七
一刻ほど、耳を聾するばかりの騒音が、辺りに満ちた。地面からは、ずしずしと遠くから、振動が伝わってくる。
空掘にいた、兵士らしき男女は、何事か待ち受けている様子で、皆、息を呑んで緊張を隠そうとはしなかった。
億十郎は誰でも良いから、今の状況について、詳しく聞き質したい衝動を、必死に抑えていた。
その内、あれほど喧しく聞こえていた騒音が、ぴたりと止まった。静寂が一気に戻り、耳の奥に、きーん、という耳鳴りが残る。
見るからに、その場にいた全員は緊張が解れ、ほーっと息を吐いて喜色を浮かべた。
「ひとまず、生き延びた……」
集団の中で、年長らしき男が、ぼそりと呟いた。年齢は四十歳近くで、四角い顎をした、中々の面魂をした男であった。
億十郎は全員の見慣れぬ服装を観察しているうち、お互いの態度により、身分の上下があるらしいと推察していた。
その身分の上下は、肩に飾られている紋所のようなものに関係があるらしい。長方形の布切れに、星印や、線が縫い取られ、星の数や、線で上下の身分を表すらしかった。
呟いた男の肩には、星の数が一つに、線が二本、縫い取られた紋所がある。他にはこのような紋所は見かけないから、最も身分が高いと考えられた。
恐らく、この場の侍大将か、足軽大将か、軍目付けかもしれぬ。億十郎は思い切って、話し掛けた。
「拙者、関東取締出役の大黒億十郎と申す者。率爾ながら、少々事情をお聞かせ願いたい」
話しかけられた男は、億十郎に向き直り、ポカンと口を開いた。
「はあ? あんた、何を言っている?」
「待って! あたしが、話すわ!」
理恵太が、さっと億十郎の前に進み出た。
「あたしはアメリカ空軍飛行小隊所属の、アイリータ・マクドナルド大尉です。事情があって、作戦中に〝ロスト〟してしまい、別の仮想現実に転移してしまいました。こちらの日本の侍は……」
と、理恵太は億十郎に顎をしゃくった。
「江戸世界に在住する、現地NPCです。訳があって、あたしたちは、江戸仮想現実から、こちらの〝戦略大戦世界〟へ移動したのです。戦況は、どうなっていますか?」
「大尉? あんたが?」
男はジロジロと理恵太の全身を、上から下まで無遠慮に眺めて、吹き出しそうな表情になった。
理恵太は真っ赤になったが、爆発しそうになっている感情を、我慢しているらしい。ぎゅっと拳を固め、頷く。
「そうです! これには事情が……」
「あんた、自分を〝ロスト〟したと、言ったなあ」
男は手近の岩に身を凭れかせ、腕組みをした。その場にいた全員、何事かと、一斉にこちらに視線を向けている。男は、楽しげに続ける。
「そんな間抜けな奴、この〝戦略大戦世界〟では、一人もいねえ! いいか、お嬢さん。あんたが何者か知らないが、こっちは命の遣り取りをしているんだ。のこのこ間抜け面を出して、俺たちの邪魔をするようだったら、この塹壕からとっとと放り出してやるぜ!」
一気に喋って、プイと横を向く。もう、話は済んだと言わんばかりである。
黙ってその場の遣り取りを聞いていた億十郎は、むらむらと怒りが込み上げた。
つかつかと男に近寄ると、ぐいっと胸倉を掴む。男は億十郎に胸倉を掴まれ、驚きに両目をひん剥いた。
「な、何を……!」
億十郎は、あらん限りの気力を込めて、怒鳴りつける。
「無礼であろう! どのような事情があるか知らんが、こちらが丁寧に質問をしているのに、その返答は我慢ならぬ! 拙者は武士で御座る。武士には武士の作法が御座る」
男は、わくわくと唇を震わせた。
「さ、作法? 何だ、そりゃ?」
億十郎はずしりと重々しく宣言した。
「決闘で御座る。お互い、正々堂々と立会い、どちらに正義があるか、はっきりさせるので御座る!」
男はポカンと口を開き、ゆっくりと首を左右に振った。
「ば、馬鹿げている……! 決闘だって? どうして、そんな結論になるんだ?」
億十郎は大声を上げた。
「いざ、立ち会え! 尋常に勝負せよ!」
胸倉を掴んだ手を離すと、男はよろけて、地面に這いつくばった。億十郎を見上げる顔に、見る間に朱が差した。
「ふざけやがって……」
さっと立ち上がると同時に、革靴に手をやった。革靴には、脛に近い場所に、短剣が差してあった。
止め革を外して、片刃の短剣を構える。短剣とはいえ、長さは一尺近くあり、脇差とあまり変わらない。
男は憤怒の表情になって、口を一杯に開いて喚く。
「おい! どこの、どいつか知らないが、俺はマーシャル・アーツを修得している。怪我をさせるつもりはないが、謝るなら、今のうちだぜ!」
億十郎は答えず、じりっと一歩下がって、腰の脇差を抜き放った。相手と同じ武器にするため、大刀は抜かない。
がちゃ、がちゃ! という鋭い連続音に、億十郎は目だけを動かして、周囲を見る。
何と、その場にいた全員が、手にした銃を構え、銃口を億十郎に向けている。
男は「へっ!」と笑った。
「決闘だと? 何と大時代な奴だぜ。ここは軍隊だ。軍隊ってのはなあ、戦友を助けるために、何でもするのよ……。おっと! 一歩でも動くなよ! 動いたら、部下の銃が、一斉に火を噴くぜ!」
勝ち誇る男の側に、するすると理恵太が近づいた。ぎょろっと男が目を動かすと、理恵太は帯に捻じ込んだ拳銃をさっと抜いて、銃口を男の蟀谷に当てがった。
「銃を下ろしなさいっ!」
理恵太の甲高い命令が、塹壕に響く。
銃を構えた男女の銃口が、微かに揺らいだ。全員、確信が持てないようで、銃口が曖昧に動いている。
理恵太は拳銃を擬している男に話し掛けた。
「あんたから命令しなさい。あんたは軍曹なんでしょ? あたしは大尉。本来なら、あんたは上官不服従と、侮辱罪によって軍法会議ものなのよ!」
ひくひくと男の唇が持ち上がる。
「く……糞っ! お、おい、お前ら……聞いたろう? 銃を下げろっ!」
部下たちは、どうすべきか判断できない様子で、お互いを盗み見る。銃を突きつけられている軍曹は、益々焦って喚いた。
「何してるっ! 俺がどうなっているか、見て判らんか! 早く、銃を下ろせっ!」
理恵太が再度、口を開こうとした瞬間に、もう一人の女の声が響いた。
「下ろして良いわよ。全員、持ち場に戻りなさい」
冷ややかな、命令に慣れた口調で、全員の銃が一斉に下がった。
かつかつかつ……と、踵が地面を鳴らす音が近づき、一人の大柄な女が近づいてきた。
億十郎とほとんど同じ背丈、豪勢な金髪を靡かせ、抜けるような白い肌の女が、その場を睥睨しながら歩いてきた。
億十郎は、思わず手にした脇差をだらりと下げてしまった。理恵太というと、呆然としたまま、近づく女性を見詰めている。
「何なのよ……、まったく、秩序という概念が、ここにはどこにもないのね!」
女は唇をひん曲げて、不機嫌な声を上げた。
と、女の視線が、理恵太に止まった。
「あんたは……!」
絶句する。理恵太もまた、軍曹から身を離し、息を詰めたまま見詰め返していた。
女は、億十郎が最初に見た理恵太そっくりであった。
「拙者は大黒億十郎。そなたの名を聞かせて貰いたい」
女は億十郎に視線を移し、答えた。
「私はアメリカ空軍飛行小隊大尉、アイリータ・マクドナルド!」
女はもう一度、理恵太に視線を戻した。
二人の視線が、空中で火花を散らすかのごとく、かち合った。アイリータ・マクドナルドと名乗った女は、ゆっくりと頷いた。
「なるほど……。こいつは驚いたわ。まさか〝ロスト〟した自分と出会うなんてね!」
理恵太は、真っ赤になった。
億十郎が驚いたことに、理恵太の両目から、ぶわっと涙が溢れたのである。




