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電脳八州廻り~大黒億十郎の探索~  作者: 万卜人
第六回 筑波山天狗党の巻
33/90

 佐倉、印旛いんば村と北上し、利根川を越え、霞ヶ浦の西側から筑波山に登る最初の難所が、不動峠である。

 ここまで億十郎は、一気に旅を続け、途中の村々には、ほんのちょっと立ち寄るだけだった。八州廻りの旅は、村々において、様々な役得があって、それが億十郎のような薄給の御家人にとっては重要な稼ぎであったが、今は一刻も早く、筑波山を目指す。

 足軽や道案内は当然のことながら億十郎の足に合わせていたが、意外にも九八の平太は全く音を上げず、感心にも億十郎の足並みに合わせていた。

 不動峠に近づくと、周辺には人家はまず見当たらない。山深い道ともいえぬ獣道を、億十郎の一行は、笹を掻き分け、草を握り締め、登ってゆく。

 天は秋空で、早暁、夕刻と、ぞくりとするほど冷え込んでいた。ましてや、山中である。下生えには、じっとりと露が溜まり、掻き分け登る億十郎の袴は、びっしょりと濡れてしまっていた。

 億十郎は空を見上げた。

 気がつくと、空は真っ赤に燃え上がるように赤く、夕日が山塊に沈む直前だった。

「ここらで野宿といたそう」

 億十郎が呟くと、平太はくたくたと、その場に蹲った。岡っ引きは小悪党、ヤクザ上がりが多く、たいていは頑張りが利かない。しかし平太だけは、億十郎の強行軍にも、しっかりと遅れずにいてきた。その点だけは、億十郎は評価している。

 足軽、道案内の二人は、野宿にも慣れている。手早く下生えを、用意してきた鎌で切り払い、場所を確保した。

 億十郎たちが足を止めたのは、切り立った山肌に近い場所で、そこだけは少しばかりの平地があった。

 といっても、男四人が寛げば一杯になる程度である。少し油断すれば、ころころと転げ落ちてしまいそうになる。

 足軽が付け木を取り出し、火打石で火をこそうとするのを、億十郎は止めた。

「今夜から寝ずの番を立てる。火は使わぬ」

 億十郎が口早に命令すると、足軽は頷いた。

 平太は「えっ?」と不審そうに億十郎を見上げた。

 億十郎は説明してやった。

「もう、この辺りは、筑波山中と言ってよい。何が起きるか判らぬ。用心が肝心だ。それに筑波山は、神域でもあるしな。滅多に、火は使えぬ」

「へえ……」

 億十郎の言葉に、平太は怖々と辺りを見やった。

 足軽が用意した、乾し飯を配った。四人とも、竹筒の水で、乾し飯を口に含み、ゆっくりと咀嚼して腹を満たす。

 さらには途中の村々で、煎った栗、干し柿、乾し芋、干魚、舐め味噌、梅干なども用意してきている。食糧は、充分な蓄えがあった。

 夕日があっという間に山塊に姿を消すと、幕が下りるように、闇が迫ってくる。

「まず、拙者が、寝ずの番に立つ」

 億十郎が宣言して、足軽、道案内の二人は、物も言わずに、その場に寝ころんだ。

 目を閉じると、すぐに寝息が聞こえてくる。二人の様子を、平太は呆気に取られて見ていた。

 億十郎は平太に命令した。

「お主も寝るが良い。だが、お主にも寝ずの番に立って貰うぞ! 最後になるから、朝方までたっぷり眠りに就けよう」

「判りましたよ……」

 平太は渋々と、その場に寝ころんだ。野宿に慣れてないと見え、下生えが背中を突き刺すのが寝苦しいらしい。

 しばらく輾転反側てんてんはんそくしていたが、それでも疲れきっていたのか、ほどなく寝息が聞こえてきた。

 億十郎は木の根元に背中を押し付け、胡坐あぐらを掻いた。膝もとに大刀を抱え込み、ゆったりと寛ぐ。

 すぐに、それまで三人の旅人の気配に、静まり返っていた山中から、やかましく虫の音が聞こえてくる。

 闇に慣れた億十郎の視界に、夜空の星がきらめき出した。星を見つつ、億十郎は物思いに耽る。

 江戸の【遊客】たちから聞かされた、様々な知識が湧き上がる。

 まず億十郎たちが立つ大地は、球体であるという。【遊客】は「地球」と呼んでいた。

「地球」は日輪の周りを一年を掛けて経巡へめぐり、一年の季節は、「地球」が、回転面に対し、二十三度ほど傾いているせいであると説明された。

 億十郎の見上げる星々は、気が遠くなるほど遠く、光の速さで何年も、いや、何万年も先にあるという。もっとも遠い星空は、何億年も光の速度で突き進んだ先にあるという。

 信じられぬ!

 いや、億十郎の見上げる星空は【遊客】たちの見上げる星空と同じなのかも判らない。

 億十郎のいる世界は、【遊客】が作り上げた仮初の世界なのだそうだ。それなら、億十郎の見上げる星空も、仮初の星空なのだろうか?

 億十郎は心底から、【遊客】たちの世界を、自分の目で確かめたいという衝動に駆られていた。それは渇望に近い、感情であった。

【遊客】の知識が増えるほど、絶望感が一杯に億十郎の胸中を満たす。本音を言えば、億十郎は【遊客】の正体など、知りたくもなかったのである。

 知らないでおけば、このような感情も抱かずに済んだはず。

 しかし、微かに覗き見た【遊客】の知識は、さらなる知識欲に、億十郎を燃え上がらせる。

 俺は、何だ?

 江戸の御家人、大黒億十郎。五十俵三人扶持の、しがない八州廻りである。

【遊客】は時々、億十郎ら、江戸の人間を妙な呼び方をしていた。

 確か「えぬしーぴー」とか呼んでいた。【遊客】たちの隠語で、【遊客】ではない、江戸世界に住まう人間たちを、そう呼ぶのだそうだ。詳しく発音すると「のーきゃらくたーぷれいやあ」とか言っていた。

 つまりは【遊客】たちが作り上げた、人格なのだそうな。

 億十郎は、ぶるっ、と強く頭を振った。

 埒もない考えなど、捨て去るに限る。今は心を強く持ち、捉われたであろう、婚約者のお蘭を思い続けるのが肝要である。

 必ずや、お蘭を救い出す!

 億十郎は新たに、自分に誓っていた。

 と──。

 億十郎は、大刀を引き寄せる。そろりと、音がせぬよう、鯉口を切る。

 何者かの気配が、闇にわだかまっている。

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