九
億十郎は意識を取り戻し、自分が完全な暗闇に取り残されているのを自覚した。完全な闇、全く何も見えない。
これが〝暗闇験し〟か……。
億十郎は起き上がろうとして、四肢にまるっきり力が入らないのに気付く。
それどころか、四肢の感覚がない。皮膚の感覚も失われている。物音、一つしない。
では、聴覚も失われているのか?
そういえば、俺は寝そべっているのか? それすら、判らない。
暗闇に、ぽつんと億十郎の意識だけが宙に浮いている。
奇妙にも、恐怖は欠片も感じなかった。いや、恐怖を感じることが不可能になっているのかもしれなかった。
このような場合、心ノ臓が、どくんどくんと早鐘のように打ち、呼吸が速くなるはずなのに、それすらも感じとれなかった。
俺は死んでいるのかも……。
不意に襲い懸かる結論に、億十郎は凍りつくような絶望感を感じていた。が、絶望感は意識に上るだけで、それに伴う全身の感覚は、相変わらず微塵も感じない。
それだけに、恐怖は純粋だった。
あれこれと、億十郎は今までの経験を振り返った。
袖ヶ浦で目撃した「虚ろ舟」と、目の前に現われた理恵太の顔。一度、ちらりと目にしたお蘭の顔。鴉、源三……。億十郎に様々に係わりあう人々の顔を思い浮かべる。
おお──い……。
億十郎は暗闇に、思い切り声を張り上げようとした。が、喉に力を込め、声を張り上げている感覚は、当たり前ながら、完全に失われている。
それでも、億十郎は必死に声を上げようとしていた。
何でも良い。何か、反応が欲しかった。この暗闇に、億十郎が確かに存在している証しが欲しかった。
億十郎は時間を忘れ、手応えのない四肢に力を込め、足掻いた。完璧な静寂と、暗闇だけが、億十郎の周りを塞いでいる。
どれほどの時が流れたろうか。一刻でもあり、一日が経ったようにも思え、あるいは一年が経過したようにも思えた。
もしくは、息を何度か吸い込むほどの刹那しか、過ぎ去ってはいないのかもしれなかった。
虚しい試みに、億十郎は疲弊していた。身体が、ではなく、精神がである。
次に襲い懸かるのは、諦念であった。
もう、どうでも良い……。
気怠るい諦めに、億十郎はしばらくの間、そのまま意識をぼんやりとさせていた。
そのうち、猛然と怒りが込み上げる。
やはり、鴉は俺を罠に掛けたのだ! 甘言を弄して、俺を〝暗闇験し〟なる企てに誘い込み、殺した!
俺は、死後の世界にいるのだ……!
否!
鴉は言ったではないか? 確か気が狂った者や、魂を飛ばした者もいる……と!
そうだ、俺は、まだ生きている。今の状態は、薬の悪影響で、全身の感覚が遮断されているだけかもしれない。
魂を飛ばした、という状態に陥っているのかも……?
それでは、俺はこのままなのか? 二度と俺は、自分の目で見るのも、自分の耳で聞くのも叶わず、ただ暗闇に取り残されるのか?
厭だ! 絶対、そのような状態は、御免蒙りたい!
俺は【遊客】の血を引いているのではないのか? それなら、まだ諦めてはならない。何とかして、今の状態から、脱する手があるはずだ!