十一
二十六号司令官は、がっくりと肩を落とし、足を引き摺るようにして、歩いている。白い制服の肩口に、黄色い染みや、背中にべっとりと付着した汚れで、襤褸雑巾のようである。
「風呂に入りたい……。シャワーを浴びたい……。ああ、死にそうだ……」
時々、啜り泣きながら愚痴る。
億十郎は苛々と、背後から怒鳴った。
「後にせい! 早く、娘たちの居所へ案内せよ。その後なら、湯浴みだろうが、水垢離だろうが、何でも望みのままだ!」
司令官の歩みが遅いので、億十郎は背後から爪先を上げ、尻を蹴り上げた。
ぎゃあ! と司令官は、億十郎の蹴りに、悲鳴を上げた。
「行きます、行きますったら! そ、そんなに苛めないで欲しいなあ……」
アイリータと、理恵太は、用心深く距離を置いて、背後から従いてくる。もちろん、司令官の全身から漂ってくる、異臭を敬遠してだ。それほど、司令官は、ひどい悪臭を発散させていた。
二十六号司令官は立ち止まり、びくびくしながら、指差した。
「こちらです……」
指差したのは、何の変哲もない、ただの扉である。特徴のない、灰色の扉が、無愛想に迎えている。
「開けろ」
億十郎の命令に、二十六号司令官は、のろのろと取っ手を掴んだ。
ぐっと引くと、呆気なく、扉は内側に開く。
億十郎は慎重に、首だけ突き出し、内部を確認した。
「何だ、これは……」
まったく予想もしなかった光景に、億十郎は唸っていた。
四間四方ほどの真四角な部屋一杯に、寝床がずらりと並んでいる。寝床は、床から三尺ほど高くなっており、その一つ一つに、江戸から誘拐された娘たちが、仰向けになって目を閉じていた。
寝床の頭あたりには、〝戦略大戦世界〟に来て、さんざん目にした、ギヤマン板の、表示装置が光っている。
表示装置に映し出されているのは、幼い子供の、日常風景である。が、それは〝戦略大戦世界〟らしき日常で、子供たちは、教師らしき大人の講義を、熱心に聞き入っていた。
「良いか、やるか、やられるかだ! 敵はぼやぼや、お前たちを待ってはくれないぞ! 敵を見たら、即座に攻撃するのだ! 躊躇いは死を招く。死にたくなければ、殺せ!」
軍服を身につけた教師は、手に小銃を持ち、忙しく操作して見せる。
「さあ、分解組み立てを、三十秒以内に済ませるのだ! 始めろっ!」
教師の合図で、画面の子供たちは、一斉に銃を手に取った。がちゃがちゃと喧しく各部を操作し、分解し、組み立てるという手順を何度も繰り返す。
別の表示装置では、勇ましい軍歌に合わせて、無数の少女たちが行進していた。少女たちは両手両脚をピンと伸ばし、懸命な表情で、足取りを合わせている。
「何だ、これは? 何をしておるのか?」
億十郎は画面を指差して、二十六号司令官に詰問した。司令官は、もぐもぐと口の中で何か呟いたが、聞き取れない。
何か言いたそうな理恵太に、億十郎は尋ね掛けた。
「理恵太殿。そなたには、判り申すのか?」
理恵太は小刻みに、何度も頷いた。
「ええ、判るわ。これは人工の記憶よ」
億十郎には、まだ判らない。
「詳しく、説明して下され」
「ええ」と頷き、理恵太は説明を始めた。
「あそこに映っているのは、〝戦略大戦世界〟で育つ子供の記録ね。でも、〝戦略大戦世界〟には子供はいない。いるのは現実世界から接続してきている【遊客】だけ。江戸仮想現実から娘を攫って、ここで子供を産ませれば、初めて〝戦略大戦世界〟に、子供が存在するようになるのよ」
「し、しかし、それが……」と口を挟む億十郎を制し、理恵太は先を続けた。
「考えてみて。江戸から攫われた娘たちが、こちらで子供を生むには、こちらの【遊客】を好きにならないと、いけないのよ。今まで江戸で暮らしていた娘たちが、はいそうですか、とこちらの【遊客】を好きになると思う?」
億十郎は、思い切り首を横に振った。
「考えられぬ! 拙者、こちらの〝戦略大戦世界〟に来てからというもの、一刻も早く江戸に舞い戻りたいと思っておる!」
理恵太は同意するように頷いた。
「そうでしょう。こっちの【遊客】と、結婚なんて、絶対に考えないわ。でも、偽の記憶を与えれば……」
流し目で理恵太が表示装置を見て、億十郎はその視線を追った。
表示装置には、司令官の姿が映し出されている。真っ白な制服を着込み、にこやかな笑みを浮かべている。演壇に立ち、熱心に演説を続けていた。
その司令官を、熱烈な視線で見上げる、無数の娘たちが映し出された。全員が司令官の演説に熱狂的に手を振り、頬を赤らめ、少しでも近づきたいと、演壇に押しかけている。
理恵太は汚らしいものを見るような視線で、二十六号司令官を見やった。実際、二十六号司令官の全身は汚物にまみれ、酷い有様だが、理恵太の視線には、言いようのない嫌悪が込められていた。
「きっと、司令官は、ここにいる総ての娘たちを妊娠させようと考えているのよ。そのため、自分を理想の男性として、娘たちの脳に偽の記憶を刻み込ませるため、夢を見させているんだわ」
「嘘だっ!」
いきなり、二十六号司令官が叫び声を上げた。
「俺一人で、全員と結婚しようなど、考えもしない。俺は、これでも一夫一婦が理想と思っているからな!」
アイリータが声を高めた。
「でも、司令官は三十人以上、いるのよ! 娘たちを相手するのは、司令官に限定させようと考えたんじゃない?」
司令官は口を噤んだ。どうやら、アイリータの指摘は図星だったらしい。
億十郎は狂おしく、床に並んだ寝床を見て回った。どこかに自分の許婚である、清洲屋お蘭がいるはずだ……。




