛ける。


 「はい、乾杯」


 ユミルの音頭とともにグラスを合わせる。チリンと甲高い音色が響くが、それはたちまち消え去り、ついぞ構うこともなくワインを二人は呷る。そして空になったグラスに、誰がいうでもなくユミルが新たにワインを注いでいく。

 言葉を交わすこともなく、ただ流れていくときの中で酒を酌み交わす。


 「……話があるのではないのか」


 グラスを口元から放し、ジャックが言う。


 「どうして?」


 ユミルが聞き返す。彼女の頬はほんのりと朱に色づいている。恥を感じているわけではなく、単に酔いが彼女の頬を染めているだけだ。


 「用があったから私を訪ねたのではないのか」


 「全然、そんなつもりないわ。あなたの姿が見えなかったから、もしかしたらもう戻っていたりするのかしら。それだったら、呑み直しに付き合ってくれるんじゃないかしら。なんて思っただけよ」


 グラスをゆらゆらと揺らしながらユミルが言う。


 「本当にそれだけか?」


 「何よ。何か期待してたの?」


 ユミルはいたずらっぽく頬を歪め、前のめりになってジャックに尋ねる。


 「いや、ないのならいい」


 答えに窮し、ジャックはぶっきらぼうにそう言うと再びグラスのワインに口をつける。そんなジャックの態度に面白くなさそうにため息をひとつつきながら、ユミルは肩をすくめる。


 「あのね。何かにつけて理由をつけて行動するってわけじゃないのよ。気分でこうして酒を飲むってこともあるし、なんとなく貴方を誘うことだってあるわ」


 あんたはそうじゃないかもしれないけど。ぼやきにも似た言葉をユミルは最後につぶやく。


 「……それに明日が明日だけに、ね。何となくこうして面と向かって置かないと、収まりがつかなくてね」


 「……そうか」


 「ま、貴方が死ぬはずはないとは思っているけどね。これまで一緒になって戦ってきたけど、あなたのしぶとさは相当なものだもの」


 にこやかに笑うユミルに対して、神妙な面持ちのままジャックは彼女の顔をみつめていた。


 「……そのことだが、お前にいって置かねばならぬことがある」


 「何、どうしたの。そんな改まっちゃって」


 少々おどけた様子を見せるユミルだったが、依然として神妙な顔つきでいるジャックを見て、態度を改めた。そしてジャックの口から紡がれた言葉の数々に、彼女は耳を疑い、そして激怒した。


 「何をふざけたことを言うの。そんなこと、約束できるはずないでしょ!?」


 酔いも怒気によってすっかり冷めてしまい、ただ心のままに語気を強めてジャックに言い放つ。それはユミルが一番嫌っていること。しかし、ジャックがやるのではないかと危惧をしていたことだ。


 「ふざけてなどいない。もう決めたことだ。後のことはお前やエドワードが何とかしてくれ」


 こう言い切るジャックは、意思を曲げぬ頑固者へと変わってしまう。長年連れ添ってきたユミルならば、それがよぉくわかっていた。元から頑固なところがあるが一度自分で決めてしまえば、誰が何を言おうと曲げることはない。実に勝手極まりない。それにいつも振り回されているユミルの心情など考えたことがないのだろう。


 しかし、何より気にくわないのは、その普段考えもしないユミルのしんじょうを推し量るかのように、ジャックの目がかすかにでもユミルに憐憫の眼差しを向けていることだ。そんな目を向けるくらいならば、どうしてそんなことを言うのだ。ユミルの怒りはますます焚きつけられていく。


 「それを言って私がうんと言うと思ったの?私が喜んで引き受けると思ったの?」


 「いや、きっとお前はひどく怒るだろうと考えていた。それに、応じることも難しいとも考えていた」


 「だったら……」


 「だが、知らせておかねばならなかった。でなければ、お前はひどく自分を責めると思ったから。それに、ここまできて私が辞めることもできん」


 憐憫はなりを潜めて、確固たる意志の炎がジャックの目に宿る。


 「私がやらねばならんのだ。私でなければならんのだ。ここにきてようやく合点がいったのだ。私がここにいる意義も。私がこの世にいるわけも。ようやくな」


 「……ほんと、あんたはいつだってそうね。勝手に決めて、勝手に納得してさ。私にすら言ってくれないんだものね!」


 ワインを注いでおいたグラスをおもむろに持つと、グラスの口をジャックに向けてワインをジャックに飛ばす。

 ジャックはとっさに目を閉じれば、その直後にワインが彼の顔に飛来する。冷たい感触の後にくるのは、葡萄の甘ったるい香り、それに混じっている酒の匂い。鼻の中に匂いだけでなくワインそのものが入り、いつまでのワインの匂いが取れない。


 「もう……、もう、いい」


 怒りによってユミルの手が震えている。しかし、震えさせているのは怒りだけではないようだ。

 きっとジャックを睨むユミルの目には、涙が溜まっているように見えた。


 「……分かってくれるとは思ってはいない。分かってくれと頼むこともしない。だが、どうかとめてくれるな。ただそれだけは約束してくれ」


 ジャックに背を向けて家を後にしようとするユミルに、ジャックは言葉をかける。それに対しての返答はユミルからはなく、ただ黙ったまま彼女は暗闇の中に消えていった。

 言いたいことは言った。伝えたいことは全て伝えた。その上でユミルがどんな行動に出るか。それともただ見守るのか。全ては明日になってからわかる。


 ワインまみれの顔を手でぬぐい、まだ残量のあるボトルに手をのばす。緑色のガラスの中に揺れ動く液体を眺め、注ぎ口に口をつけてぐいと飲む。手持ち無沙汰な時間を埋めるように、己の心にできた揺れを酔いの中に沈めて誤魔化すために。味などもはや知ったことではない。胃と食道が焼け付く感触を味わいながら、ただただ飲み続けた。

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