婚約破棄? では決闘で決めましょう――悪役令嬢は西部最強のガンスリンガーでした
この国では、騎士は剣を佩かない。
三百年前、一挺の魔銃を手に、魔獣と無法者の跋扈する原野を平定した男がいた。
男は街道を開き、町を守り、土着の支配者を従え、やがて王となった。
それが、この国の建国王である。
ゆえに騎士が携えるのは長剣ではなくライフル。
貴族の男子が幼い頃から学ぶのも、剣術ではなく射撃だった。
もっとも、それは基本的には男の話だ。
男が銃を取り、女を守る。
それが、マジックガンが支配するグレイナード王国では当たり前だった。
王立学院の卒業を祝う舞踏会は、王宮の大広間で開かれていた。
この国では、貴族は学院の卒業をもって正式に成人とされる。
そして王宮で催される卒業舞踏会は、成人として貴族社会へ踏み出す若者たちに与えられた、最後の夜でもあった。
これからは家名を背負い、領地を治め、あるいは軍や官僚として国に仕えていく。
そんな若者たちが、学生という身分に別れを告げる前に楽しむ、最後のモラトリアム。それが、この舞踏会だった。
そして、成人を迎えた男たちの腰には一挺のマジックガンがある。
学院を卒業した貴族の男子にとって、それは成人した証でもあった。
さすがに王宮へライフルのような長物を持ち込むことは許されない。
だが、腰に下げる護身用の一挺は、むしろ正装の一部とすら見なされている。
そんな華やかな夜のただ中で。
王太子ギルベルトがよく通る声で口にした言葉は、その場にいた誰もが聞き逃しようがなかった。
「マリア・ウェストリア。私は今日をもって、君との婚約を破棄する」
会場の喧噪を切り裂く突然の宣言に、楽団の演奏がピタリと止まった。
ギルベルトの隣には、学院でも評判の可憐な男爵令嬢エリーゼが、寄り添うように立っている。
その後ろには三人の側近が侍っている。
彼らの正面に凜として立つ、辺境伯令嬢マリア。
すらりとした背が高く、腰まで届く銀色の髪に、白い肌。
整った顔立ちは可憐というよりも怜悧で、特に相手をまっすぐ見据える瞳には、時折ぞっとするほど鋭い光が宿る。
今はその銀の髪をきれいにまとめ上げ、マリアは静かにギルベルトを見つめていた。あまりにも分かりやすい構図だった。
「君がエリーゼに対して行ってきた数々の嫌がらせについても、私はすでに把握している。将来の王太子妃として、これ以上君を認めることはできない」
一瞬、マリアは王太子が何のことを言っているのか分からず、一度だけ瞬きをした。
「……その証拠はございますの?」
「証拠だと?」
「はい。わたくしがエリーゼ様へ嫌がらせをしたという、その証拠ですわ」
「そんなもの必要ない」
あまりにも即答だった。
「エリーゼ本人がそう証言している。それで十分だ」
「……ご本人の証言だけで?」
「彼女が嘘をつくはずがない」
ギルベルトは大きく胸を張り、迷いなく言い切った。
エリーゼがギルベルトの腕に優しく手を添えて、困ったようにギルベルトを見上げる。
「殿下……もうよろしいんです。わたしはマリア様を責めたいわけでは……」
「心配するな、エリーゼ。私は君を信じている」
その言葉に、後ろの側近だけでなく、周囲からも小さな感嘆の声が漏れた。
ただ一人、マリアだけは冷ややかな目をして、沈黙を守っていた。
証拠という言葉の意味については、少し考え直した方がいいんじゃないかと思ったが、今ここで言っても間違いなく無駄だろうと思い直した。
やがて、
「左様でございますか」
泣きもせず、声を荒らげることもない。
ただ一言、ギルベルトの言い分を理解したことだけを淡々と返す。
あまりにも静かな反応に、かえって拍子抜けしたのか、ギルベルトが眉をひそめた。
「……言うことはそれだけか?」
「であれば、承知いたしましたと、申し上げます」
「何?」
「殿下はわたくしとの婚約を解消なさりたいのでしょう?」
「ああ、そうだ。言い訳があるならば聞いてやる」
「ですから、承知いたしましたと申し上げました。婚約の解消自体に異論はございません」
エリーゼがほっと胸をなで下ろす。
ギルベルトとマリアの間に流れていた緊迫した空気から解放されたかのように、
これで終わりと、誰もが思った。
「ただし――」
マリアが凜とした声を張り上げ、続けた。
「殿下がおっしゃった理由については、承服いたしかねます」
「何だと?」
「婚約を解消することと、わたくしに非があるということは別の話でございましょう?」
ギルベルトは睨みつけるように目を細め、声音から温度が消える。
「おまえは、エリーゼを嘘つき呼ばわりするつもりか」
「いいえ」
マリアは、どこまでも穏やかに、そして優美に微笑んだ。
あまりにも場違いなほど美しい微笑みに、周囲が一瞬静まり返る。
「婚約解消には同意すると申し上げましたが、身に覚えのない罪まで引き受けるとは申しておりません」
「では、どうするつもりだ」
「簡単なことでございます」
マリアは静かに答えた。
「契約に従いましょう」
多くの卒業生が何のことか分からず互いに顔を見合わせる中、一部の上級貴族だけが、その意味に気づいたように表情を強張らせた。
王家と上級貴族の婚約は、単なる口約束ではなく、正式な契約である。そして、正式な契約となれば契約書には今なお、建国時代から残る一文が必ずあった。
双方の名誉に関する主張が相容れぬ場合、決闘によってその帰趨を定めることを認める。勝者の主張を正とし、敗者はこれに異を唱えない。
法も裁判所も十分に整っていなかった、建国当初の名残であり、今では滅多に使われない。だが、条文は今もなお生きている。
「まさか……」
誰かが呟いた。
マリアはドレスの裾を摘まみ、優雅に一礼した。
「ギルベルト殿下」
顔を上げた、その瞳の奥に、獣のような鋭い光が宿る。
「決闘を申し込みます」
大広間がどよめいた。
もっとも、この時点では驚きよりも好奇の色の方が強かった。
今でこそ滅多に見られなくなったが、この国の歴史を振り返れば、決闘そのものは貴賤を問わず珍しいものではない。そして決闘を申し込んだからといって、必ずしも本人が戦わなければならないわけでもなかった。
老人や病人。
そして、武器を取ることを求められない貴族女性。
そうした者が決闘の当事者となった場合には、代理人を立てることが当然のように認められている。結果は本人が戦った場合と同じく扱われるが、むしろ代理人を認めることこそが、フェアな決闘であると考えられていた。
したがって、この場にいる者たちの関心はただ一つ。
マリアが、誰を代理人に選ぶのか。
その一点に集まっていた。
「辺境伯家なら腕の立つ騎士くらいいるだろう」
「誰を立てるんだ?」
しばしの間、そんな声で広間がざわつく。
ギルベルトも同じように考えたらしい。
王太子としての余裕を崩さず、鷹揚に頷いた。
「いいだろう。それで、誰を代理人に立てる?」
マリアがわずかに首を傾げた。
「代理人?」
「ああ。辺境伯家の騎士でも呼ぶのだろう?」
「いいえ」
「……何?」
マリアはごく当然のことを告げるように答えた。
「わたくしが出ます」
今度こそ、ざわついていた大広間が水を打ったように静まり返った。
「おまえが?」
「ええ」
エリーゼが、たまらず息を呑んだ。
「マリア様、ご無理をなさらない方が……」
ギルベルトも眉をひそめる。
「マリア。これは射撃競技ではない。正式な決闘だぞ」
「存じておりますわ」
「今からでも代理を立てろ。君を撃つつもりはない」
「まあ」
マリアが笑うが、瞳の奥は決して笑ってはいない。
「お優しいこと」
「……好きにしろ」
ギルベルトは不愉快そうに吐き捨てた。
だが、彼の判断そのものは決して無謀ではなかった。
王族として幼少期から射撃訓練を受け、騎士団の教官からも、そこらの騎士では歯が立たないと評されるほどの腕を持っている。
マリアが、南北を貫く長大な山脈の向こう、西部辺境の出身であることも知っていた。ゴールドラッシュに沸く西部辺境は魔獣も多く、王都に比べれば治安も悪いと聞いている。
ならば、女性であっても護身用の銃くらいは扱うのだろう。
まして辺境伯令嬢ともなれば、多少の射撃訓練を受けていても不思議ではない。
そこまで考えた上でなお、ギルベルトには自分が負ける理由が思いつかなかった。
◇
決闘は王宮の中庭で行われることになった。
卒業生たちが周囲を取り囲む。
王宮警備の兵士たちも、何事かと遠巻きに様子を見ていた。
さすがにまずいと思ったのか、現場の責任者が最も若い兵士に命じる。
兵士は上への報告のため、城の奥へと走っていった。
一方、見届け人には、ギルベルトとマリア双方の同意のもと、北方ノルト伯爵家の令息オスカーが選ばれた。
王太子の取り巻きでもなく、マリアとも家同士で親しい付き合いがあるわけではない。この場では、最も中立に近い人物だった。
オスカーは二人の間に立つと、少し困ったようにマリアを見る。
「マリア嬢」
「はい?」
「……本当に、よろしいのですか?」
声は小さい。
ただ純粋に、彼女を心配しているのだろう。
真摯な目でマリアを見つめている。
マリアは少しだけ表情を柔らげた。
「ありがとうございます、オスカー様。ですが、ご心配には及びませんわ」
オスカーはしばらくマリアを見つめていたが、やがて諦めたように小さく息を吐いた。
「……承知しました」
これ以上言葉を重ねるのは、決闘の作法としても無粋だろう。
オスカーは、それ以上何も言わなかった。
ほどなくして、マリアの従者が中庭へやってきた。
その手にしているものを見て、何人かが吹き出した。
使い込まれた鈍色のテンガロンハット。
すすけた灰色のポンチョ。
その縁を走る細い銀糸だけが、王宮の灯りを受けて鈍く輝いている。
そして、一本の幅広いガンベルト。
左右に一つずつ、ホルスターが付いていた。
マリアはドレスの上からガンベルトを腰へ巻く。
一挺。
そして、もう一挺。
二挺のマジックガンが左右のホルスターに収まった。
灰色のポンチョを肩へ掛けたあと、髪を留めていた飾りを外す。
束ねられていた銀の髪が、さらりと背中へ流れ落ちた。
最後にテンガロンハットを少し深めにかぶった。
その姿に、何人かが小馬鹿にしたように笑う。
「なんだ、あの格好」
「辺境の仮装か?」
「二挺も持ってどうするんだ」
ギルベルトもマリアの左右にぶら下がる二丁のマジックガンに目をやった。
「二挺使うつもりか?」
「いいえ?」
マリアはさも当然のように首を振り、ギルベルトの疑問を否定した。
「では、なぜ二挺も?」
「左右に一本ずつ下げた方が、バランスがよろしいでしょう?」
「……は?」
あまりにも平然とした答えに、ギルベルトは呆気にとられた。
そんな彼をよそに、マリアは右腰の一挺を二、三度軽く叩く
「殿下お一人でしたら、こちらだけで十分ですわ」
一瞬の静寂。
やがて、周囲から失笑が漏れた。
ギルベルトもまた、鼻で笑う。
「随分と舐められたものだな」
「まあ、そのようなつもりでは――」
いいながら、マリアはにこりと微笑んだ。
虫も殺せぬような、可憐な少女のような笑顔だった。
「――ただの手加減ですわ」
「……!」
今度は「おいおい」と声が上がる。
ギルベルトはかっと顔を赤らめ、今にも怒鳴りかかりそうな顔でマリアを睨みつけた。
しかし、様子を見ていた王宮警備兵の一人だけが、笑っていなかった。
まだ三十にも届かない若い兵士だった。
数年前、修練のため三年間、西部辺境の守備隊に派遣されている。
二挺のマジックガン。
鈍色のテンガロンハット。
すすけた灰色に銀縁のポンチョ。
兵士の表情が変わった。
「……まさかな」
隣にいた後輩が聞き返す。
「どうしました、先輩?」
「いや……二丁拳銃にハットとポンチョ。そんなはずは……」
「何がです?」
「いい。なんでもない」
答えながらも、マリアから目を離せなかった。
ギルベルトが位置につく。
足を肩幅ほどに開き、重心をわずかに前へ。
いつでも銃を正面へ上げられる、王都で教えられる正統な射撃姿勢だった。
対するマリア。
左足を半歩だけ前へ出し、上体をわずかに後ろへ引く。
右肩を落とし、右手は、だらりとホルスターの脇へ垂らした。
やや顔をうつむかせ、正面から見ると表情がうかがえない。
唯一見える口元だけが、薄く笑っているようにも見えた。
それを見た瞬間、ギルベルトが吹き出す。
「……何だ、それは」
「何か?」
「本当に、その姿勢で私と撃ち合うつもりなのか?」
「ええ」
「腰が引けている。重心も後ろだ」
もはや笑いを隠そうともしない。
「それではまともに狙えまい。撃った反動にも耐えられないだろう」
周囲にも笑いが広がる。
「確かにひどいな」
「撃つ前から逃げ腰じゃないか」
「やっぱり女には無理なんじゃ……」
ギルベルトは肩をすくめた。
「西部ではそんなものを射撃姿勢と呼ぶのか?」
マリアは何も答えない。
「マリア。悪いことは言わない」
ギルベルトは侮っているのか、余裕の笑みすら浮かべた。
「まだ間に合う。代理を立てろ。辺境伯家なら、腕の立つ騎士くらいいるだろう。今なら笑い話で済ませてやる」
「結構ですわ」
「強情だな。西部育ちだから多少は銃を扱えるのだろうが、それと決闘は別物だぞ」
「そうでしょうか」
「そうだ。私は幼い頃から正式な射撃訓練を受けている。君が何を勘違いしているのか知らないが――おまえには無理だ」
饒舌なギルベルトとは対照的に、マリアは言葉少なに応じた。
身じろぎ一つせず、ただ静かに、右手をホルスターの脇へ垂らしたまま、そのときを待つ。
「……あの構えまで」
西部帰りの兵士が呟いた。
「先輩?」
「いや……まさかな。でも、たなびく銀髪に、あの独特構えは確かに……」
しかし先ほどよりも、声はずっと低かった。
兵士の呟きをよそに、見届け人のオスカーが決闘者二人に確認する。
「双方、用意は?」
「ああ、いけるぞ」
「いつでも」
オスカーはおもむろにポケットから銀貨を一枚取り出し、眼前に掲げる。
「この銀貨を投げます。地面に落ちた瞬間を開始とします」
二人が頷く。
周りは、誰一人音を立てず、固唾を飲んで二人を見つめる。
銀貨が親指で弾き上げられた。
月明かりを受け、くるくると宙を舞った。
一度。
二度。
三度。
そして――。
チャリン。
乾いた音。
刹那。
パンッ!
魔力が弾けた。
何が起きたのか理解できた者は、ほとんどいなかった。
ギルベルトの右手から、マジックガンが消え、数歩離れた石畳の上を、金属音を立てて転がっていく。
「……え?」
ギルベルトが、空になった右手を見る。
マリアはいつの間にか右手に銃を握っていた。
だが、その腕は胸の高さまで上がってすらいない。
腰の前。
そこから撃ったのだ。
銃口から、細い魔力の煙が漂っている。
ふわりと舞い上がった長い銀髪が、静かに肩へ落ちた。
「……嘘だろ。間違いない。奴だ」
西部帰りの兵士が呟いた。
後輩が振り向く。
「先輩?」
だが、その先を聞くより早く、オスカーの声が静寂の中に響いた。
「……勝者」
落ちた銀貨と、石畳に転がるギルベルトの銃を確認する。
そして、二人へ視線を戻した。
「マリア・ウェストリア嬢」
その瞬間、喝采が爆発する。
マリアは何事もなかったように銃口を下げた。
「これで、よろしいですわね。殿下」
「待て! マリア・ウェストリア」
叫んだのはギルベルトではなかった。
王太子の側近の一人だ。
「貴様、殿下に何をした!」
「決闘ですが?」
「黙れ! 何か卑怯な手を使ったに違いない」
三人の側近が、腰のマジックガンへ手を伸ばした。
つい先ほどまで学生だった彼らも、今日からは成人した貴族の男である。
腰の一挺は、その証。
護身のために持つことを許された銃だった。
だが、持っていることと、抜いていいこととは話が別だ。
オスカーが顔色を変える。
「やめろ! 決闘は終わっている!」
三人の手が銃に触れた、その瞬間。
マリアの左手が閃いた。
バババンッ!
三発の銃声が、ほとんど一つに重なった。
一人目のマジックガンが宙を舞う。
二人目の足元で石畳が爆ぜ、男は悲鳴を上げて後ろへ転がった。
三人目が銃を抜くより早く、腰のバックルが弾け飛ぶ。
「うわっ!」
ガンベルトごとマジックガンが石畳へ落ちた。
三人が何をされたのか理解した時には、もう終わっていた。
マリアは、右手のマジックガンを腰だめに構えたまま、一歩も動いていない。
「……なんですか、今の」
後輩兵士が呆然と呟く。
「ファニングだ」
「ファニング?」
「撃鉄を掌で弾くように起こして連射する。西部の撃ち方だ」
「そんな撃ち方があるんですか?」
「ああ、西部の荒くれ者たちの間じゃ、大して珍しくもねえ撃ち方だ。だが、あんな速度で三つの別々の標的を撃てる奴なんざ、そうはお目にかかれない」
後輩はごくりと、唾を飲み込む。
先輩兵士は、もはやマリアから目を離せなかった。
そのとき、決闘前に駆けていった若い兵士に連れられて、中庭の外から、王宮警備の騎士たちが駆け込んでくる。
銃声につられたのか、軍用のライフル型マジックガンを構えている騎士もいる。
一般の警備兵が持つ拳銃型とは威力も射程も段違いだ。
「何事だ!」
「武器を下ろせ!」
十人。さらにその後ろから数人。
だが、中庭へ踏み込んだ騎士たちは、すぐに構えていた銃口を下げた。
石畳に落ちた一枚の銀貨。
離れた場所に転がる王太子のマジックガン。
二人の間に立つ見届け人。
そして、すでに勝者を宣言したオスカー。
事情を察するには十分だった。
「……決闘か?」
「もう終わっているのか?」
騎士たちの間に困惑が走る。
正式な決闘への介入は、建国以来の禁忌に近い。
まして勝敗が決した後であれば、王宮警備の騎士であろうと、勝者へ銃を向ける理由はない。
ただし、その勝者の周囲には三人の男が転がり、女が一人、まだ抜き身のマジックガンを持っている。
騎士たちは動くに動けなかった。
マリアが彼らを見る。
困ったように微笑みながら、その瞳にはどこか恍惚とした、危うい光を宿している。
「まあ」
右手には、まだ一挺のマジックガン。
もう一挺は左腰のホルスターに収まったままだ。
マリアの左手が、ゆっくりとそのグリップへ掛かった。
「まだ人数を増やされますの?」
騎士たちの表情が強張る。
誰もがその場に縫い付けられたように、一歩も動けない。
マリアの紅を差した艶やかな唇の両端が、吊り上がるように深く弧を描いた。
「これだけいらっしゃるのでしたら――」
銀縁のポンチョが夜風に揺れる。
「わたくしも二丁使わせていただいてよろしいのかしら?」
西部帰りの兵士の顔色が変わった。
「やべえ。おい、下がれ」
「先輩?」
「二挺目を抜かせるな」
「でも――」
「いいから下がれ。あれを抜いたら、誰にも止められねえ」
その時だった。
「取り押さえろ!」
張り詰めた空気の中ギルベルトの叫び声が響いた。
騎士たちが一斉に王太子を見る。
ギルベルトは石畳に転がった自分の銃を睨みつけ、顔を醜く歪めていた。
「この女を取り押さえろ! 王太子である私への狼藉だ!」
オスカーが信じられない様子で目を見開く。
「殿下! 決闘はすでに終了しています! 勝者はマリア嬢です!」
「黙れ!」
「しかし――」
「私は王太子だ!」
ギルベルトがゆがんだ顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
「命令が聞けないのか!」
それでも騎士たちは動けなかった。
隊長格であろう、一人が、ためらいながらも口を開く。
「しかし殿下……見るからにこれは正式な決闘です。すでに勝敗も決しております」
「私が取り押さえろと言っているんだ! 王太子の命令に貴様らは逆らうのか」
王太子の命令。
だが、それに従えば決闘の結果を自ら踏みにじることになる。
逃れようのないジレンマに、騎士たちの間で動揺が走った。
ライフルを完全に構える者はいない。
ただ、どの騎士も名誉と忠誠の間で板挟みになり、王太子とマリアの間を視線が泳ぐばかりだった。
マリアの左手が、ゆるりと二挺目のグリップを握る。
「そこまでだ!」
中庭全体に、深く威厳のある声が響いた。
全員の動きが止まり、一斉に声のした方を振り向く。
その姿を認めた途端、誰もが安堵したように緊張を緩めた。
ただ一人、マリアだけはちらりと国王へ視線を向けただけだった。
左手は二挺目のグリップに掛けたまま、構えも、纏う緊張も一切崩さない。
王宮から数人の近衛を従え、一人の男が歩いてくる。
「父上……」
ギルベルトが呆然と呟いた。
グレーナード王国国王、その人である。
卒業生だけの舞踏会とあって、当然ながら国王は出席していなかった。
だが、さすがにこれだけ銃声が響けば、騒ぎは王宮の奥まで届く。
国王は石畳に転がった銃。
尻餅をつく王太子側近たち。
ライフルを構えきれずにいる騎士たち。
そして灰色のポンチョをまとったマリアを順に見た。
「見届け人は誰だ」
オスカーが一歩前へ出る。
「私でございます、陛下。ノルト伯爵家のオスカーにございます」
「何があった。包み隠さず申せ」
「王太子殿下が、マリア・ウェストリア嬢へ、婚約破棄を宣言いたしました。マリア嬢は婚約破棄については了承したものの、自身に非があるとの破棄理由については同意せず決闘となりました。結果はマリア嬢の勝利です。ノルト家の名誉にかけて、疑いようもございません」
「決闘の終了後は?」
オスカーは一瞬だけ、ためらうようにギルベルトを見る。
「殿下の側近三名がマリア嬢へ武器を向けました。その後、殿下は王宮警備の騎士たちへ、マリア嬢を取り押さえるよう命じられました」
国王の目が鋭くなる。
「ギルベルト」
「父上、しかし――」
「黙れ」
短い一言だった。
「お前は決闘を受けたのか」
「……はい」
「敗れたのか」
「……はい」
「ならば決着は済んでいる」
国王はゆっくりと、確認するように周囲を見回した。
「勝者はマリア嬢。よって、マリア嬢に非があるとの主張は退ける。婚約破棄については、勝者であるマリア嬢の主張を採用する。さて――」
中庭全体へ響き渡る声で高らかに宣言すると、国王は硬かった表情をわずかに緩め、マリアへ語りかけた。
「――マリア嬢、そろそろ銃を収めてもらえると助かる」
そこでようやく、マリアが構えを解き、軽く笑みを見せる。
「陛下のお言葉でしたら」
右手のマジックガンをくるりと回し、ホルスターへ収める。それと同時に左手を二挺目のグリップから離し、国王へ向き直った。
先ほどまで纏っていた妖しくも狂気じみた殺気は影も形もなく消え、そこに立っているのは、いつもの凜とした貴族令嬢だった。
貴族令嬢の手本といわんばかりの美しい所作で、ドレスの裾を摘まみ、国王へ恭しく一礼する。
「ご裁定、感謝いたします。陛下」
国王はマリアに鷹揚に頷いた。
「だが――」
国王の顔が再び険しくなり、視線がギルベルトへと戻る。
「こちらは別の話だ」
「父上……?」
「ギルベルトよ、この国を誰が建てたと思っている。わしの、そしておまえの祖先が、何者だったと思っている」
中庭が、しんと静まり返った。
「一挺の銃を手に荒野を平定した男だ」
国王の声は低く、重い。
「だからこそ我が国では、一度受けた決闘の結果は、身分の上下を問わず尊重されなければならんし、しなければならん。それが王族であろうともだ」
「……」
「わしは、おまえが決闘に負けたことを責めているのではない」
ギルベルトの顔が強張る。
「敗北を認めず、数を頼み、王太子の権威まで使って勝者を押さえようとした。その恥知らずな行いを責めている」
「父上、それは――」
「決闘を汚す者を、王太子の座に置いてはおけぬ」
今度こそ、ギルベルトの顔から血の気が引いた。
「今、この場をもって、お前を王太子位から解く」
「父上!」
「処分の詳細は後だ」
国王は切り捨てるように告げた。
ギルベルトは呆然としたまま、その場に崩れ落ちた。
◇
騒ぎがようやく収まり始めた頃。
「……先輩」
後輩兵士が小声で尋ねた。
「さっきの続き、教えてくださいよ? あの方を知ってるんでしょう?」
先輩兵士はしばらく黙っていたが、やがて、灰色のポンチョをまとったマリアを見ながら答える。
「俺が三年、西部にいたって話はしたことあったか?」
「ええ。修行で行ってたんですよね」
「あっちにはな、ガンスリンガーの決闘競技がある」
「知ってますよ。確か……」
「死者の王冠《Deadman’s Crown》」
言葉を奪うように告げた一言に、後輩の顔が引きつった。
「あれ、本当にあるんですか?」
「ある。俺は、たまたま、前回大会を見ることができた」
「治癒魔法があるのに、参加者の半分以上が死ぬって……」
「本当だ」
「それ、競技って呼んでいいんですか?」
「一応、西部じゃ競技ってことになってる」
先輩兵士は思い出したくもないとばかりに、両腕をさすった。
「頭や心臓を撃ち抜かれりゃ、治癒魔法だって間に合わねえ。それでも毎年、腕自慢が集まる。金のため、名誉のため、あるいはただ、自分が一番だと証明するためにな。あんなの命がいくつあっても足りやしねえ」
「……」
「前回、その大会を勝ち抜いた女がいた。西部じゃ前から名の知れた女でな。通称、銀鷹」
先輩兵士は遠くのマリアを見た。
「鈍色のテンガロンハットを目深にかぶって、スカーフで口元を覆ってたから、詳しい人相までは分からねえ。だけど、銀の髪をなびかせて、ぞっとするような鋭い目をしてたのは今でも覚えてるぜ」
そこで一度、言葉を切った。乾いた唇を、わずかに湿らせる。
「灰色のポンチョをまとい、腰には二挺のマジックガン。独特の構えから繰り出す早撃ちで、並み居る男どもを次々と倒していった。そうして最後には、優勝までかっさらいやがった。しかも――」
あの日の驚愕がよみがえる。
「あいつは、一人の死人も出さなかった」
「え?」
「今日と同じだ。早撃ち自慢どもが銃を抜ききるより先に、その銃だけを片っ端から弾き飛ばしやがった」
後輩が弾けるように振り返ってマリアを見る。
そこにいたのは、銀髪を夜風になびかせ、どこか楽しげに微笑む一人の令嬢だった。灰色のポンチョをまとっていてさえ、その姿はどう見ても可憐な貴族のお嬢様にしか見えない。
「まさか……」
後輩の口が半開きになる。
「西部最強……?」
「ああ。今の西部で一番、決闘を挑んじゃいけない相手だ」
「……あの辺境伯令嬢が?」
「だから俺も見間違いだと思ったんだよ。どこからどう見たって貴族のお嬢さんだろ? しかもとびっきり美人の」
先輩兵士は苦笑した。
「王太子殿下の婚約者がシルバーホークだなんて、誰が思う」
「でも……決闘競技の人なんですよね?」
「競技だけなら、まだ可愛いもんだ」
「え?」
「奴はもともと、名の知れた凄腕賞金稼ぎなんだよ」
マリアを見ていた後輩がぴしりと固まった。ギギギと、きしむ音でもするかのように、首を回して、先輩兵士を見る。
「西部の保安官事務所に行けば、手配書が山ほど貼ってある。DEAD OR ALIVE――生死問わずってやつだ」
「……はい」
「そんな凶悪な無法者どもを何人も豚箱にぶち込んでる。相手が何人いようがかまいやしねえ。得意の二丁拳銃で次々仕留めるんだってよ。生きて連れて帰った奴もいれば、そうじゃなかった奴もいる。数えだしたら両手両足の指使ったって足りねえ」
後輩兵士が、遠くで、今も石畳にうなだれているギルベルトを見る。
「じゃあ、さっきの決闘……」
「よく無傷で済んだよ。シルバーホークだからこその芸当だ」
先輩兵士は素直に言った。
「あの一発、俺が見たときと同じように、銃だけ狙ってくれたんだからな。しかも奴は左利きだ」
「マジっすか! じゃあ、殿下はずいぶんと手加減されてたんですねえ……」
「ああ」
先輩兵士は、本当におかしそうに顔をひしゃげて笑った。
「そういうことだ」
◇
「ギルベルト殿下」
呼びかけられ、床に這いつくばっているギルベルトが、恨めしそうに顔だけを上げた。そこには灰色のポンチョをまとったマリアが立っていた。
帽子のつばを指先で少し上げる。
「それでは殿下」
にこりと微笑んだ。
夜空を背に、紅を差した唇の両端が深く弧を描いた。
「殿下有責での婚約破棄ということで――今度こそ、異論はございませんわね?」
「……」
ギルベルトは憔悴しきっているのか、何も答えられなかったが、わずかに頭が上下に動く。
「よろしい」
マリアは満足そうに頷いた。
「では、補償については後日あらためて」
ギルベルトの肩が、この先を想像したのか、わずかに揺れた。
マリアはにこやかなまま続けた。
「ご安心くださいませ。王家には請求いたしませんわ」
ほんの一瞬、安堵したのかギルベルトの表情が緩んだ。
「殿下の私財を、軒並みいただくだけですもの」
「なっ……!」
慌てて顔を上げたギルベルトは、すがるような情けない表情を浮かべ、今にも泣き出しそうだった。
今夜初めて、マリアは心から楽しそうに笑った。
「それでは、ごきげんよう」
踵を返す。
すすけた灰色のポンチョが夜風に翻った。
雲間から差した月の光が、その縁を走る銀糸を一瞬、白く輝かせる。
その背を、もう誰も呼び止めようとはしなかった。
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