三
白々と夜が明け、寝惚け眼で平太は道案内と、足軽の説明に顔色を青ざめさせた。
「へえ、夜中に何者かがねえ! あっしは全然、ちーとも気付かなかった……」
平太の大声に、億十郎は苦笑を洩らした。結局、平太は夜明けまで眠り通し、揺り動かされて、ようやく目覚めたのである。
不寝番は務めさせなかった。もっとも、務めを無理矢理させても、すぐにこっくりこっくり、舟を漕ぐのは判りきっている。
そこまで平太には期待していない。
よいしょと掛け声を上げ、平太は身体を持ち上げる。背中にはずっしりと、旅の荷物が圧し掛かっている。平太には、荷物運びの役目がある。
竹筒に残った水で、口を濯ぐと、億十郎たちは登山を続けた。周囲は朝霧で、白く煙っている。
稜線に沿って山を登ってゆくと、道は急に開けてくる。恐らく、修験者たちの廻峰道なのだ。足下はごつごつとした岩が露出しているが、それでも今までの山中を行くよりは、遙に楽である。
所々、急な登りがあり、そこには修験者が取り付けたらしい、手懸りの鎖が張られている。鎖に縋って、一同は懸命に身体を引き上げてゆく。
歩いているうちに、全員の身体は段々と体温で温まり、着物にじっとりと溜まった湿気が、白く蒸散してゆく。
歩きながら、億十郎たちは、乾し芋を口にして、朝食の代わりにした。
途中、岩の間から清水が湧き出しているのを見つけ、一同は竹筒に水を満たした。
相当な距離を稼いだ頃になって霧が晴れ、真横から朝日が強烈な光を浴びせてくる。
まずいな……。
と、億十郎は、ちりちりとした不安に駆られた。
億十郎たちは、山の稜線に沿って歩いているので、もし監視の目があれば、容易に標的になる。敵はどのような構えをしているか予測はできないが、もし弓矢か、鉄砲などの飛び道具を用意していたらと、考えたのである。
「億十郎様!」
億十郎のすぐ目の前を歩いていた足軽が足を止め、振り向いた。
「何だ?」
「これを、ご覧下さい」
足軽が足元の茂みを指差した。
茂みから、ひょろりとした木が一本だけ生えている。
指さした先を見ると、枝が一本、鋭い切り口を見せていた。切り口はまだ新しく、樹液が滲んでいる。
億十郎と足軽は顔を見合わせた。
道案内がやってきて、二人の見ている枝先を目にすると、深刻な表情になった。
平太は首を傾げた。
「何だってんです? 枝先が斬られているだけでげしょ?」
「誰が切ったのか、が問題なのだ」
億十郎は腕を組んで、呟いた。
忍びの連絡法は色々である。
地面に印をつけたり、縄や布切れを巻きつけたり、小石を並べたりである。中でも最も利用されるのが、木や草を目印にする手法である。
切り取った樹木の種類、上、下、真ん中、切り取った方角、切り取る刃の角度。総て暗号になる。
説明され、平太は感心した声を上げた。
「へええ! それじゃ、大黒の旦那は、その判じ物がお解きになられるって、寸法なんでげすか?」
億十郎は首を振った。
「それは判らぬ。何しろ、拙者は忍術の修行など、一切しておらぬからな。判るのは、我らの前に誰かがこの場所を通過し、後から来る誰かのために、目印を残していった……。それくらいだ……」
億十郎の説明に、平太は怯えた表情になった。きょろきょろと、周囲を見回している。
「行くぞ。遅れた」
億十郎がきっぱりと宣言し、四人は登攀を再開させた。
山の天気は変わりやすい。
先ほどまでからっと晴れ上がった空が、見る見る雲に覆われ、風が吹き始めた。風は、じっとりと湿気を帯び、億十郎の頭髪を重くさせる。
風は向かい風で、億十郎は上体を斜めにしないと、後方へ吹き飛ばされそうになる。
うひゃあ……! と、平太が頼りない悲鳴を上げた。
億十郎は、さっと平太を振り向き、怒鳴った。
「背中の荷物を捨てろ!」
「えっ! 何と仰いました?」
平太は億十郎の命令を聞き返した。億十郎は、口を一杯に開いて怒鳴った。
「そんな大荷物を背負っていると、この風に押し倒されるぞ! 命が惜しければ、今すぐ捨てろ!」
平太は両目を飛び出さんばかりに見開き、大急ぎに背中の荷物を降ろす。
さっと前方に向き直った億十郎は、無意識に大刀を抜き放っていた。
殺気!




