五
サトーは頷いた。
「左様! あなた方の言う〝もう一つの江戸〟とは、かつて現実に存在した江戸世界なのです。今から二百年近く前、本当の江戸時代は終幕を迎えました」
「では、拙者らは、偽者だと?」
億十郎は、悲鳴に似た叫び声を上げていた。
理恵太はゆっくりと首を振る。
「偽者とか、本物とか、区別には意味はないわ! 仮想現実にしても、本当の現実と同じように造られているし、あなた方にとって、この世界は、現実そのものでしょう?」
サトーは厳粛な表情になり、口を開く。
「強いて言えば、私たち【遊客】こそが、この世界での偽者なのでしょう。本来の私たちは、現実世界で絡繰に接続し、この世界を夢見ているだけなのですから」
億十郎は、必死にサトーの論理に抵抗しようとしていた。サトーの言葉は、一言たりとも信じられなかったが、口調は圧倒的に信憑性を感じさせる。
億十郎は愕然と悟った。
「【遊客】の力! 貴殿は、拙者に【遊客】の力で、信じ込ませようとしている!」
「いいえ」
サトーは力を込めて答える。首を振り、もう一度はっきり言葉を重ねた。
「いいえ。決して、あなたに、【遊客】の力で信じさせようとは、思っていません。【遊客】の力で、あなたに信じさせても、無駄だからです。そうじゃありませんか? あなたは、私たちの言葉が真実であると心の奥では判っているのです。だが、今までの常識が、納得するのを拒否しているのでしょう」
億十郎はがっくりと、肩を落とした。何だか、酷く疲れていた。
サトーの言葉は正しい!
自分は、心の奥底では、サトーの言葉は正しいと感じていた。今まで疑問に思っていた総てが、サトーの説明で氷解していた。
なぜ土地もないのに、遠国奉行が存在するのか?
当たり前だ!
〝もう一つの江戸〟では、対応する土地があったからだ。江戸を再現する際、すべての役職も必要だったが、存在しない土地の遠国奉行も再現したから、名称のみの存在になってしまったのだ。
横浜を治める遠国奉行が、長崎奉行なのも道理。もともとあった長崎が存在せず、外国人の応対に必要だったので、長崎奉行が充てられたのだ。
ほかに〝もう一つの江戸〟にあって、億十郎の江戸にはないものは、何だろう。
億十郎は、ぞくりと寒気を憶えた。
もしかすると〝もう一つの江戸〟では、もう一人の大黒億十郎がいて、実は本物はすでに死んでいるのかもしれない。
自分は幽霊なのかも……。
思い切り否定しようとしたが、億十郎の試みは上手く行かなかった。