五
億十郎の一行が江戸に到着すると、町人たちの好奇の視線が集中した。雇足軽と、道案内はすでに別れて、源三のみが付き従っている。
理由は当然、同道している理恵太にある。
【遊客】に慣れ切っている江戸の町人にとっても、理恵太の姿は他人目を引いていた。
「ひゃあ! あの髪の毛を見てみろい! 金色じゃねえか!」
「妙な着物を着ているなあ! きらきらして、ありゃ、銀箔を貼り付けているのかもしれねえな」
「それに、目が青いや! 何か、目の患いかもしれねえぞ!」
「そうかもしれねえ。何しろ、あの娘さん、すっかりへたばってるぜ……」
理恵太は傍目にも判るほど、疲労困憊を表していた。一歩、一歩が足を引き摺るようで、億十郎は嫌がる源三に、理恵太に肩を貸すように命令していた。
源三は「そんな殺生な……! 他人に見られたら何と言われるか……」と抗議の声を上げたが、そこは主としての威厳で押し切った。
本当は体格的にも億十郎が肩を貸すべきなのだが、仮にも武士である億十郎が、【遊客】の、しかも女の理恵太の肩を支えて歩くなど、断固として御免蒙りたい!
実を言うと、江戸に入る前日くらいから、理恵太は「もう歩けない!」と散々、億十郎に訴えていたのである。見掛けによらず、理恵太は足が弱い。
億十郎は、江戸にやってくる【遊客】は、あまり長距離を歩きたがらない性質なのを、思い出していた。
たいていの【遊客】は、他人目を引く姿形をしていて、体力は抜群。素早い動きの、剣術の達人であるのがほとんどなのだが、地道な、長い行程を歩き通すのは、どうにもこうにも苦手らしいのを察していた。
実際、旅程の大部分は、理恵太は駕籠に揺られて通した。駕籠舁きは、理恵太の六尺にも達する体格に、酒手の上積みを要求したほどである。
その分、歩かなくて済むのだが、駕籠に揺られるのも疲労したらしく、理恵太は江戸に入る前日からげっそりしていた。慣れないと、駕籠酔いするのである。
まずは評定所に報告がてら、長崎奉行に理恵太を押し付けようと考えた。だが、肝心の理恵太の体調がこれでは、きちんとした受け答えすらできそうにない。
億十郎は、清洲屋へ足先を向けた。
「御免!」
ずい、と店先に姿を表した億十郎の姿に、番頭、手代らの視線が集まる。
「何か御用で御座いましょうか?」
早速、手代が上がり框に腰を下ろした。
「大黒億十郎が参ったと、主人の久兵衛に伝えよ」
億十郎の名乗りに、手代は「ひえっ!」と叫ぶように仰け反ると、慌てて立ち上がった。
どたばた、すたばたと大仰な足音を立て、奥へとすっ飛んでゆく。
考えれば、億十郎は清洲屋の娘との祝言を済ませていない。婚儀の話も人伝えで、実際に清洲屋へと姿を現したのは、今日が初めてであった。
上がり框に腰を下ろした億十郎の足下に、小僧らしき少年が蹲り、足盥を持ってきた。手早く草鞋の紐を解き、億十郎の旅塵に汚れた足を丹念に洗ってくれる。
中々、気端の利いた小僧である。億十郎は声を掛けてやった。
「小僧、名は何と申す?」
小僧は顔を挙げ、答えた。
「へい、松吉と申します」
「そうか、気の利いた奴。励めよ」
松吉は顔を赤くし、俯いた。
やがて奥から、主人の久兵衛が急ぎ足にやってくるのが見えた。億十郎は久兵衛の顔は見知っている。婚儀の話が持ち込まれた際、料亭において、面会したのだ。
その時は、落ち着いた物腰の、大店の主人らしい態度に圧倒されていたのだが、今は見る影もなく、窶れ果てて見えた。
久兵衛は一人ではなかった。脇に、若主人の藤介が一緒だった。億十郎は、藤介の顔も見知っている。久兵衛は億十郎の姿を見て、掠れ声を上げた。
「億十郎様!」
へたへたと腰を下ろす。今の久兵衛は、十も二十も歳を重ねたように見えた。
億十郎は、ゆっくりと頷いた。
「お蘭の失踪。便りを受け取った。仔細を聞きたいが、その前に少し、頼まれてくれ」
「何で御座いましょう」と久兵衛が顔を上げたので、億十郎は店先に顎をしゃくった。
「客人を連れて来た。面倒を見て貰いたい」
「お客様……?」
億十郎は声を張り上げた。
「源三、理恵太殿を案内せよ!」
源三に肩を支えられ、店内に入ってきた理恵太の姿に、久兵衛はあんぐりと大口を開けて、両目を一杯に見開いていた。
「【遊客】の理恵太殿だ。見ての通り、長旅でお疲れになられておる。良ければ、お主の店で預かって貰いたい」
億十郎の説明に、久兵衛はぼんやりと理恵太の姿を見詰めているだけだった。
側に控えていた藤介が、さっと立ち上がって、きびきびと使用人たちに命令する。
「何をしている! 億十郎様のお客様を、奥へ案内しなさい!」
藤介の命令に、それまで凍り付いていたように動きを止めていた使用人たちが、一斉に動き出した。
わっ、とばかりに理恵太の身体に取り付き、手足を取らんばかりに上がり框に上げる。
理恵太は草鞋ではなく、脛まで覆う革靴を履いていた。何人かが力を合わせ、無理矢理どうにか革靴を脱がせ、床へ上がらせる。
藤介は、使用人を手早く指揮して、理恵太を奥へと案内していった。億十郎はそれを見送り、久兵衛に顔を向けた。
「お蘭の神隠し。聞かせて貰おうか?」
「へえ」と、久兵衛は小さく頷いた。