温泉旅行①
この部屋は光源が少ない。
ここに来ると、東條の脳内にはそんな感想がいつも浮かぶ。
ゆらりと揺れる、行燈の明かり。窓のない閉め切った空間。広い間取りにあるのは、壇上に並ぶ四つの机と低い位置にある発言台だけ。
それ以外は闇を塗り固めたように視界が効かない。
東條は背後で閉まる扉の音を聞きながら、発言台へと足を乗せた。
「さて、司令官殿。先日はご苦労だったな。」
温度の低い声が響く。
東條は壇上に視線を向けることなく、軽く頭を下げた。どうせ今回の要件は分かっている。
「素晴らしい講習だった。14番隊隊長は十分に労ってやれ。」
「はい。」
形式だけの言葉を受け取り、少しの沈黙が辺りを包み込んだ。
ここからが本番だ。
相変わらず値踏みするような視線を受けながらも、東條は静かに待っていた。
「時に、司令官殿。14番隊隊長は随分と回復したようだな。信頼して良い、ということだね?」
「……。」
来た。これだ。
これが、今回呼ばれた理由。
先日開催された、隊長格主導の異例の特別講習。
どうやら玲は当たりだったらしい。
東條はそっと息を吸い込むと、ゆっくりと視線を上に向けた。
「……亜月は有用な男です。頭の回転が早く、実力も申し分ない。そして何より忠誠心は人一倍と言えるでしょう。」
「それは結構。司令官殿がそこまで言うなら信じよう。……ただし、手綱は握っておけ。知恵者は時に小賢しい知恵を回す。」
「……はい。」
頭を下げて、退出を伝える。
釘を刺してきたものの、確証はないらしい。残夏の件も今は気づいていないようだ。
それに少しばかり安堵の息を吐いてから、東條はふと振り返る。
視界に映る白い小さな四つの人影に、ひとつ瞬きを落とした。
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冬の澄んだ空が、木漏れ日の隙間から煌めく。
柔らかく落ちてくる金色の光に包まれながら、とろりとしたお湯にゆっくりと身体を預けた。
視界が湯気で霞む。
溜まっていた疲労が溶け出していくような感覚に、彰良は深く息を吐き出した。
玲が特別講習の講師の代わりに受け取った報酬は、三泊四日の温泉旅行だ。
しかもただの温泉旅行ではない。東條家の息がかかった高級老舗旅館への旅。
それは中々に贅を尽くしたものだった。
部屋は離れの一棟をすべて貸切。
外に広がるのは、雄大な森林が織りなす緑と、果てまで続くような青い海。
人里離れた場所だからか、都会の喧騒は聞こえず空気も良い。
周りに出掛けるような場所はないが、観光に来たわけでもなし。
旅館で過ごす時間は緩やかに流れて、日々の疲れを癒す。それが今回の目的なのだそうだ。
移動の新幹線の中で意気揚々と語っていた玲の話を思い出しながら、彰良は部屋に備え付けられた半露天の外に広がる竹林をぼんやりと見つめていた。
東條からもぎ取った報酬を、玲は彰良と楽と清治との旅行に引き換えた。
そこには特別な計略も何もなく「皆んなで行ってみたかったから」という純粋な希望に、話を聞いた時は正直呆れたものだ。
もっと自分のためになる事に使えばいいのに、と。
しかし多忙を極める玲が、こうして四日間だけでものんびりと気兼ねなく休めるのだから、もしかしたら思った以上に破格の条件だったのかもしれない。
それこそ休みの日でも緊急の連絡が来ることに、傍目から見ながら彰良は辟易していたのだ。
ただでさえ身体が強い訳でもない玲は、常に過労気味で、こんなにゆっくり出来たのは勤続してから初めてのことだった。
ーーとはいえ……。
彰良の隣で先程から喋りもせずに、玲は檜の風呂桶の縁に両手を枕にして頭を乗せていた。
まだ意識はあるようだが、瞬きがゆったりとしている様子に眠いのだろうと察する。
ここに来るために仕事を無理に詰め込んでいたから疲れたらしい。
玲は食事が苦手で、疲労を睡眠でしか回復できない。
だからといって、風呂で寝るのは流石にどうかと思う。
溺れたらどうするのだろう。玲は泳げないのに。
ーー残って良かったな……。
彰良はそっと溜息を吐き出した。
一棟丸々の貸切は、敷地内に石造りの露天風呂が何個かあるらしい。
楽と清治はそちらに行っており、彰良は玲と二人で部屋に残っている。
というのも玲が部屋から見える竹林の景色をいたく気に入ったらしく、こっちがいいと憚らなかったからだ。
かといって部屋の半露天は四人で入るには少々手狭なため、なんとなく不安だった彰良がこうして部屋に残ったという訳である。
当初はしゃいでいた玲は、彰良と二人っきりで気が緩んだのか、会話が途切れ、動きが緩慢になり、最終的にうとうとと夢の淵を漂い始めた。
折角の温泉だからと何も言わずにおいたが、そろそろ起こしてちゃんとベッドで寝かせるべきだろう。湯あたりしても困る。
彰良はそっと玲の肩を揺すると、なるべく静かな声を出した。
「……玲。寝るなら風呂あがれ。溺れるぞ。」
「……ん……うん……。」
「玲?」
「うん……。」
夢心地な、はっきりとしない返事が玲の口から漏れる。
その様子に彰良は溜息を吐き出した。どうやら少し遅かったらしい。
玲は安心できる場所だと一回眠ればなかなか起きない。
景色も温泉も気に入っていたようだし、周りに居るのは信頼をおいている人間ばかり。無防備にもなるだろう。
ーーいやでもこれはまずいな……。
このまま完全に寝落ちれば、裸の玲を彰良が風呂からあげて、拭いて、着替えさせることになる。
それはちょっと、いやかなり彰良の心臓によろしくない。
そもそも一緒に風呂に入るのも心臓に悪かったのだ。彰良は少しだけ玲を揺する力を強めた。
「玲。……玲、起きろ。」
「ん……う、」
薄い桜色の唇から、むずがるような声が漏れる。
それに眉を顰めながら、彰良は根気よく玲を揺すり起こした。
何度目かでうっすら目を開けた玲の寝ぼけ眼には、濃い眠気が漂っている。
「……なに?」
「風呂で寝るな。ちゃんと起きてベッドで寝ろよ。」
「……んー……?……ああ、そっかぁ……。」
玲はうんうんと何回か頷くと、のろのろと立ち上がって風呂から出始めた。
しかしその足元の危なかっしさに、彰良は自身の髪を掻き混ぜると後を追う。
適当に身体を拭いて、半分眠りながら浴衣を着る玲に彰良は溜息を吐き出すと、自分の着替えを手早く済ませ、脱衣所の椅子に玲を座らせた。
「ほら、髪乾かしてやるからもうちょい我慢してろ。」
「んー……。」
船を漕ぐ細い髪に、楽が見たら悲鳴を上げるだろう雑さでドライヤーをあてる。
玲はそれでも心地いいのか、途中で完全に眠りに落ちてしまった。
それにもう一度息を吐いて彰良はドライヤーを片付けると玲を抱き上げる。
相変わらず軽い身体は、温泉で温まったのを鑑みてもホコホコと暖かい。
ベッドに寝かせ、布団をかけてからほんのり紅潮している玲の頬に手をあてた。
ああ、やっぱり。熱がある。
ーーずっと眠たがってたもんな……。
玲の身体は、本来であればかなり気を遣うくらいには弱い。
普段特に何ともなく過ごしているのは、周りに気付かせにくい性格と我慢強さのためだ。
幼馴染である彰良でも注意深く見ていないと気が付けないレベルだが、今日は本当に気が緩んでいるのだろう。
少し苦しそうに息を吐き出す玲の頭を撫でながら溜息を吐いていると、部屋の外から話し声が近づいてきた。楽と清治だ。
「ただいまー!すっごいいいお湯だったよ〜!ね、清治!」
「そうだね。彰良と玲も後で行ったら良いよ。玲が好きそうな山茶花が咲いてたから。」
賑やかな様子で楽と清治が部屋に入ってくるのに、彰良は声を出さずに軽く手をあげる。
そうすれば目を丸くした二人は顔を見合わせると、口をつぐんで彰良たちの方に寄ってきた。
ベッドで眠っている玲を見つけて、楽が小さく首を傾げる。
「玲、もしかして熱出ちゃった?」
「みたいだな。こいつ風呂で寝てたんだよ。」
「最近も忙しかったからね……。僕、旅館の人に氷枕とか借りれないか聞いてこようか。」
囁くような声の楽に返事を返せば、清治が心配そうに眉を寄せながら提案してきた。
それに首を振って立ち上がる。
「いいよ。俺が行ってくる。お前らはこいつ見ててやって。」
「いや、彰良がそばにいた方が玲も安心するでしょ。ボクと清治で行ってくるよ。どうせあれでしょ?夕飯のこととか色々心配してんでしょ?」
「ん、まあ……。」
「いーよ。玲楽しみにしてたし、なんかいい感じにしてってお願いしてみるから。」
そのまま楽は、彰良の肩を押してもう一度座らせると、返事も待たずに清治を連れて部屋から出て行った。
あまりにも気が利いて助かるが、あいつらも少し休めばいいのに。
「……まあ、いいか。」
先程よりも熱が上がってきたのか、頬の赤みが増している玲の額に手を当てて、彰良は小さく微笑んだ。
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「隊長たち、今頃どうしてるかな……。」
週末の14番隊の執務室。
残夏は色素の薄い空を窓の外を見ながら、小さく呟いた。
今日残夏が珍しく遊びにも行かずに執務室にいるのは、再来週から学年最後の期末テストが待ち受けているからだ。
もちろん凪も残夏の向かいの席で、苦手な世界史と向き合っている。
「良いお宿ですから、きっとゆっくり休まれていますよ。」
残夏の呟きが聞こえたらしい柳瀬が、ゆったりと微笑む。
柔らかい笑顔に、残夏は目をぱちりと瞬かせた。
「柳瀬さんは行ったことがあるんですか?」
「はい。葵様の付き添いで、訪れた事がございます。」
「?」
そこでどうして東條が出てくるのだろう。
柳瀬は確かに東條と懇意にしているようだが、一緒に旅行までする仲なのだろうか。
でも付き添いって。
そんな残夏達の様子を見守っていた圭が、息を吐き出して口を開いた。
「残夏。柳瀬さんは、元々東條家の執事さんなんだよ。」
「え?」
「組織も引退してたところを、隊長が14番隊に就任する時に、東條司令官がサポートとして副隊長に任命したんだ。」
「ええ?」
副隊長って普通は隊長が任命するんじゃないんだろうか。
しかも引退している人を副隊長って。
圭の説明に余計混乱していると、話題の張本人である柳瀬が面白そうに笑った。
「……玲さんは東條家にいらっしゃったので、近しい方が良いと葵様が。あの頃はまだ、玲さんの実力も完全には知れ渡っておりませんでしたから。それに玲さんも喜んでくださって……感無量でございました。」
「なるほど……。」
細かい理屈は分からないが、どうやら東條から玲への配慮らしい。
あの人、案外身内に甘いというか玲に対して激甘だ。南宮の身内贔屓も凄いけれど、東條も大概だと思う。
普段は厳格に隠そうとしているところが、彼の人間らしさなのかもしれない。
もしくは、それだけ玲の最年少での隊長就任は大変だったという事か。
どちらにしろ組織の力学は残夏の想像を超えているらしい。
「玲さんは素晴らしい方です。この老体でお仕えするのは勿体無いほどのお方。だからこそ、誠心誠意お支えしようと思っております。ですので、先ずは。」
柳瀬はそう言うと、残夏の側に歩いてきた。
その仕草は優雅だが、どうにも有無を言わせない圧力がある。
「お二人がしっかりと進級出来るよう、この柳瀬、粉骨砕身でサポートをさせていただきます。良いですね、残夏さん。」
「は、はい……。」
少しばかりサボっていたのがバレていたらしい。
残夏は笑顔の柳瀬に気圧されながら、苦手な数学の教科書に意識を戻した。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード11-1完了です。
次回でエピソード11は終わりです。
のんびりとした四人の温泉旅行を楽しんでいただけたらと思います。
次回更新は3/14土曜日です!(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
水曜日はホワイトデーの短編を投稿予定です!
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