一
「これより、筑波山山頂を目指す! 敵は結界を作り、拙者らを待ち受けておる。重々、慎重を期し、一瞬も油断すまいぞ!」
億十郎の言葉に、居合わせた全員は「おう!」と応じる。源三が手配した、雇足軽四人に道案内三人らである。億十郎、理恵太、源三、鴉の四人が加わると、十一人になる。
その内、道案内一人と雇足軽二人が後詰めとして麓に待機する手筈になっているから、実際は八人で登山をする。
道案内と雇足軽四人は、億十郎から話を聞いて、各々武器を用意している。二人の足軽は手槍、道案内二人は樫の六尺棒を握っている。源三は長脇差で、鴉は見たところ手ぶらである。
「お主はどうした?」と億十郎が尋ねると、鴉はにやっと笑って、懐から思いもかけない武器を取り出した。
源三が一瞥して、眉を吊り上げた。
「それは短筒ではないか!」
「知り合いの【遊客】から手に入れた。六連発だ!」
億十郎の知っている短筒は、火縄を使う。ところが、鴉が手にしているのは、胴に蓮根のような機構があって、そこに銃弾が詰められていた。
鴉は器用に短筒を操作して、弾装を外して見せてくれた。覗き込むと、弾装には、椎の実に似た形の銃弾が整列している。銃弾には、金属製の筒が付属していた。
「火縄はないのか?」
億十郎の質問に、鴉は首を振った。
「いや、銃弾自体に火薬が詰められ、尻を撃鉄というものが打つと、発射される。だから、火縄は要らぬのだ」
「ほお!」と、億十郎は感嘆の声を上げた。
「ぴすとーる、とか言っていたな。俺に譲ってくれた【遊客】は。拳銃とも呼ぶらしい」
億十郎は鴉が教えてくれた「拳銃」という呼称に、大いに頷いた。実に、的確な名称である。
億十郎は愛用の大小を腰に差している。しかし、剣がどれほど役に立つか、億十郎には、さっぱり見当がつかない。鴉のほうが、実際的なのかもしれなかった。
一同の中で、武器を持っていないのは、理恵太一人だ。登山のための杖を一本、手にしているが、まさか理恵太が戦うなど、億十郎は空っきり考えも浮かばない。
しかし、理恵太は歴とした【遊客】である。どのようにしてか、戦力になるか、予想もつかない。
ともかく出発しよう。億十郎は無言で山中に分け入った。
億十郎が歩き出すと、全員はぞろぞろと縦列になって歩き出した。殿を源三に任せ、雇足軽二人を後列に、理恵太を真ん中に守る隊形で、前へと進む。
筑波の山は、あまり人が入っていない。たいてい、森には付近の百姓が柴刈りに入るため、地面が清掃され、杉や松などが自生する。
ところが筑波では百姓などの手が入っておらず、土地は落葉が積み重なり、楓、楢、柏などの落葉樹がみっしりと生えている。そのため、樹間は暗く、足下は下生えが密生して歩き難い。
先頭は鴉で、蟹のように幅広い肩を使って、密生した山中を押し分けるようにして、前へ、前へと進んで行く。
「そろそろ、結界が近いぞ」
鴉は億十郎を振り向き、押し殺した声で囁いた。
「そうか」と億十郎は頷いたが、鴉の言う結界はまるで感じない。天狗党が結界を作っているというが、それはどんなものだろうか?
ふと振り返ると、雇足軽、道案内、源三たちが全員、顔を青褪めさせている。
「どうした?」と尋ねると、源三は、ぶるっと顔を震わせた。
「ど、どうにも、剣呑な気分で……。何か、厭な気分でござんす」
源三の言葉に、雇足軽、道案内たちも同意する。
「何だか、強い言葉で『帰れ!』と命令されているような気がします」
足軽の一人が、唇を震わせ、答える。
億十郎は鴉に向き直り、目顔で問い掛けた。鴉は厳しい表情になって、顎を引いた。
「結界が近いせいだ。感情に直接びんびん働きかける、何かが張られている。俺たち雑賀党が、何度も探索に向かって何の成果も掴めなかったのも、同じ理由だ。どうにも、足が動かなくなってしまうのだ」
億十郎は眉を吊り上げた。
「お主も、そうなのか?」
鴉は苦く笑った。
「いや、俺は【遊客】の血を享けているといっても、半分くらいしか受け継いでおらぬ。かなり我慢できるが、それでも突破するのは相当に負担が大きい。お主のように、完全な【遊客】の血を受け継いでいる者なら、突破できるだろうと考えておるのだが……」
億十郎は一人、頷いた。
「それで拙者をあれほど、躍起になって覚醒させたかったのだな。拙者が完全に覚醒すれば、結界を突破できると考えたのか」
鴉は悪戯っぽい表情になる。
「そうだ、お主一人が頼りなのだ。何とか結界を突破し、俺たちが楽々と侵入できるよう、頑張って貰いたい」
二人の会話に、理恵太が憤然と割って入る。
「二人とも、一つお忘れじゃないかしら? あたしも【遊客】なのよ!」
億十郎と、鴉は顔を見合わせ、同時に肩を竦める。理恵太の存在は、今の今まで、すっかり念頭から消え去っていた。
女に何ができる……。ここは戦場なのだ。つくづく、鞍家二郎三郎が、なぜ理恵太を同行するよう勧めたのか、首を傾げたくなる。
それが億十郎の、嘘偽らざる気持ちであった。億十郎の顔に、気持ちがあっさりと出ていたのか、理恵太は怒りの表情になる。
「何よう……。あたしが何もできないと、完全に決め付けているわね! いいわ、見てらっしゃい! 後で後悔させてやる!」
億十郎は、無意識に身構えていた自分に気付いた。理恵太がこのように怒りを顕わにした場合、曰く言いがたい気迫が恐ろしい圧迫感として感じ取れる。
だが、今は完全に消滅している。俺は【遊客】と同じなのだ……。
ぞくぞくする気分だった。
しかし、源三以下、足軽、道案内たちは、理恵太の気迫に圧され、顔色を蒼白にさせている。倒れないでいるのが、精一杯だろう。天狗党の結界は、もしかすると【遊客】の気迫に似た何かかもしれない。
億十郎は理恵太に悠然と笑いかけた。
「理恵太殿の御活躍を、拙者、楽しみにしておりますぞ! では、参ろうか?」
億十郎の言葉に、理恵太は唇を噛みしめた。億十郎は構わず、前へと足を進める。
後に従う、源三たちは恐る恐る、といった調子で足を運んでいる。鴉は唇を真っ直ぐに引き結び、真剣な顔つきで歩いている。
とうとう、源三たちが立ち止まってしまった。
「お、億十郎様……!」
掠れ声を上げ、立ち尽くしている。顔色は真っ青で、だらだらと大量の汗で光っていた。
「どうした、源三!」
「い、行けませぬ……。どうにも、こうにも、足が一歩も動きませぬ!」
今にも、足をがくりと折って、倒れ込みそうになっている。億十郎は頷いた。
「判った。そこで待っておれ」
源三は、情けなさそうな表情を浮かべた。
「申し訳も御座いませぬ!」
億十郎は鴉に視線を移した。鴉は顎に力を込め、必死の形相で立っている。
「どうする、お主も待つか?」
鴉は、ぶるん、と大きく首を振った。
「馬鹿を申せ! い、一緒に、参る!」
息を吸い込み、大きく一歩を踏み出した。
理恵太は、まるで平気である。
結局、億十郎、理恵太、鴉の三人だけが、前へと歩き出す。
いったい、天狗党の本拠とは、どのような場所なのか?
億十郎は待ち受ける死闘に、身構えていた。