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要望

 階段を降りて一階の奥にある医務室に入る。中には薬品を収納した箪笥に作業用の机。それとベッドが三つほど並んでいる。担当医の女性教諭が作業机の前で何やら書き物をしているようだったが、来室に気がつくと、首をあげて3人の方へ顔を向ける。


 「あら、ガトガ先生。どうされたんですか?」 


 「いや、学園長はまだここにいらっしゃるかなと思いまして」


 「私なら、ここにいるよ」


 その声は部屋の奥、窓際にあるベッドから聞こえてきた。目を向ければ、そこにはベッドから体を起こしてレイモンドがロドリックを見つめていた。


 「お目覚めになっていましたか」


 「ああ。もう随分前にね。まだ痛みはするが、大事ないよ」


 ジャックに殴られた顎をさすりながら、レイモンドが言う。


 「昨夜、暴漢が侵入して学園長が殴られてんですって。幸い金品などは取られなかったようだけど、ここのところ物騒なことが続くわね」


 女教諭は腕を組み、あきれた様子で言う。 


 「先生。悪いが少し席を外していてくれんか。どうやらこの方達は私に用があるようだ」


 「えっ?……ええ。わかりました」


 レイモンドの言葉に驚いた様子を見せた女教諭だったが、レイモンド、そしてその場に居合わせたロドリック、ジャック、ユミルの顔を見るとこくりと頷いて医務室を後にしていった。ロドリックは女教諭が部屋を出た後、そっと扉に鍵を閉める。


 「それで、暴漢君が私に何の用かね」


 「貴君に頼みがある」


 「……私を殴った時とはまるで態度が違うな。頼みとはなんだ」


 レイモンドは呆けたような顔つきを一瞬浮かべたが、直ぐにはにかんだ表情を浮かべて尋ねる。


 「学院内にある杖を提供してもらいたい」


 しかし、ジャックのその一言でレイモンドのはにかんだ面が崩れ去る。面の下から現れたのは、怪訝な顔つきをしたレイモンドだった。


 「……それは、一体何を目的に使うと言うのだ」


 「エルフたちに杖を渡し、使ってもらう」


 「なんだと!?」


 レイモンドの荒げた声が医務室内に轟く。


 「君は、君は今自分が何を言っているのか分かっているのか……!」


 なんとか平静を装って言葉を紡ぐレイモンドだが、言葉の端々に険が立つ。


 「ああ、十分に分かっている」


 レイモンドとは対照的に、ジャックはいたって冷めた様子のまま言葉を続ける。


 「あの無尽蔵とも思えるエルフたちの魔力を駆使した攻撃に、我々帝国の兵士は何度も苦しめられてきた。何人もの兵が犠牲となり、無残に討ち果てた」


 「そんなことは知っている。むしろ、君よりもずっとな」


 「いいや、お前は知らん。あの惨状をお前が知るはずがない。人が人でなくただの道具となって、使い捨ての駒として戦っていた時代に起きた戦だ。貴様のようなぬくぬくと育った輩が知るはずのない世界だ」


 「……その口ぶりでは、君はよく知っているようだな」


 「ああ、知っている。忘れもしない。……忘れられるものか」


 ジャックがポツリと呟いた言葉はかすかに震えていた。しかし、それに気づいたのは彼の背後に控えていたユミルだけであった。


 「過去の大戦の認知を争うのは、この際後に回そう。しかしだ。エルフ族に杖を渡すなど、国家の方に違反している。もしも、それが公になれば……」


 「帝国の皇帝あっての法であろう。だが、皇帝は殺され、その座についたのは過去の亡霊だ。貴様は忠を今生の皇帝ではなく、過去の遺物なんぞにくれてやるのか」


 「……」


 ジャックの言葉に、レイモンドは視線を鋭くしたまま押し黙る。


 「では聞こう。ドミティウスが皇帝になった時、この学び舎に何をもたらしてくれた。もたらされたものは利であったか。搾取と束縛であったか。貴様の理想とする学び舎を作り上げられたのか。……私にはとてもそうとは思えん。子供らの教育に関して、私が口を挟むのはお門違いであるなど重々承知している。しかし、このズブの素人までもそう思っているのだ、貴君やここにいる教員はそれ以上に思っていることだろう」


 そう言いながら、ジャックの視線はロドリックを捉える。レイモンドの手前で大げさに意思表示をすることができないが、小さくこくりと頷いてみせた。


 「話を戻すが、ドミティウスは貴君が忠を尽くしには値しない男だ。だから、私たちに協力して欲しい」


 「……もし、もし仮に私が君らの言う通りにしたとして、エルフたちが私たちに危害を加えてくればどうする。私たちは、抵抗する間も無く殺されてしまうのではないか」


 顎を手でさするレイモンドは、予てからの疑問をジャックにぶつける。


 「その心配はいらん」


 「なぜそう言い切れる。絶対の保証などあるものか。奴らを虐げ、民族踏みにじってきた我ら帝国に攻め入ってくるに違いない。それがわかっていて、わざわざ武器を差し出せと言うのか」


 「そうはさせない。エルフ族には私が説得する。心配せずともうまくやる」


 「私も同席して説得に当たります。学院長。同族の声もあれば、きっとわかってもらえると思います」


 ロドリックがジャックに加担してレイモンドの説得を試みる。ジャックが視線を動かすと、ロドリックがウィンクを返してきた。ジャックは眉根をしかめて胡散臭そうにロドリックを見ていたが、すぐに視線をレイモンドへ戻す。


 「エルフの魔法を確かに脅威だ。しかし、その脅威が味方側についたとなれば、これほど心強い事はない」


 「責任なら私が持つ。心配はいらん」


 「高々一兵卒ごときの責任で何ができると言うのだ、全く」


 頭をガシガシかきむしり、さも困った様子のレイモンド。腕を組み、思考を巡らせる。時間は少ないが、レイモンドから答えを得るまではここを動く事は出来ない。


 レイモンドは腕を組んでからというもの、うんと唸ってばかりで一向に回答らしき言葉を吐き出してはくれない。それも仕方のない事だろう。無理な頼みをしているという実感はジャックにもちゃんとある。しかし、この提案を飲んでくれるかいなによって、今後の進展は大きく変わってくるだろう。


 だから、了承がなくとも、無理やりにでもレイモンドにうんと言ってもらわなければならない。最悪恫喝や強盗まがいのことをしなければならなくなる。しかし、それはあくまで最終手段だ。レイモンドはさておきロドリックとの関係を絶ってしまうことにつながりかねない。エルフとの仲介役、自ら勝手出てくれたが、エルフとの交渉ないし説得を行う上で、同族の言葉があればより円滑にことが運べるだろう。それをわざわざ手放す事は避けていきたい。


 「……わかった」


 レイモンドからその言葉が出るまでに、数十分を要した。


 「本当か」


 「ただし、しっかりとエルフとの約束を果たしてからだ。それがないことには学院側から一つたりと杖を差し出さない。勿論、その約束を取り付けた際には書面に書いてくれ」


 「わかった。協力、感謝する」


 ジャックはレイモンドに頭を下げると、踵を返して施錠された鍵を開けて、医務室を出て行く。

 そのあとに続いてユミルが出て行く。


 「……ロドリック君」


 さてロドリックも医務室を後にしようとしたとき、レイモンドから声をかけられる。


 「なんでしょう」


 「くれぐれも、くれぐれもよろしく頼むよ」


 「……ええ。任せてください」


 レイモンドの言葉の後に、ロドリックは力強く頷く。そして、レイモンドを一人残してロドリックもまた医務室を後にした。


 「……私は、取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか」


 誰もいない医務室の中で、レイモンドの独白だけで虚しく響く。取り返しがつくか、否か。それはジャック達の行動次第となる。どちらに転ぼうとも大学の存続をかけて、戦わなくてならない。

 頭を抱えていたレイモンドだが、その手をゆっくりと下ろすと、医務室にベッドから別れを告げて立ち上がる。そして、洋服掛けにかけてあった己のコートを羽織る。


 「……私は、私の戦いをしなくては、ならないな」


 ふっと緩んだ頬を元に戻し、レイモンドは医務室の出口へと向かって行く。いつまでも病人のままでは、いつまでも当事者を避けていては事態を対応することなどできはしない。ならば、自分は自分の持ち場でこれから起こる戦に備えなくてはならない。


 何しろエルフに杖を私なんて暴挙を行うやもしれんのだ、すぐさま帝都より使者が現れ、何かと言ってくるに違いない。ジャックがエルフとの交渉に望む間に、備えを準備しなければ。

 踵を鳴らし、レイモンドは己の執務室(戦場)へと向かって行った。

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