夕凪の庭③
泣いて泣いて、それでも泣いて、辺りはすっかり暗くなっていた。
ずっと隣で清治が凪を抱きしめてくれているのが嬉しくて悲しい。この場に玲がいないのが寂しい。残夏に知られたくなくて、自分で言わなきゃいけなかった事を伝えられなかったのが悔しかった。
ふと顔を上げれば空には星が輝いている。それが綺麗で一層泣けてしまった。
玲がくれた透視術式と霊力封じが込められたアイマスクはこういう時、外の世界を見せてくれるから余計に辛い。
凪が望んだ世界は綺麗で、だけどそれと同じくらい怖くて、そして凪は異質の中にあっても異質だったから。
だけど知ってしまったら手放せなくて。凪はあと何回逃げ続けるんだろう。
どうしたらいいんだろう。
ーー玲ちゃん……。
何時も答えをくれる玲は今いない。だから、凪は自分で考えないと。
残夏に、残夏に先ずは謝って、怖がらせてごめんって、ずっと黙っててごめんって伝えないと。
もしかしたら残夏は優しいから今まで通りにしてくれるのかもしれない。だけど怖い思いをずっとしてしまうのかも。
それは嫌だ。だけどまだ身体が動かなくて、勇気も出なくて。逃げているだけなんて、玲に言ったことを守れなくなってしまうのに。
その時だった。ふと、隣の清治の空気が揺れた。そのまま離れていくのに、驚いて顔を上げて、そして目の前いた残夏に息を呑む。
「凪。」
「残夏、くん……?」
掠れた声が喉から漏れる。凪の頭は真っ白で、よく分からない。
どうして残夏がここにいるんだろう。
そこまで考えてから、凪はハッとした。そうだ。言わなければいけない事があるんだ。
「ざ、残夏くん!ごめん!ごめんなさい……!ずっと隠してて、怖い思いさせて、ごめんなさい!」
凪は頭を下げた。必死だったし、少し逃げてもいた。残夏の顔を見ていると苦しかったから。
だから頭を下げて残夏の顔を見れないようにした。しかし、残夏は凪の思いとは裏腹に凪の手を握ってくれた。それに驚いて顔を上げる。
残夏の目は夜の闇の中でも昼間の青空みたいだった。
「残夏くん……?」
「凪。オレ、凪が初めてだ。初めての友達だ。」
凪はアイマスクの下で目を瞬かせる。凪も、残夏が初めての友達だった。残夏も同じだったなんて。
「凪のこと、楽さんに聞いた。辛かった事も、やってしまった悪い事も、全部。」
「あ……。」
残夏の言葉に凪の身体がまた震える。また逃げたくなって、だけど残夏の手が凪の手を握っているから逃げられない。
しかし、残夏は凪を責めるわけでもなく小さく微笑んだ。
「だけど、オレ凪の事好きだよ。一緒にいて楽しいし、優しくしてくれて嬉しかった。……楽さんに話を聞いても、その気持ちは変わらなかった。怖くもないよ。だって凪はそんな事しないって分かってるから。」
「でも……。」
「オレも化物だ。皆んなにそう言われたし、本当はここに来る前も言われてたんだ。でも、それでも凪はオレのこと受け入れてくれただろ。……嬉しかった。怖いかもしれないのに、逃げないで向き合ってくれたのが。凪がいるから楽しいし、オレはここで生きてみようって思えたんだ。だから、泣かないで。一緒にいようよ、凪。」
それはずっとーー。
「…………うん。」
ずっと欲しかった言葉に、返せるような洒落た言い回しなんて思いつかなかった。
だから凪はただ頷いて、そして残夏に抱きついた。
清治と楽が微笑ましそうにしていて、空には綺麗な月が昇っていた。
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夏の夕暮れは案外涼しい風が吹く。それを一身に浴びながら、凪はついこの間泣きじゃくったベンチに向かっていた。
お目当てはたったひとつ。ひょっこりと覗いた先にいる、細いシルエットに凪の心は浮き足だった。
玲が帰ってきたと聞いたのは、つい5分前のことだ。清治に聞いて執務室を飛び出してきた凪は玲がいる場所がなんとなく分かっていた。
こういう気持ちがいい時間は静かで落ち着けるあのベンチにいるはずだ。
その予想に反することなく見つけたお目当ての人物に凪は嬉しくなって駆け寄った。
「玲ちゃん!おかえり!」
「凪。」
ぱっと前に出れば、玲は珍しく眼鏡を外して煙草を吸っていた。
凪を認めると、柔らかく笑ってまだ長い煙草を消そうとする。それに慌てて凪は首を振った。
「煙草、大丈夫だよ。ぼく、玲ちゃんの煙草好き。」
「そう?……んー、じゃあ席変わろうか。そっちが風下だから。」
玲がベンチの反対側に移動して隣を軽く叩く。それに凪は素直に腰掛けると、暫くじっくりと玲が煙草を吸う横顔を見つめた。
凪の天使様。相変わらず綺麗でカッコよくて優しくて。世界一の隊長さん。そんな玲に凪はどれだけ愛情を注いで貰ったかちゃんと分かっている。
なんて事を考えていると、玲は急にくすくすと笑い始めた。どうしたのかと首を傾げれば、玲が煙草を持つ手とは反対の手で頭を撫でてくれる。
「そんなに見つめられると照れちゃうかな。」
悪戯っぽい言い方に凪は途端に恥ずかしくなってしまった。高校生にもなって子供っぽ過ぎたかもしれない。
でも正直に言ってしまおう。今日は玲と話したくてここまで来たのだから。
「あのね、昔のことを思い出してたんだよ。」
「昔?」
「うん。玲ちゃんが助けてくれてからの事。……玲ちゃん。残夏くんがね、ぼくを怖くないって言ってくれたんだ。」
もしかしたらもう話は全部聞いているのかもしれない。それでも、凪は自分の言葉で玲に伝えたかった。玲に、聞いて欲しかった。
「あのね、ぼく……あの日玲ちゃんを選んで良かったって思うよ。外の世界は玲ちゃんが言ったみたいに不自由で怖かったけど……諦めないで良かった。ぼく、今すごく楽しくて幸せなんだ。」
玲は最後まで口を挟まないで凪の話を聞いてくれた。最後のひと息を吸い込んで、煙草は携帯灰皿に消えていく。
向き合った瞳は残夏のものよりも薄くて、それなのに晴れた日の水のようにキラキラと輝いて見えた。
玲は笑うと、そっと目を伏せる。凪の好きな一等優しい表情だ。
「そう。」
その響きに凪は玲に抱きついた。
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「君のこれからの人生は厳しいものになるかもしれない。」
ぼくを救ってくれた天使様、じゃなくて玲ちゃんは組織の部屋の一室に押し込められていたぼくにそう言った。
連れて来られた所でも、ぼくは危なかったみたいで、だけど平気だったのは玲ちゃんが側にいてくれたから。
そして今日。玲ちゃんはぼくの居場所を勝ち取ってくれたみたいだった。
「だから、願いを込めて。『凪』。君がこの先の日々を心安らかにいられるように。」
「『凪』?」
「そう。風が吹きやんだ穏やかな波のことだよ。……『蓮池凪』。それが今日から君の名前だ。」
ぼくの名前。初めてもらった、ぼくの名前。凪。蓮池凪。
玲ちゃんの大好きな睡蓮の池と、願いが込められた名前。それがぼく、蓮池凪。
その願いに包まれながら、ぼくは今日も生きていく。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
これにてエピソード2は終了になります。
凪というキャラクターについて、少しでも心に残るものがあれば嬉しいです。
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次回からはエピソード3です。
14番隊の日常、梓と圭の先輩ぶり、そして残夏の初任務が描かれます。
水曜日19:30更新予定です。
引き続きよろしくお願いします。




