夕凪の庭②
「それでボクのとこに来たんだねぇ。」
残夏は目の前で興味深そうに頷く派手な男に、こくりと小さく頷いた。
組織の人たちと同じ黒いスーツと黒いネクタイなのに違って見えるのは彼の雰囲気なのか、それともネクタイにつけられた星のリボンのネクタイピンのせいか。ふわふわと波打つ髪を揺らしながら、楽はにっかりと笑みを浮かべた。
「おーけー!教えてあげる。ほら、おいでおいで。」
腕を引かれて、やや強引に4番隊の執務室へと残夏は連れ込まれる。そこは14番隊の3倍は広くて、楽と同様に派手な人が多かった。
その中でも一際異彩を放つ、スキンヘッドの背の高い男が此方に視線を向ける。顔には濃い化粧が施されていて、黒いジャケットの下には派手なピンクの柄シャツだ。しかしそれは妙にその男に馴染んでいた。
「あらぁ……楽ちゃん。お客様?」
「そうです、隊長。ちょっと奥の部屋使わせてもらいますね〜。」
「いいわよ〜。うふふ、可愛い子じゃなぁい。」
独特な話し方と、わざと高められた声。それに驚いて残夏が目を向ければ、ばっちりウインクも投げられた。
隊長。あの人が、4番隊の隊長。目がチカチカする。自分の隊長が玲で良かったかもしれない、と残夏は初めて心の底から思った。
そのまま休憩室に連れていかれ、そこに並ぶ区切られた簡易的な部屋の多さに残夏は今度こそ目を回した。14番隊とはあまりにも違いすぎる。そんな残夏に笑うと、楽は歌うように言葉を紡いだ。
「ふっふーん。4番隊は個性派軍団で、情報の集まる場所だからね。お客様も多いんだよ〜。4番隊の名物は個室の休憩室!内緒話に最適だよ〜。ほらほら、入って!」
楽が開けた一番奥の扉の先は小ぢんまりとしていて、机と1人がけのソファが二つ並ぶ落ち着いた部屋だった。それに少しだけ胸を撫で下ろす。部屋まで派手だったらどうしようかと思っていたのだ。
そんな残夏に楽は簡単にお茶とお菓子を用意すると机に並べてくれる。勧められるままに口をつければ暖かい温度に気持ちが落ち着いてきた。そして楽はタイミングを見計らうと残夏に小さく笑みを向ける。
「それで?聞きたいのは凪の過去と『邪視』の事でいい?」
「はい。」
「おっけー。じゃあまずは『邪視』の事ね。」
楽は快活そうに頷くと、邪視について詳しく説明してくれた。
邪視とは、呪いの力なのだそうだ。先天性、後天性の差はあれど、その能力は等しく見つめた相手に呪いをかける事。
この力が強ければ強いほど、見つめられた相手には取り返しのつかない呪いが降りかかる。それこそ、見るだけで相手を殺せる力なのだそうだ。
「凪はね、生まれつきの邪視だよ。……ずっと、その能力のせいでハグレモノに捕まってたんだ。」
「ハグレモノに捕まるって……。」
「うん。……もう、5年くらいになるのかなぁ。」
楽の睫毛が瞳に影を落とす。何処か遠くを見つめるように、その黒曜石の瞳は思い出を遡っていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「凪。……こんな所にいた。」
清治は方々探し回って、ようやく人気のないベンチで膝を抱える凪を見つけた。高専から連絡が入り、ずっと探していたのだ。
色々と探して見つからなくて、玲のお気に入りのスポットを巡ること3つ目。そこで漸く見つけることができた。
凪は泣いていたのか、清治が声をかけると驚いたように肩を跳ねさせる。しかし顔を上げてもアイマスクのせいで涙は分からなかった。
「清治くん……。」
「ごめんね、探すのに苦労しちゃって。1人で寂しかったでしょ?」
凪の頭を軽く撫でて、清治は凪の隣に座り込んだ。事の顛末は武田から十分に聞いている。
それを聞いた上で、清治はかける言葉が思いつかなかった。だから、ただ隣に座った。そんな清治に凪は眉を下げると、また膝に顔を埋める。
「……ごめんなさい。」
「どうして謝るの?」
「だって……問題起こしちゃった。玲ちゃんに頑張るって言ったのに。」
最初に見つけた時と同じように小さく震え始めた凪に、清治はその背を撫でた。凪の言葉はとても重たいものだった。
「……玲は、怒ったりしないよ。」
「分かってる。玲ちゃん、きっとまた『いいよ』って言ってくれるんだ。でも……ぼく。……ぼくね、残夏くんにちゃんと言うつもりだったんだ。ちゃんと、自分の口で。なのに、間違えちゃった。もう、嫌われちゃったかな……。」
「……。」
残夏がどう思うのか、清治には分からない。だけど凪の覚悟がどれだけ苦しいものだったかは知っている。凪の頑張るという言葉がどれだけ重たいものだったか。
5年前のあの日、凪を初めて見つけたあの夜。それからずっと凪は自分の力と向き合って生きてきたのに。
「……玲ちゃん……。」
ぽつりと落ちた言葉に、清治は凪をそっと抱きしめた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ぼくが生まれたのはどこだったんだろう。覚えてないけれど、記憶の一番最初は真っ暗だった。光のない世界。それが、ぼくの世界。
それが当たり前だったから不自由はなかった。だけど、偶に見ることが出来る明るい世界は綺麗で。ぼくはいつもぼくの目を覆っている布が剥がされるのを待っていた。
布を剥がしてもらう時はいつも何かが目の前にいて、だけどぼくがその何かを見つめれば動かなくなる。不思議なおもちゃだった。おもちゃだって、ずっと思ってた。
それが人間だって分かったのは、偶々見た絵本のせい。いつものおもちゃが落とした、天使様の絵本。字は読めなかったけど、すごく綺麗な絵で、ぼくは初めてそれが欲しいってお願いした。
内容も教えてもらった。天使様と悪魔と人間の絵本。ぼくを育ててくれていた何かはどうせ布で覆われちゃうから見れないと嗤っていたけど、その本を抱いて眠れば天使様の夢が見れるみたいで嬉しかった。
でも、偶に布を剥がしてもらって、その絵本を見る少ない時間でぼくは段々と分かってしまった。ぼくがおもちゃだと思っていたのは、人間なんだって。
ぼくは、ぼくの目が怖くなった。だけど、ちゃんと『お仕事』をしなきゃお腹が空いちゃうから。天使様の絵本を取られちゃうから。ぼくは『お仕事』を続けた。悪いことだって分かってたのに。
そんな時だった。ぼくが天使様に会ったのは。
その日は大きな音がしてて、ぼくの目の布は珍しく剥がれてて、ぼくはずっとお部屋で絵本を見ていた。すごく大きい音がしたけれど、たまにそういうことはあるし、それよりも絵本を見ていることだけがぼくにとっては大事なことだったから。
その内、音は止んで。誰かの足音が響いて。そして。
「綺麗な絵本だね。」
耳に響いた初めて聞く綺麗な声に、ぼくは驚いて顔を上げたんだ。そして、息を呑んだ。だってそこに居たのは天使様だったから。
すごく綺麗だった。絵の天使様とは違って、髪は黒かったし羽根も生えてなかったけれど。でも、キラキラ光るガラス玉みたいな瞳が綺麗で。
ぼくは自分の目の怖さも忘れて、しばらく見つめてしまった。
「玲!邪視だ!」
だけど急に響いたその言葉に、はっとした。そうだ。ぼくの目。邪視が何か分からないけれど、ぼくの目を見ちゃダメだ。
ぼくは慌てて目を瞑って、天使様に叫んだんだ。
「だ、だめだよ……!ぼく、ぼくの目、危ないんだ!」
「ふふ、そう?ちゃんと見せて。」
天使様がどうしてかぼくの前にしゃがむ音がした。その背後から焦ったような大声も。
「おい玲!!」
「大丈夫、彰良。呪いは俺には効かないよ。」
よく分からなかったけれど、天使様は静かになるのを待ってからぼくの頬っぺたに手を当ててくれた。あったかかった。
大丈夫、という言葉に恐る恐る目を開ける。目の前にはやっぱり天使様の綺麗な顔があって、ぼくはまたその瞳の色に吸い込まれそうになった。
天使様が目を細めて小さく笑う。すごく、すごく綺麗な光景だった。
「綺麗な目だね。大丈夫。危なくないよ。」
「でも……。」
「俺は危なくないんだ。ね、嘘じゃないでしょ?」
本当だ。どれだけ見つめても、天使様は動かなくなったりしない。もしかして、天使様だからだろうか。
「……天使様?」
「え?」
「天使様だから、危なくないの?ぼく、ずっとお願いしてたんだ。天使様がぼくの目を治してくれますようにって。だから、来てくれたの?」
ぼくの言葉に天使様は少しだけ驚いた顔をして、それから楽しそうに笑った。そしてその優しい笑顔を今度は意地悪そうな笑顔に変える。
「天使様に見える?」
「違うの?じゃあ……悪魔?」
その答えにも天使様は楽しげに笑って、それからそっとぼくの頭を撫でてくれた。
「そうだね……君は、どっちがいい?」
「選べるの?」
「そう。選んでいいよ。君は3つの中から選べる。」
そう言うと、天使様は指を3本立てる。細くて白い指だった。
「ひとつ。願い事を叶える。君の目を治して、天使様の世界に行けるようにしてあげる。ふたつ。このまま俺の後ろのドアまで走って、皆んなを動けなくしてから悪魔として外の世界に出る。みっつ。人間の俺と一緒に、不自由だけど外の世界で生きていく。……さあ、どれがいい?」
ひとつずつ指が折られていくのを見ながら、ぼくは考えた。天使様は天使様じゃなくて、悪魔でもなくて人間で。だけどそれを選んでいいのはぼく自身で。
よく分からないけれど、目の前の天使様が天使様じゃないのなら、本物の天使様がいる世界はあんまり楽しくないのかも。悪魔にはなりたくない。
だから、だからぼくは。
「……ぼく、あなたと一緒に行きたい。不自由?ってよく分からないけど、一緒にいられたら嬉しい。」
「そう。」
そのひと言。たったひと言で玲は凪を外の世界に連れ出してくれた。生きる道を示してくれた。愛情を注いでくれた。あったかい手の温度を教えてくれた。
玲だけじゃない。清治も楽も彰良も東條も皆んな組織に引き取られた凪を慈しんでくれた。
だけど、外の世界は思ったよりも不自由で。組織の血縁者たちが通う中学校は、凪には辛い場所だった。友達もできなくて、毎日化物だと言われて無視されて。だから凪は中学校には行けなくなった。その時、玲と約束した。
「凪。人は好き?」
その問いは難しくて、だけど凪はいっぱい考えて答えを出した。
「……好きだよ。玲ちゃんも、彰良くんも、楽くんも、清治くんも、東條さんも皆んな大好き。中学校の人たちは怖いけど、でも嫌いじゃないよ。皆んなもぼくのこと、怖いんだと思うから。……怖いって、嫌いって事じゃないよね?」
凪の言葉に玲は優しく笑うと、凪の頭を撫でてくれた。優しい手が大好きだった。
「そうだよ。怖い事は嫌いっていう事じゃない。でも、怖いは時々それを錯覚させるんだ。……凪は、どうしたい?このままずっと俺たちとだけ関わって生きてもいい。凪に優しくしてくれる人たちの中で過ごしてもいいんだよ。だけどもし、凪が人が好きで、怖くても誰かと一緒に生きていきたいのなら……。」
「生きていきたいなら?」
「人と関わることを諦めない事だ。怖くても、逃げずに向き合う事。攻撃しない事。……人はね、怖がりだから。皆んな誰かと一緒にいたくて、でも逃げたり攻撃する事もある。その中で凪は強い立場にあるから、皆んな一等怖がるかもしれない。それでも逃げたり攻撃したりしないでちゃんと向き合っていくんだ。」
玲は笑っていたけれど、すごく真っ直ぐに凪を見つめてくれた。だから凪は、ちゃんと自分で決めたのだ。
「うん。ぼく、頑張る。」
「そう。」
玲の言葉は静かで。だけど暖かくて。だから凪は頑張ろうと思った。
中学は行けなくなったけど、高専でなら。どんなに嫌われてもいい。凪は諦めない。
そしてようやく残夏と出会えた。初めての友達。大好きな友達。
だけど、凪は、結局最後まで頑張れなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回は土曜日の19:30頃に投稿予定です。
よければ感想やブクマ、スタンプなど貰えると励みになります。
よろしくお願いします!




