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内臓区画/ネガワールド  作者: 一ヌキ末
内臓区画
2/2

 足を止める。


「うっ……ううっ……」

「泣くなよ! うるせぇな!」

「お前ら落ち着けッ!」


「あちゃー……」

 頬がひくつく。

 ルームにいたのは、二人の生徒と一人の教師だった。うずくまり啜り泣く女子生徒に男子生徒が激昂し、額に青筋立てた男性教師が諌めている。交差する音の大きさは時を経るごとに増し、ぼくが聞いている間にもヒートアップしていく。理性はヒートダウンしていく。


「ひっ、ひっ。も、もう駄目……もう駄目……」

「だからうるせぇつってんだろこの馬鹿女!」

「ど、どうせ皆死ぬんだ…………」

「とりあえず出口を探すんだ! だから冷静になれ!」

「で、出口なんてあるの?」

「そ、それはわからんが……」


 すごい。面倒ごとの臭いしかしないや。

 失礼しました。

 踵を返そうとした瞬間、女子生徒とぴったり目が合った。左目に眼帯をしてるから、彼女の右目とぼくの両目が合ったことになる。変な眼帯だった。包帯の亜種みたいなものでもなく、かといってファッションでもない地味な白地。

 見つめ合う二人が硬直する。

 女子生徒の赤く腫れた目が大きくなっていく。

 げんなりする。どうやら先ほどの「あちゃー……」という呻き声を聞かれていたらしかった。

 すると急に黙りこくった女子生徒の視線を追って、残り二人もこちらを向く。

 その表情が驚愕に彩られていくのを、ぼくは溜息をつきたい気分で見守った。

「あ、あんた!」

 食い気味に男子生徒が話しかけてくる。

 ぼくは仕方なく言う。

「……なに?」

「なに、じゃないだろう!」

 男性教師が怒鳴った。

 余裕な無いのだろう。というか、無くもなかったんだけど、先ほどの応酬でなくしたのだ。その汗で光る顔には、精神的なゆとりというものが欠片も見受けられない。

 ぼくからすると理不尽な激怒に、溜息をつきつつ返す。

「うるさいよ、先生」

「う……うるッ!?」

「そんな風に怒っても疲れるだけでしょ? 無駄なんだから喚かないでください」

 男性教師は口をパクパクさせている。

 その様子を戸惑いがちに見つつ、男子生徒は少し口ごもりながら問いかけてくる。

「あ、あんた、あんたもウチの生徒、なのか?」

「そう」

 と答える。ぼくが通う学校は私服登校だから服装だけじゃ判断できなかったのだろう。

 などと考えつつ少し後悔。これはしらばっくれていい質問だった。

 ぼくは言う。

「じゃあ。ぼくは行くから」

 このルームのハラワタが、先ほどのゴミハラワタにも劣る50万円相当のものであることを左目で確認し、ぼくは踵を返した。この状況で拾うメリットより、デメリットの方が大きい。だからアレは要らない。

 三人を放置してルームを出る。

 後ろから声が飛んでくる。

「ちょっと待てよ! あんた状況わかってんのか!? 俺たちはあの”内臓区画”に巻き込まれてんだぞ!」

「そ、そうだ! 飯田の言うとおりだ、待て篠原!」

 振り返って一言。

「だからうるさいって言ってんですよ。肉の怪物どもが寄ってきてもいいんですか?」

 男子生徒と男性教師は真っ青になって口を噤んだ。

「さよならー」

 ぷらぷらと手を振りながら、その場を離れる。

 離れようとして、腕が掴まれた。

 弱い力だった。これが痛覚を刺激するくらいの強さだったら今は収納形態になってるぼくの尻尾が唸っただろうけど、そうはならなかった。その程度の力加減だ。

「ま、待って……ください」

 女子生徒だった。

 泣き腫らしたその瞳に、ぼくは計算高さを見て取った。

 ああいるんだよねこういうやつ。

「待たない」

 きっぱりと言う。

「ぼくは行く」

「じゃ、じゃあ、私も連れていって!」

「はぁ?」

 女子生徒はたじろいだ。

 けど、黙らなかった。

「なんでもするから! お、お菓子も全部あげる!」

 後生大事に抱えていた鞄を差し出してくる。それは、学校が指定する黒い皮製の鞄だ。ちなみに、ぼくの学生鞄は邪魔だから捨てた。ぼくが今身につけているのはだぼだぼの緩い私服とハラワタ保管用の腰バッグだけ。

 と、このあたりで男性陣はようやく気づいたらしい。なんか謎っぽく、より可能性があるっぽいぼくに女子生徒が鞍替えしようとしていることを。

 自分たちが置き去りにされようとしていることを。

「そ、そうだ。一緒に行くぞ篠原!」

「お。俺も!」

 二人してこちらに半ば走るよう近づいてきた。

 息を荒げながらぼくの傍に来て、馴れ馴れしく肩を叩いてくる。

「うざい」

 無視して歩き出すが、ついてくる。

 二歩分離れて女子生徒が、それより更に三歩分離れて男たちが追ってくる。おそらくルームで膝を抱えてるよりも、ぼくと一緒にいたほうがより安全だと本能に近いレベルで勘付いたのだろう。罵倒しても、まったく離れようとしない。まったくうざいことに。

 ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ四人分の足音が気色悪く響く。

 睨んでも、女子生徒は怯むだけで、男性陣はへらへらと半笑いで受け流す。

 困った。ぼくは何度目かの溜息をつく。

 こいつらがいると戦えない。

 ハラワタを狙い内蔵区画に挑む人間をグロウブというが、これは資格が要る。

 ぼくは持ってない。つまりぼくが今までしてきたことも、今からやろうとしてることも違法だ。見られると困る。

 だから、ぼくは言う。

「言っとくけど、ぼく出口目指してないから。出たいんなら自分で行ってね」

「えっ……?」

 女子生徒が戸惑う。戸惑った後、何か理解したように目を瞬かせる。

「はぁ!? じゃあ今どこ向かってるんだよ?」

 男子生徒が言う。

 女子生徒の態度をぼくは訝しむけど、とりあえず男子生徒の言葉に、

「奥のほう。ぼく前から内臓区画に入りたかったんだよねー。ほら、ハラワタっていうの? 奇跡の内臓。それが欲しくてさあ。アレ使うとスーパーマンになれるんでしょ?」

 そう、白々しく答える。

「ふざけんな! んなのどうでもいいだろ! さっさと出口行けよ!」

「そうだぞ篠原、俺は教師として安全を第一に……」

 男性教師が言い切る前に、ある方向を指で示す。

「ほら出口はあっちだから、出たいんなら勝手に行けば」

「なんでんなことわかんだよ!」

 叫ぶ男子生徒。

「んー。勘?」

「ふざ……ッ」

「あの」

 男子生徒の叫びを、女子生徒の言葉が抑えた。つい先ほどまで泣きベソをかいていたのと同じ人間だとは信じられない、冷静な声音。

 立ち止まってそちらを向くと、女子生徒はじぃっと見つめてくる。

「なに?」

「勘っていうの、嘘ですよね」

 疑問というより確認というのが正しいような、断定的な口調で女子生徒は言う。

 ぼくは怪訝な顔をする。

「は?」

「私、わかるんです」

 ぼくにしか見えない角度で、女子生徒は白い眼帯をずらす。その下から紫色の眼球が現れた。

「……」

 コンタクトレンズじゃないなこれ。

 瞳が十字だ。

 女子生徒は矢継ぎ早に話す。

「ハラワタです。器能は、半径1.3メートルにあるハラワタの感知……です。その、父がグロウブで、持ち帰ってきたのを間違えて使っちゃって」

「で?」

 ぼくは目を細める。男性陣は蚊帳の外だ。

「君、ぼくを脅そうっての?」

「ち、違う! 違い、ます」

 小声の応酬。

 女子生徒はどもりながら、

「し、篠原くんの目的は、わ、わかってるつもり。この目を使って手伝うから、私を守って、ください」

「…………」

 ぼくは押し黙る。

「なんでもするから! 私の物もあげる! その、エッチなことも、していいから……だから……」

 女子生徒はぼくの腕を掴んで自分の胸に当てる。ぼくの手を隠していた袖がまくれて、剥き身の手の平が柔らかいふくらみに触れる。

 眉を寄せ顔を赤くした女子生徒はぼくの手を見て、

「あ、え? 女?」

 振り払う。

「君の物も胸も要らない。要るのはその目ん玉だけ。君、名前は?」

「……こ、小鳥麻衣」

「ぼくは篠原瑞樹」

 男たちに目を向ける。

「ぼくは小鳥と先に行くから、お二人さんはここでばいばい」

 微笑んで告げると、男子生徒と男性教師は眉間に皺を寄せた。

「こそこそ話してたと思ったらんだよそれ。意味わかんねぇんだけど」

「だからバラバラになってはいかん。一緒に出口を探すぞ」

 埒があかないなぁ、とぼくは頭を搔く。

 ぼくは、聞き分けのない子供に言い聞かすように言う。

「君ら、ぼくについて来たいんなら正直にそう言いなよ」

「篠原ッ教師に向かって君とはなんだお前ぇ!?」

 叫んだ男性教師を殴打する。

 べちゃっと小太りの彼は肉の床に倒れた後、何が起きたのかさっぱりわからないという面持ちで両手で頬を抑える。

 四人の間を、一呼吸分くらいの空白が支配した。

 男性教師は真っ赤な顔を上げる。

「篠原ァーー」

 その顔を踏んづける。怒りの台詞が途切れる。

 視界の端に、唖然とする男子生徒が見えた。

 ぼくは首を曲げ、男子生徒に向かって言う。

「条件がある。これができるんならついてくることを許してあげる」

 右手を持ち上げて、親指を折る。

「一つ。ぼくの情報を漏らさない」

 人差し指を折る。

「二つ。口答えをしない」

 中指を折る。

「三つ。これを破れば殺す」

 パッと手を開き、ぼくは男子生徒に微笑みかける。

「おーけー?」

 男子生徒は蒼白な顔をひくつかせる。果敢に、少ない勇気を必死に振り絞って、強張る口を動かす。

「……い、いいわけねぇだろ!」

 ぼくは深く溜息をつく。

 やれやれと首を振りながら、

「はあ。まったく……小鳥。この”内臓区画”が終わったらぼく転校するから、一緒に来い」

 突然の自分への言葉に、小鳥は狼狽する。

「へ? え?」

 ぼくは畳み掛ける。

「家族にはぼくは話をつける」

「は、はぁ」

「月給1000万でどう?」

「やります」

 小鳥は右目を光らせて頷いた。

 頷いた後、ハッと口を抑える。苦々しげな表情。恐ろしきは金の魔力だった。

「なんの話してんだよ!」

 叫んだ男子生徒を殴る。

 男子生徒はべちゃっと平伏した。肉の床にキスする彼を、ぼくは見下ろす。

「おーけー?」

 這いつくばる二人に尋ねる。

「ふご……」

「ふごご……」

「いえすだね。よろしい」

 よろよろと立ち上がる男たち。その顔は粘性の物質でべたついている。ぼくの靴の裏についているのと同じものだ。

 ふらつく男性教師にぼくは言う。

「ということで、先生はぼくの転校を手伝ってください。意味はわかりますよね?」

「あ、ああ」

 不明瞭に放たれた返事に、ぼくは聞き返す。

「は?」

「……わかった……」

「はい。頼みますね先生」

 言って、三人の顔を眺める。

 小鳥。頭冴え渡ってますよ、という顔。

 男子生徒。呆然とした顔。

 男性教師。デブ。

「じゃあ行こう」

 ぐちゃぐちゃ歩き出す。

 大した時間も経たないうちに、男子生徒……確か飯田が、恐る恐る、それでいて馴れ馴れしいトーンで話しかけてきた。

「と、というかあんた……篠原だっけ」

「なに?」

 背後からの台詞に、振り返らずに応答する。

「……男なの? それとも女?」

「さあ?」

 飯田は困ったように言葉の方向を変える。

「さ、さあって……先生、知ってるか?」

「あ、ああ。篠原はーー」

「先生。それは野暮ですよね」

「……ああ」

 にっこり笑って告げると、男性教師は汗まみれになって押し黙る。

 それからしばらく足音だけの時間が続い後、小鳥が口を開いた。

「あ、あの篠原、くん……というか、くんでいいの……?」

「好きに呼べば。で、何?」

「あ、そ、そうだ! さ、さっきの勧誘……? あれどうしてさっきしたの?」

 首を傾げて言った後、慌てて付け加える。

「い、いや、別に、ちょっと気になっただけなんだけど……その、後でもいいのになって」

 ぼくは振り返って感心の視線を小鳥に向ける。

「やっぱ君、頭いいね。向いてるよ。いやね、性能のいいハラワタ持ってるやつをドサクサのうちに誘い入れようと思って」

「そ、ドサクサ……」

 呆然としている小鳥。

 ぼくは前に歩調を落として、隣にきた小鳥に問いかける。

「父親のハラワタ勝手に使ったんでしょ? その時父親どんな反応してた?」

 突然の質問に驚く小鳥。

「え? えっと……確か……ものすごく落ち込んでた。一週間くらい、なんかこう……げっそりしてた」

 小鳥は斜め上を見ながら言う。

「だろうね。だってそのハラワタ、円に換算したら億は下らないだろうし」

「お、億ぅ!?」

 小鳥はバッと白い眼帯を抑えながら、裏返った声を出す。

「周囲のハラワタ感知だなんてレアもレア。激レアだよ。十中八九、心臓ハラワタだね」

「お、お、お、お……」

「そんな優秀な人材を手に入れようとぼくはしたわけ。一応言っとくけど、契約した以上逃げられるなんて思わないでね。仲間でいるうちは、甘い汁たっぷり吸わせたげるから」

 仲間でいるうちは。

 ぼくは胸のうちで繰り返す。

 事実、小鳥の左目は非常に高価な代物だ。3億くらいはするだろう。

 感知範囲は1メートル程度と心もとないが、それは初期状態であるからして問題ない。

 そんなふうにぐっちゃぐっちゃ進んでいると、異物に遭遇した。

 肉の怪物だ。ぼくは尻尾を出す。

 またしても人間ベース。背中合わせにくっついた二人分の体が腹部で何回転か捻られ、そこだけが異様に細くなっている。体は両方とも男のもので、白い顔には目がない。変わりに手足にびっしり眼球が生えている。目玉はどれも縦に割れていて、ポコポコ肌から生まれたり肌に沈み込んだりしている。

 ぼくが観察していると、三種類の短い悲鳴が後ろから鳴る。男性教師は尻餅をつき、飯田はぶるぶる震えている。小鳥は硬直していた。それを見ずにぼくは感じる。

 怪物は彫像のように微動だにしない。

 なに? だるまさんころんだでもしてるの君?

 付き合うつもりは毛頭ないので、ダッシュで接近。尻尾で一閃。

 怪物は胸で真っ二つになる。

 無数の眼球がぼくを見つめてプルプル痙攣し始める。もう一撃。

 といわずに二、三、四。

 ぼくが体を捻るたびに、怪物の体が倍々に増えていく。

 うおお。微塵切りじゃー。

 心の中で雄たけびをあげ終えて、尻尾をふりふりするのを止める。

 切り刻まれた肉がぼとぼとっと落下した。

「ふぅ」

 肉の床に落ちた肉片が再生の兆しを見せてきたため、尻尾の紫電器能オン。

 青い電気が迸り、肉を焼く。

 熱系統の攻撃は内臓区画を攻略する上では必須の一つだ。何せ肉は熱に弱い。いや強い肉も山ほど出てくるけど、おおよそ肉は熱に弱い。

 燃えカスになった怪物を蹴り砕いて、ぼくは振り返る。

 そこには馬鹿みたいに口を開いている三人の人間がいた。

 その視線は、怪物の残骸とぼくの尻尾を行き来していた。

 ぞろりと、ぼくの服の裾から出る尻尾が、その先端が、ゆらゆらと滞空する。

「そ、それが篠原くんのハラワタ……?」

「そ」

 ぼくは答えた。

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