三
「あれが、天狗党の本拠で御座るな?」
「そうとしか、考えられないわ。でも……」
億十郎と理恵太は、大木に身をピッタリと寄せ、隠れながら囁き合った。
天狗党の結界は、億十郎に影響しているのか、びんびんと空気が張り詰めているように、感じている。
二人が視線を集中させているのは、山の頂上にある平地である。建物はなく、鳥居だけが、ぽつん、と聳えている。
何のための鳥居であろう?
普通、鳥居の奥には、本殿があるはずだ。しかし、鳥居だけがつくねんと聳えているだけで、本殿らしき建物は見当たらない。
霧は晴れて来ている。あれほど濃密な霧は、ここでは急速に薄れ始めていた。
物音は一切、聞こえない。虫の音も、鳥の声一つ、存在しない。風さえ、ぱたりと止んでいた。
億十郎は、ぎゅっと拳を握り締めた。
理恵太が心細い声を上げた。
「ど、どうしよう……?」
「拙者が先に参ろう」
億十郎は、感情を交えず、平板な声で理恵太に答えた。理恵太は億十郎の言葉に、驚きに目を瞠った。
「本気なの?」
億十郎は、理恵太に片目を瞑って見せた。時々、江戸にやってくる【遊客】がやる仕草である。
一度くらい真似してみたいと熱望していたのであったが、やっと機会が巡ってきた。
「理恵太殿は、この場所で、拙者を援護して貰いたい。もしもの際は、理恵太殿が持つ、拳銃が頼りで御座るからな!」
億十郎が指摘して、理恵太はやっと自分が拳銃を所持しているのを、思い出したようだった。さっと指先が、帯に捻じ込んだ銃に伸びる。理恵太は強く頷いた。
「判ったわ、気をつけて!」
「言うには及ばず……」
億十郎は鯉口を切ると、ゆっくりと大木から全身を曝した。
小野派一刀流が、億十郎の修得している流派である。腕は目録。普段から稽古を欠かさず、朝晩の素振り千本が日課である。他にも槍術、馬術、小具足、水練など武士の嗜みとして必要と思われるものは、悉く修めてきた。
しかし、相手は謎の天狗党である。自分の腕が、どれほど通用するのか、正直かなり危ういとは思っている。
孤剣いかに危地に向かうべし!
一歩、一歩、踏みしめるように、億十郎は鳥居に近づいた。鳥居は五丈ほどの高さで、百年も古びたような、巨木で作られている。
鳥居を見上げ、億十郎は考えあぐねた。
どう行動すべきか……?
見たところ、巨大であるのを除けば、どこの神社にもある、変哲もない鳥居である。
鳥居を潜ろうと、一歩前へ歩き出した刹那、億十郎の眼前に、人影が出現した。
「待て! ここは天狗党の結界ぞ! 何用か知らぬが、即刻、帰って貰う!」
億十郎は息を詰め、目の前の人物を観察した。
いったい、どこから出現した? まるで空中から不意に飛び出したように見えた。
目の前の人物は、顔に天狗の面を被っていた。そのため、声は籠もって、聞き取りづらい。億十郎に対しての詰問も、感情の起伏はあまり感じられず、一本調子の声音であった。
身に着けているのは山伏の装束である。袈裟に、額に頭襟。手甲脚絆で、手には六尺棒を持っている。
棒の先端には、鉄帯が嵌められていた。棒の断面は八角になっていて、武器として揮えば、恐るべき威力を秘める。
億十郎は素早く返答した。
「拙者は大黒億十郎。関東取締出役である! 天狗党に不審あり、こうして探索に参ったのだ!」
「八州廻りが、何の用だ?」
天狗の面を被った山伏は、皮肉な声調子で尋ね返す。口調に嘲弄が含まれている。
億十郎は必死に、自分を抑えた。息を吸い込み、静かに尋ねる。
「目黒富士において、多数の娘が誘拐された事件がある。目黒富士を築山したのは、天狗党であると判明しているのだ。拙者は天狗党の企みを糾すために来たのだ」
「ほう、そうか」
山伏は、ちょっと顎を挙げ、首を傾げる。
明らかに、億十郎に対し軽く見ている。
山伏の態度に、遂に億十郎の堪忍袋の緒が、ぶっちーんと切れた。億十郎は絶叫していた。
「目黒富士から誘拐した娘たちは、どこにおる? さっさと白状しろっ!」
山伏は、さっと腰を落とし、戦いの構えを取った。
「無礼な奴! どうしても立ち去らぬと申すなら、この棒で叩き殺す!」
手にした六尺棒を両手で握り締め、先端を億十郎に突きつけた。




