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死別

 ガブリエルが亡くなった。息を引き取ったのは、ジャック達が部屋に戻ってくる少し前のことだった。


 カーリアと使用人達による治療の甲斐あって幾分顔色もよくはなった時分もあったが、老体に対する暴力は必要以上に害をなしていたらしい。意識も混濁し夢見に娘と先だった妻の名前を口にしていた。そしてわずかばかりに目を開けて、カーリアとユミルに「娘を頼む…」と言いつけたのちに、静かに息を引き取った。


 涙ぐみ、嗚咽を漏らす使用人達。カーリアやユミルは涙は流しはしないが、無念そうに肩を落としている。もう少し早ければ助けられたかもしれない。たらればの可能性が頭の中をぐるぐるとまわり、後悔ばかりが浮かんでくる。


 ジャックたちが部屋に戻ってきたときに、その知らせをユミルから聞かされた。

 悔やみの一つくらい言ってやるのが礼儀なのだろうが、ガブリエルの遺体を前にしたジャックには、それができなかった。いつものことだ。死にたいする感慨は他の人間より薄く、表に出てこない。それも最近になってはようやく治ってきた、もしくはいくつ化の交流をへて着色されてきたとはいえど、やはり持った性分なのか人の死に目に関してはあまり感情が波立たなかった。


 痛みに苦しみことも、恥辱に汚された記憶にも縛られることはない。ただどこにあるとも分からない天国だの地獄だのという場所に、殻を離れて飛び立った。唯一、ただ唯一の心残りであったエマをジャックらに託したことですっかり晴れやかな心持ちだったのだろう。ベッドに横たわるガブリエルの顔は安らかで、少しばかり頬を緩ませているのか、微笑を浮かべているようにも見えた。


 空が白み、朝日が窓より差し込んでくる。すすり泣く声が響く静かな広間が光に満たされ始める。使用人達は疲れからか思いおもいに壁に背中を預けて座り、体を休めている。ユミルとカーリア、狩人、若造も壁に寄りかかりながら、しばしの休息をとる。ジャックはといえば、ガブリエルを見下ろしたままベッドの脇に立っていた。立って、ガブリエルの亡骸を見守っていた。


 この老爺の死を悲しむわけでも、怒りに打ち震えるわけでもない。ただ押し黙ったまま、ガブリエルの亡骸へと視線を落としている。


 「……すまなかった」


 ガブリエルへと投げかけられた言葉は部屋にかすかに響く。謝罪の言葉を届けるべき人間はこの世からさり、届けられるべき言葉は虚空をさまよう。心からガブリエルには謝罪をいうべきだった。早ければ間違いなく助けられたか、もう少し命を長引かせることができただろう。それは間違いがない。それができたのだ。しかし、現にガブリエルの救出はできなかった。少なくとも生きたままでは。

 ジャックはガブリエルの両手を掴むと、彼の腹の上で腕を組ませる。そして、数秒の黙祷を捧げた。



 朝日が昇り、約束の刻限になった。部屋においてある掛け時計が鐘を九度鳴らして時を知らせてくれる。そして、間も無く黄金の獅子飾りがつけられた部屋の扉が開かれる。


 そっと開かれた扉から二人の顔が現れる。一人はロドリック、もう一人はエマだ。二人は中にいる面々の顔を見て、安心しきった様子で部屋の中へと入ってくる。そして父はどこだと早速エマはジャックに尋ねる。

 ジャックは言葉で伝えるのではなく、ベッドを彼女に見えるようにベッドの脇から退く。


 それまでジャックの背中によって隠されていたベッドがエマの視界に入る。自分のベッドに横たわっている人物を見たとき、エマは小さな悲鳴を漏らした。


 「父……様……」


 震える声でエマは父を呼ぶ。そうしてベッドへと近づき膝をおる。ガブリエルの手を握り、涙ぐみながら父を呼ぶ。


 しかし、ガブリエルがエマに応えることはなかった。それは、エマにもわかっていた。もう娘の声に父が答えてくれることはないのだと、理解はできた。


 強くガブリエルの手を握るエマの声はかすれていき、次第に言葉も少なくなっていく。声は言葉を失い、すすり泣く音となって響き始めるまで、そう時間はかからなかった。


 「……行くぞ」


 ジャックはそう言うと一人、エマたちが開け放った扉へと入り廊下を進んで行く。ユミルはエマとジャックを交互に見ながらも、ジャックの後を追って扉へと入る。カーリアや若造、それに狩人はエマへ頭を下げて一礼をした後、先の二人に倣って扉の奥へと姿を消す。


 ロドリックは彼らを見送りながら、エマの元に歩み寄り、彼女の肩を抱く。

 エマは自分の肩に手が乗ったことに気がつくと、ロドリックの方へ向き直り涙に濡らした相貌で彼の顔を見る。

 ロドリックは、なにも言わなかった。ただエマの頭に手をおくと優しく撫でて、抱きしめた。


 ロドリックの胸の内で、エマは泣いた。これまで溜め込んでいた不安がはち切れたように、人目もはばからず泣いた。声をあげて、心に抑えきれない悲しみを吐き出す。それをロドリックは我が子をあやすように、優しく慈しみをもってエマの頭を撫で抱きとめていた。

 エマの感情が落ち着くまで、ようやく父の死を受け止められるようになるまで。ロドリックはエマの側を離れることはなかった。

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