茨城説話 紫峰の伝承
筆者が幼少のおり、古老に口伝えされた地方民話を、解釈を交えて紹介する。
民話を語り継ぐ語り部のひとりとして、読んでくださったかたに、なんらかの発想を兆していただければ幸せである。
とんでもねえ大昔の話だっぺけど、茨城にも「だいだらぼっち」がいたんだと。
見上げるような大男だ。この「だいだらぼっち」は行く行くは海辺の村で追い払われて海坊主さなっちまうんだけんとが、茨城にきたころにゃ、そりゃおめえ、すげえことよ。
なんてったって、筑波山さ持ちあげて、富士山も持ち上げて、重さを比べたっていうでねえか。大きい体だ、本人は悪さなんてしてる気はねがったかもしんねえけんと、地上の人間にとっちゃ堪ったもんではねかったっぺな。ただ、そいつもかわいそうでよ、そんな大きい身体をもった仲間も嫁さんもいねえかったから、ちょうど、人形あそびのように、筑波山さもうひとつ山をくっつけて、男体山・女体山と夫婦の山にして遊んだんだとよ。
そういや、富士山と筑波山といったら、山比べの話は他にもあってよ、神さまがお忍びで東に旅したことを話してやっぺか。
神さまはずっと西の遠くから来たもんだで、お忍びでねえくてもボロボロのありさまだったっぺ。
で、富士山に一晩の宿を求めたんだと。
したっけ、富士山は、さすがにでっけえ山だ、敷居が高いんだっぺ、こぎたねえ身なりの神さまを適当にあしらって、泊めてはやらなかったんだわ。
そんで、しょうがねえ、もっともっと東へと旅を進めて、とうとう筑波山にたどりついたんだ。
おんなしように、ぼろ身なりの神さまは、宿を求めたっぺな。
したら、筑波山は大歓迎だ。客人なんて、滅多にくるもんでねかったのよ。
山の近くの里のひとたちが、みんなして他所の郷から来た人をもてなすのに、筑波山にのぼったっぺ。里者のほとんどが、やれ採れた芋だ、獲れた鹿だ、捕れた魚だ、て、ごっつぉうぶるまいよ。
男も女も歌をうたい、踊りを踊り、他所からきたひとに賑やかに振舞ったってよ。
神さまは、そしたら、こんなにもてなしてくれたってんで、とうとう正体あらわして、筑波山に一番大切な紫で作った冠をくれたんだと。
秋になれば、筑波山は、緑の樹と、紅葉する樹とがあいまって、里から見れば紫に見えるようになったってのは、それからだって話なんだわ。筑波山は紫峰の山ていまも呼ばれることがあっけど、そういうことなんだわ。
でよ、富士山のほうは、あまりにも扱いが酷かったってんで、西へ帰る道すがら、神さまは富士山を噴火させて、石だらけにしちまったんだと。富士山は遠くからは綺麗だけんとが、そこに何も実るものがねえくなっちまったって話よ。
筑波山から見える富士山は、噴火のときの衝撃で、いまも天辺がかけてんだど。
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【筆者解説】
実際に、筑波山にのぼれば富士山が見え、その巨大さを感じることができる。これは、日本人の村意識というか、コンプレックスというか、筑波山近辺に住む昔の人間にとっては対抗心を抱かせるテーマなのではないだろうか。
自分たちの山が一番である、というには、すぐ近くに見えている富士山がいかにも高く雄大であるので、自分たちの山を賞賛するには、高さや大きさでない別の切り口からしかできないのだろう。
関東平野に不思議に取り残された山が筑波山である。日本地図を広げると、通常は山地のつながりかたが、ある程度線をひいていくように明らかになるのだが、筑波山をふくむそのあたりは、山地の線が途切れていて、急に独立した山として存在している。平地のなかにある通称「八郷盆地」の山のなかで、最も標高が高い筑波山は、平地に暮らす昔の人々には目につく存在だ。目印であり、信仰の対象ともなる。
ヤマトタケルも筑波山で歌をのこしたと言われるほど、とにかく古代人にとって目立つものであったし、また人類が繁栄する過程で、稲作が到達するまえには、この実り豊かな山の中腹にひとびとは住まったと考えられる。
そして、興味深いのは、この筑波山が「歌垣現象」を有しているということだろう。
男体山・女体山という「夫婦」を象徴する山があり、流れる川を「恋瀬川」といい、また、上記の伝説中にもでてくるが、男女が山へのぼり、歌をうたい、踊る。語弊を恐れずにいえば、古代のナンパであり、古代のカラオケであり、古代のクラブである。山で炎をたき、原始人から古代人へと移り変わる間の文化、合同結婚式のようなものである。なんとなく、ワルプルギスの夜すらも彷彿とさせる雰囲気が感じられる。
この「歌垣」が行われる時期にたまたま神さまがやってきたのか、それとも接待としての「歌垣」をしたのか、あるいは本当にヤマトからお忍びの役人がやってきたのかどうか、謎は多いが、ともかくこの歌いあい愛し合う「歌垣」を、他所の郷からきた人は楽しんで帰ったらしい。つまり、筑波山は富士山より誇れるものがあるのだと表明しているのである。人が住めるほどに実り豊かで、また人をもてなせるほどに山に文化を蓄えている、という民話だ。
昨今は、何の影響かは知らず、常緑樹と紅葉樹のうち、常緑樹のみが生き生きとし、秋に緑に赤が混じって紫にみえる山とは感じられなくなった。少なくとも10年くらい前までは、たしか紫に見えたと思うのだが、これも郷土愛がみせた幻影であろうか。
山地が途切れて、急にデベソのように飛び出した筑波山および八郷盆地は、紫峰が紫に見えなくなった今でも、いまだに根も葉もない郷土愛がある。「日本のヘソだ」「日本列島の中心だ」と、自分の家や田のある土地をそのように言い張る家はいまだに多いのだ。他所者を相容れないこの土地には、こうした郷土愛だけでなく、きちんとしたもてなしのあり方も受け継いで欲しいと考えなくもない。
ところで「紫峰」とは、筑波山のみならず、茨城県産のしょう油の名称でもあることを最後に明記しておく。