阿吽の誓い①
近頃の日本の夏は本気で人を殺そうとしているらしい。
ジリジリと焼けるような日差しに脳が茹だっていく。そもそも組織の制服が黒一色というのが正気とは思えない。黒いジャケットにパンツ、黒ネクタイに白シャツ。季節を問わず長袖。
まあ、殉職の多い仕事だから喪服と同義と言われれば合理的だとは思うけれど。
しかし暑すぎる。こんなに熱気がこもっていれば色々間違えると思うのだ。例えば猫とハグレモノを見間違えるとか。
ーーだから、許してくれないかな……隊長……。
梓はジャケットを脱いで深い溜息を吐き出すと、重い足取りで14番隊の執務室に足を向けた。
高専が夏休みに入っても、組織に休みはない。残業、休日返上当たり前の超ブラック企業だ。
もちろん、人命優先なのは分かっている。しかし休みがないのは如何なものか。
そしてそんな最悪の労働環境の中でも更に人員が少なく疲弊している14番隊では、執務室に珍しく滞在している隊長の貼り付けた笑顔が冴え渡っていた。
「これはどういう事かな?梓。俺は今日、6番隊の現地調査にお前を行かせたと思うんだけど。」
一見優しげな声色が執務室の温度を氷点下まで落としている。
梓は隊長机の前で正座をしながら冷汗で湿っていくシャツに一層の寒さを感じていた。
「なんで調査するだけで建物が壊れるの?ハグレモノいた?居なかったって報告書にあるんだけど。そもそもハグレモノが居ても建物壊して良いわけじゃないよね?」
淡々と紡がれていく疑問符は最早断定だ。
「何回目かな……お前にこの話をするの。……ねえ、何回目?」
コツリと近づいてきた足音に、梓は一も二もなく頭を下げた。俗に言う土下座である。
「わ、分かりません……!!すみません!!隊長!!!」
そんなの数えているわけがない。だからもう、ここは素直に謝るしかない。
しかしそれで許してくれるほど甘い人ではない事は経験上理解できていた。その証拠に、玲は梓の髪を掴むと無理やり顔を上げさせる。
広がる視界と、真正面から見据える無表情。眼鏡の奥の瞳は見えないが、その表情の無さに梓の顔から一瞬で血の気が引いた。
「次やったらお前のその使えない頭を潰すからな。」
低い低い声に梓は震えながら頷く事しか出来なかった。
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「それじゃあ僕も行ってくるから。梓、ちゃんと始末書書くんだよ。いいね?」
今日も今日とて穏やかな日差しが窓から降り注ぐ14番隊の執務室に、苦笑混じりの声が響く。14番隊の良心である清治の声だ。
その優しいながらも容赦のないひと言に梓は泣きながら頷いた。
因みに梓に始末書を命じた張本人は既に執務室から副隊長である柳瀬を連れて何処かへ行ってしまっている。
取り残された梓としては、一時の自由に喜べばいいのか、先延ばしにされた恐怖に震えればいいのか分からない。
清治が出て行った扉を眺めながらヘナヘナと膝をつくと泣き言を吐き出した。
「うう、隊長こえーよ……!!」
しかしそんな泣き声に差し伸べられたのは優しい手ではなく、更に梓を追い詰める容赦のない頭を叩く手だ。
「梓うるさい。お前が悪いんだろ、お前が。隊長が何回お前の器物破損の始末書作って頭下げに回ってると思ってるんだよ。」
「それはそうだけどよ……!!だって猫が!!……てか何回って何回!?俺、何回やってる!?」
「32回。」
「数えてんのかよ……。」
なんて細かいやつなんだろう。見上げた圭の濃い紫色の瞳には軽蔑の色しかなかった。
冷たい。相棒なのに。
「庇ってくれてもいいだろうよ……!」
「庇えないだろ、ここまで酷いと。毎回なんで壊すの?むしろここまで仕方ないねって笑ってくれた隊長の優しさに感謝しろよ。」
「それはさぁ、そうなんだけどさ……!!」
簡単に壊れるものは仕方がないじゃないか。圭なら分かってくれると思ったのに。
しかし玲に何度も頭を下げさせるのも気分がいいものでもない。だからといって、任務に集中していると忘れてしまう。
どうしたものかと頭を悩ませていると、事の成り行きを静かに見守っていた後輩たちと目が合った。
特に凪の方は小首を傾げて無邪気に笑いかけてくる。
「梓くん、大丈夫?」
優しい言葉に、梓の涙腺が弛んだ。これだよ、これ。これを求めていたのだ。
「凪〜〜!お前だけだよ俺の癒しは!!」
「でも玲ちゃんを困らせちゃダメだよ?」
「お前も俺の味方じゃないのかよ!?」
結局は玲の味方である凪に溜息を吐き出しながらも、その頭を軽く撫でてやった。
後輩は良いものだ。可愛いし、癒される。
それに玲に負担を掛けるのは梓としても余り気持ちがいいものではない。取り敢えず次からはなるべく派手に立ち回らないように気をつけよう。
そうひとつ決心してから、ふと顔を上げると苦笑気味の残夏と目が合った。凪よりも自己主張の乏しい残夏は基本的に声を掛けるまでは話しかけてこない。
しかし、梓としてはもっと気軽に声を掛けて欲しいと思っている。残夏も残夏で可愛い後輩なのだから。
梓は残夏に近づくと、凪にしたのと同じように頭を撫でた。そしてそのまま残夏の手元の問題集に目を向ける。
「?宿題……じゃないよな?」
梓たちが学生だった頃はこんなに分厚い問題集を出された事は無かった。
まさか更に勉学をと玲が追加したとも思えない。あの人は基本的に自由にしているのを尊ぶから。
そんな梓の様子に残夏は眉を下げるとこくりと頷いた。
「他にやる事がなくて……。柳瀬さんに貰ったんです。成績も悪かったので……。」
「だからって勉強ばかりじゃ息が詰まるだろ。遊びに行けばいいのに。」
圭も気になったのか声をかけてくる。しかしそれには凪の方が返事を返した。
「ぼくたち、玲ちゃんいないと外出できないんだ。玲ちゃん、今度遊びに行こうって言ってくれてるんだけど忙しそうだから。」
あっけらかんとした言葉とは裏腹な内容にはっと息を呑む。
そうだ、そうだった。
残夏も凪も要監視対象であるから、保護者である玲が居なければ外に出ることも出来ない。唯一、組織と高専内だけが彼らの自由の場所なのだ。
凪は去年までは玲が居なければ執務室で遊ぶか、別部隊に遊びに行ったりもしてたようだが、仮配属になった今年からはそう軽率な行動もできないのだろう。
残夏も要注意人物。学生らしい夏休みとはいかない。少しだけ言葉に詰まりながら、梓は圭に視線を送った。そうすれば意を汲んだのか、圭が眉を寄せる。
面倒だ、という顔に負けずにじっと見つめていれば、圭は観念したように息を吐き出した。
やはり話が分かるやつだ。梓は笑うと凪と残夏に向き合って口を開いた。
「んじゃ、今度俺らと任務行こーぜ。それだったら外出ても怒らんないだろ。俺と圭で隊長にお願いしてやるから。」
「え、ほんと!?」
「いいんですか?」
途端に嬉しそうに顔を輝かせる二人に、梓の頬もますます弛んでいく。
歳の割に素直な二人だ。可愛くて仕方がない。
梓は期待を持たせるように自分の胸を叩いてみせた。
「おう!夏休みだもんな!ついでに任務終わったら甘いもの食べて帰るか!」
「やったー!」
「ありがとうございます……!」
その余りにも嬉しそうな様子に圭も梓の隣で少しだけ口元を弛めた。
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それから数日後、圭と梓は無事に玲から凪と残夏を連れての任務の許可を得た。
条件としては、何かあったら必ず連絡すること。そして帰りに寄り道して帰って来いとの事らしい。
なんならお金まで預けてくれる始末。
しかも梓は昨日の件を不問にしてもらえたようだ。玲は相当、凪と残夏の事を気にしていたのだろう。
因みにそんな破格の条件を提示した玲は、ずっと何かの対応に追われているらしく今日も朝から忙しそうに何処かへと行ってしまった。
あの人は何よりもまず休んだ方がいいと思う。
そんな訳で明日、滅多にない14番隊だけの任務に凪と残夏も参加する手筈は整った。
そしてその前日である今日は何をするのかというとーー。
「特別授業の始まりだー!!」
そんな梓の掛け声に、凪と残夏はわっと歓声を上げた。任務の前日。
圭と梓は二人で考えて、後輩たちに特別な授業を実施することに決めた。まあ、授業と銘打っているが別に堅苦しいものは考えていない。出来れば二人とも楽しんでくれるといい。
そんな圭の心配には及ばず、二人は楽しげな表情を覗かせてくれた。それにほっと息を吐き出す。
梓の方もその笑顔に呼応するように声の大きさを上げた。
「明日の任務に向けて、今日は色々準備するからな!」
その言葉に凪と残夏の瞳が輝きだす。いや、まあ凪は見えないのだが。
それでもキラキラと形容詞を付けたくなるくらいには輝いて見える。あとは負けないくらいに梓の萌葱色の瞳も。
普段ならテンションの高さに辟易するところだが、今日くらいは大目に見てもいいだろう。
「よし、先ずは知識から。じゃあ凪。おさらいだ。霊力について簡単に説明!」
「はーい!えっと、霊力は自分の生命力を目に見える形で引き出す力の事です!」
意気揚々と答える凪の隣で、残夏がそわそわと緊張した顔を見せる。
当然次の質問は残夏に来るのだから身構えもするだろう。残夏は座学が苦手と言っていたが、本質的には物事を論理的に考えてから行動するタイプのようだ。
凪のように取り敢えず行動でないところを見るに、この二人は相性がいい。
「正解だ!じゃあ残夏!ここからは本題な。目に見えるって具体的にどんなものだと思う?」
「え?えーと……何かオーラ?みたいなのが出る、とか……。」
「おーっと、惜しいな。半分正解。でもそれだけじゃない。よく考えてみろ、オーラ出してるやつなんてそんなに見たことないだろ?」
梓の問いかけに残夏が少しだけ目を伏せて考え込む。確かにこの組織内でオーラを放ちながら彷徨いてる人間は早々居ない。
どころか、基本的には霊力を通常時に使用する事もない。まだ任務に行っていない残夏には難しい質問だろう。
しかし残夏は自分が見聞きしてきた少ない情報の中から何事かを思い出すようにゆっくりと思考を巡らせると、独り言のように呟いた。
「……何かの物質……あの時、隊長は……花びら?が舞ってたような……。」
「正解だ!すごいな残夏!」
梓の大声が響いて、残夏の髪がくしゃくしゃに掻き混ぜられる。それに残夏の頬が照れたように紅潮した。
ーーよく見てるものだな……。
圭も残夏の回答に少しだけ目を見張らせる。
残夏が玲の力を目の当たりにしたのは力を暴走させたあの時だけだ。それ以外では基本的に玲は霊力を使わないし、そもそも不在の方が多い。
気付かなければ一生気付かないようなもの。嬉しそうな残夏に目を細めてから梓は説明を続けた。
「霊力は現象。その多くが物質を形作る。勿論、残夏が言ったオーラみたいなのもあるけどな。まあ、それは置いといて……形作られるもの。それを、その霊力の『属性』と呼ぶんだ。」
「属性……。」
「ああ。隊長の花びらを見たんだろ?あれはあの人の属性。隊長は花の霊力を使うんだ。他にも水とか雷とか色々いるけど……属性が同じでも特色は個人で違う。皆んなオリジナル、または血族と同じ特色の属性を持つ。」
「?属性が同じでも特色は違うってどういうことですか?」
「そうだな……例えばだと、自然に働きかけて雷を発生させるやつもいれば、その場で放電するやつもいる。自然に干渉するか自分で作り出すかの違いな。つまり同じ属性でも発現の方法や作り出されるものが違うんだ。これが特色。……難しい?ああ、じゃあ人によって使い方は変わるって覚えとけばいい。似てるものはあっても、まったく一緒の能力なんてないって事だよ。人間と同じ。」
「なるほど……。」
神妙に頷く凪と残夏に笑って、梓が一度こちらに目配せしてきた。
そろそろ次のターンだ。圭も梓に頷いてから前に出る。同時に梓が下がるのを待って二人に目を向けた。そうすれば、二人ともこちらを真剣に見つめてくる。それに少し笑って圭は口を開いた。
「じゃあ、ここからは僕が引き継ぐよ。まずは二人の……というよりも残夏の霊力属性を確認する。」
「え。え……ど、どうやって?」
「目を瞑って。」
素直に目を瞑った残夏の両手を取って、圭は霊力を少量残夏に流し込んだ。
紫色の霊力が迸るのに、残夏の隣で凪が楽しげに身を乗り出す。梓が言っていたオーラのようなもの。霊力制御の応用版だ。
物質化してしまう霊力を態と物質化させず、純粋な力の奔流として肉体の強化や術式に使う、隊員たちにとっては基本的な使用方法。
今回はその力を使い、残夏の霊力の流れを少し調えた。残夏が自分の属性を掴みやすくするためのサポートである。
目を閉じたまま緊張している残夏に圭はそっと囁いた。
「何が見える?」
「……暗くて、何も……。」
「いいや、見えるはずだよ。よく見て。暗闇の中に、何か見えるだろう?」
圭の言葉に従って残夏が集中し始める。何かを探すように、時折目蓋の裏の眼球が動いた。
少しずつ、圭の両手に包まれた残夏の手に熱が集まってくる。
「……何か、見えます。……あれは……。」
「いい調子だね。残夏、それを掴むんだ。それがお前の霊力属性になる。」
残夏の手がますます熱を持ってきた。夏空色の霊力が溢れ、色を濃くしていく。
強い霊力だ。
しかし少しだけ混じる薄暗い色に、その全てが残夏のものではない事を理解する。その薄暗さに覆われることのないように圭は慎重に自身の霊力も薄く展開した。
その間にも、残夏の手はどんどん熱くなってくる。数瞬後、熱さに耐えられなくなって圭が手を離すのと、残夏が『掴んだ』という言葉と共に目を開けるのは同時だった。その瞳が呆然としたものから驚きに見開かれていく。
それもそのはず、圭が手を離した残夏の手のひらには小さな炎が浮かんでいたのだから。
まるでそこにある事を示すかのように揺れる炎に、夏空の瞳が陽炎のように揺らめいた。
「火……?」
「炎だ。うん、いいね。いい属性だよ。」
珍しいものではないけれど、単純に強い属性。素直な属性の少ない14番隊にあって、残夏の実直さを写し取ったような力。
少しの興奮を混ぜて声を上げれば、まだ放心状態の残夏が見上げてきた。
その顔が少しずつ達成感と期待に変わっていくのが眩しい。
「炎。」
「うん。うちじゃ珍しい力だし、主戦力としてもってこいだ。隊長も喜ぶよ。」
「隊長が……。」
ぽん、と肩に手を置くと残夏の頬にまた赤みが増してきた。
あの人はきっとどんな力でも喜んでくれるだろうけど、14番隊は戦力に直結するタイプが梓と隊長しかいない。
嬉々として色々と教えてくれるはずだ。
「すごいすごい!綺麗な炎だね、残夏くん!」
「わ、な、凪……!」
じっとしている事に耐えられなくなったのか、凪が興奮と共に残夏に抱きついた。その勢いに合わせて、残夏の手の炎も消える。
顕現も消失も一度コツを掴めば息をするのと変わらない。残夏もそのコツを掴んだのだろう。
そのまま二人が椅子から転げ落ちるのを見ながら、圭と梓は笑い声を上げた。
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「それじゃ、授業の続きな。ちょっと長いが、任務で危ない事にならない為だからあと少し頑張ろうな!」
「はい。」
授業も後半戦。まだまだ元気な二人を眺めながら、今度は梓に教師役を替わる。
窓の外はまだ陽が高く、照りつけるような太陽が地面を焦がし陽炎が立ち昇りそうだ。
「よしよし。では、お待ちかねの実践だ!これから二人には武器を選んでもらう!!」
高らかな声に、凪の顔が喜色に溢れ残夏の瞳が驚きに丸くなった。
まあ、それもそうだろう。急に武器なんて言われても驚くに決まっている。
特に残夏は組織の文化に慣れていない。案の定、残夏は困ったように首を傾げた。
「武器?」
「そう。ハグレモノと戦うのに必要なんだ。」
ハグレモノは霊的存在。しかし、それには元人間らしく実体がある。だから霊力のない一般人にも見えるし、襲われて被害が出る。
そんなハグレモノを倒すには、霊力だけが対抗手段ではない。ハグレモノは実体があるから、殺傷力の高い物理的な道具で倒すことができる。
だから武器が必要なのだ。ただし、ハグレモノにも階級があり、強くなれば普通の武器で倒すことは難しい。そこで霊力を使い、より戦闘を有利にしているというのが人間側のやり方だ。
勿論、身体能力的に物理戦闘が苦手な人間もいるから、術師もいるのだが。因みに圭は術師タイプである。
「残夏の霊力属性が炎だったからな。単純明快に強い力だ。術師向きの属性でもないし武器で戦うのがメインになるだろ。霊力は無尽蔵じゃねーからな。」
「でも、選ぶって……?」
「ああ。それは今から圭が連れて行ってくれるさ。技術部隊の10番隊にな!」
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード3(全4話)の始まりになります。
梓、圭、残夏、凪の日常に暫くお付き合いください。
次回更新は土曜日です!(19:30目安ですが前後する時はXでお知らせします!)
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