十
猛然と、億十郎の頭脳は回転していた。必死に、現状打開の方策を巡らせる。
まず自分の目的をしっかりと、思い出す。自分は何をしたいのか?
そうだ! 清洲屋のお蘭を助け出すのが、目的だ。
億十郎は、お蘭の顔を、まざまざと脳裏に描いていた。闇の中、必死に救いを求めるお蘭が、大きな瞳で億十郎を見詰める。
俺は生きている!
強く、自分に言い聞かせる。
生きている証しを、何とか蘇らせようと意識を集中した。
まず、全身の感覚を思い出す。
億十郎自身の、身体、全身の感覚を一つ一つ、思い浮かべた。
指先、皮膚、血液の流れ……。
自分が自分であるという、意識を確固となるよう、暗闇に想像を定着させた。
どくん、どくん、どくん……。
心ノ臓が、力強く、拍動しているのを感じとる。
億十郎は歓喜に震えた。
そうだ、生きている! 俺は、確かに生きているのだ!
すうーっ、と億十郎は胸一杯に息を吸い込んだ。今度も手応えがあった。確かに俺は、今、息を吸い込んでいた。肺が膨らみ、息が一杯に胸に溜まるのを感じていた。
はあーっと億十郎は息を吐き出す。
吸って、吐く。もう一度、吸って、吐く。何度も繰り返す。繰り返す度に、億十郎は着実に全身感覚を取り戻して行く。
腕が、足が、指先が感じられる。胸の辺りが、やや冷やりとしている。胸をはだけているのだ……。
まだ四肢に力は戻っていない。が、今に戻る。それだけは強く、確信していた。
ぼんやりと、億十郎の視界に、縦横の線が現われた。何だろうと思っていると、天井の格子であった。天井板と、桟のなす縦横の線を、億十郎は見上げていたのだ。
と……!
億十郎は、近くに強い気配を察していた。
何だ、この気配は?
凝然と、億十郎は気配の正体に気付いていた。
これは【遊客】の気配だ!
ぐっと億十郎の目玉が動き、気配の先に視線を飛ばす。そこに、理恵太が心配そうな顔つきで、億十郎の顔を見詰めていた。
億十郎と視線が合うと、理恵太の顔が、ぱっと明るくなった。
「億十郎!」
億十郎は、さっと起き上がった。
「せめて、億十郎様とくらい、言えぬのか?」
理恵太は億十郎の返答に、ぷっと頬を膨らませる。
「何よ、今さら!」
しかし、すぐに理恵太の機嫌は戻る。にいっ、と笑い掛け、声を掛ける。
「お帰り、億十郎様!」
取ってつけたような「様」付けである。
さっと理恵太の前に、源三が顔を突き出した。顔には、一杯に安堵が広がっていた。
「億十郎様! お戻りになられましたな!」
「うむ」と億十郎は、一つ頷いた。
源三の横に、鴉がちんまりと座っていた。億十郎と目が合うと、微かに笑みを浮かべた。
「やはり、お主なら耐え切れると思っていたぞ。どうだ、今の感想は?」
億十郎は改めて鴉を見詰めた。
今まで何度も、億十郎は鴉の気配を感じ取っていた。平太を装っているときは感じとれなかった気配だが、忍びの術を使っている間は、億十郎には、くっきりと意識に上っている。
それが今、鴉の気配は、はっきりと感じ取れた。
当たり前である。なぜなら鴉は【遊客】の血を引いているのだ。
億十郎も同じである。
【遊客】は【遊客】の気配を感じ取る。
それが、どのような感覚か、億十郎は完全に悟っていた。
億十郎は【遊客】の力に覚醒した!




