幕間①
季節はまた巡って、寒さが目立ち始めた。
空は少しずつ低くなって、空気が澄み始める。吹く風も冷たさを増しているのだろう。
残夏は窓の外を飛んでいく葉っぱを見つめながらそっと息を吐き出した。
あの事件からニヶ月が経った。
残夏が瓦礫に巻き込まれ、ヒミズというハグレモノに出会った事件だ。
あの後、残夏の足は玲の言葉通り後遺症もなく僅か三日で綺麗に治った。
その間、残夏の病室は常に誰かが顔を出してくれて退屈したり寂しくなることはなかった。
特に友達の三人は暇さえあれば入り浸ってくれて、残夏はとんでもない幸福を噛み締める日々だった。
彰良も楽や清治と一緒に見舞ってくれた。
彼は残夏の怪我に責任を感じているのか、謝罪までしてくれたけれど残夏は今でも彰良が守ってくれたのだと思っている。
そして残夏は退院し、日々は平和に過ぎて、そろそろ衣替えの季節だ。
「清治、ちょっと寒くない?暖房の温度上げない?」
「玲……。流石に暑いよ……。」
ひと足先に衣替えを終えて、厚手のカーディガンをジャケットの下に着込んでいる玲が清治に声を掛ける。しかし執務室は既に快適を超えて少々辛い。そんな隊員たちの視線を感じたのだろう。
玲は驚いたように周りを見回すと、申し訳なさそうに小首を傾げた。
「ごめん、気にしないで。」
「そんなに寒い?熱あるんじゃない?」
「ううん。そういうんじゃないんだけど……。」
手を隠すように袖に埋める玲に、清治が近づいてその手を取る。
そして少しばかり目を丸くさせた。
「手、氷みたいだよ?具合悪い?」
「ううん。でもなんかずっと寒い。」
「それは冷え性じゃろう。」
突如割って入った第三者の声に、事の成り行きを見守っていた残夏の肩が驚きで跳ねる。
慌てて顔を向ければ、玲の背後から小さな影が現れた。
「温活が良いぞ。という訳で、儂と茶はどうだ!良いのが入ってな!」
明るい快活な声と、小柄な玲よりも低い背丈。
いつの間に入ってきたのやら、そこにいたのは子供だった。どう見繕っても小学校高学年か中学生くらいの。
子供が、どこか古風な話し方でにこにこと玲をお茶に誘っている。
瞳は煌めくような薄黄色で霊力の高さを思わせた。
「松陰さん。」
「久しぶりじゃの〜〜!主は相変わらずひょろっこいな!!」
豪快に笑いながら玲の背を叩くのに、『松陰』という名前に首を捻っていた残夏はぎょっとする。
しかし周りは慣れているのか、軽く会釈をするとすぐに自分の仕事へと戻っていった。
もしかしてよくある事なのだろうか。でも隊長にここまで気安い子供なんて、一体どこの子なんだろう。
残夏が内心ドキドキしながら見守っていると、清治も慣れたように苦笑を漏らした。
「松陰隊長。いつお戻りになったんですか?」
「おお、西廣の!主も久しぶりじゃな。さっき戻ってな、良い茶が入ったからこれは童に飲ませねばと思ってな!」
「た、隊長……!?」
朗らかな松陰の声と、残夏の大声が重なる。心の中の独り言が漏れてしまったらしい。
慌てて口を塞ぐが、今度は残夏に周りの視線が集まってしまった。
ーーあ、ど、どうしよう……!
焦って落ち着きなく視線を彷徨わせていると、松陰が近づいてきた。
近くで見ても子供のようにしか見えないが、その眼差しは老獪さを含んでいる。
「ほほう。この子が噂の子か。」
「あ、あの……オレ……。」
「よいよい!目を見せよ。……ふむ。良い目じゃ。気に入ったぞ!!」
松陰は残夏の瞳を覗き込むと、満足そうに笑って背中を叩いてきた。なかなかに力が強く、勢いもある。
ついていけていない残夏を置いて、松陰はまた豪快に笑うと玲たちの方へと戻っていった。
そして玲の前に立つと、一層笑みを深める。
「よし、行くぞ!茶の時間じゃ!」
「え、でもまだ仕事が……。」
「んん?見せてみろ。」
松陰は言うが早いか、玲の机に山積みにされた書類に目を向けると、それを大雑把に二等分にして清治と柳瀬に手渡した。
そして綺麗さっぱり書類の消えた机に満足げな笑みを浮かべると、静止しようとしていた玲の首根っこをつかまえてそのまま引きずり始める。
「柳瀬!西廣!あとは任せたぞ!」
「あ、ちょっと待って、あ、ああ〜〜助けて清治〜〜!!」
いつかの強制連行のように断末魔だけを残して、玲が扉の向こうに消えた。
というかあの人、いつも清治に助けを求める割に、助けられたところを見たのは一度もない。
そんな玲に苦笑しながら、清治は配られた書類を自分の机に置いた。
そして呆気に取られている残夏に顔を向ける。
「驚いた?あの人は9番隊隊長の松陰栄一さんだよ。9番隊は、救助・回収部隊でね。ちょっと東北の方でハグレモノとの大規模な戦闘があって出張されてたんだ。ちなみにああ見えて、柳瀬さんや2番隊の北郷隊長と同期なんだよ。そうでしたよね?柳瀬さん。」
「はい。ありがたいことに、懇意にさせて頂いております。」
「え!?」
ほのぼのとした清治と柳瀬には悪いが、残夏としては驚きが隠せない。
あの外見で同期って。
そもそも柳瀬と喜一郎が同期なのも驚きなのに。
目を白黒させていると、梓の堪えきれなかった笑い声が響いた。
「いやー、分かる分かる。最初は驚くよな。」
「でもあの大声はかなり失礼だからね。松陰隊長で良かったね。」
圭の冷静な声に残夏の顔からさっと血の気が引く。
知らない間に残夏は随分と危ない橋を渡っていたらしい。急に心臓がバクバクと音を立てるのに、凪の楽しげな声が宥めてくれた。
「大丈夫だよ、残夏くん。松陰さん、すっごく優しいんだ。いつもね、お菓子くれるんだよ。」
「そうなの?」
「うん!黒飴とか、ゼリーのなんかよく分からないお菓子とか!」
なんだろう、その渋いチョイスは。
それを聞くと確かに年齢層が上な事も理解できる。
とはいえまだ驚きは冷めないのだが。いつ入ってきたのかも分からなかったし。
「松陰隊長は『影』の霊力持ちでね。影がある所ならどこでも入って来れるんだよ。」
「そ、そんな事が出来るんですか?」
「普通はどうかな……まあ、玲も含めて隊長クラスは結構何でもありだからね……。たまにああやって侵入して来ては、玲を連れ出してくれるんだよ。」
「はあ……。」
玲を見ていたら分かるが、隊長達は全員魔法使いか何からしい。
残夏の困惑が強い返答に、清治が苦笑する。
何でもあり、という言葉がこれ程しっくりとくるとは。
しかし仲の良い事だ。普通、隊員たちはあまり他の執務室を行き来しないと雄星たちからは聞いている。
その割に、14番隊には結構な頻度で別部隊の隊員や隊長たちが訪れていた。
果ては司令官である東條までたまに顔を見せる。
14番隊の他部隊をサポートするという面が大きいのかもしれないけれど。
「ああ、それはあるかもね。あと玲も顔馴染みが多いから。」
「そんなに色んなところに顔を出しているんですか?」
「それはそうなんだけど……玲、十歳から組織にいるらしいんだ。凪みたいな感じかな。だからああやって歳上に構われまくるんだよ。北郷隊長も『小僧』って呼んでたでしょ?玲、あれ恥ずかしいって言うんだけどあの人たちからしたらまだまだ子供なんだろうね。」
「昔から優秀な方でしたので。方々、可愛がられておられましたよ。」
和気藹々と和やかな雰囲気の清治と柳瀬に、残夏は目を丸くする。
そんなに幼い頃からあの人は組織に居たのか。
確かに以前聞いた三島家での生活と東條家に引き取られるまでは空白の期間があった。
その間、彼は凪のように組織で保護されていたのかもしれない。
ーー相変わらず複雑な人だな……。
どれだけ知っても底が見えない。きっとまだ知らない事は沢山あるのだろう。
例えば、
ーーヒミズ……。
結局あの時、残夏は玲の過去に何があったのか聞けなかった。
多分、あの時だけだったのだ。タイミングとして聞けたのは。
それ以降、どうも聞きづらくて尋ねる事が出来ない。玲とヒミズにどんな因縁があるのかを。
それはもしかしたら開けてはいけない箱なのかもしれないけれど。
ーーでも、知りたい。
彼がどうして残夏を狙うのか。
いや、狙いは残夏ではない。多分残夏はただの興味がある玩具のようなものだ。
あいつが狙っているのはただ1人。
歪んだ愛の言葉は未だに残夏の耳に残っている。
残夏は窓の外に目をやると、白く霞んだ太陽に目を細めた。
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「それでボクが思い浮かんだって?」
「楽さんなら何か知ってるかなって……。」
「まあ、そりゃ……色々知ってるけどね。」
太陽といえば思い出すのは、この人だろう。
それに玲とは旧知の中。これ以上の適任はいない。
残夏は思い立ったが吉日とばかりに4番隊を訪ねていた。
相変わらず派手な人の多いこの部隊は、入る時少し緊張してしまう。
しかし急な訪問にも関わらず出迎えてくれた楽は、明るい笑顔で残夏を安心させてくれた。
「うーん、どうしよっかな。どこまで話していいのか……。」
「機密事項なんですか?」
「というより、かなりプライベートな内容だから。」
「あ……。」
そうか。
ヒミズのことを知りたい気持ちが強過ぎて、そこまで気が回っていなかった。
冷静に考えればヒミズを知ることは玲の過去に直結する。
それなのに本人に聞かず、こそこそ周りに訊ねてまわるのは、もしかしなくても失礼な事をしていたのかもしれない。
残夏は恥ずかしさで顔が熱くなるのを隠すために俯いた。楽が言い渋るのも分かる。
「あー、気にしない気にしない!だって気になるもんね。それに残夏は自分の身に関わる事だしさ。大丈夫だよ!」
「でも……。」
「まあ、詳しいことは話せないんだけど……この位はいいかな。調べたら出てくることだし。……ヒミズはね、玲の妹を殺したんだ。」
「え?」
「それだけじゃないけど、でもそれが玲とヒミズの因縁に深く関わってる事は確かだよ。」
楽はそう言うと、残夏の頭を優しく撫でた。
どこか懐かしむようなそんな顔で。
「……玲は、もしかしたらいつか話してくれるかもね。」
その言葉に、残夏は何も言えなかった。
玲に、妹がいた。世話好きのあの人に。
きっと可愛がっていたのだろう。それをアイツに殺された。
でも、どうして。
玲は話を聞く限り、親族は居なそうだったのに。
三島家や東條家に一緒に引き取られたのだろうか。
組織には、妹も一緒に在籍していたのか。
それとも別れて暮らしていたのか。
いつ、亡くなったのか。
考えれば考えるほど分からなくなる。ヒミズがあんなに玲に執着している理由も。
そこまで考えて、残夏ははっとした。
また変に勘繰ってしまった。プライベートな事なのに。
でも知りたい。だけど玲に直接聞く勇気も出ない。
だってきっと辛い思い出を思い出させてしまうから。
ーーそれは嫌だ……。
残夏はどうしても玲の負担にはなりたくなかった。
毎日のように残夏たちより早く来て、いつ帰っているのかも分からない人。
あの事件以来、どうしても毎日が平和で。
でもそれを誰が作ってくれているのか残夏はもう知っている。
ーーああ、でも……。
思考はすぐにヒミズと玲に戻っていってしまう事に、残夏は溜息を吐き出した。
こんな調子が何日も続けばバレるのは当たり前で。残夏はこの日も上の空で訓練を受けていたことに、ついに彰良から指摘されてしまった。
集中していない、という最もな理由に顔を俯ける。
「どうした?何かあったか?」
「……いえ。」
「……。……今日はここまでにするか。」
残夏の様子に彰良が溜息を吐き出した。気を遣わせてしまったようだ。自分が悪いのに。
なんだかますます落ちていく気分に軽く肩を叩かれた。そのまま座るように促される。
「言いたくないなら言わなくてもいいが……話くらいは聞く。子供が一人で悩むな。」
「彰良さん……。」
彰良は優しい。いつだって、残夏の話を聞いてくれる。
だけど今回はどうだろう。
彰良は玲を大切にしているから、残夏の不躾に不快感を示すかもしれない。
だけど、いっそ怒られた方が区切りがつくのかも。
もう一人でぐるぐる考えるのも疲れた。
残夏は一瞬だけ躊躇ってから。おずおずと口を開いた。
「あの……ヒミズのこと……。」
玲の過去や、楽に聞いたこと。
本当は悪いと思っていることも、全部。
残夏の話を彰良は最後まで口を挟まずに聞いてくれた。
そうして話し終わると、彰良は小さく息を吐き出した。
「まあ、気になるよな。……あいつの事も、あのくそ野郎の事も。」
「……。」
「……そうだな。玲のことは、多分あいつに聞いた方がいい。でも今は時期が悪いかもな。あいつ、少しピリピリしてんだ。ヒミズが現れてからずっと。」
「え?」
「ほんの少しだけどな。ストレス溜まってんだろ。だからちょっとずつ不調が目立ってる。」
彰良の言葉に、残夏は目を丸くする。
気が付かなかった。
玲はいつも優しくて、普段通り穏やかで。
でも確かに、あからさまな不調はない代わりに、異様に寒がったり少しぼんやりしていたかもしれない。だけどそれは本当に些細な異変だった。言われなければ気が付かないような。
ヒミズの存在は玲にとって負担になるものなのだ。
「だからまあ、俺からはあのくそ野郎について少しだけな。なんであいつを狙ってるのかってところだろう?」
「あ……はい。」
「まあ、あんだけ気持ち悪いこと聞けば気になって当然だ。」
彰良はそこで少しだけ黙ると、覚悟したように息を吸い込んだ。
嫌そうに眉を寄せている様子から、彰良もヒミズの事はあまり口にしたくないのかもしれない。
「……まず、ヒミズの狙いだが……魂だ。あの野郎は、玲の魂に執着してる。」
「魂?」
「そう。あいつの魂、ちょっと普通とは違うんだ。質が高い。というか高過ぎる。……霊力の基本は覚えてるか?」
「あ、はい!」
霊力の強さは生まれ持った魂の質に由来する。出力、水道の蛇口を捻った時の水の強さと同じ。
そしてその水を貯めておくタンクが生命力。こちらは鍛錬で容量を増やす事が出来る。
「その通りだ。普通、その二つは釣り合いが取れる。もしくは生命力が若干多くなるって感じだ。だから隊長連中は魂の質も高いし、生命力に溢れたやつばかり。……だけど、玲は違う。あいつはな、魂の質が高過ぎるんだよ。それこそ、人間の生命力では釣り合いが取れないほどに。」
それは、どういう事なんだろう。
釣り合いが取れない魂。例えるなら壊れた蛇口だろうか。タンクに入っている水が溢れてしまうような。
でも、それがなんだというのだろう。
出力が高いことは悪いことではないはずだ。
しかし残夏がそう聞けば、彰良はそっと目を伏せた。
「タンクの水がなくなったらどうなると思う?壊れた蛇口で、すぐに水が尽きるような出力で。それなのに尽きた後でも水をだそうとしていたら?」
「え?」
それは、ただ霊力が使えなくなるだけじゃないのだろうか。
そういえば、誰も霊力が使えない時の話はしない。
尽きることがない?いや、でもタンクの中の水が尽きれば無くなるわけで。
生命力も似たようなものーー。
ーーあれ?
生命力が無くなるってどういう状態なんだろう。
生命力は体力と精神力を合わせた力で、それが枯渇するってことは。
残夏が息を呑む。彰良の静けさが余計に恐ろしい。
「お前が今考えた通りだ。生命力ってのは俺たちが活動する上で必要な力。だから霊力を使えば疲れるし、休めば戻る。じゃあ枯渇するってなんだろうな?単に疲労?意識の喪失?……そんな簡単なものじゃない。霊力は単純に生命力を物質に置き換える力。全てを食い尽くすまで使えるんだ。」
「それって……。」
「つまり、生きていくのに必要なエネルギー。もしくは寿命。その全てを霊力を使うたびに引き出す。……あいつの体質だよ。」
言葉が出なかった。あの人は、そんな身体で。
「俺からすれば、デメリットだらけだ。魂の質が高いなんて良いことがない。だけどな、メリットもある。質が良すぎて、あいつの魂は堕ちる事がない。つまり、ハグレモノにならないんだ。……こういう仕事してりゃ、同僚がハグレモノに堕ちる事もある。絶望に苛まれて恐怖に溺れる所を目の前で見る事もな。だけどあいつにはそれがない。どれだけ絶望しようが、苦しもうがあいつは唯一ハグレモノに堕ちる危険がない。……組織としては最高の人材だよ。そして、それはハグレモノにとっても同じ事。奴らにとって玲は極上の獲物だ。」
彰良の顔が怒りに歪む。
だけど残夏は何も言えなかった。
色んな感情が渦巻いて、なんと言えば良いのか分からなかったから。
「ヒミズは、玲を堕としてみたいんだよ。獲物としてだけでなく、玩具として欲しいんだ。高潔な魂。堕ちることがない魂がもし堕ちたらどうなるのか。どんな味なのか……知りたいんだ。」
遠くで鴉の鳴く声が聞こえた。
落ちる影が伸びていく。彰良も残夏も何も喋らない。ただ耳の奥で自分の血流が流れる音だけが大きく響いていた。
ヒミズ。歪んだ執着を持つ、玲の因縁。
玲を堕とす為にどれだけの事をしたのだろう。彼の妹を奪ったのも、そのひとつなのだろうか。
そして今度は残夏を。
残夏の中に眠る悪意の塊を使って、玲を絶望させたいのだ。
ーーそんな、こと……。
させない、と誓うには残夏はあまりにも弱すぎた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード7-1完了です。
今回は玲とヒミズの因縁に残夏が初めて触れるエピソードになります。
玲の体質を聞いて残夏はどう行動するのか。そして玲はそれを受けてどう思うのか。
次週を楽しみにしていただければ嬉しいです。
次回更新は12/20土曜日です!(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします!)
水曜日は短編を投稿予定ですので、見に来ていただけると嬉しいです!
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これからもよろしくお願いします!




