八
もう一人の理恵太──アイリータ・マクドナルドは、億十郎と理恵太を、屋根のある一角に案内した。壁、天井、総て漆喰でできていて、出島の建物に似ている。
壁には地図のような紙が貼られ、天井近くには、何本もの管がくねくねと這い回っている。地図には鋲が何本も刺さり、あちこちに書き込みがあった。多分、軍議をするための、地図なのだ。
部屋の真ん中には、四角い卓と、数人分の床机が用意されていた。アイリータは、億十郎たちに振り向いて口を開いた。
「ここは、使われていないトーチカだから、話をするには、ちょうど良いでしょう」
トーチカとは何か? と問い返そうとした億十郎の脳裏に、出し抜けに「トーチカとは掩体壕である。ロシア語」という知識が浮かんだ。
億十郎は、不意に湧き上がった新たな知識に戸惑った。多分【遊客】の能力なのだ。そう言えば、江戸にやってくる【遊客】は、あらゆる知識を自由自在に披露して、知らないことなど全然ないように思えたが、きっとこの能力のせいだ。
壁には、細長い窓が穿たれている。ちょっと覗き込むと、見渡す限りの荒地が広がっている。
荒地には、所々黒煙が立ち上り、最初に見た動く砦が、あちこちに蹲るように停止している。動く砦からは、もくもくと黒煙と、炎が上がっている。
動く砦を望見して「戦車」という名前が頭に浮かぶ。同時に、戦車のありとあらゆる知識が押し寄せた。恐ろしい武器だ!
荒地は、一見して、激しい戦闘が行われたのが、歴然としていた。
もし、外にぼけっと立っていたままだったら、確実に命を落としていた。億十郎は、今更ながら、戦慄を覚えていた。
部屋の隅には、幾つもの鉄製の絡繰が雑然と置かれている。禍々しい印象から武器と想像したのだが、いったい、どのような武器であろう。
機関銃……。
また新たな言葉が脳裏に浮かぶ。浮かんだ途端、機関銃の性能が押し寄せ、あまりの殺傷力の強さに、億十郎は寒気すら憶えた。
この世界では、侍らしい名誉ある戦死など、欠片すら存在しない。億十郎は、一刻も早く、今いる世界から、江戸に帰りたくなった。
「座りなさい。話は長くなりそうね」
アイリータが簡潔に命令を下す。億十郎が、異議を申し立てるなど、全く考えていそうにない、口調であった。
言われたとおり、億十郎は床机に腰を下ろす。理恵太といえば、むっつりと無表情に、のろのろとした動きで、腰を下ろした。
何を考えているのだろう。アイリータと出くわした瞬間、なぜかぼろぼろと涙を零したきり、あれから一言も口を開かない。顔も、合わせようともしなかった。なぜか、無感動が、理恵太を支配しているようだ。
「詳しい話を聞かせなさい。あなたは……」
と、アイリータは真っ直ぐ、億十郎に顔を向けた。
「江戸仮想現実から来たと言うのね。信じられないわ! 各仮想現実は、お互い行き来できないのが、当たり前なのよ。いったい、どうして、別の仮想現実からこっちへ転移したのか、説明なさい!」




