六花の灯①
年末特有の薄い陽光が窓から入り込んでいる。
司令部、司令官室。呼ばれなければ、おいそれと入れないその部屋では、コトっと木の触れる音と静かな会話が場を満たしていた。
「……組織内の腐食の件はどうなった?」
「南宮さんにお願いしています。まあ、隊員を疑うなどって怒られちゃいましたけど。」
「南宮らしいな。」
コト、とまたひとつ音が鳴る。玲が盤面に駒を置いた音だ。
共通の師から教わったチェスは東條と玲の趣味であり、コミュニケーションのひとつになっている。
「俺も聞いていいですか?」
「なんだ。」
「ハグレモノの能力向上現象について。」
「……。」
ほんの少しだけ指が止まりかけたのを東條は意識して動かした。
先日、五十箇所のマーキングなどというふざけた情報収集をして倒れた玲を、この件からは外している。もちろん、体調を考慮してという名目ではあるがそれ以上に関わらせたくない理由があった。
探るために一瞬だけ視線を上げる。しかし分厚いレンズが光を反射して、瞳は見えなかった。
「……お前に必要な情報は渡してある。この件からは手を引けと言ったはずだ。」
「あんなに頑張ったのに?」
「やり過ぎも問題だ。」
「ふふ、酷いなぁ。東條さん。」
くすくすと楽しそうな笑い声をあげながら、玲が黒のビショップを動かす。先程から東條が狙っている駒だ。
ふらふらと逃げ惑うのに、自然と眉が寄った。既にほぼ詰んでいるというのに、時間稼ぎのようで腹立たしい。
東條は自身の白の駒でビショップを追いかけると、苛立ちを霧散させるようにひとつ息を吐き出した。
「それよりお前、今年はどうする?」
「いつも通り過ごすつもりです。」
「そうか。ではまた三島家に届けさせる。」
「ありがとうございます。」
多少強引に話を切り替えても玲はどこ吹く風だ。
東條はそれにもう一度息を吐き出しながら、玲のビショップを追い詰めた。これで邪魔するものもいない。あと二ターンでチェックメイト。
というのに玲は焦りを見せることなく口を開いた。
「話は戻りますけど、ずっと貴方の為に粉骨砕身してきたのに信じてもらえませんか?」
「……信じる、信じないの問題ではない。私が判断しただけだ。」
「関係しているのに?」
「お前にはまだ関係ない。」
「そんな事ないでしょう?」
揶揄うような口調に苛々する。主導権を持っているのはこちらの筈なのに、落ち着かない。
早く終わらせたくなって、東條はまたひとつ駒を進めた。
しかし玲は緩く笑みを作って盤面を見つめると、淡々と言葉を紡いだ。
「榊さんの事なのに?」
穏やかに落ちた声に、一瞬息が詰まる。
どうして、その情報を。東條は与えていないはずだ。もしかしてハッタリだろうか。駆け引きのためのブラフかもしれない。
東條は動揺を隠すように言葉を絞り出した。
「……何を……馬鹿な事をーー、」
「はい、チェックメイト。」
そんな東條の言葉を遮るように、玲が笑う。
ことん、と置かれたポーンに東條は息を呑んだ。
いつの間に。ビショップと話に夢中で気がつかなかった。
二の句も継げずに呆然と盤面を見ていると、玲が立ち上がって軽く窓を開ける。楽しげな表情のまま、ポケットから取り出した煙草を軽く振ってみせた。
「吸っても?」
「……屋内は禁煙だ。」
「ふふ、まあそう言わずに。」
規律など気にも止めず、玲が煙草に火をつける。
途端に独特の甘い香りが鼻腔を擽ぐった。
師が生きていた頃、頻繁に燻っていた香り。昔を思い出させる、苦手な香りだ。
東條はその香りから逃げるように溜息を吐き出して窓の外に視線を向けた。
もうすぐ年の瀬を迎える風は冷たく、乾いている。
「東條さん、大局の判断は上手いのに目の前の事に集中すると色々見逃しますよね。」
「煩い。」
「貴方は情に流されやすい。……気を遣って貰わなくても大丈夫ですよ。命令には従います。」
静かな声に内心で息をこぼす。
分かってはいたが、いつもこうだ。優秀すぎるのも厄介。
東條は片手で自分の髪をかき混ぜると胡乱な目を玲に向けた。
「……誰を味方につけた?」
「ふふ、情報収集の上手なお爺ちゃんたちを。」
「北郷と松陰か……。」
古参の二人は幼い頃から玲を知っている。目をかけていることも、少し甘いのも承知済みだ。
特に松陰は十中八九面白がっている。
こちらの命令は反故にすることも多いのに、玲の頼みは聞くとは。頭が痛いとはこの事だ。
「あ、怒らないでくださいね。そもそもヒミズの件を追っていて、そっちに繋がったんですから。」
「……それも許可していない。」
「あんなに熱烈に求められて、当人が黙ってるなんて無理ですよ。」
「悪趣味め……。」
東條はこめかみを揉むと、深く息を吐き出す。
隊内の腐食、能力向上現象、ヒミズ。
どれも一朝一夕に片付く問題ではない。そしてそのどれもが無関係とも言い難いのも事実。
どうせ隠していたところでこの弟弟子は勝手に調べ上げるだろう。それよりも手の内に置いていた方が幾らか扱いやすい。
「……ヒミズの件は、私が整える。そして能力向上現象だが、まだ師匠が関わっているとは断定できない。」
「でも、写真が……。」
「あんなピンぼけで判断出来ないだろう。……確証は無い。それで良いなら情報を渡してやる。」
「ありがとうございます。」
「ただし……。」
ぱちりと視線が合った感覚に、東條は逸らさないようしっかりと玲を見つめた。
「ただし、調査までだ。それ以上は手を出すな。……お前には、小鳥遊の件もあるのだから。」
「……はい。」
困ったように眉を下げて笑う玲に、東條はもう何度目かも分からない溜息を吐く。
過労や心労を考慮すれば本当は関わらせたくないのだが。
ーーまあ、これが妥当か……。
湧き上がる兄弟子としての配慮に蓋をして、司令官として最善の判断を下さなければ。だけど。
「これでも譲歩だ。……お前の勝ちだからな。」
「ふふ、そうですね。ありがとうございます。」
東條は見事に王手を取られた盤面を見つめながらそっと息を吐き出した。
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「……年末年始、どうしよう……。」
季節は冬。
まだ初雪は見れていないが、氷点下を下回る気温が多くなり、芯から凍えそうな毎日。暖房のついた教室の窓は外気温との差で曇っている。
そんな暖かく守られた空間の中で、残夏は頭を抱えていた。
年末年始は組織全体が休みになると聞いたのはつい昨日。寮は開いているけれど、いつもお弁当や夕食を作ってくれる寮母がいない。
組織内の食堂も休みになるし、そもそも残夏は料理が作れない。
そんな中、一人寂しく年越しなんて嫌すぎる。
かといって、「うちに来る?」と言ってくれた玲の言に素直に甘えていいものか。
あの人、少し働き過ぎだから年末年始くらいちゃんと休んで欲しい。きっと残夏がいたら世話を焼くばかりで休まなそうだ。
どうしたものかと、うんうん唸っていると凪が近づいてきた。
「どうしたの?沸騰したヤカンみたいになってるよ?」
「凪……そんなだった?」
「うん!」
それはちょっと、だいぶ恥ずかしいかもしれない。
残夏は居住まいを正すと誤魔化すように咳をする。そんな残夏に対し、凪はにこにこと楽しそうだ。
ーーそういえば凪はどうするんだろう……。
残夏と同じで基本的には組織が帰る場所の凪は、毎年寮で過ごしているのだろうか。
「ぼく?ぼくは毎年、東條さんのところで年末は過ごすよ。」
「え?東條さんって、東條司令官?」
「うん。本当は玲ちゃんが一緒に過ごそうって言ってくれてたんだけど、それじゃあんまり休まないからって東條さんが。でも年始は東條家に挨拶に来た玲ちゃんと一緒に三島家に行って過ごしてたんだ。」
「なるほど……。」
どうやら東條と残夏の意見は同じらしい。やはり玲のところに身を寄せるのはやめておこう。
しかし凪と違って東條とあまり面識のない残夏は当然東條のところには行けないし、どうしたものか。
いっそカップ麺を買い込んでゲームに没頭するのも悪くないかもしれない。
ーーうん、それが良さそう。
お小遣いと称して、玲は結構な額を毎月くれているのでお金に困ることもないし、一週間くらいならなんとかなる。
ゲーム機は雄星に借りればいい。
母親が亡くなってからはずっと一人で過ごしていたのだから、今年も一人で問題ないだろう。
そう決意していると、凪が小首を傾げた。
「でもぼく、今年は東條さんとこ行かないよ。」
「え?なんで?」
「今年は残夏くんがいるもん。ね、嫌じゃなかったら一緒に年越ししようよ。コンビニでお菓子とかいっぱい買っておいてさ。ゲームするの。」
なんて魅力的な提案なのか。
目の前が明るくなる心地に、残夏は目を瞬かせた。
一人では寂しい年の瀬も、凪と一緒なら絶対に楽しい。一人ならRPGと思っていたが、二人ならゲームの幅も広がる。
残夏はそれまでの決意はどこへやら、凪の提案に一も二もなく飛びついた。
「やる!楽しそう!」
「わあ!やったー!」
嬉しそうな凪と顔を見合わせて笑い合う。そんな風に騒いでいたのだから自然目立っていたのだろう。
雄星や司も何事かと寄ってきた。
「え?お前ら寮に残んの?……えー、楽しそう。俺も残ろうかなぁ。」
「でも家族は?」
「そりゃ正月は戻んなきゃだけど、年末くらいはいいかなぁ。それに挨拶するだけで楽しくねーし。年末くらい楽しく過ごしたいじゃん?あとカップ麺はやめよーぜ。俺、ちょっとは料理作れるから鍋とかしよ。共用のキッチンも誰もいないと使いやすいだろ。」
「鍋……。」
最高だ。そんなの、最高すぎる。
沢山のお菓子と鍋とゲーム。これ以上ないほど楽しそう。流石雄星。
残夏と凪が目を輝かせるのに雄星も照れたように笑う。その横で司が胸を張った。
「ふん!僕は忙しいからな!……まあ、どうしてもというなら残ってやらんでもーー、」
「忙しいなら仕方ないか。」
「おい!誘え!!」
司の必死な声に笑い声が上がる。
今年はこの四人で年明けを迎えられるらしい。残夏は暖かくなる胸にそっと息を吐き出した。
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「師走」とはよく言ったもので、僧侶じゃなくとも年末締めの書類仕事は地獄のような有様だった。
特に殆どが良くも悪くも己のことにしか興味がない4番隊は、そりゃあもう目も覆いたくなる惨状だった。
そうこうするうちに十二月はマッハで過ぎ去り、気がつけば暮れに暮れた大晦日。
最早毎年恒例となった三島家での年越しに、楽は清治と共に訪れていた。
「やっほー、来たよ〜!」
「お邪魔します。」
長い石階段を登って、許可された人しか入ることの出来ない神域に足を踏み入れる。
とはいえ、あるものといえば彰良の家と睡蓮の池、そして山頂付近の裏山だけだ。
勝手知ったるままに玄関の戸を開けて声を掛ければ、靴を脱ぎ始めたあたりでパタパタと軽い足音が耳に響いた。
「あ、楽。清治。いらっしゃい。」
廊下の奥から駆けてきて、楽たちを認めるや否や柔らかく目尻を下げる玲に楽もまた目を細める。
良かった。顔色も悪くない。
和装が主な三島家に倣った着物姿は、数年前に彰良が贈ったものだったか。
裾にいくに連れて白から濃い青に変わる地に銀の睡蓮の花模様が玲によく似合っている。
眼福というものだ。
「玲、調子良さそうだね。これ、ケーキ買ってきたよ。」
「わ、駅前の美味しいとこのだ。開いてた?」
「今日の午前中までね。好きでしょ?ここのケーキ。」
「うん!ありがとう、清治。」
にこにこと嬉しそうな顔に、清治と視線で笑い合う。
玲は食事が苦手だ。そういう病気だ。
だけど甘いものは好きだから、少しだけ食べる量も多くなる。それから魚料理も。
だけど肉や生物は得意じゃない。
だから自然と四人で集まる時は玲の好みに合わせることが多くなった。玲はいつも楽たちに合わせてくれるから。
和やかな雰囲気の中、もうひとつの足音が響く。玲よりも重い音で現れた彰良は玲の背後から顔を覗かせると、いつもよりも幾分か柔らかい表情で口を開いた。
「おー、来たか。」
「彰良。清治と楽がケーキ買ってきてくれたよ。」
「良かったな。冷蔵庫……ちょっと整理しないと入んねーかも。」
「ふふ、パズルね。任せて。」
慎重に歩いていく玲の後ろ姿を見送って、彰良が楽たちに向き直る。
こちらも落ち着いた灰色の着流しだ。
「わざわざ悪かったな。」
「ううん。ご飯作って貰ってるからこれくらいね〜。玲の嬉しそうな顔も見れたし!」
実際、それが一番大きいかもしれない。
楽としては玲が喜ぶならなんでもしてやりたいし、そこに関しては清治と彰良も同意見だろう。
彰良は小さく笑うと、ひとつ頷いた。
「そうか。じゃあさっさと上がって風呂入ってこいよ。飯、もう出来てる。」
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード9-1完了です。
エピソード9は次で終わりになります。
年末編いかがでしょうか?
バトルはありませんが、彼らの年越しを楽しんでいただけたら嬉しいです。
次回更新は2/7土曜日です!(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします!)
水曜日は短編を投稿予定です!
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よろしくお願いします!




