九
億十郎は理恵太を一瞥した。この際、理恵太が説明の矢面に立つべきなのだろうが、生憎ぼうっと放心しているだけで、一言も喋ろうとはしない。
「それでは、説明し申す。拙者は御家人の、大黒億十郎と申し……」
と、理恵太の最初の出会いから話し出す。今まで、何人にも説明してるので、要点は整理され、話は滑らかに進んだ。
アイリータは時折、的確な場所で質問を挟み込んで、聞き入っていた。
遂に話が、筑波山から〝戦略大戦世界〟へ移動した経緯に入ると、アイリータの眉間に深い皺が刻まれた。頬が上気し、怒りの表情を湛えている。
「多分、この〝戦略大戦世界〟と、あなたの江戸仮想現実を繋ぐ関門を作った際、あたしはF22ラプターで通過してしまったんだわ! それで江戸仮想現実に転移し、そのまま〝ロスト〟してしまった……。いったい、誰の仕業なの?」
アイリータは怒りを込め、どん! と、卓を拳で叩いた。
ちら、と理恵太を見る。
「あたしは、大事な愛機を喪失したと裁かれ、飛行小隊長の職を解かれてしまったわ。おかげで、今は地上勤務よ! 何が起きたかは〝ロスト〟してしまったから、強制切断のおかげで、記憶にも残っていないし、申し開きさえできなかった! 全く、散々な目に遭ったわ!」
初めて理恵太が、怒りの感情を剥き出した。
「あたしのせい、と言ってるの? あんたは、あたしじゃない? それなのに、あたしを責めるなんて、お門違いよ!」
二人の感情の衝突に、億十郎は呆然となった。だが、ポカンとしてばかりは、いられない。億十郎は立ち上がり、仲裁に入った。
「お待ちあれ! 拙者の愚考するところ、各々方、どちらとも同じお人で御座ろう? ここは一つ、お互い手を取り合って……」
「あんたは黙ってなさいっ!」
理恵太とアイリータは、同時に億十郎に向かって叫んだ。億十郎は、両手の掌を、天井に向けた。お手上げである。
アイリータが、理恵太に向かって怒鳴る。
「何だって、のこのこ〝戦略大戦世界〟へ舞い戻ってきたのよ? 大人しく、江戸仮想現実にいれば良いじゃない! あんたと顔なんか、合わせたくなかったわ!」
理恵太も応酬した。
「好きこのんで、こっちに来たわけじゃない! 江戸の天狗党とかいう集団を調べていたら、こちらに繋がる関門を見つけてしまっただけよ! 多分、こちらの〝戦略大戦世界〟の誰かが、江戸仮想現実と繋がる関門を作り出したんだわ! 何とかしないと、これから続々と江戸仮想現実から、こっちにNPCがやってくるわよ!」
二人は急激に冷静になった。吠え合う犬の喧嘩に、桶一杯の水をぶっ掛けたようだった。
アイリータは、目をまじまじと見開いて、呟く。
「そうだわ! あたしの……いえ、あんたの……。ああっ! 面倒臭い! だから〝ロスト〟した自分と出会うなんて、災難以外の何物でもないのよ……! でも、江戸仮想現実から、こっちの〝戦略大戦世界〟へNPCがどんどんやって来るかもしれない、ってのは当たってる!」
じろっと、アイリータは億十郎を睨んだ。
「現に、一人こうして目の前にいるしね」
億十郎は首を振った。
「それだけでは御座らん。すでに、江戸から多数の娘が拐わかされておる! 拙者は、拐わかされた娘たちの捜索のため、こうして参った次第で御座る」
アイリータは、すうっ、と息を吸い込んだ。
「本当なの?」
億十郎は、大きく頷く。
アイリータは、ぎゅうっ、と両拳を握り締めた。
「事実とすれば、由々しき事態ね! 他の仮想現実から、NPCを誘拐するなんて、重大事件だわ! これは、あたしの手には負えない……。そうだわ!」
くっと、顎を挙げ、決意の表情になる。
「司令官に相談します。あなた方も、証言のため、あたしと同道して!」
「司令官!」
理恵太は、なぜか仰け反っている。アイリータは唇を微かに笑いに歪めた。
「そうよ、あんたも来るのよ。ええと……」
唇が躊躇いに、ひくひくと動いた。
億十郎は助言した。
「拙者は、理恵太殿とお呼び申し上げております。アイリータと……」
言いかけた億十郎は「アイリータ」という名前を、すらすらと発音できるのに気付いた。きっと「乱下維持設定」のおかげだ。
「最初に出会ったとき、アイリータという名前を拙者、巧く発音でき申さぬかったので」
アイリータは首を竦める。
「理恵太! 良い名前ね!」
理恵太は視線を下げただけだった。
億十郎は、そんな理恵太を見て、内心「はて?」と首を捻った。
明らかに、理恵太は〝戦略大戦世界〟でアイリータと出会って、態度が変だ! それに「司令官」という名前にも妙な態度を取っている。
さて、司令官とは、どのような御仁であろうか?