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電脳八州廻り~大黒億十郎の探索~  作者: 万卜人
第七回 水戸中納言台所事情の巻
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「昼食が用意してあります」と、大旦那の久兵衛が引き止めるのを、億十郎は「いや、自宅へと帰る!」と断り、振り払うようにして店を出た。

 何やら、あまりにも馴れ過ぎているような気になったからである。

 億十郎は確かに、清洲屋の娘、お蘭の婚約者ではある。しかし、当のお蘭は行方不明。婚約者の捜索中である億十郎が、これ以上に馴れ馴れしくなるのは、考え物だと引き下がったのだ。

 源三と一緒に店先を出ると、路地から九八の平太が飛び出し、横に並んだ。

「旦那! 今度はいつ、廻村の旅に出るおつもりですかい?」

 わずらわしさに、億十郎は悲鳴を上げたい気分だった。それでも億十郎は、むっつりと答える。

「まだ判らん。評定所に、こたびの報告も済んでおらぬからな」

 平太は伸び上がるようにして、話し掛ける。

「へえ! それじゃ、報告ってのが終わって、次の廻村の予定が立ったら、声を掛けておくんなさい! あっしも、旦那の後を従いてゆきますぜ!」

 億十郎は無言のまま、真っ直ぐ前方を見たままだった。胸中「勘弁してくれ!」と叫びたい気分である。

 億十郎が何も言わないので、平太はあてが外れたような顔つきになった。小腰を屈め、それでも言葉を押し出す。

「それじゃ、今度の旅には、必ず御一緒いたしますんで、よろしく……」

 ぴょこぴょこ、頭を下げ、その場を離れていった。

 平太の後ろ姿を見送り、源三が声を掛ける。

「億十郎様。本気で、あの平太と申す、岡っ引きを連れ歩くおつもりですか?」

 億十郎は苦笑いをした。

「追っ払っても、しつっこく従いてくるだろうな! 気にせぬのが、一番だ」

「へっ! ちげえねえ!」

 源三も薄く笑って、同意した。

 億十郎の自宅は、馬場の近くにある。敷地は広いが、家作は粗末なものだ。門はなく、安普請の板塀が周りを囲っているだけである。

 旅支度を解くと、億十郎は片肌脱ぎになって、日課の素振りを始めた。源三は、厨へ廻って竃に火を入れ、食事の用意を始める。

 素振り千回。びっしりと汗を掻き、億十郎はふんどし一つになると、井戸から水を汲み上げ、頭からざんぶと被る。

 さすがに水は冷たい。しかし、億十郎は夏だろうが、冬だろうが、必ず素振りの後は、水浴びをするのが決まりだ。

 さっぱりすると、太い荒縄でごしごしと体中を擦る。たちまち皮膚が真っ赤に染まり、冷たい井戸の水で濡れた身体から、湯気が立ち上る。

 疲れも、旅塵も落とし、億十郎は浴衣に着替えて、縁側に腰を下ろした。ふと、軒越しの、秋空を見上げている。

 考えはつい、筑波山での敗走に戻る。自分でも見っともないほどの、完敗であった。つくづく、剣の無力さを思い知る。いくら剣術が達者でも、天候すら思いのままにする相手に、どうやって勝てるのか?

 そろそろ、源三が、食事の用意が調ととのったと言いに来る頃だが……。

 立ち上がろうとした刹那、庭の植え込み辺りから人の気配を感じた。

「お主か」

 強いて平静を装い、億十郎は植え込みに向かって声を掛けた。

 筑波山で億十郎に話し掛けて来た、謎の相手だ。ここまで尾けてきたのか? 確かめるため、言葉を重ねる。

「お主には、筑波の山で世話になったな?」

 瞬時に、答があった。しかし気配とは別の方角から聞こえてくる。相変わらず、こちらを惑わす術を使っているようだ。

「ご明察……。無事、『虚ろ舟』の記録を手に入れたようだな?」

 億十郎は、かっとなった。

「お主が呉れたのではないか!」

 くくくく……。謎の相手は、忍び笑いで返した。

「どうした。嬉しくないのか? 記録が手に入れば、理恵太と申す【遊客】が、どこからこの世に出現したか、判別できるであろう」

 心中の驚きを、億十郎は必死に押し隠した。相手は理恵太の名前まで知っている! さらに、記録箱についても相当に詳しい事情を把握している!

「お主、何が狙いだ? 拙者に恩を売るつもりかな?」

「まあな」と相手は気のない返事をする。

 億十郎は口調を変えた。

「なあ、お主が何者か知らぬ。尋ねても、答えてはくれまいよ。しかし、名無しのままでは不便だ。せめて呼び名でも決めてはくれぬか?」

からす

 ぽつりと、一声。億十郎は眉を顰めた。

「鴉? それがお主の名前か?」

「そうだ。以後、鴉とのみ、呼べ」

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