17.記念写真
17.記念写真
綾が会社で身の回りの片付けをしていると、柿崎がやって来て恨めしそうに言った。
「産休の制度もあるんだよ。何も辞めなくったって…」
「今まで私がやって来たことはすべて森田さんに引き継ぎましたから大丈夫ですよ」
「はい!部長、私に任せて下さい」
綾を手伝っていた森田あかねがとびっきりの笑顔で柿崎に言った。綾はそれ以上柿崎に構わず、せっせと片付けを続けた。
母親を小野寺親子に紹介した1週間後に綾は小野寺のマンションに移った。派手な結婚式は行わず、“ロマンス”で身内だけのパーティーを行った。
綾は会社関係で柿崎と後任の森田あかねだけを招待した。その席に見合い相手、藤田博の両親が呼んでもいないのにやって来たのには驚いた。柿崎から報告を受けた佐藤常務が話をしたのだろう。藤田夫妻はこの期に及んでも、まだ綾のことが諦めきれない様子だった。
「当然ですよ。あの人達は本当に人を見る目があるのだと思いますよ」
小野寺が呆気にとられている綾の母親にそう言った。
「あちらの縁談を受けた方が良かったのに」
すると、綾の母親は真顔でそう言った。小野寺は顔を引き攣らせながら「早い者勝ちです」と強がって見せた。
パーティーの終了間際、綾はブーケトスを行った。あかねに向けて投げられたブーケに手を伸ばし、それを掴んだのは柿崎だった。
「部長!」
あかねが口を尖らせて叫んだ。そんなあかねを見て柿崎はこう言った。
「そんな立て続けにうちの部署から寿退社を出してたまるか」
「心配しないで。子供が出来るまでは続けますから」
綾がそう言うと柿崎は涙を流しながら綾を抱きしめた。
「部長ったらセクハラですよ」
あかねはそう言ってケラケラと笑った。綾の妊娠が判明したのはその僅か三か月後だった。
身の回りの片付けは午前中で終了した。退社する綾にあかねが花束を贈り、同僚たちが一斉に拍手で見送った。みんなに見送られて会社を後にした綾を柿崎が呼びとめた。
「昼飯をご馳走しよう」
「あら?どういう風の吹き回しかしら」
「君には本当に世話になったからな」
柿崎はテレビでもよく紹介される有名なうなぎ屋に綾を連れて行った。1週間前から予約を入れておいたらしい。その店の個室で柿崎は綾に最後の晩餐ならぬ昼飯を振舞った。食事を終えて店を出ると柿崎の目には涙が溢れていた。
「部長って泣き上戸だったんですね」
「ほっとけ!」
家に帰ると、恭子が綾の退職を祝ってくれた。
「こんな日にお父さんったら、また会社に泊まるんですって」
「まあ!それじゃあ、今日は私がご馳走を作るわね」
「アイさんは身重なんだからゆっくりしてて。それに料理は私の方が上手いかも知れないし」
「確かに!じゃあ、お任せするわね。でも、これじゃあ、どっちがお母さんか判らないわね」
半年後。
予定より一週間早く綾が産気付いた。恭子がタクシーを呼んで病院まで同行した。綾はそのまま分娩室へ運ばれた。
「まだ時間がかかるから、お父さんに連絡して身の回りの物を持って来てもらって」
看護師にそう言われた恭子は父親ではなく綾の母親に電話した。小野寺はあてにならないと思ったからだ。それでも一応、メールだけは入れておいた。
「よっしゃあ!今すぐ行くから待ってな」
そう言って電話を切ってから二時間後に綾の母親がタクシーでトランクいっぱいの荷物を調達して病院に到着した。恭子は呆れた顔でその荷物を病室に運び込むのをせっせと手伝った。
小野寺が帰って来るとそこには誰も居なかった。外で食事でもしているのかと電話を掛けようとして、恭子からメールが入っていることに気が付いた。
「うわあー!大変だ」
小野寺はそのまま部屋を出て、車を走らせた。この日のために買った車にまさか一人で乗って行く羽目になるとは。
病院に着くと、恭子と綾の母親が病室で荷物の整理をしていた。
「綾さんは?子供は?」
小野寺はそう叫んで部屋中を見回した。
「お父さん、落ち着いてよ。産まれるまでにはもう少し時間がかかるんだって」
「なにしろ、高齢出産で、しかも、初産だからね」
二人に言われて小野寺は少し落ち着きを取り戻した。
「ところで、頼んでいたものは持って来てくれたの?」
「えっ?」
「まったく…。本当に役に立たないわね。こんな人と結婚したアイさんに同情するわ」
「男の人ってこんなものなのよ。そんなに責めたらお父さんが可哀想よ」
その時、ドアをノックする音が聞こえて看護師さんがドアを開けた。
「産まれましたよ。元気な女の子ですよ」
3200g。保育器に入れられた我が子を小野寺は食い入るように眺めている。
「綾さんに似て美人だ」
「いいえ、小野寺さんに似ているわ」
「私にはお猿さんにしか見えないけど…。私、ちょっとアイさんを見てくる」
恭子はそう言って綾の病室へ向かった。
綾はベッドで横になっていた。恭子が入って来たので起き上がろうとしたけれど、麻酔が切れて傷みが出て来たようで思うように体が動かなかった。
「横になったままでゴメンね。赤ちゃん見てきた?」
「うん。お父さんはアイさんに似ていると言っていたけど、お婆ちゃんはお父さんに似ているって。私にはお猿さんにしか見えなかったけど」
「そう。でも、元気な赤ちゃんでホッとしたわ」
「アイさん、ありがとう。可愛い妹を産んでくれて」
「恭子ちゃん、お願いがあるの」
「なに?」
「赤ちゃんの名前を付けてくれる?」
「いいの?実はもう考えてあるんだ」
「本当?なあに?」
「愛」
「アイ?」
「そう。愛してるの愛」
「愛か…。いい名前だわ」
「お母さん、ありがとう」
「えっ?今、お母さんって言った?」
「うん。妹が“愛”なんだから、もうアイさんを“アイ”さんて呼ぶのはおかしいでしょう」
「恭子ちゃん…。痛っ」
綾は痛みをこらえて起き上がると、恭子を抱きしめた。
「無理しないで。それより、お母さんももう“ちゃん”なんて付けなくてもいいよ」
「うん。解かった。そうするね。恭子、ありがとう」
一週間後、綾と愛が退院した。小野寺と恭子は車で病院へ迎えに行った。車で帰る途中で小野寺は急に車をどこかの駐車場に入れた。
「記念写真を撮ろう」
そこは写真館の駐車場だった。小野寺が写真館に入って行き、家族写真を撮ってくれるよう頼んだ。
綾が愛を抱いて椅子に座り、恭子がその横に立った。小野寺はその後ろに立って二人の肩に手を添えた。
「はい!チーズ」
パシャッとシャッターを切る音がスタジオに響いた。




