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夏の始まり②

 少し袖が余る、真新しい紺色のブレザーに身を包み、残夏は長い廊下をそろそろと歩いていた。

前には背の高い痩せた白髪の男が背筋を伸ばして流れるように先を行っている。

その後ろ姿を眺めながら、残夏は息を吐き出した。


 あの後、玲は残夏を医務室に文字通り放り込むと姿を消した。

そして残夏は鎖を解かれ、打ちつけた額を治療してもらい、それ以外にも不調がないかまで徹底的に調べられ、ようやく人心地ついた頃に玲ではない、柳瀬(やなせ)と名乗る初老の紳士めいた男に連れ出された。その男は残夏に真新しいブレザーの制服を与え、丁寧に頭を下げた。


「14番隊、副隊長の柳瀬と申します。そちらは隊長からの贈り物です。お召替えが終わりましたら着いてきていただけますか?」


そんな言葉に、残夏は少しばかり毒気を抜かれた。

丸い小さなフレームの眼鏡をかけ、ちょび髭の優雅な人。ロマンスグレーとでも言うべき雰囲気に、残夏は頷くと少しばかり大きいブレザーに腕を通して柳瀬の指示に従った。

そして連れて来られたのは、長い廊下を一番端まで歩ききった、小さな部屋の前だった。


「こちらが14番隊の執務室で御座います。」


柳瀬が振り向くと、恭しくドアを開ける。そのドアの向こうにはーー、


「ようこそ!14番隊へ!!」


パンと弾けるクラッカーの音とキラキラ光る色とりどりのテープ。

ドアを開けた先には4人の笑顔の人たちが残夏を待っていた。


「……え?」


「さあ、入って入って。君が来るのを待ってたんだ。」


一番近くにいた、茶髪の温和そうな青年が残夏の腕を引く。その手に引かれるまま、残夏は部屋へと立ち入った。

そこには6つのデスクと、奥の窓際にひとつのデスク。あとは資料が綺麗に整頓された棚が3つ。そして隣の部屋に入る扉がひとつだけのこぢんまりとした部屋だった。

しかしよく手入れされているからか、閉塞感はない。むしろ何処か暖かい雰囲気が漂っていた。

そのまま隣の部屋に連れて行かれる。そこは簡易的なキッチンとソファが置かれた休憩室になっていた。

ここにも棚が備え付けられ、資料ではなく雑誌や漫画、難しそうな本が並んでいる。

そんなソファの真ん中に残夏を座らせると、残夏の手を引いていた青年は残夏の額に手を伸ばして貼られたガーゼをそっと撫でた。


「額、大丈夫?結構強く打ちつけてたもんね。医務室に連れて行かれたって聞いて心配してたんだ。」


「え?えっと……。」


「あ、急にこんなこと言われても困るよね。……先ずは自己紹介から始めようか。僕は西廣(にしひろ)清治(きよはる)。14番隊の隊員だよ。」


清治が柔らかく微笑む。その表情は優しく、残夏は困惑と少しの安堵に息を吐き出した。

清治の周りには柳瀬を含む他の4人も集まって口々に自己紹介を始めてくれた。


「オレは、甲斐(かい)(あずさ)。清治さんと同じく、14番隊隊員だ。お前の反論良かったぜ!よろしくな!」


派手な金髪の目つきが鋭い青年は、残夏の肩を両手で叩くと豪快に笑い声をあげる。

それに少しだけ怯んでいれば、隣の大人しそうな青年が表情も変えずにため息を吐き出した。


「梓、煩い。彼驚いてるじゃないか。……僕は藤下(ふじした)(けい)。梓とは同期で14番隊隊員です。よろしく。」


淡々とした言葉だが、圭に冷たい印象は感じない。むしろ明確な敵意がないことが残夏を安心させた。

そのまま彼が柳瀬に目を向けると、心得たというように柳瀬が頷く。相変わらず優雅な仕草で口を開いた。


「改めまして、柳瀬で御座います。僭越ながら、14番隊の副隊長を務めさせて頂いております。残夏さんの入隊を心より歓迎いたしますね。」


そっと微笑まれて、残夏は小さく頭を下げる。柳瀬はずっと丁寧だ。そして最後に。残夏より少し小さい背丈の、何故かアイマスクを付けた少年が、残夏の手を取って嬉しそうに笑った。


「ぼく、蓮池(はすいけ)(なぎ)!残夏くんと同じ歳だよ!仲良くなれたら嬉しいな。よろしくね!」


ぶんぶんと振られる手に残夏は振り回されながら、それでも歳が同じという凪の言葉に心が落ち着く。

残夏はそっと息を吐き出すと、おそるおそる声を出した。


「あ、あの……小鳥遊残夏です。えっと、……すみません。あの、14番隊とか、組織?とかよく分からなくて……。」


「ああ、そうだよね。ごめんね、先走っちゃって。ちゃんと説明するよ。」


残夏の困惑を理解してくれたのか、清治が苦笑を浮かべて頷く。ノートを持ってきて、分かりやすいように箇条書きにしてくれるようだ。


「先ずは大前提として、知っておいてほしいことから。僕たちが戦っているもの……ハグレモノについて、ね。」


トン、とペンが紙を打つ音が響く。

『ハグレモノ』。それはあの東條が口にしていた言葉だった。化物と呼ばれる存在。


「ハグレモノっていうのはね、人間が強い負の感情から生きたまま堕ちた霊的存在の事を言うんだ。」


「れ、霊的存在……?」


「そう。君も見たことあるでしょう?……幽霊。」


はっと息を呑む。残夏のどうしようもない人生の原因。その存在は残夏以外見える事はなかったのに。

どうして、この人たちが知っているんだろう。


「僕たちもね、見えるんだよ。幽霊や、妖。神様なんかね。」


その言葉に残夏は声も出せずに固まった。ずっと、誰とも共有出来なかった世界をこの人たちは理解してくれるのだろうか。

本当に、そんな世界があるのか。

そんな残夏の心情を見通してくれているのか清治は穏やかに笑うと小さく頷いてみせた。


「普通の人には見えないから、理解されなくて困ってたでしょう?でもその力は誰かを守るための力になる。それが、僕たちの仕事なんだ。」


「仕事……。」


「そうだよ。僕たちの仕事はハグレモノを討伐する事。ハグレモノはね、人間の魂を食べるんだ。だけど魂は簡単に身体と分離出来るものじゃない。だからハグレモノは人間を殺してその肉体を食べる事で魂を回収するんだよ。……幽霊?ううん、幽霊とは違う。あれはね、生前の記憶みたいなものがその場に焼きつく事で起こる現象なんだ。感じ取りやすい人には多少の影響はあれど、殺すような力はない。そして神や妖も人に干渉する事はあるけれど、人を食べたりしない。人を殺して食べるのはハグレモノだけだ。勿論、例外もあるけどね。」


一旦そこで説明が止まる。様子を伺うような視線を受けながらも、残夏の頭には困惑が渦巻いていた。

急にそんな事を言われて、戦うのだと言われても困る。ハグレモノ?人を殺して食べる?そんなのあまりにも現実的じゃない。

もちろん残夏だって変なものを目にしてきた。だけど、それよりもずっと非現実的だ。

そして何より、そんな所で残夏がやっていけるとも思えない。残夏は幽霊が見えるただの一般人なのだ。


「あの、オレ……戦うなんて……、」


「そうだよね。急に言われても困っちゃうよね。……でも、君には納得してもらわないといけない。君の命は、その選択にかかっているのだから。」


清治が少しだけ声と表情を固くする。残夏はそれをただ焦燥に駆られながら見つめるしかない。口を挟む勇気は無かった。


「さっきも言ったけど、僕たちはハグレモノを討伐する事を主としている。ただ、あまりにも強過ぎて倒せないハグレモノもいるんだ。例えば、沢山の魂を食らったハグレモノ。ハグレモノはね、魂を食べれば食べるほど強くなっていく。そしてそんな強大な力を持つハグレモノは、他のハグレモノすら取り込むんだ。そうして混じり合った負の感情が更に煮詰まって純粋な悪意に変わる。……君の身体に居るのはそういう悪意の塊なんだよ。」


悪意。そんな、そんなものが残夏の身体に。途端に身体を這いずる何かの感触を思い出して、強烈な吐き気を覚えた。

しかし吐き出すわけにもいかず残夏は口を抑えて俯く。残夏の背を凪が気遣わしげに撫でてくれた。

それにそろそろと顔を上げれば、清治と目が合う。心配そうな表情とは裏腹に、清治は残夏が落ち着くと話の続きに口を開いた。


「君がここに連れて来られる前のこと、覚えてる?……そう。あの時、僕たちは封印されているハグレモノの再封印をしていたんだ。結界に綻びがあってね。だけど、女の子が誤って取り込まれかけて、その対処をしている間に君がその子の代わりに取り込まれた。……そこまでだったら、最悪だけど事故で済んでた。でも君は、どういう訳か取り込まれても自我を失わなかった。そして、そのハグレモノと一体化したんだ。話が通じるから落ち着かせて、拘束して組織へと連れて来られたんだけど、君の処遇には皆んな迷っていた。だからあんな風に場を設けて君の未来を決めようとしていたんだ。そして、君は処分を免れた。だけどそれは全面的な自由じゃない。君はこの先ずっと、ここで人を助けて成果を出し続けなければならない。それが、君が生きる為の条件だ。」


あまりの内容に、残夏は息をするのも忘れてしまいそうだった。

どうして。あの子を助けたかっただけだ。

残夏は、あの子を助けて、誰かにここのいるのだと教えてもらいたかっただけ。

普通に生きたかった、それだけなのに。どうして。

今までだってずっと苦しかった。なのに、神様は残夏から生きる自由すら奪うのか。

はくはくと言葉にならない残夏に、清治は辛そうに眉を下げる。

そして、そっと目を伏せると小さく言葉を落とした。


「人は、生きる場所は選べない。与えられたもの、持ち得ないもの。それを人は選べないんだ。だけどその中でどう生きていくかは自分で決められる。……僕が昔言われた事だよ。だから、君も……辛くても此処で生きていくことを選んでほしい。」


そこまで告げると、清治は暗い表情をぱっと明るくさせた。しかしその眉がまだ下がっているのに、人柄が出ているようだ。


「後は、ここの説明だね。僕たちの、『組織』。単純に、「組織」っていうのが名前なんだ。一応国営だよ。つまりは僕たちは公務員。寮もあるし、専用の学校もある。君はまだ15歳だからね、明日からは『高専』に通ってもらうよ。高専はハグレモノ討伐の専門育成機関で、15〜20歳までの5年制なんだ。高校卒業から一部大学レベルの教育を受けられて、戦い方も教えてもらえる。君が今着ているのがその制服ね。僕たちの黒スーツじゃなくて、紺色のブレザー。それが学生の証なんだ。凪も一緒だよ。」


凪は残夏の冷たい手を取って、にっこりと笑ってくれる。何故だか初対面なのにその笑顔は残夏を安心させる力があるらしい。

残夏は絶望に呑み込まれそうになりながらも、なんとか落ち着くことが出来た。


「ここから先は流し聞きでいいよ。一応説明しないといけない決まりだから説明するけど、慣れてからまたゆっくり覚えていけばいいから。えっと、それで……高専ね。高専生はそれぞれの適性に合わせて、組織の各部隊に仮配属される仕組みなんだ。まあ、昔はこの仕組みはなかったんだけど……学生のうちから組織の仕事も知る事が大事だろうって事で出来た仕組みだよ。そして、高専を卒業したら各部隊に配属される。この各部隊っていうのは、14個の部隊の事をさしているんだ。組織は地域毎に支部があってね。本部はここ、東京なんだ。そして上層部、司令部、14の部隊に分かれているんだよ。部隊は隊長、副隊長、隊員で構成されていて、それぞれに特色がある。例えば2番隊は戦闘部隊、5番隊は医療部隊、とかね。まあ、全部あげてたらキリがないからその辺は追々かな。そして君が仮配属されたこの14番隊は、司令部直属の即応部隊なんだ。簡単に言うと、何か重大な問題が起きた時に、司令部……東條さんの指示に従って自由に動く部隊ね。だけどそんなに緊急なことも多くないから、普段は他の部隊のサポートなんかをしてるんだ。要は雑用係みたいな感じかな。」


「雑用……。」


「隊長がなんていうか、そういう所に拘らないタイプでね。横の繋がりを持たせるためにも色々交流しておいた方が良いからって。そういうのもあって14番隊は他部隊に比べたらかなり人数は少ないけど、皆んなで協力してやってるよ。だから、君が来てくれて僕たちは嬉しいんだ。14番隊には滅多に人が入らないからね。」


そっと笑う清治の顔には、嘘は感じられない。凪の暖かな手の温度も、周りを囲む柳瀬や梓、圭の穏やかな表情にも。

それでも受け入れ難い現実の前に、残夏は立ち尽くしていた。これからどんな生活が待っているのか、本当にやっていけるのか。

そもそも、悪意の塊と一体化してしまった残夏は本当に人間なのか。分からないことだらけだ。

それでも、少なくともここにいる人たちが残夏を歓迎してくれているのは確かなのだろう。

残夏は、小さく頷くとそっと頭を下げた。


「……よろしく、お願いします……。」


どうせ選択肢もない。だから今はもう、何も考えたくなかった。


 その後、疲れただろうからと残夏は早々に組織の寮へと案内された。学生用の寮だ。部屋は凪の隣で、扉を開ければ施設にいた頃よりも広く綺麗な室内が残夏を待っていた。

そんな部屋の真ん中に無造作に置かれていた段ボール数箱には、施設に置いていた残夏の私物が入っており、残夏はこの組織が既に残夏の事は全て調べ上げて逃げ道すら用意してくれていない事を知った。

どうりで残夏の名前も年齢も、14番隊の人たちは知っていたわけだ。数年を過ごした施設の人たちからは手紙すらなく、母親の写真を適当に棚に置いてから残夏は夕飯も取らずに備え付けのベッドに潜り込んだ。

そこに広がる知らない匂いに、残夏は疲れて眠るまで静かに泣き続けた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 翌日、凪に連れられて残夏はもう一度14番隊の執務室のドアを潜り抜けていた。

なんでも昔、遅刻が過ぎる生徒がいた為、仮配属が導入された際に朝は一度執務室へと顔を出す事が決まったようだ。

凪の後ろにくっつくようにドアを抜けると、先に来ていた清治が穏やかに出迎えてくれた。


「おはよう、2人とも。残夏、昨日はよく眠れた?」


「おはよう!清治くん!」


「あ……おはよう、ございます。……えっと、はい……。」


嘘だ。昨日はいつ寝たのかも覚えてないし、起きた時も寝た感覚すら無かった。だけどそれを言っても仕方がない。

そんな残夏に気がついているのか、清治は相変わらず眉を下げたまま残夏の頭をそっと撫でた。


「そう。……髪が跳ねてるね。大丈夫、すぐに直るよ。……ね、残夏。もし何かあったらいつでも相談して。僕は寮には住んでいないけど、呼んでくれたら駆けつけるから。それに凪もいるからね。」


「そうだよ、残夏くん!ぼく、何でも聞くよ!ここの暮らしも長いから頼ってくれて良いからね!」


清治に丁寧に髪を整えてもらっている横から、凪が残夏の手を取って両手で包み込む。

その温度は変わらず暖かくて、残夏の心を落ち着かせていく。こくりと頷けば2人とも嬉しそうに笑ってくれた。


「じゃあ、2人は今日は高専だね。授業、頑張って。いってらっしゃい。」


「はーい!いってきまーす!」


「……いってきます。」


穏やかに送り出されて、残夏は14番隊を後にした。高専は組織の建物の隣に建てられていて、直ぐ近くなのだそうだ。それから清治以外の人たちは既に任務に行ったか休みなのだとか。

高専に向かう道中、色々と教えてくれる凪に心が解されていく。凪は信用できるのかもしれない。

気付けば残夏は胸中に湧いた疑問を口に出していた。


「……どうして……。」


「え?」


「いや……どうしてかなって……思って。なんで、優しくしてくれるの?」


そう問えば、凪が驚いたように口を開き、次の瞬間にはにっこりと笑う。ふわふわの色素が薄い髪と、目元が見えないアイマスク。そのせいで口元しか分からないけれど、凪は感情豊かだった。


「だって残夏くん、初めて見た時からすっごく優しいんだろうなって思ったんだ!ぼく、そういう勘は鋭いんだよ。だから、仲良くなりたいんだ!」


「見るって……そのアイマスクで見えるの?」


「もちろんだよ!残夏くんの綺麗な目も見えてるよ!」


余りにも真っ直ぐな言葉に残夏の頬が紅潮する。慌てて顔を逸らせば、凪が楽しそうに笑った。


 学年にひとつだけの教室に着いた残夏を迎え入れたのは、クラスメイトからの冷たい視線とひそひそ声だった。

昨日の尋問には学生たちは参加していなかったようだが、各部隊の隊員たちから聞いたのだろう。こちらを見ては『化物』だと囁く声に残夏はただ閉口していた。

この程度の陰口は慣れている。中学の時だって散々気味が悪いと言われてきたのだから。だけど。


「やっぱ蓮池と一緒でヤバいやつなんだよ。……俺聞いたけど、14番隊って問題児が配属される所なんだって。隊長もすげー変な人だってさ。」


「ああ、それ私も聞いた!何の仕事もないから雑用させられてるんでしょ?蓮池や化物が配属される部隊だけあるよね。」


くすくすと漏れる笑い声に、少しだけ眉が寄る。残夏の事だけならまだしも、どうして凪や14番隊の人たちがこんな風に言われているのだろう。

優しくて暖かい人たちなのに。しかしそれに反論できる程、残夏もまだ彼らのことは知らない。信じてみたいけど、怖くて信じられない。

だから残夏は目を瞑って机に突っ伏した。その方がずっとマシだと思えたからだ。

そして考える。これまでの事、これからの事。

そんな中で思い出したのは、残夏を救い出してくれたアイスブルーだった。


ーーそういえば、あの人……誰だったんだろう……。


朧げな記憶は残夏の意識を遠くしていく。そのまま残夏は抗う事なく意識を手放した。


 その日、結局残夏は授業の半分を眠りの中で過ごした。教師たちも組織の者なのだろう。寝ている残夏に声をかける人もいない。

だから休み時間ごとに遊びに来る凪と話す時以外は残夏は睡眠不足を補うように惰眠を貪った。


「残夏くんずっと寝てたね。寝不足?大丈夫?」


「うん。いっぱい寝たから大丈夫。」


「そっか!じゃあ良かった!」


凪は授業態度についてはあまり気にしないらしい。にこにことした様子に安心して、残夏は次の日からも寝て過ごそうと決意した。が。


「良くないよ……。ほら、宿題全然出来てないじゃないか。」


清治の溜息に、残夏は凪と共に空欄ばかりの宿題を前にして冷汗を流していた。清治は何日か穏やかに見送ってくれていたが、帰宅して宿題を適当に片付けていた残夏たちの様子に気がついたらしい。

最初は分からないところを教えてくれようとしていたのだが、習った筈の公式すら覚えていない残夏に思うところがあったようだ。

授業態度を聞かれて濁そうとしていた残夏に代わり、凪が素直に返事をするものだから全てバレてしまった。

そして始まったのが、帰宅後の強制勉強会である。清治は優しいが容赦なく残夏たちの勉強を見てくれた。因みに凪も勉強は得意ではないらしく、授業中のノートは落書きで埋め尽くされていた。


「うん。残夏は理解力があるね。ちゃんと授業を聞けば大丈夫。凪はもう少し集中しようね。」


「はーい!」


「はい。」


本当に分かっているのか、返事だけ元気な凪に清治が苦笑を漏らす。そんな凪に残夏も自然と笑みが溢れた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 それから暫くは穏やかな日々が続いた。相変わらず清治は優しくて、偶に顔を出す梓と圭も残夏によく話しかけてくれた。

柳瀬はいつでも丁寧で、淹れてくれる紅茶がとても美味しかった。凪とはいつも一緒に行動するようになった。

組織での生活は残夏が当初予想していたよりもずっと暖かくて楽しかった。


「霊力?」


「そう。組織で定義している霊力は、一般的なものと違ってね。自身の生命力を目に見える形で引き出す力のことを言うんだ。強さには魂が関わっていて、霊力の強さは魂の質に由来するんだよ。」


「魂の質……。」


「急に言われても分からないよね。先ずは魂っていうものが生き物には宿っているのは理解できる?僕にも、残夏にも。」


「はい。」


「うん、いいね。その魂には質っていうものが存在していて、まあ要するに魂の強さみたいなものかな。これは生まれ持ったもので変えることはできない。魂の強さが強いと、より多くの霊力が使える。そして生命力は、文字通り僕たちが生きていくための力。体力と精神力を合わせた力なんだ。この生命力が霊力の最大量って感じ。……簡単に説明すると、魂の質は蛇口から水が出る強さ、生命力はその水を溜めておくタンク。そして霊力が蛇口から溢れた水のことだよ。」


「……なんとなく、分かります。」


「それでいいよ。概念的に理解していればいいから。……それで、例え話のまま説明すると……タンクに貯めている水は使い続ければ枯渇するでしょ?だからまた貯めてあげる必要がある。それに必要なのが休息だよ。休めば力が満ちてまた使えるようになる。でもタンク容量が少ないと直ぐに水が枯渇しちゃうからね、鍛錬で体力や精神力を鍛えていくんだ。」


残夏は清治の説明に頷く。いつもの勉強会。

今日は残夏たちの持つ特殊な力、『霊力』についてのおさらいだ。

清治の説明は分かりやすくて、授業よりも頭に入ってくる。


「それでね、この霊力は瞳の色に現れるんだよ。霊力が高いほど色鮮やかにね。」


「瞳の色?」


「そう。僕の目を見てみて。普通の人とは違う色の筈だ。」


そう言われて清治の瞳を覗き込む。確かに清治の瞳は若草色に染まっていて美しかった。

誰かの瞳なんてしっかり見たことなかったけれど、今まで残夏の周りにいた人たちは日本人特有の黒系統ばかりだったと思う。

綺麗な若草色に、清治の霊力の高さが分かった。鮮やかさとは色の濃淡ではなくて、彩度の高さなのだろう。


「残夏くんは、綺麗な夏空色だね!」


「夏空?」


「そう!透けるみたいに綺麗な青色だよ。」


凪の言葉に、また顔に熱が灯る。そんな色が残夏の瞳を彩っているのか。そう思えば、なんとなく嬉しかった。


「色んな人の瞳の色を見るのも楽しいよ。鮮やかさで強さも分かるしね。隊長格なんてすごいよ。瞳の色が煌めいていて綺麗なんだ。」


何気ない清治のひと言に、残夏は動きを止めた。隊長格。14の部隊の頂点にいる人達。

だけど残夏が来てから暫く経つのに14番隊の隊長は一度も執務室に姿を見せてくれない。14番隊の人達は皆んな暖かいし、残夏を拾ってくれた人だ。

きっと優しい人なんだろうと思うのだけど。残夏は少しだけ迷ってから口を開いた。


「あの……14番隊の隊長ってどんな人なんですか?」


実は清治に聞く前に、他の隊員にも聞いた事がある。だけど皆んな言うことが違くてよく分からないのだ。驚いたように目を瞬かせる清治に、残夏は慌てて言葉を続けた。


「えっと、皆んなに聞いたんですけど……分からなくて。柳瀬さんは『優秀で素晴らしい人だ』って言うし、梓さんは『強くて、ちょっと怖い』って。圭さんは『頭が良くて、理論的な人』だって言ってて、凪はーー、」


「優しくて綺麗で世界一の隊長さん!」


「って言うんです。」


凪の嬉しそうな様子に残夏は苦笑して清治に目を向ける。そうすれば、清治もまた苦笑しながら凪の頭を撫でた。


「そうだね……。うん、全部当たってるよ。あいつは有能で、強くて頭も良い。凪が言う通り優しくて、でもちょっと意地悪でね。部下としてはこれ以上の上司はいないって思える人だよ。でも……。」


少しだけ逡巡して清治はそっと目を細める。


「友人としては、心配で放っとけない奴。……無茶ばっかりするんだ。人に頼るのが苦手で、全部自分で被って、誰かのために奔走する。そういう所がどうしようもなくて、でも嫌いになんてなれない。そういう奴だよ。」


大切な宝物の話をするように、清治の声は密やかで優しかった。隊長の事を本当に信頼し大事に想っているのだろう。

この優しい清治にそれだけ想ってもらえるほど、素敵な人なのだ、残夏たちの隊長は。


「今はちょっと休暇中でね。東條さんの命令で休んでる。……命令されないと休まないんだよ?困った奴だよね。」


苦笑する清治を見つめながら、残夏は少しだけ隊長に会ってみたいと初めて思えた。


 しかしそんな穏やかな日々が終わるのは、一瞬だった。


読んでいただき、ありがとうございました。

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次回更新は来週予定です。

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― 新着の感想 ―
Xより参りました 残夏の名前が単純にかっこいい!南宮や玲や14番隊、アイスブルーの人、皆、キャラが立っていてとても良いです。(因みに亜月さんめちゃ好みです)残夏くん、これからは1人じゃないはず!仕事…
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