12.携帯電話が無くても
12.携帯電話が無くても
月曜日、綾が会社に着くなり柿崎が血相を変えて飛んで来た。
「ちょっといいかな」
ほら来た!綾はそう思った。昨日のお見合いで綾が先方に断りを入れたことで常務から何か言われたのだろう。
「何でしょう?」
「断ったんだって?」
「いけませんでしたか?」
「そりゃ、本人同士のことだから悪いとは言わないが、もう少しお付き合いしてからでもよかったんじゃないか?」
「同じ断るなら早い方がいいと思うんですけど。実際、向こうもその気はないみたいでしたから」
「向こうと言うのは博君のことだろう?ところが、ご両親の方が君を気に入ってしまって、すごく残念がっているみたいでさあ」
「あら、私はご両親とお見合いしたわけではないですよ」
「それはそうだが…」
まいったなあ…。柿崎はそう言いながら頭を抱えて席に戻った。綾はその時のやり取りを思い出しながら柿崎の背中を見送った。
いきなり綾が断って来たので相手は驚いた表情でも見せるのかと思っていたら、意外とあっさりしたものだった。
「なるほど。それなら話が早い。実は僕も今日の見合いは乗り気ではなかったんだ。僕にも思う人が居てね。まあ、これを機に、ゆっくり両親を説得するよ」
「その方はどんな方なんですか?」
「君とは全く反対の人だね」
「女性らしい方なんですね」
「それはそうなんだが、君と反対と言ったのはそういう意味ではないんだ。君は女性としてとても魅力的だと思うよ。その証拠に初めて会った時にはドキッとしたからねぇ。だから、もう少し君のことを知りたいと思ったのは社交辞令でもなんでもなくて本心からだった」
「それは光栄です」
「でも、まあ、同じ断られるのなら早い方が僕もすっきりするよ」
昼休み直前、柿崎は常務に呼び出されて席を立った。綾は昼食を取るため、社外へ出た。
ランチタイムとあって、“ロマンス”は混み合っていた。綾が店に入ると雪乃がカウンター席を指してにっこり笑った。
「さっきまで居たんですよ」
たぶん小野寺のことを言っているのだろう。
「いえ、彼に会いに来たわけではないですから」
「そうね。でも、小野寺さんは会いたかったみたいよ。これを渡してくれって」
雪乃は綾にメモ用紙を渡した。
『今夜、この前のバーで』
そう書かれていた。
「今時こんな連絡の取り方をするなんて古い人よね。小野寺さんったら未だに携帯電話を持っていないんですって」
携帯電話を持っていない?そんなまさか。確か名刺には…。綾が名刺を取り出して見ていると、雪乃が笑いかけた。
「それね、会社の携帯なんですって。いつも会社の引き出しの中にしまってあって、使ったことがないそうよ」
綾は呆れた。よくそんなことで連絡をしてだなんて言えたものだわ。今まで綾の携帯番号やアドレスを聞こうとしなかったのはそういう事だったからなのか。綾は妙に納得すると、ふふふと笑みがこぼれた。
「でも、素敵よね。愛する者同士、携帯電話なんかが無くてもちゃんと意思が通じるんですものね」
愛する者同士と言う言葉にはちょっと抵抗があったけれど、綾は満更でもなかった。