月光に溶ける②
「ーーなし、たかなし、小鳥遊!!」
激しく揺り動かされて残夏は目を覚ました。
直前までの記憶が酷く曖昧だ。ぼんやりと瞬きをすれば雄星の歪んだ顔が目に入った。
「ゆ、せい……?」
「!……っ、よかった!目が覚めたな!!」
大声が頭に響く。ここはどこだろう。何があったんだったか。
「残夏くん!良かった……!!」
「小鳥遊、目が覚めたか……!」
今度は耳元で凪と司の声がする。
残夏が視線を彷徨わせると、泣きそうに眉を下げた凪と焦燥している司の顔が目に入った。
二人の表情を不思議に思いながら記憶を辿る。
確か田中が。
そう、何か不穏で、そうだ。
柱が。
ーーそうだ、彰良さんたちは……!?
そこまで思い出して、残夏は飛び起きた。いや、飛び起きようとした。
しかし足に感じた激痛に言葉もなく倒れ伏す。雄星の焦った声が響いた。
「おい、動くな!お前の足、瓦礫に挟まれて怪我してんだ!」
「怪我……?瓦礫……。」
雄星の言葉に、そろそろと周りを見回す。
痛くて思考が途切れそうになるが、歯を食いしばりながら、まずはヒビの入った今にも崩れそうな床と天井を。そして次に自分の足に。
「ぁ、……。」
息が溢れた。
叫ばなかったのは、それなりに酷い状態である事が痛みで分かっていたからだ。
だけど本当は叫び出したかった。
なぜなら残夏の足は血に染まり、骨が突き出ていたのだから。
「っ、!!」
柱の倒壊に巻き込まれたのだろう。
状況を見るに残夏1人だけ。なんて不運なのか。
いや、足だけだから幸運だったのかもしれない。もし身体が全て巻き込まれていたら。
考えるだけでもゾッとする。
しかしいつ倒壊してもおかしくないビルの中、動けないのは致命的だった。
「大丈夫?痛い?……痛いよね、ごめんね。」
身体が勝手に震える。
声を出すのも億劫で慎重に呼吸をしていると、凪が残夏の手を握ってくれた。
暖かさに少しだけ安心する。
しかし雄星が残夏を担ぎ上げようとするのには、痛すぎて声にならない悲鳴が漏れた。
勝手に涙がこぼれて苦しい。
雄星は慌てて残夏から手を離した。
「ごめんな、小鳥遊。これじゃ動けねぇよな……どうしよう。救援要請も出したのに……誰も来ねーし、どうしよう……。」
雄星が泣き始める。
どうやら彰良たちも周りにいないみたいだし、状況は最悪のようだ。
そんな中で司は震える声を吐き出した。
「ぼ、僕の……治癒で……。」
声だけでなく手まで震わせながら患部にそっと手のひらを翳す。
そうか。司の治癒があった。それなら。
残夏に少しの希望が灯ったその時、司は手を下ろした。
そのまま、ぼろぼろと泣き始める。
「ご、ごめん……小鳥遊……。僕、僕の治癒力は……傷を僕に移し替える事なんだ……。僕は……僕、は……。」
告げられた言葉に驚きながらも、残夏の胸には妙に納得感が広がっていた。
ああ、そうだったのか。司がずっと、5番隊の、椿の話をする度に少し気まずそうにしていたのは。
司の治癒力は確かなのだろう。
だけど、司の身体に負担がかかり過ぎる力。
動けない程の怪我を移し替えるのは誰だって恐ろしい。当たり前だ。
啜り泣きがさざめく中、残夏は痛みに耐えながらも唐突に理解した。
南宮の理念。もちろん、司や雄星が「落ちこぼれ」なんて残夏は思わない。
だけどハグレモノとの戦いはこんなに恐ろしくて、怪我も当たり前で。
彼らはその中で、守るために優劣をつけたのだ。
ーー隊長……。
なぜだか玲の顔が浮かんで、残夏は自分の涙を袖で拭った。
そのまま上体を起こして座る姿勢を作る。
慌てて凪が背を支えてくれるのに残夏は息を吐き出した。
まだ足は痛いし、脂汗も出ているし、身体も勝手に震える。
だけど痛すぎて少しだけ感覚が麻痺してきた。それに任せて残夏は口を開ける。
「……いいよ。大丈夫。ありがとう、司。雄星も、凪も。」
見捨てて逃げる事も出来たのに、彼らは逃げなかった。
まだ残夏と一緒に残ってくれている。
それだけで十分だ。
雄星はそんな残夏に呆気に取られた顔をして、しかし直ぐに涙を拭った。
そして同じように驚いた顔をしている司に声を掛ける。
「司。小鳥遊の血、とりあえず止血しないと。ネクタイでいいのか?どうしたらいい?」
「あ……ああ、そうだな。止血と……それから添え木も欲しい。固定した方が痛みも抑えられる。」
「でも添え木って……。」
「ぼく、ナイフ持ってるよ。ちょうど良くならないかな?」
「それだ!蓮池、貸してくれ。大丈夫、包帯はあるし、処置は習ってる。だから、大丈夫だ。」
自分に言い聞かせるように司は呟くと、残夏の足に手を伸ばした。
痛みでどうしようもなかったが、それでも丁寧に処置をしてくれる司に少しずつマシになってくる。
綺麗に包帯まで巻いてもらって、残夏はほっと息を吐き出した。痛いけれど、動くのも辛いけれど、それでも最初よりはマシだ。
残夏が落ち着くのを待ってから雄星が状況を説明してくれた。
「三島副隊長も、田中さんも瓦礫に巻き込まれてどこにいるのか分かんねぇよ。ビルも崩壊しそうだし……さっきも言ったけど、救援要請は出してる。だけど遠いからか、まだ誰も来てくれないんだ。」
「田中さんの言ってた事も気になるな……。念の為、雄星に結界は張ってもらっているが……。」
「……え?そうなの?」
「ああ、張ってる。見えづらいけど、膜みたいなのが周りにあるだろ?」
雄星の言葉に残夏はもう一度周りを注意深く見渡した。
確かに、何かが薄らと周りを覆っている。
これが結界なのか。
「最優先事項は脱出なんだが……小鳥遊の足じゃ救援を待っていた方がいいかもな。」
「ぼく、見てこようか?足は速いと思うよ。」
「ダメだ。単独行動が一番ヤバい。」
ああでもない、こうでもないと言い合って、結局残夏がもう少し落ち着いたら雄星が抱えて脱出するという事になった。
救援要請をずっと待っていられるほど、ビルが保つか分からないからだ。
残夏を挟むように4人で寄り添いあって、少しだけ話をした。
「小鳥遊はすげーなぁ……。俺、あんな状況で礼なんて言えねーよ。」
「でも、皆んな……見捨てないでくれたから。」
「見捨てたりなんかするか!……見捨てたりなんか、絶対にしない。」
「そうだよ。絶対にしないよ。」
ぽつり、ぽつりと言葉が落ちていく。
残夏の心に降り積もっていく。
「……僕は落ちこぼれだ。本当はずっとそうだった。だけど、ずっと言えなくて……。」
「大丈夫だよ。ぼくも言えないことあったもん。それに落ちこぼれじゃないよ。司くんがいなかったら、応急処置なんて分からなかったし。」
「俺も……何にも出来ねーんだ……。」
「ううん。雄星が居てくれて……助かってるよ。雄星居なかったら、誰もオレのこと抱えられないから。」
残夏はずっと自分が特別なんだと思っていた。
特別不幸で、苦しくて。悩むこともいっぱいあって。だけど皆んな一緒だ。凪も、雄星も、司も。
ここに来て、楽しくて幸せなことも沢山ある。
これから先もきっと。
ーー皆んなで帰るんだ。
玲と清治みたいに、いつか思い出として笑い合えるように。
残夏が決意した、その時だった。
「ああ、こんな所にいたのですね。生贄の子。」
何よりも穏やかで優しい声に、残夏の背筋は氷のような冷たさが走った。
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男は、美しい顔立ちをしていた。
金色の柔らかい髪と、赤い瞳。優雅な立ち振る舞いと穏やかな表情。
背は高く、均整の取れた体格はモデルのようだ。
それなのに、どうして。
ただ話しているだけなのに、どうして残夏の身体の震えは止まらないのだろう。
「ずっと探していました。ああ、そんなに怯えないで。その表情はもっと特別な場所で見せてください。」
何を言っているのか分からない。
だけど、その言葉は残夏を慮っての事でない事は分かった。
そもそも、雄星の霊力で気配も音も遮断されていたはずなのに。
誰一人、指の先ですら動かせなかった。
この男が怖い。怖くて怖くて仕方がない。
残夏の本能が語りかける。
今すぐ逃げろと。
それなのに身体は何ひとつ言うことを聞かなかった。
「仔犬のようですね。チワワ……チワワにしましょうか。大丈夫。大人しくしていれば飼ってあげますよ。きっと玲も喜ぶはずだ。」
ーーなんで、隊長の名前を……。
一瞬の疑問と同時に、シャボン玉が弾ける音がして残夏たちの周りを覆っていた膜が弾けた。
雄星の結界が破られたのだ。
そのまま、動けない残夏にその男の手が伸びてくる。それはスローモーションのようで。
ああ、掴まれる。
そう思ったその時。
「その手退けろよ、くそ野郎……!!」
激昂と共に、瓦礫が男へと飛んできた。
一瞬の間を置いて、瓦礫ごと蹴り飛ばす銀色の影も。彰良だった。
スーツは瓦礫片で汚れ、頭から血が流れている。それでも彼は残夏たちを守るように前に出ると、振り返ることなく、短く言葉を発した。
「逃げろ。」
「あ……でも、足……。」
「抱えて走れ。さっさとしろ!!」
怒声のような大声に、不思議と身体が動き出す。
雄星たちも動けるようになったのか、直ぐに残夏を担ぎ上げると出口へと走り出した。
痛みは分からない。
そんな事よりも、あの男の重圧から抜け出せた事に呼吸ができた。
そのまま外へ転がり出るように走り抜ければ、少し離れた所に田中が倒れているのが見えた。
近づいて、息をしている事に残夏たちは安堵でその場に崩れ落ちた。
「な、なんだあれ……あんなの……。」
「闇のような男だったな……。」
「残夏くん、大丈夫?他にも怪我してない?」
「大丈夫。ありがとう、凪。」
ひと息吐いてからはっとする。
彰良。
たった1人であの場に置いてきてしまった。
凪の心配そうな顔に残夏もまたビルを見上げる。
丁度その時、大量の水がビルから溢れた。洪水のような量だ。
しかしそれは地面に落ちる前に水蒸気のように消え失せる。直後、先程まで残夏たちがいた階から彰良が飛び出してきた。
危なげなく着地したかと思えば、また水が溢れ出す。今度はビルの上から落ちる滝のように。
水は、落ちる勢いのままビルを巻き込んで倒壊させた。辺りが土煙に包まれる。
これは、彰良がやったのだろうか。
ーー水の、霊力……。
残夏の炎とは正反対でありながら、水も栄光と破滅をもたらす強大な力。
しかし決着がついたと思った矢先、彰良が思いっきり舌打ちをこぼした。
その音に呼応するように、土煙の中から先ほどの男が傷ひとつなく現れる。
「相変わらず粗暴ですね。服が汚れる所でした。」
「うるせーよ、ゴキブリ野郎。潰しても湧いてきやがって。」
「おや、それは貴方では?はらってもはらっても玲に群がるハエ。何度潰しても湧いてくる。」
男が玲の名前を口にした途端、彰良の雰囲気が変わった。気圧されるような霊力が溢れ出し、
「……その名前を気安く呼ぶな。」
低い声が響く。
深い青色の霊力は彼の日本刀にまとわり、水の刃が生まれた。光を反射して波打つ刃。
その刀を手に彰良は一気に距離を詰めると、男に切り掛かった。
「てめぇはここで殺す。」
「貴方が?その程度で?」
「死ね。」
目にも止まらない速さで、彰良が切り結ぶ。
残夏にはもう何が起きているのか分からない。
ただ、彰良のどんな攻撃も見えない何かに阻まれるように男には届いていないようだった。
男を切り付けるたびに飛び散る水は、形を変容させながら彰良の斬撃とは別に男を狙う。
しかしそれも全て男に当たる前に霧散した。
「諦めなさい、ハエ。貴方程度の力では、私の結界すら壊せませんよ。」
「煩い。」
「面倒ですね。……私は今日、あの子を攫いに来ただけです。さっさと飛び去ってくれませんか。」
ハエを振り払うような軽さで男が手を振る。そうすれば、彰良の身体が吹っ飛んだ。
体勢を変えて着地するが、表情は険しい。
劣勢なのは誰が見ても明らかだった。
ーー彰良さんが……。
残夏の師であり尊敬する人。
あの人の強さを、師事している残夏は理解している。なのに全く歯が立たないなんて。
なんなんだ、あの男は。
残夏が息を呑んで見守る中、彰良は軽く息を整えると刀を構え直した。そのまま口を開く。
「残夏に何の用だ。目的は?」
「おや……玲から聞いてませんか。まあ、貴方はその程度でしょう。」
「……どういう事だ。」
「知らなくていいのですよ。それにその子の価値なんてたかが余興。極上の獲物はただ一人。……そうですね。記念品、というのはどうですか?玲と私が結ばれる証として。」
「は?」
多分、時が数秒止まった。
そう感じるほど、その発言は理解出来なかった。
恐る恐る視線を向けた先の三人も、同様に固まっている。
しかし男は自分の発言になんの疑問も持ち合わせていないのか、恍惚とした表情のまま続けた。
「彼は動物が好きでしょう?犬を飼うのもいいものです。私たちの愛の巣に、可愛らしい仔犬。完璧でしょう?」
なんだ。
なんなんだ、この気持ち悪さは。
残夏は手で口元を抑える。胃液が逆流しそうだった。
明るい表情で、さも当然というように話す男は楽しげなのに空気が重い。
言葉も、存在も、どうしてこんなに気持ち悪い。
「ああ、結婚式には呼んであげますよ。死体として。……楽しみですね。彼の泣き顔はきっと美しいでしょう。涙は甘いのでしょうか。彼の血も、苦痛も、悲鳴も。全て、味わいたい。亜月玲、亜月玲、亜月玲!ああ、私のものだ!」
高らかな戯曲のワンシーンのように、男は両手を空に掲げた。
その直後重たい何かが辺りに立ち込める。そのせいで残夏は地面に倒れ伏してしまった。
動けない、動けない。凪も雄星も司も地面に縫い付けられている。
必死に息を吐きながら、残夏は身体の震えに耐えていた。
余りにも重たい執着と、歪んだ愛。
気持ち悪くて吐きそうだ。
そんな中、視線を向けた先、一人だけ立っていた彰良の雰囲気も変わった。
静かで、厳格だった彼の霊力が怒りに震え上がる。
溢れ出るそれは、深い青色から金色へと色を変えていく。
「……ヒミズ。殺してやる。」
「おやおや、悪足掻きですね。」
「……『ただ、共に』。」
小さな言葉と共に、彰良の霊力が完全に黄金に変化した。瞬間、空から同じ黄金色の龍が姿を現す。
彰良が空に刀を翳せば、龍は真っ直ぐに彰良の刀へと降りてきた。
渦巻く黄金の水を纏って彰良の刀が輝き出す。
彰良の気迫が肌に痛くて苦しい。息ができない。
もう意識が保てそうにない、と思ったその時。彰良とヒミズの間を裂くように、一際大きい瓦礫が飛んできた。それに二人とも、反対の方向に飛び退ける。
残夏がのろのろと視線を向ければ、瓦礫が飛んできた先には2番隊隊長の北郷喜一郎が立っていた。
彼もまた、黒曜石のように黒い霊力がじわりと身体を覆っている。
喜一郎はヒミズを睨みつけたまま、ゆったりと歩いてくると低く言葉を落とした。
「……三島。龍を解放しろ。」
「隊長……。」
「二度は言わねえ。ったく、てめえは本当に忍耐がねえな。」
彰良は喜一郎に睨まれながら、それでも忌々しそうに顔を歪めて、それからふっと力を解放した。
その途端、龍が消えて黄金色の霊力も元の深い青色に戻る。
残夏もようやく息ができた。咳をして、必死に酸素を取り込む。
ぼやける視界の中で、それでも残夏は目を逸らさないように彰良たちに顔を向ける。
丁度、喜一郎がヒミズへと声をかけるところだった。
「2番隊隊長、北郷喜一郎だ。そんなに暇なら相手してやるよ。」
「これはこれは。隊長格にお相手していただけるとは光栄です。……ですが、今日はこれまでですね。そこのハエに免じて、引いてあげますよ。」
ヒミズは軽く笑うと、肩を竦める。そして一瞬の後に煙となって消えてしまった。
残るのは、俯く彰良と倒れ伏した残夏たち。
そして唯一この状況を俯瞰している喜一郎は、腕を組むと溜息を吐き出した。
「取り敢えず、医務室だな。」
そこで残夏の意識は途切れた。
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残夏が目を覚ますと、そこには白い天井があった。ぼんやりと揺らぐ思考と、眩しいくらいの光。
横を向けば穏やかな秋の陽光がカーテンを通して残夏に降り注いでいた。
「あ、起きた?体調はどう?」
穏やかにかけられた声に、慌てて飛び起きる。
窓とは逆方向を向けば、そこには驚いたような玲が座っていた。
その表情も、少しずつ楽しげなものに変わっていく。
「ふふ、元気だね。でもまだ寝てた方がいいと思うよ。」
「え?あ、は、はい!」
残夏がまたしても勢いよくベッドに寝そべるのに、玲が笑う。
くすくすと衣擦れのような笑い声に、残夏の頬が熱くなった。
ーー医務室……?
記憶がぼやけているが、確かヒミズがいて、彰良がいて、喜一郎が。よく、分からないけれど、玲が居るのならきっと大丈夫。
ーーよかった。帰ってきたんだ。
残夏が安堵の息を吐き出すと、玲が柔らかい笑みを向けてくれた。光が穏やかで、夢の中みたいだ。
「大変だったね。足は大丈夫。二、三日寝てれば治るって椿が。」
「……足?あ、そっか。……あれ?でも骨が……。」
「椿の治癒は、相手の基礎治癒力を高めるものだからね。手術してから高めてもらったから、綺麗に治るよ。」
「そう、なんですね……。」
司の力とは全く違う。これが、個性というものなのだろうか。
少しずつ記憶が鮮明になってきた。あれからどれだけ経ったのだろう。
他の皆んなは。
「うん?ああ、1日しか経ってないよ。他の皆んなも大丈夫。全員無事。だから安心しな。」
柔らかい声にどれだけ安心しただろう。
玲はそっと残夏の頭を撫でてくれた。暖かい手の温度に眠気が漂ってくる。
「まだ寝てていいよ。疲れただろうからね。」
まるで子守唄だ。
残夏は眠気に引き込まれながらも、少しだけ抗った。
玲がいるから、聞きたいことが山程ある。
だけど繋ぎ止められないほど、身体は急速に重くなっていく。
残夏は抵抗を諦めながらも口を開いた。
「たいちょう……ヒミズって、なんですか……?」
言えたのはそのひと言だけ。
目も閉じてしまったから、玲の様子は分からない。
だけど声だけはまだ聞こえる。
「ヒミズはね、ハグレモノ達を纏めている上位種だよ。……少し因縁があってね。」
それは、なんですか?
その質問はこぼれ落ちることなく、残夏の意識は深い底に沈んでいった。
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「……以上が報告事項だ。」
喜一郎の言葉に、目の前の男は特に反応することなく資料を捲る。
その様子に溜息を吐き出しながら、喜一郎は凝った首を回した。
あの事件から三日後。
喜一郎は14番隊に報告と謝罪を兼ねて訪れていた。
高専の授業で学生を怪我させたのだ。今回は全面的に2番隊が悪い。
もちろん5番隊にも8番隊にも謝罪はするが、実害を被ったのは14番隊のみ。言い訳はできない。
ーーにしても因果だねえ……。
ヒミズ。
あの男が玲に近付いたのは、今の残夏たちと同じくらいの年代の時だ。
その後6年間、奴は表舞台に出てこなかった。
それなのに今更出てきて、今度は残夏を狙っている。6年前から変わらず喜一郎の目の前にいる玲のことも。
玲は資料に全て目を通すと、興味が薄れたように机にそれを放り投げた。
椅子に座ったまま、くすりと笑うとこちらに視線を向けてくる。
しかし逆光のせいか彼の瞳は分厚いレンズに隠されて分からない。
これが少しばかり喜一郎は苦手だった。
「ありがとうございます、北郷さん。丁寧な資料ですね。まさか敵の発言を一言一句書いてくれるなんて。」
「それはお前用だ。知っておいた方がいいかと思ってな。」
他の誰があんな気色の悪い言葉を知りたがるだろう。悪趣味とは分かっていたが、玲は知りたいと言うだろうと思い、先に手を打っておいた。
ただし、情報の提供元である彰良は死ぬほど嫌な顔をした挙句、機嫌を最底辺に落としていたが。
副隊長として、あいつはもう少し自覚を持って欲しい。
「それはそれは。お気遣いどうも。ふふ、面白かったですよ。」
どうにも居心地の悪い空気に、喜一郎は今すぐ2番隊に帰りたくなってきた。
しかしまだ、謝罪を口にしていない。
それさえ済めばここに居なくても良いはずだ。
喜一郎は一度息を吸うと、滅多に下げない頭を下げた。
「……悪かった。」
「顔をあげてください。誰も死んでないし、誰のせいでもない。謝る必要はないでしょう?」
「そういう訳にもいかねえよ。」
「そうですか?……じゃあ、謝罪はいいので少しお願いを聞いてください。」
ほらきた。
楽しげな玲の顔に、喜一郎は忌々しい思いを隠さず全面に出す。
しかしそれで怯む相手でもない。
睨み合いの末、結局負けるのはいつも喜一郎だ。
「……なんだ。言ってみろ。」
溜息ついでに言えば、玲は子供のように笑った。
「少し協力して欲しいことがあって。」
「あ?」
「東條さんに内緒で俺に手を貸してくれませんか?」
「そりゃ……。」
上官に内緒とは。そんなの、許されるはずもない。
一体何を考えているのか。
いや、考えている事は分かる。
この男にとって、ヒミズは殺すと決めた相手。
そこに正義も悪もない。ただ殺したいから殺すのだ。
喜一郎は少しだけ考えて、ほんの少しの意趣返しに口を開いた。
「……いいのか、小僧。何をして欲しいのかは知らんが、バレたら外されるぞ。そうすりゃヒミズは俺たちが先に殺っちまうかもしれねえ。」
一瞬、ぽかんとした様に玲が動きを止める。
しかし、それにほくそ笑むよりも先に喜一郎の耳には楽しげな笑い声が響いた。
「ふふ……ふは、あはは、あははは!」
普段では考えられない笑い声は、狂ったように執務室にこだまする。
ああ、くそ。失敗した。
これだからこの男の相手は嫌なのだ。
何が面白いのか、ひたすら笑い続ける様はヒミズの気味の悪さと変わらない。この男は壊れてる。
喜一郎は舌打ちをこぼすと適当に了承の返事をしてから14番隊を後にした。
その間も笑い続ける玲の声は、喜一郎が退出しても続いた。
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深夜、誰も居ない14番隊の執務室で椅子の軋む音が響く。
いや、14番隊だけではない。
殆どのものが帰宅した組織は静まり返り、どこか耳に痛いほどだ。
そんな中、灯りも付けずに椅子に座って月光を受ける人影がひとつ。
青白い光に照らされて、肌はなお白く、瞳は水晶の様に輝く。
人影は深く椅子に座ると、空に昇った月を見るともなしに視線を宙に向けていた。
「……世那。」
呟きは、月光に溶け出して消えていった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード6完了です。
新たな脅威、ヒミズはいかがだったでしょうか?
彼と玲の間の因縁。そして残夏が狙われる理由。
それは今後の物語で少しずつ明かされていきますので、楽しみにしていただければ嬉しいです。
次回更新は12/13土曜日です!(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします!)
水曜日は短編を投稿予定ですので、見に来ていただけると嬉しいです!
よければ感想、評価、リアクションなど頂けると励みになります。
これからもよろしくお願いします!




