鎮静
大学へと戻ってきたジャックたちは、ロドリックとエマの帰りを待つためにしばし生徒会室に待機していた。特段の会話もなく、静かな朝のひと時が流れていく。
「これで、ようやく次の手に打って出られるわね」
何気なくユミルが口に出す。その言葉が向かう先には、ジャックがいる。
「ああ。だが、だからと言って油断することはするな。奇襲の一手を手に入れたとはいえ、成功するかどうかは分からんのだ。帰ってこちらばかりが全滅すことだってありうる」
「そうならないために、これから計画を立てるんでしょう?」
「そうだが……」
「計画を立てて、あとは状況によってその場で変更していけばいい。まあ、全てが予定通りに事が運ぶなんてことあるわけがないから、実際はその場その場の判断に頼る事が多くなるでしょうけど」
「そうですぜ。あまり考え込まない方が、上手くいくってもんでさぁ」
狩人が口を挟んでくる。
「考えてわからんことは考えず、目の前にあるものだけを思ったほうが、帰って成功するってもんです」
「あなた、いいこと言うわね」
「ええ。これでもいくつか危ない目をくぐり抜けきたもんで」
頭を掻きながら狩人は言う。
「とにかく、今はガブリエル公の屋敷の通路が確保できたことだけでもよしとしましょうや。ねえ、ローウェン殿」
狩人はユミルから視線を切ると、ジャックの方を見て言う。しかし、ジャックから返答が返ってくる前に、生徒会室の扉が開いた。
「……お待たせ、しました」
扉から現れたエマがかすかな声で皆にいう。彼女の目は泣き腫らしたおかげで赤く充血している。エマの後ろからはロドリックが顔を出し、そっと扉を閉める。
「もういいのか」
「ええ。大丈夫です……。心配には及びません」
ジャックの言葉を受け取ったエマは瞼を手でこすると、キリッとした顔つきになって答える。そこには父を失った悲しみにくれる少女ではなく、懸命に立ち向かおうとする少女がいた。
「これからどうしますか。私の家でしたら、いつでも使うことはできますが」
「エドワードに会ってから今後のことを考える。が、その前に会いたい奴がいる」
「誰です」
「ここの校長だ」
ジャックの言葉にエマは眉根をしかめて、怪訝な顔つきを見せる。それはエマだけの話ではない。エマの背後にいたロドリックまで同じ表情を見せていた。
「なぜ校長先生に?」
エマはその訳を聞き出そうと尋ねる。
「会う必要があるからだ。あいつは今どこにいる」
しかし、ジャックからの返答はそっけないものだった。それにエマやロドリックの疑問は晴れる事もなかった。しかし、二人とは対照的にユミルやカーリアは特に何を思うことはなかった。もとよりジャックという男の性分を前もって知っているからだろう。こればかりは付き合いの長さによって培われたものであり、それほど交流のないエマや全くないロドリックにとっては、困惑するのも仕方のないことだった。
「まだ廊下にノびているのか」
ジャックが校長を殴り気絶させたのはつい昨夜の出来事だ。それから数時間の開きがあるが、誰も触れていなければそのまま廊下に寝ているはずだ。
「いや、今は医務室で眠っている」
ジャックの問いにロドリックが答える。
「あのまま寝かせておくにはあまりに忍びなかったから、移動させてもらった。まだ起きていなければ、眠っているはず」
「案内してくれ」
ロドリックはこくりと頷くと、先頭に立って生徒会室から廊下へと出て行った。その後をジャックは追いかけて行く。
「カーリアちゃん、エマさんと一緒にいてあげて」
ユミルはカーリアにいうとジャックの後を追っていった。
「俺たちは、外の見張りをしている。行くぞ、若僧」
「若僧言うな。俺にはちゃんとした名前があるんだからな」
「分かった、分かった。そういちいち噛み付くんじゃねえよ、若僧」
「だから……」
狩人は若い兵士をからかいながら連れ立って部屋を出て行く。
残されたのはカーリアとエマの二人だけ。おもむろにカーリアは口を開くとエマの身を案じるかのように言った。
「……本当に、お加減の方は大丈夫なのですか。もしも辛いようでしたら、お部屋で休まれては」
「ありがとう、カーリアさん。でも、本当に大丈夫だから」
カーリアの心配げな声をよそに、エマは凛とした声で応える。
「確かに父が亡くなったことは悲しいわ」
「お気持ち、お察しします」
「ありがとう、優しいのね」
「いえ、私はそんな……」
「でも、本当に大丈夫だから。父を思って悲しむのは、もう終わったの。部屋の中で十分に果たしてきたから。だから、今度は父をあんな目に追いやった奴らをやっつける。必ず成し遂げて見せなくちゃ、父が浮かばれないから」
カーリアを見ずに、エマはただ前を向いて彼女に話しかける。口ごもったまま次の言葉を吐けずにいたカーリアは、エマの横顔をみる。何か決意を持ってこの場に望んでいるのだろうか、いや、無理に決意で固めなければならなかったのか。どちらにしても、その決意は彼女を奮い立たせるに十分な力を与えてくれている。かすかに燃え出した炎に薪木がくべられると同じく、エマは目に沸沸と湧き上がる怒りを滾らせている。
「どうかした。私の顔に何かついているかしら」
「い、いえ。なんでもありません。失礼しました」
「……そう」
じっと見つめてくるカーリアをエマは不思議そうな目で見つめていた。しかし何でもないのならそれでいいとカーリアから視線を切って、椅子に腰掛ける。
「ジャックさんが何を考えているかは分からないけど。あの人のことだから、必要なことなんでしょうね。……全く、もう少し頭の中を晒してくれてもいいのに」
コメカミを指で揉みながら、エマが言う。不機嫌ではないがさも不機嫌そうな態度をとる。
そんな彼女をカーリアは苦笑を浮かべながら見つめていた。




