四
億十郎は辛くも、山伏の一撃を避けた。
山伏の動きは素早い。億十郎がぼんやりと突っ立っていたら、喉仏を一突きされて悶絶していた。先端には必殺の気合が込められている。
さっと跳び下がり、億十郎は腰の太刀を引き抜いた。足場を固め、下段に構える。
「ほう」と、山伏は嘯いた。
「小野派一刀流と見た! 面白い……」
億十郎は無言で山伏を睨みつける。どう考えても、こ奴が正統な山伏とは思われない。こ奴の正体は……。
そうか! さっきから異様な感覚を憶えていたが、はっきりと判った。山伏は【遊客】なのだ! 矢継ぎ早の展開に、すっかりと失念していたのだ。
これは死闘になる……。億十郎は【遊客】の能力に目覚めたのは、ほんの昨日である。
ええい、ままよ……!
億十郎は、刀を構えたまま、歩を進める。両足の裏は地面についた、摺り足である。決して、走ったりはしない。走ると、全身の均衡が失われ、思わぬ後れを取る。
山伏は「はっ!」と笑い声を上げると、手にした六尺棒を振り上げた。ぶるん、と音を立て、空中で円を描き、横殴りに億十郎に襲い掛かる。
億十郎はひょいっ、と頭を下げ、やりすごす。棒は固い樫を削ってできている。刀で合わせたら、刀身が真っ二つに折れてしまう。
山伏は驚くべき膂力を持っていた。振り回した棒を、信じられぬ急角度で旋回させ、今度は真っ向微塵に振り下ろしたのである。狙いは億十郎の脳天だ。
億十郎は半身を捻って、刀を擦り上げた。
からっ、と軽く音がして、億十郎の刀身が山伏の棒を擦る。
「うぎゃあっ!」
悲鳴をあげ、山伏は手を押さえた。
がらんっ、と音を立て、六尺棒が地面に転がる。山伏の押さえた手から、たらたらと血が迸る。山伏は、ぐっと面を挙げ、億十郎に対し憎しみが籠もった叫び声を上げた。
「よくも、やってくれたな!」
億十郎は山伏の足下に目をやった。
地面に、肉色をした、芋虫のようなものが落ちている。芋虫には爪があった。
山伏の親指だった。
億十郎の指斬りの技である。
どんな怪力を誇る剣客でも、親指を斬り落とされれば、武器を手にするのは不可能だ。棒と刀が合わさった一瞬に、億十郎は剣先を使って、山伏の親指を斬り落としたのだ。山伏は、さっと屈んで、自分の親指を掬い上げる。
「憶えておれ……!」
捨て台詞を残すと、山伏はくるりと背を向けた。たたたっ、と駆け足になり、鳥居へと身を躍らせる。
億十郎は呆気に取られていた。
山伏が鳥居を潜った瞬間、姿が掻き消えていたのだ。思わず前へ出た億十郎は、踏鞴を踏んで立ち止まった。
何があるか判らぬのに、無闇無鉄砲な真似をするのは、馬鹿である。
億十郎は手にした刀を前へ突き出した。
鳥居の柱を結ぶ線上に刀身が突き出されると、先端がふっと消え去る。
さっと戻すと、刀身には変化はない。ちゃんと切っ先はついている。
そうか……。この先は、結界になっていて、別の世界へ繋がるのだ!
「億十郎!」
背中で理恵太が叫んでいる。
「億十郎、馬鹿な真似はやめて!」
馬鹿な真似か……。確かに、自分は今、馬鹿な真似をしようとしている!
億十郎は腰を沈め、全身の力を揮って、目の前の鳥居へと身を躍らせた。