7.夢なら醒めて!!!
7.夢なら醒めて!!!
綾はこの空気に耐えられなくて席を立った。どっちにしても、そろそろ会社に戻らなければ柿崎がポケットベルを鳴らすだろう。ポケットベルとは懐かしい響きだけれど、綾が自分の携帯電話の番号を教えないので持たされている。今時、ポケットベルなんてものが存在することに驚いたけれど、社用の携帯電話の一台も買えないと言うところが情けない。柿崎にしてみれば携帯電話は料金が高いというイメージがあって、こんな骨董品を使っているのだろう。
「そろそろ会社に戻らないと上司に叱られますから」
そう言って頭を下げた。
「まあ、なんてつまらない上司なの!小野寺さんの爪の垢でも煎じて飲ませるといいわ」
雪乃がそう言ったら、本当に小野寺の爪の垢を渡されそうで綾はそそくさと店を後にした。それにしても、雪乃があそこまで小野寺を評価していることに綾は納得がいかなかった。まさか、お年寄りを狙った詐欺でも考えているのではないかと疑いたくなるくらいだ。
綾は社用で外出する予定がない時は弁当を持参することにしている。この日も弁当を用意して来ていた。けれど、昼休みになると、小野寺と二度目に会ったファーストフードの店に足を運んでいた。
レジに並びながら店内の様子を見回した。小野寺らしき姿はどこにもなかった。綾は少しがっかりした。がっかりしたのだけれど、がっかりした自分に嫌悪感を持った。それに今、自分が居る場所。弁当を持って来ているのに、どうしてこんなところに来てしまったのだろう?こんなところと言っては店に失礼かもしれないけれど、今の綾にとってはこんなところとしか言いようがなかった。
綾は自分の順番が来る前に列を抜けて会社に戻った。そして、弁当を広げて食べ始めた。
終業のチャイムが鳴ると同時に綾は足早に駅へ向かった。あのファーストフードの店にも“ロマンス”にも、あのラーメン屋にも行くものか。
子供の頃から綾はずっとリーダー的な役割を果たしてきた。男勝りの強気な性格と、ここ一番での度胸の良さ、そして、何と言ってもこうと決めたことは最後まで貫き通す意志の強さを買われてのことだった。
そんな綾が、ここ数日、小野寺と関わったおかげで自分の存在すら見出せないでいる。今、自分が居るところはどこか現実とは違う世界なのだ。そう思いたかった。とにかく一度、リセットしよう。
電車は混んでいたけれど、そんなことはどうでもいい。早く家に帰りたい。それ以外のことを考えるのは止めることにした。
電車を降りて自宅までの道中も早足で歩き続けた。家に着くとホッと一息ついて玄関のドアを開けた。
「ただいま」
既に、母親が食事の支度をして待っていてくれた。いい香りが漂ってくる。とんこつベースのスープの香り…。途端に綾はハッとした。
「とんこつ!」
綾は我に返って周りを見回した。昨夜、小野寺に連れて来てもらったラーメン屋に居る。隣の席では小野寺が美味そうにラーメンを食べている。昨夜と同じとんこつチャーシューメンだ。そして、綾の前にも同じものが置かれていた。
「ウソだ!有り得ない」
綾はそう叫んだ。叫んだつもりだったけれど、実際には小野寺に微笑みかけていた。
「夢よ!これは絶対に夢だわ。早く醒めて!お願い…」