番外編:星を灯す
幼い頃、母に絵本を読んでもらったことがある。
夜空の流れ星。願い事を三回心の中で唱えると叶えてくれるという。
でも母はこうも言った。
流れ星は早過ぎて、三回なんてとても無理だと。それは奇跡のようなものだと。
「ねえ、母さん。だったら試してみようよ。流れ星を探すの。オレはね、母さんがゆっくり休めますようにってお願いするんだ。」
「あらあら……いい子ね、残夏。でもごめんね。母さん、夜勤明けだから少しだけ眠りたいの。流れ星を探すのはまた今度にしようねぇ。」
「……うん。」
指切りした小指は乾燥してカサカサで。
酷く冷たくて。
結局約束が果たされることはなかった。
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数年に一度、星が降る夜があるという。それが今夜なのだとか。
「流星群?」
ちかりと星屑を散らしたような瞳が瞬く。
珍しく眼鏡を外して書類仕事に精を出していた玲は、残夏から受け取ったチラシにそっとまつ毛を伏せた。
残夏が流星群の話を聞いたのは昼休みのことだ。
事の発端は雄星の持ってきたチラシ。
毎日なにかしら面白い話題を持ってくる雄星は、手作りらしいチラシを片手に少し得意げな顔をしていた。
「……星が降る夜を見に行こう……?」
「そ。それ、都内のイベント。この近くでやっててさ、普段は天文サークルらしいんだけど、数年に一回流星群が出る時だけ一般人向けのイベントを開催してくれんだ。」
「へえ……。」
雄星から手渡された、ファンシーなイラストで溢れているチラシを繁々と眺める。
キラキラしたイベント名と、電車で少し行った場所の展望台。
それから今日の日付が大きく載っていた。
「わあ、楽しそう!」
「だろ?前、司と参加したんだけど良かったから今回も参加しようと思って。お前らもどうかなって。」
残夏の背後から覗き込んでいた凪が期待の声を上げる。
ぱたぱたと興奮したように腕を動かすのがくすぐったい。
その反応の良さに雄星も気をよくしたのか、嬉しそうに笑って誘い文句を口にした。
ーー流星群か……。
覚えているのは母親との幼い記憶。果たされなかった約束。
結局ひとりで家の窓から夜空を見上げ、だけどとうとう流れ星を見つけることはできなかった。
それが、こんな形で戻ってくるなんて。でも。
残夏はひとつの疑念に眉を下げた。
「楽しそうとは思うんだけど……これ、今夜なんだよね?」
「そう。門限越えるから許可はいるけど、お前らも外出できるようになったし許可もらえるんじゃねーの?」
「うーん……門限越えていいのかな……?」
なんせ残夏と凪は『要保護監視対象』だ。門限を越えると分かっていて許可を出すだろうか。
もちろん残夏だって行きたいとは思うのだが、あまり期待を持ちすぎるのも後がつらい。
言葉にすれば、雄星があからさまにがっかりした表情をした。
「あ、そっか……そうだよな。悪い。」
声音からも伝わってくる落ち込み具合に、なんだか焦ってしまう。
そんなにいいものなのか、流れ星。テレビで見たことあるけれど、ただ大気圏に塵が入り込んでくるだけじゃなかっただろうか。
心なしか背中の凪の体温も下がったような気がする。残夏が困っていると、正面から鶴の一声が響いた。
「聞いてみるだけ聞いてみたらどうだ?憶測で決めるのも早いだろう。」
司の冷静な声に、少しだけ霧が晴れる。
確かにまだ聞いてもいないのに悲観するのは早過ぎたかもしれない。折角の誘いなのだ。
残夏が流れ星に興味はないとしても、凪は楽しみにしている。聞いても損はないだろう。
「聞いてみようよ残夏くん!玲ちゃんなら許してくれるかも!」
「うん。……隊長、夕方から居ないって言ってたし、お昼休みの間に聞きに行こっか。」
残夏の言葉にぱあっと全員の顔が明るくなる。その様子に目を細めると、残夏は凪と共に立ち上がった。
早くしなければ昼休みが終わってしまう。
そして現在。
玲は残夏が手渡したチラシを面白そうに眺め、ひと通りの話を聞くと小さく頷いた。
「いいよ。行っておいで。ただし、帰りは寄り道しないで帰ってくる事。いいね?」
くす、と笑った顔と穏やかな声色になんだか頬が熱くなる。
許された喜び、というよりも玲の顔面力に圧倒されるような心地。
ーーというか、なんで眼鏡してないんだろう……。
いつもはどこに行こうときっちり眼鏡をつけているくせに。この人は顔を隠してくれていた方が、こちらとしては心臓に優しいのだが。
しかしそんな残夏の心境とは裏腹に、凪は何も気にしていないのか玲に飛びついた。
「ありがとう、玲ちゃん!」
「ふふ、楽しんでおいで。」
凪が離れるのを待って、玲の手がくしゃりと残夏と凪の頭を撫でてくれる。
残夏は更に熱くなった顔を隠すように慌てて頭を下げた。そして凪と顔を合わせる。
にこにこと嬉しそうな笑顔に残夏はほっと息を吐き出した。
良かった。雄星と司もきっと喜んでくれるはずだ。
ーー星は興味ないけど、多分楽しいよね。
残夏は浮かれたように駆け出した凪を追いかけながら、空を見上げた。
まだ太陽は高く、澄んだ青空が広がっていた。
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「今日は流星群が降るみたいなんです!!副隊長!!」
昼もだいぶ過ぎた頃。
遅めの昼休憩に食堂でひと心地ついていた彰良は、共に休憩していた部下の田中の話を無心で聞き流していた。
「ふーん。」
「な!!!?興味ないんですか!!?」
「うるせーよ、田中。」
毎度毎度、どこからその大声が出ているのか聞いてみたい。いや、そういえば聞いたことがあったかも。
もちろん腹からです!という言葉に辟易して溜息を吐いたのだったか。
せめて昼休憩くらい静かにしていて欲しい。
「星ですよ!?しかも流れ星!!気になりませんか!?」
「どうでもいいだろ、星なんて。」
「そんな……!?数年に一度なんですよ!!?」
「……星なんて毎日見てるだろうが。」
都会とはいえ、夜に空を見上げればいいだけであって。流れようが流れまいが何も変わらないだろう。
彰良は手元の冷めた緑茶を口にすると、目の前で力説している田中をよそに、ぼんやりと記憶を辿った。
ーー星、……星か。
確か幼い頃に一度見たことがあったかもしれない。
あれはまだ玲が三島家にいて、ハグレモノの存在なんて知らなくて、毎日が穏やかだった頃。
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その日、朝から彰良はバタバタと忙しくしていた。なんといっても今夜、流星群が降るとニュースで言っていたからだ。
流星群が何か分からなかったから玲に聞いたら、流れ星のことだという。呆れ顔に腹は立ったが、そんな事気にしちゃいられない。
星が降るなら準備しないと。
「……何やってるの?彰良。」
「あ、玲。お前も手伝って!」
「何を?」
いつも通りの無表情ながら、最近は少しだけ分かりやすくなった、不思議そうな玲の手を引いて彰良は自分の部屋へと急ぐ。
スパンと景気よく開けた障子の先は彰良の朝からの準備の賜物でひしめき合っていた。
もしかしたら玲に感心されるかも。彰良は胸を張ると、反応のない玲を振り返る。
丸くなった瞳にほくそ笑んで、部屋の中に用意していた虫取り網を玲に手渡した。
「ほら、これお前の分な。あと虫籠はこれ。」
「何これ。」
「馬鹿お前、星が降るんだぞ!星、捕まえなきゃだろ!」
まだ分かっていない玲に、彰良は一生懸命説明する。あんなにキラキラしたものが降ってくるのだ。捕まえて、宝物にしないと。
いっぱい捕まえたら一番綺麗な星を選んで、それで。
ーープレゼントしたら喜ぶかな……。
滅多に笑わない玲が笑ってくれるかも。
あ、だけどプレゼントするならやっぱり玲に手伝わせちゃダメかな。どうしよう。
ああでもないこうでもないと話の途中で悩み始めた彰良に、虫取り網を手にした玲が呆れたように息を吐き出した。
「……星は捕まえられないよ。すごく遠くにあるから。」
「え?でも降ってくるんだろ?」
「そう見えるだけだよ。実際に落ちてきたら虫取り網なんかじゃ捕まえられないよ。」
「ええ……!?」
そんな。玲が何を言ってるのかいまいち分からないけれど、頭がいいからきっと本当だ。
それじゃあ折角の準備も全部台無し。こんなに頑張ったのに。
彰良は心底がっかりすると、その場にへたり込んだ。張り切っていただけに、勢いが削がれて心がチクチクする。
なんだよ。久しぶりに玲の笑顔が見られるはずだったんだ。
そんな彰良の隣に座り込んで、玲は彰良の背を慰めるように撫でた。
「馬鹿。」
しっかりと罵倒付きで。彰良はなんだか情けなくなって、涙が滲んでくる。
「……うるせー。」
ぐすっと鼻を啜れば、背を撫でていた玲の手がピクリと動いた。
少し驚いてるらしい。玲は泣いたり怒ったりしないから時々彰良の反応に驚くみたいだ。
なのに手は温かいまま、彰良から離れない。
そのまま少しだけ迷うように間を置いてから、玲はそっと彰良の耳に囁きかけた。
「ね、彰良。夜、起きてられる?」
「……夜?」
「うん。きっと、楽しいよ。」
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「わあ……!!」
夜空を見上げて歓声を上げる。
空気は氷みたいで肺が痛いけれど、マフラーもジャケットもふかふかの毛布もあるから平気だ。
そんなことより夜空を彩る星々が幼い彰良を夢中にさせた。隣では彰良以上に防寒具でもこもこにされた玲が白い息を吐き出している。
玲の提案のもと、彰良は辺りが暗くなった夜、玲と二人で家の屋根に登らせてもらった。
星を見るためだ。
日中昼寝をして、本当はちょっと眠たかったけれど頑張って起きて。
そうして父親に乗せてもらった屋根の上では、キラキラのビーズをこぼしたような星空が広がっていた。
「彰良。あんまりはしゃぐと落ちちゃうよ。」
「だってすごく綺麗だぞ、玲。お前もちゃんと見ろよ、ほら!」
「わ、」
彰良の世話ばっかり焼いて全然上を見ない玲に、彰良は肩を押して玲を屋根に寝そべらせる。
ぽす、っと音を立てて仰向けになった玲は目の前に広がる景色に目を丸くした。
綺麗な水晶の瞳がチカチカと瞬くのに、彰良は満足して隣に寝転ぶ。
二人で毛布を被れば寒いのもへっちゃらだった。
「……きれー。」
「な。……あ、ほら流れ星だ!」
「どこ?」
「あっち!あ、ほらまた!」
玲の手を取って見つけた流れ星を指差す。何個も何個もとめどなくこぼれ落ちていく星が綺麗で、なんだか不思議だった。
顔は寒いのに心も身体も暖かくて、耳がキンとして、なのにひとつも不快じゃなかった。
「俺、流れ星初めて見た。玲は?」
「……うん。俺も、初めて。」
透明な空気に消えそうなくらいの小さな声で玲が呟く。手を繋いでいるのに、心許なくて彰良はそっと隣の玲の横顔を盗み見た。
そして小さく息を呑む。
なぜなら庭の睡蓮みたいな綺麗な薄青色の瞳に、流れ星が幾つも降り注いでいたから。
夜空を見つめるよりも綺麗だった。どうしようもないくらい、綺麗だった。
気づいたら彰良は星よりも玲を見ていた。そっちの方がよっぽど価値があるような気がしたから。
「……ね、彰良。」
「え?……あ、えっと、どうした?」
どれくらい時間が経っただろう。寒さが少し強くなってきた頃、玲が話しかけてきた。
彰良は玲の声に慌てて顔を逸らす。ずっと星ではなくて玲の瞳を見ていたのだと知られるのが恥ずかしかったから。
なんならもう少しだけ、あのままがよかったのに。
そんな我儘を心の中で転がしていると、繋いだままだった手を玲がぎゅっと握った。
「流れ星、お願い事すると叶うんだって。」
「お願い……?」
「うん。消える前に三回心の中で唱えるの。そうしたら、叶うって。……寒くなってきたから、最後にお願い事して、降りようか。」
ーーお願い事……。
彰良は玲の言葉に頷くと、夜空に視線を戻す。
お願い。彰良の、願い。それはーー。
ーーこれからもずっと玲と一緒にいられますように。
心の中で三回。
流れ星は早くて消えるまでに唱えられたのかは分からなかったけれど。それでも彰良は一生懸命にお願いした。隣で玲も目を瞑って何かをお願いしていた。
家の中からココアの甘い香りが漂ってくる。
辺りはすっかり冷えていて、ただ、繋いだ手だけが暖かかった。
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「聞いてますか?副隊長!!」
大声にはっと我に返る。いつの間にか意識は遠い過去に落ちていたらしい。
目の前で田中が不服そうに眉を寄せているのに、彰良は溜息を吐き出した。
「聞いてない。」
「ええ!?そんな……。」
しゅんと俯いてみせても、可愛らしさの欠片もないのだから彰良の心は動かない。彰良はそのままそっぽを向いて窓の外を見つめた。
冬の日は短い。もう既に太陽は傾いて、沈むまでそう時間はかからないだろう。
あと残りの仕事はなんだったろうか。面倒な書類仕事なら目の前の田中に押し付けよう。
「ひ、酷い……!ちゃんとご自身の仕事はご自身でやってください!」
「経験積ませるのも仕事だろ。」
至極真っ当なサボり文句を言ってやれば、田中が悔しそうに顔を顰めた。
表情も声もリアクションも全てが大きい男だ。面倒くさい。
彰良がもう一度溜息を吐くと、田中は諦めたように肩を落とした。
「……はあ。こんな一大イベントなのに。本当に副隊長はリアリストですね。」
「えー、そう?彰良は結構ロマンチストだよね〜?」
ようやく解放されると安堵していた矢先。突如割って入った明るい声に、彰良は眉を寄せた。
田中が彰良の背後を見て、姿勢を正す。声で誰だか分かっているため彰良は振り返らない。
それに剛を煮やしたのか見た目よりもずっと力強い手が彰良の肩に乗せられた。
「恋人できたら花とか贈るタイプでしょ?」
「うざ……。何しに来たんだよ、楽。」
苛立ちのままに睨みつけてもどこ吹く風。
楽しげに笑う楽に、もう何度目かも分からない溜息が溢れる。よく見れば楽の後ろには苦笑気味の清治もいた。
本当に何しに来たんだ、こいつら。
「よ、4番隊の北郷さんに14番隊の西廣さん……!!」
五大名家の関係か、案外名の知れている二人に田中が慌てて頭を下げる。
しかし楽は気にも留めていないのか軽く手を振っていなした。
「あーあーそんなに畏まらなくていいよ〜。それより彰良。今日遅くなんの?」
「は?急になんだよ。」
「流星群。一緒に見られないかなって。さっき楽が誘いにきたんだ。それでその後飲みに行かないかって。」
楽の言葉を引き継いで清治が笑う。
楽の問いかけより、明瞭な清治の誘いの方が幾分素直に受け取れるのはなぜだろう。
とはいえ仕事の手前、そう簡単に返事は出来ない。一応これでも彰良は副隊長なのだ。
それにもう一人、彰良よりも忙しい人間がいるわけで。彰良はなんとなく予想しながらも静かに口を開いた。
「……あいつは?」
「玲?玲なら東條さんに呼ばれて行ったよ。でも今日はそれだけだから、長くならなければ定時くらいには帰ってくるんじゃないかな。」
やはりまた呼びだされているらしい。いくら優秀とはいえ、東條は玲に頼りすぎではないだろうか。
玲は玲で休むという概念もないし。
どれだけ仕事をすれば気が済むのやら。ついこの前も体調を崩していたくせに。
彰良の心にふつふつと苛立ちが湧き上がる。
自然と眉間の皺が深くなるのに憮然としていれば、清治と楽が顔を見合わせて意地の悪い笑みを浮かべてきた。
「玲も残夏たちに聞いて、ちょっと興味持ってたよ。誘ったら今日は早めに上がってくれるかも。」
「玲は好きそうだもんね〜、こういうの。ついでに玲の好きそうなもので栄養つけさせる、なんてどう?」
なんだそれ。
まるで彰良の心の中を覗いたみたいじゃないか。そんなに分かりやすいかよ、くそ。
彰良は苛々しながらも、最後のダメ押しとばかりに期待の目を向けてくる田中に長い溜息を吐き出した。
これはダメだ。逃げようがない。
彰良は肩を竦めると、昼食の盆を手に立ち上がった。
「……田中。さっさと仕事終わらせるぞ。」
「!はい、副隊長!!」
嬉しそうな三人の顔に謎の疲労を感じつつ、窓の外に目を向ける。なぜだか夜が待ち遠しい気がした。
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「あ、知ってます?今日流星群が見られるらしいですよ。」
ひと通りの報告を聞き終えた東條が肩を回していると、目の前の部下が柔らかく目を細めた。
常と変わらぬ軽い調子の言葉も、眼鏡がないと、どうにも裏があるような気がしてしまう。
東條は眉を寄せながら、玲が立つ窓辺に顔を向けた。
「……それで今日、組織内が騒がしいのか。」
「おや?気づいてたのに知らなかったんですか?相変わらずですね。」
くす、と笑いながら玲がこちらに視線を寄越す。上官を揶揄うなど以ての外だと腹が立つのに、顔のせいか流し目に見えるのが余計腹立たしい。
東條は軽い頭痛に目頭を揉むと、苦々しく口を開いた。
「煩い。……お前、今日眼鏡はどうした。」
「それが……ちょっと眼精疲労がすごくて。」
「は?」
「パソコン画面が霞むんですよね。眼鏡してると余計見えないから、執務室とここでは外してもいいかなって。」
「……。」
更に痛む頭に息を吐き出す。
玲の眼鏡は認識阻害と霊力封じを重ねた、彼の師からの贈り物。そこに度は入っていない。
元来、玲の視力は悪くないのだ。むしろ眼鏡をかけると視界が狭まる分、見えづらいという。
「……次からそういう時は早く言え。」
「急にどうしたんですか?」
「いいから。約束しろ。」
「?はーい。」
不思議そうな玲に東條は重い頭を振った。どうしてこの子はこうなのか。
玲の『視界が霞む』は見えづらい程度ではないだろう。それなら仕事量を調整するとか、休みを取るとかいくらでも対応策は思い浮かぶのに、『眼鏡を外す』に行き着く理由を教えてほしい。
ーー急ぎの案件は……ギリギリいけるか?
一日位なら調整できそうだ。
東條は息を吐き出すと明日の休みを伝えようとして、玲の視線の先にふと口を止めた。
玲の視線は、既に日が落ちた窓の外へと固定されている。
「流星群といえば……昔、一緒に見ましたね。東條のお屋敷で、椿と三人で。」
「……。」
覚えている。あれは玲を引き取って少し経った頃。
いつの間にか仲良くなっていた玲と椿に誘われて、共に星の降る夜空を見上げた。
あの時は確か、幼い頃に幼馴染と見たのだと珍しく穏やかに笑っていた。
「ふふ、星が流れるたびに椿が喜ぶの、可愛かったな。」
「おい……手を出すなよ。」
「当たり前でしょう?シスコンもいい加減にしてください。」
間髪入れない玲の冷たい声に東條は口を噤む。断じてシスコンではない、と言いたいところだが分かっていても念押ししてしまうのは、些か過保護なのだろう。
とはいえ大事な妹だ。こんな危なっかしい男にはくれてやりたくない。
ーーまあ、もう遅いのかもしれないが……。
どんな形であれ、東條も椿も既にこの子に翻弄されてしまっている。
それこそ部下でありながら弟分とも思っているのだ。玲は露程も気付いていないけれど。
「……もういい。続けろ。」
東條は肩を竦めると続きを促した。
なんの感傷かは知らないが、今ばかりは付き合ってもいい。なんせ今日は星が降る特別な夜らしいので。
玲はしばらくこちらの様子を伺っていたが、また窓の外に目を向けると、小さく言葉を落とした。
「……流れ星、三回心の中で願い事を唱えれば叶うっておまじないがあるでしょう?」
「それがどうした。」
「俺、昔何を願えばいいか分からなかったんです。……彰良と見た時も、貴方たちと見た時も。ただ、願い事を唱えるふりをしていた。」
そっと潜められた声はまるで告解のようだ。
あの日、椿の隣で玲もまた目を瞑って何かを願っているようだった。その横顔に安心したのを覚えている。でもそれは東條の勝手だ。どうして罪があると言えるのだろう。
ただ生きることが精一杯だった幼い頃のこの子に。
「……今は、どうだ。」
口は自然と開いていた。
答えが知りたいわけではない。ただ、聞いてみたかった。こうして今ここに立っている、玲に。
東條の問いに、玲が目を細める。柔らかい笑みは、常の仮面とは違う美しいものだった。
「ふふ、そうですね。今は、ひとつだけ。」
内緒話に応えるように、窓の外で星が瞬いた。
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「わあー!見てみて!!もう流れ星見えるよ!」
山の上の展望台で、凪が空を指差して笑う。
残夏はその後をゆっくり追いながら、白い息が立ち昇る空を眺めていた。
無事に許可を得て繰り出した天体観測は、当初の予想よりも楽しいものだった。
まずは星の歴史を聞いて、流星の仕組みを学んで。その後はロープウェイに揺られて山頂近くの展望台へ。ロープウェイの中から見た街の景色がどんどん遠ざかっていくのがなんだか印象深かった。
やがて街の灯りが宝石のように広がり、夜空では次々と星が降り注ぐ。
その光景に残夏はそっと息を呑んだ。
「すごい……。」
幼い頃、探していた流れ星。もう興味も薄れた今、何を見たって響かないと思っていたのに。
こうして目の前で降り注ぐ輝きに心が飲み込まれそうになる。
「な。来れて良かったよな。」
「……うん。」
雄星に軽く肩を叩かれて、残夏は頷いた。
あの日の残夏はどう思うのだろう。早々に寝てしまった母親の隣からそっと抜け出して、トイレの小窓から空を眺めた。
流れ星なんてひとつも見つからなくて。少しだけ泣いてしまったあの日。
こんな未来が来ることを幼い残夏は夢にも見なかったのに。
「こっちだよー!こっち!」
「待て蓮池!走ると危ないぞ!」
凪が残夏の隣を駆け抜けていく。その背を司が追いかけ、そしてその後ろを更に雄星が。
凪が振り返って残夏を呼ぶ。司と雄星が手を振った。全て、流星群を背景にして。
残夏はただ、その光景を目に焼き付けた。ずっと見たかった景色だと思った。
「知ってるか?星って音が鳴るんだって。」
「どんな音?」
「さあ……でもなんか、綺麗な音な気がするよな。」
雄星が笑う。凪が音を聞こうと耳をそばだてる。誰もが声を潜めて耳を澄ます。
流れ星の音。冷たい空の音。燃える星の音。
全部が内側に響いて聞こえてくるようだ。
「……綺麗だね。」
残夏の呟きに、皆んなが頷いた。
白い息も凍りそうな中、そっと身体を寄せ合う。透明な空気が肺を満たして、温かい息が溢れる。
しばらくの間、ただ星が流れるのを見ていた。呼吸の音も遠くて、くっついてる所が暖かくて。
まるでひとつの生き物みたいだった。
「ね、お願い事しよう。」
どのくらい経った頃だろう。凪の囁くような声が残夏の耳に届いた。
凍りついたように空を見上げていた残夏は隣をそっと見る。
「お願い事?」
「残夏くん、知らない?心の中で流れ星に三回願い事を唱えるの。」
ああ、それか。そうだ。お願い事。
願いを叶えて欲しくて幼い残夏は流れ星を探していた。『母さんがゆっくり休めますように』。
いま考えたら、寂しさの裏返しだった願い。母親の前でいい子のふりをして、本当の願いを胸にしまった。
ただ、そばにいて欲しいという願いを。
ーーでも、今は……。
残夏の隣には凪がいる。雄星も、司も。
そして帰れば出迎えてくれる温かい人たちも。だからもう、残夏の願いは叶ってしまった。これ以上、何を願えばいいんだろう。
残夏が頭を悩ませていると、凪とは反対側の隣で雄星が息を吐き出した。
白色は一瞬で空に吸い込まれていく。
「願い事あるけど、三回ってむずかしーよなぁ……。流れ星一瞬だし。」
ああ、それは母も言っていた。だから奇跡だと。
なら、やっぱり願い事なんてーー、
「ならば三回と同じくらい強く一度願えばいい。……願いは誓いだ。叶えるために言葉にするんだ。」
司の言葉に残夏は目を瞬く。
幼い頃、母から聞いた流れ星の奇跡。
それでも幼い頃は叶えて欲しくて躍起になって、今はどうせ叶わないと思っていた。
思っていたのに。
「誓い……。」
だったら、きっと願いが叶うのは奇跡じゃない。自分で掴むための努力になる。
全員の視線が司に向いた。いつもなら胸を張るくせに、少しばかり気恥ずかしいのか司は顔を逸らす。
だけど逃がさないとばかりに、凪が司に抱きついた。
「そうだね!届くくらい、思いっきりお願いしよう!」
「わ、蓮池!落ち着け!」
「そーだな!!思いっきり願おうぜ!!」
わちゃっと二人に囲まれた司を笑って、残夏もまた夜空に目を向ける。
瞬間、一等強く輝きながら落ちてくる星に、そっと願いを唱えた。
三回ではなく、届くように強く強く一回だけ。
残夏の誓いを。
「なあ、なにお願いしたんだ?」
「ぼくね、これからもずーっと皆んなといられますようにって!」
「願いは口にしてもいいのか……?」
願い事が終わった途端、騒がしくなった三人に笑って残夏も横へと並ぶ。
この後は暖かいミルクティーが配られるらしい。きっと冷えた身体を温めてくれるだろう。
雄星が早く行こうと急かしている。
残夏はそれに応えながらも、そっともう一度胸の中で願い事を唱えた。
ーーまた次も、皆んなと見れますように。
未来への誓い。それが今の残夏の願いだ。
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「あー!玲!!こんな所にいた!!」
定時もすっかり過ぎて宵闇が濃くなる頃。
探していた人物は、組織の建屋の屋上で呑気に煙をふかしていた。
「あれ?どうしたの、皆んな。」
不思議そうな顔をして、玲がさっと煙草を携帯灰皿に押し込める。
何本目かは知らないが、まだ長かったから火をつけて少ししか経っていないのだろう。
「どうしたの、じゃねーよ。」
「玲、全然戻ってこないから心配してたんだよ?」
彰良が溜息を吐く横で、清治が玲に駆け寄った。そっと手を取って眉を潜める。
玲は変わらずヘラヘラと嬉しそうだ。
「ほら冷えてる。もう……どのくらいここにいたの?」
「んー、東條さんとこ終わった後からかなぁ。流星群見れるかなって。」
「それって何時間前!?」
定時間際には帰ってくるだろうと14番隊の執務室で待っていたのは一時間程だ。
その間、いやそれ以上の時間、こんなに寒い外にいるなんて呆れて物も言えない。
彰良は地味にショックを受けて固まっている清治を心の中で労った。
そのまま理解していなさそうな玲に近づき、ポケットから取り出したものを放り投げてやる。
「ほら。」
「おっと。……カイロ?」
「風邪引く前にあっためとけ。」
怒ったところで響かないことは先刻承知。それよりさっさと温めた方が早い。
彰良の行動に、様子を見ていた楽も玲に駆け寄って抱きついた。
「わ、楽!」
「ボクもあっためてあげる〜!」
「ふふ、楽、子供体温だね。」
くすくすと衣擦れのような笑い声がこだまする。とっくの昔に成人を超えたというのに。
それでもこの光景に彰良もどこか安堵してしまうのだ。
「それで皆んなどうしたの?」
「あ、そうそう!流星群、一緒に見よ〜って誘いに行ったんだよ。」
「え?そうなの?」
「折角だからね。まあ、玲はもう見ちゃったと思うけど。」
楽の言葉と、清治の苦笑に玲がぱちりと目を瞬かせる。
背景は星が降り注ぐ夜空。流星群が見え始めたのは丁度十分ほど前。
玲は既に充分観察しているはずだ。
それでも言外の思いが珍しく通じたのか、玲は小さく笑うとそっと言葉を落とした。
「……そっか。探してくれてたんだ。」
何かを味わうように玲が笑う。冬の空に花が咲いたようだった。
「……あと飯な。この後いけそうか?」
「うん。東條さんに明日休みにされちゃったから。」
「なにそれ最高じゃん!ボクも休もっかな〜!」
「休みの間は任せてくれていいよ、玲。なんなら二、三日休んでもいいからね。」
楽の揶揄いと、清治の心配する声が屋上を彩る。灰色の世界で、ここだけ色がついていくみたいだ。
その中でも一際温度のない指先が、カイロの熱でじわりと血色に染まっていくのに彰良はそっと息を吐き出した。
屋上で見つけた時はどこか空気に溶けてしまいそうだったから。今はもう大丈夫。
「ご飯行く前に、もう少し見ていこうか?皆んなまだ見てないんでしょ?」
「まあ、視界には入ってくるけどね〜。でも賛成!並んで見ようよ。」
「そうだね。でも少しだけだよ?玲、風邪引いちゃうから。」
「ふふ、ありがとう。」
三人が夜空を見上げるのに釣られて、彰良も空を見上げた。
チカチカと瞬く星が、幾つも連なって落ちていく。
最後の炎を燃やして、尾を引いたまま。子供の頃と変わらない美しさで。
ーー流れ星、か……。
あの日の願いは結局叶わなかった。彰良は間違えて、玲は彰良の目の前から消えた。
それを追いかけて追いかけて、ようやく見つけた先で玲はもう、昔の玲ではなくなっていた。
それでも。
ーー次こそ、守れるように。
もう二度と失わないように。そのために必要なら、今度は星だって取ってきてみせるから。
「すっごい綺麗!!ヤバいよこれ〜!望遠カメラ持ってきたら良かった!!」
「ちょっと楽!あんまり身を乗り出さないで。危ないよ!」
今にも落ちそうな楽を引っ張る清治に笑って、玲がこちらを振り返る。
こっち、と手招きされるのに彰良も玲の隣に並んだ。
「何お願いしたの?」
「……黙秘で。」
「ふふ、じゃあ俺も内緒。」
言葉は軽く、溶けていく。雪でも降りそうな気温に、降り注ぐのは流星たち。
この光景をまた隣で見られるなんて。少しだけ心臓が音を大きくする。
楽の言う通り、彰良はロマンチストなのかもしれない。
「また次も一緒に見たいね〜!」
「次って……三年後だっけ?」
「三年か……先だな。」
その時も隣にいられたらいい。
彰良は隣の玲に顔を向ける。相変わらず空を見上げた瞳には、星が輝いている。
「うん。……そうだね。」
そっと溶けた言葉は、祈りのようだった。
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幼い残夏はトイレの小窓から夜空を眺める。
だけどどこにも流れ星は見えない。ニュースでは今日って言っていたのに。
ーーお願い事したかったのに……。
母さんがゆっくり休めますように、ずっと家にいられますように。残夏の側に誰か居てくれますように。
残夏は霞む視界を強引に腕で拭って、抜け出した布団に戻った。明日もまた、一人でお留守番だ。
残夏が眠りに落ちた頃。夜空では星が降り注いでいた。星は流れる。沢山の誰かの願いをのせ、一瞬で燃え尽き落ちていく。
それでもその一瞬が、祈りを繋いで心を灯す。
未来へと、続いていく。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
星にまつわる番外編でした!
皆様、寒いのでお身体にはお気をつけて〜!
自分はクリスマスに熱を出しました(o_o)
こんなことがあるなんて(o_o)
来年1/10から本編は再開いたします!
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また来年もよろしくお願いします╰(*´︶`*)╯♡
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これからもよろしくお願いします!




