三
「億十郎様! あんまりで御座いますよ。女に向かって、あれほど大笑いなど、するものでは、ありませぬ!」
お幸が、億十郎に向かって、穏やかではあるが、きっぱりと嗜める。
億十郎は、ひょいっ、と首を竦めた。
「すまん。つい、我慢できなかったのだ。拙者にとって、青天の霹靂であった」
まさしく青天の霹靂。説明を受けていたが、本来の姿に戻った理恵太は、億十郎にとっては予想もしない町娘となって現われた。今も最初に出会った頃の、金髪、碧眼、六尺におよぶ背丈の娘が目に浮かぶ。
お幸は理恵太に向かって、優しく話し掛けた。
「理恵太様。億十郎様がああ、仰っておられます。お許しになられては?」
理恵太はまだ腹を立てているようだった。
とはいえ、お幸にやんわりと説諭され、振り上げた拳のやり場に困っている、とも見えた。じろりと億十郎を横目で睨んで、口を開いた。
「それで、肝心な話は、どうしたの? 見つけたんでしょ? 大事なものを!」
「これで御座る」
もぞもぞと懐を探り、億十郎は白銀色の小箱を取り出す。
畳表へそっと置くと、理恵太が興奮を顕わにして、食い入るように見詰めた。
「本当にF22ラプターの、フライト・レコーダーだわ! 取り返したのねっ!」
「まあ……」
億十郎は言葉を濁した。大きく背を反らし、億十郎は真実を打ち明けた。
「取り返したというよりは、譲られたと言わなければならぬ。拙者の手柄ではないのだ」
源三が首を捻る。
「譲られたと仰いましたね? いってえ、どなたからでござんす?」
億十郎は苦々しく答えた。
「正体不明の忍びからだ! あやつめ、拙者に恩を売るつもりと見える」
「忍び? するってえと、忍者ですかい!」
源三は首を伸ばして、嘆声を上げた。億十郎が頷くと、何度も首を振った。
「あっしの知っている忍者は、御庭番くらいですがねえ。わざわざ御庭番が、億十郎様のお役に立ってくれたんですかい?」
億十郎は首を振る。
「違う! 拙者の考えでは、水戸家中の、雑賀党と呼ばれる一党の忍者と思われる。しかし、あくまで推測だ。本当に雑賀党忍者とは限らぬ」
「水戸家中と言えば……」
源三がぽつりと答え、億十郎は我に帰った。
そうだ、そもそも源三は、水戸家中について探索させるため、江戸に残したのだった。
億十郎は、ぐっと身を乗り出した。
「何か判ったのか?」
「へい……」
源三は言葉を濁した。ちら、とお幸と理恵太を見る。お幸は源三の躊躇いを察して、一つ頷くと膝を上げた。億十郎は慌てて手を上げた。
「お幸殿!」
制止しようとする億十郎を遮り、お幸はにっこりと笑い掛ける。
「よろしいのです。水戸様の内情をお話しなられるのでしょう? その場合、わたくしがいては色々と不都合でしょう。それに、わたくしが耳にしてしまうと、いつか同業仲間などの間で、何かと噂になります。わたくしは決して、一言も洩らす気遣いは御座いませんが、つい、態度に出てしまうのが怖いのです。ですから、わたくしが聞こえない所へ参りましたら、お話をお続け下さい。それに、この離れには、当分は店の者、誰一人として近づかぬよう、注意しておきます」
最後に「御免あそばせ」とお辞儀をして、お幸はさっさと立ち去った。さすが大店の娘である。知るべき事柄は知り、知らぬべき事柄には耳を傾けない覚悟ができている。
理恵太は、お幸の決断が理解できていない。ポカンと口を開け、まじまじと億十郎を見つめている。
「あたしも?」
億十郎は首を振った。
「いいや。理恵太殿には聞いて頂く。なにやら、源三の話と、理恵太殿の話が、どこかで繋がっているような予感がしてならぬ」
「そう……?」
理恵太は拍子抜けたように、ぺたりと座り直した。億十郎は促すように、源三を見やった。源三は頷き、口を開いた。
「どこのお大名も同じで御座いますが、内福なお家というのは、少のう御座います。まず、大名家と申さば、商人に借金がないお家は、皆無で御座いましょう」
源三の前置きに、理恵太は首を傾げた。
「どうして、そうなるの? 大名というのは、領地があるでしょう? 領地から沢山、税が取れるんじゃないの?」
億十郎は、理恵太の素朴な疑問に呆れた。
「理恵太殿。いくら領地があると申しても、無制限に税を課すわけには参らぬ。税を無制限に取り立てれば、一揆、逃散が頻発し、却って税の徴収がうまくゆかなくなるもので御座る。大名は多くの家臣を抱え、時にはお上の御用も勤めなくてはならぬからな」
「ですから」と源三はお構いなしに続けた。
「水戸様も、例外では御座いませぬ。水戸家は公称では三十五万石となっておりますが、それも検地の際に、かなりの水増しをしたらしく、大雑把に言えば、実際は二十万石そこそこで御座いましょう。その少ない収入で、水戸家の体面を計るので御座いますから、あちこち無理をしております」
ふむふむと億十郎は相槌を打つ。ここまでの源三の話は、億十郎にも充分な知識があった。
唇を湿し、源三は出された茶をごくりと飲み込み喉を潤すと、報告を続ける。
「苦しい内情にもかかわらず、水戸第二代国主の水戸権中納言光圀様がお始めになった、ある事業が、領国経営を圧迫しております」
億十郎には、ぴんと来るものがあった。
「判った! 例の『大日本史』だな?」
「それって、水戸黄門?」
理恵太が大声を上げた。