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狭間の逢瀬③

 「なんでそんな状態で久遠(くおん)家に連絡出来たんだよ。」


「俺はしてないよ。久遠様から呼ばれたの。夢でね。」


夢渡(ゆめわたり)か……。」


人気のない細い道を歩きながら、残夏(ざんか)彰良(あきら)(れい)の会話に耳をすませる。久遠家はこの道を真っ直ぐ行ったところにあるらしいが、周りは田畑ばかりで家すらまばらだ。

陽光が差し込んで、気候も穏やかな一本道を玲の楽しげな笑い声がくすぐっていく。

残夏は慣れない和装に足を取られながらも、意識は会話に持っていかれていた。

東條(とうじょう)家での玲の様子が気になったからだ。どうやら玲は東條家では殆どをベッドから起き上がらせて貰えなかったらしい。

しかも部屋には常に東條司令官か柳瀬(やなせ)が居たらしく、本気で抜け出せなかったのだとか。

こっぴどく叱られた挙句、二度としないという誓約書まで書かされたという。


「俺の部屋なのにプライバシー無さすぎると思わない?」


「自業自得だろ。」


そんなやり取りを聞きながら残夏は首を傾げた。

東條家での静養というから、そういう施設があるのかと思っていたが玲の話を聞く限りでは、東條家に普通に玲の部屋が備え付けてあるらしい。

後見人とは聞いているものの、深い繋がりがあるとは思わなかった。


「ああ、そうだね。残夏は意味分からないよね。うーん、ちょっと複雑なんだけど……俺、書類上は東條家の人間なんだ。13歳の頃に東條さんに引き取られてね。それで高専入学まで家に置いて貰ってたんだ。それで、これ以上迷惑も掛けられないしって卒業と同時に一人暮らしを始めたんだけど……なぜかまだ部屋を残してくれてるんだよね。まあ、片付けるの面倒なのかも?」


「……ほんとうに馬鹿だろ、お前。」


「?なんで?」


不思議そうな玲に、残夏もまた、呆れとも諦めともつかない感情が胸に湧き上がるのを感じた。

まさか東條に同情する日が来るとは。

書類上、なんて言っているが一緒に暮らしていたのならそれはもう家族と同義だ。

部屋だって、いつでも帰ってきていい、という思いやりなのではないだろうか。


「あ、そうそう。その前はね、彰良と暮らしてたんだよ。5歳から10歳くらいかな?三島(みしま)家にも俺の部屋残してくれてんだよね。」


「……こっちは迷惑とか面倒とかじゃないからな。」


「ふふ、分かってる。ありがとう。」


玲の嬉しそうな笑顔に、彰良は心底ほっとしたように息を吐き出した。

それで理解する。多分、どれだけ伝えてきたかの差なのだろう。

東條は噂から考えるに言葉が足りない人だ。

彰良もそうだろうが、彰良は玲に真摯なので長いこと伝え続けて来たのだろう。それが玲の認識に違いを生んでいる。

そうでなければ、全てを迷惑としてこの人は1人どこかに消えてしまいそうだから。


ーー本当に複雑な人だなぁ……。


三島家や東條家を転々として、色んな人と関わって。それなのに何故か受け取るべき好意を湾曲(わんきょく)して。

生い立ちや、今まで経験して来たものが話だけでは到底理解できない。

そしてその裏にある、決して口に出さない部分を、残夏は聞く勇気が持てなかった。


「ねえ、玲ちゃん。夢渡ってなに?」


少しばかりの静寂に、(なぎ)の柔らかい声が響く。玲はそっと目を細めると凪の頭を撫でた。


「そうだね。まだ教えてなかったね。夢渡は、久遠が使う術だよ。人の夢に渡ってきて夢の中で会うことが出来るんだ。久遠様とは少しだけ面識があるから、今回はそれで訪ねて来られたんだと思う。残夏たちを連れて来いって言われてね。」


「……それ、ちゃんと全部東條さんは把握してんだろな。」


「俺が呼ばれた事だけね。残夏と凪のことは言ってないよ。言うとキラキラに飾り付けられて2人とも疲れると思ったから。」


「ああ……まあ、そうだな。」


玲が自分の着物を見下ろして溜息を吐き出す。どうやらそれは、東條の勧めらしい。

朝から大変だったと肩を(すく)める玲に残夏も心の中で同意した。

多分、残夏と凪では耐えられなかっただろう。

彰良がぱっと見立ててくれて、手早く着付けしてくれなかったらキツかったから。特に凪は。

しかしそうまでして和装に(こだわ)る理由はなんなのだろうか。


「……久遠家は、生活様式が明治かその前くらいで止まってるから。一族の子供たちが、外の世界に興味を持たないよう。……逃がさないためだよ。」


「え?」


「万が一にも霊力の高い子供が逃げ出せば久遠の一族の生活は危ぶまれるからね。……だから残夏たちも久遠家では決してスマホを取り出したり、現代的な生活の話はしないようにね。何かあったら怒られるだけじゃ済まないから。」


急に落ちた玲の声の温度に、背筋に冷たいものが走った。

彰良の説明でも分かっていたが、これから行く久遠家とは相当に異質なのだ。

そして何故かその一族の代表が残夏を呼んでいる。

それは一体何を意味するのだろう。


「あ、でも緊張しないで。俺たちから離れなければ大丈夫だし……久遠様の前なら何話してもいいからね。」


また柔らかい雰囲気に戻った玲に頷きながら、残夏は少し重くなった足を前に進めた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 久遠家は残夏が想像していたよりもずっと大きな屋敷だった。屋敷というか、小さな村というか。

まず着目すべきは、屋敷がある場所だろう。結界に阻まれたそこは、常人では見るどころか感知することも難しい。

なぜなら一見すると、ただの小さな社だったからだ。寂れた町外れの小さな雑木林。

その中にある社の鳥居を潜って現れた寝殿造(しんでんづくり)の巨大な屋敷は、玲たちに連れられなければ気づくことはなかっただろう。

門前には、これまた小さな老婆が待っていて残夏たちを迎え入れてくれた。

とはいえ歓迎されているのかは(はなは)だ疑問だが。愛想もない無表情で、背を向けて歩き出す老婆に連れられること十数分。

長い塀に囲まれた屋敷は、沢山の部屋と人の気配で包まれているのに、誰の姿も見えない事がひたすら不気味だった。

そうして通された客間で、残夏はひと息吐く暇もなく、老婆に呼ばれて久遠の居るという部屋へと連れて行かれた。


「入りなさい。」


老婆のノックに穏やかな声が響く。

その部屋だけは他の部屋と異なり、障子ではなく重厚な木の扉で守られていた。

老婆がそっと扉を引いて残夏に目配せする。どうやら彼女は入らないらしい。

早くしろと目で追い払われるように、そそくさと残夏は扉の中に入った。


「よく来たね、残夏。」


そこは、不思議な部屋だった。

窓のない広い部屋は薄暗く、ただひとつを除いて何もない。

ひとつとは、部屋の真ん中に置かれた豪奢なベッドだ。

その上で寝そべったまま残夏を呼ぶその人は、全てが真っ白に染まっていた。


「こちらにおいで。」


細い、玲よりも細くて骨張った手が残夏を手招く。

まるで骸骨のようだと思うのに、声はどこまでも穏やかで柔らかく、耳に心地よかった。

そろそろと残夏が近づけば、遠くからでは見えなかったものが見えてくる。

長い髪も肌も、纏ったきものですら白いその人は、瞳も白く、されど不思議なことにその瞳は様々な色で輝いていた。

例えるなら、オパールという宝石だろうか。見る角度で色が変わる星屑を散りばめた瞳。

頬はこけて目も落ち(くぼ)んでいるのに、その顔に浮かぶ表情は声と同様に穏やかだった。

この人が『久遠様』。


「……なんで、オレの名前……。」


「何でも知っているよ。私は、何度も君に夢で会ったから。」


どうしてだろう。

余りにも突飛な言葉なのに、何故だかしっくりくるのは。

そうか。

残夏はこの人と夢で何度も出会っているのか。


「君に……直接会ってみたかった。」


「どうしてですか?」


「君と話しがしたかったから。」


柔らかく細められた瞳と、更に手招く細い手。

残夏は導かれるままに、ベッドに腰掛ける。

近くで見た瞳は一層輝いていて、目を奪われてしまいそうだ。


「残夏。君は、いまちゃんと幸せ?」


その問いに、残夏は一瞬だけ息を呑む。

幸せ。

それが何を意味するか、残夏は知らない。

だってずっと上手くいかない人生を送ってきた。残夏にはどうしようも出来ないことで、何ひとつ思い通りにならなくて。

ここに来たのだってそうだ。

残夏は望んで組織に入ったわけじゃない。

なんなら訓練は厳しいし、勉強は難しくて心が折れそうになることもある。


ーーだけど……。


きっと残夏はやり直せたとしても、ここに戻ってくるのだろう。

初めての友人や、当然のように残夏を受け入れてくれる人たち。

何より、伸ばした手を掴んでくれる、手の温度を知ってしまったから。

そしてきっと、ここに戻ってくるという選択が『幸せ』という事なのだ。


「……はい。」


小さな声ではあったが、確かな言葉に久遠は一層笑みを深めた。

まるでもう、思い残すこともないとでも言うように。そのまま、物語を読み聞かせるような優しい声で言葉を紡ぐ。


「残夏。君はこの先、三度(みたび)、困難に当たるだろう。……だけど、幸せを感じるのなら。決して歩みを止めない事だ。君の選択は多くを巻き込む。それでも、決して。その先を信じて進みなさい。」


それは、恐ろしい予言だった。

未来を夢に見る、久遠。名すら持たないその人の、見てきた未来。

だけど、そこには確かな希望が宿っていたから。

 

 残夏は久遠に見えるように、しっかりと頷いた。

この言葉が何を意味するのかは分からない。

それでも、この人に今ここで誓うべきだと思った。


「はい。」


残夏の言葉に、久遠の瞳から一雫だけ涙がこぼれ落ちた。


 久遠家から帰る頃には、辺りはすっかり夕暮れに包まれていた。

あの後、残夏が戻ってすぐに凪が呼ばれ、彰良が呼ばれ、最後の玲は少しだけ長かった。

待っている間、誰も告げられた言葉の話はしなかった。それはしてはいけないと本能的に分かっていたからだ。未来のことは、決して口に出すべきではないと。

だから世間話に、玲が居なかった日々の事を話した。14番隊の皆んなや司のことも。

玲のいない時間は、次の試験や訓練の話を。そういう、普通の話で満ちるように。


 そうして全てが終わり、結界を抜けた所で残夏たちを待っていたのは夕日に照らされて赤く染まった黒い車と、(うやうや)しくお辞儀をする柳瀬だった。


「柳瀬さん。」


「玲さん、お迎えにあがりました。(あおい)様が家でお待ちです。皆様も、送っていくように仰せつかっております。」


「え……もしかして東條さん、怒ってますか?」


「それはもう。置き手紙はあまり良い選択ではありませんでしたね。」


にっこりと微笑む柳瀬に、驚愕という表情で玲が固まる。横で彰良は呆れたように息を吐き出した。残夏も凪と顔を見合わせて苦笑を漏らす。

まあ、こうなる事は何処か予想ができていた。玲だけがなぜか分からないと冷汗を流しながら、少しずつ後退していく。

しかしその腕を彰良に掴まれたことで諦めたように息を吐き出した。

要は逃げられない、という事だ。


 車の窓から、そっと後ろを振り返る。

久遠。その家はもう、どこにも見えない。

そしてきっともう、あの人に会うこともないのだろう。


 夕暮れに照らされて影が濃く流れていく。残夏は一頻(ひとしき)りその光景を目に焼き付けてから、前を向いた。

明日もまた、残夏の日常が待っている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「だって……。」


「だって、じゃない。お前、いつまでもその言い訳が通用すると思うなよ。」


ベッドに寝そべったまま、罰の悪そうな、それでいて不服そうな表情を浮かべる玲に東條は何度目かも分からない溜息を吐き出した。

普段は言葉遊びもかくやというほど口が回るくせに、昔からどうしてか自分が悪いと分かっている時は子供のような言い訳を並び立てる。

本当にどこまでも自分のためには自身の能力を活かせない男だ。


「取り敢えず、明日からの出社も無しだ。反省していないようだからあと一週間延ばすからな。」


「そんな……!仕事まわんなくなっちゃいますよ!?」


「誰かさんが手を広げて調査したおかげで、もう暫くは大丈夫との見解が出ている。」


「うっ、」


どれだけ悲壮な顔をしようが、容姿が優れているせいか憐憫の情を煽ろうが、東條の意思は固い。

それを見てとったのか、やっと諦めたのか。渋々という風に玲が頷いた。

玲は嘘つきだが約束は破らない。これなら大丈夫だろう。


 そのまま落ちた沈黙に、東條は少しばかり姿勢を崩した。そしてふと今思い立ったように口を開く。


「……そういえば、あいつはどうだった?」


しかしそんな小細工が通用するほど玲は甘い人間でもないし、東條との付き合いが浅い訳でもない。

玲はちらりと視線を寄越すと、先ほどまでとは打って変わって呆れたように肩を竦めてみせた。


「どうもこうも……ご自分で確かめてください。貴方はいつでも会いに行けるんですから。」


その言葉に、東條は玲から視線を逸らす。

久遠の結界は、三島神社と同じで許可されたものしか入れない。しかもそれも一日限り。

久遠に呼び出された者だけが、その日に限り入ることを許可される。

しかしそんな中で、東條は唯一、どんな時でもあの場に出入りする権利を持っていた。


「……早くしないと、会えなくなりますよ。」


忠告めいた優しい諫言(かんげん)。そんな事は東條が一番よく分かっている。

誰よりも、久遠のことを東條は知っていた。


 当代の久遠は、東條の唯一の友人だ。

まだ久遠に選ばれる前から共に術を学び、庭を駆けた友人。

しかしもう何年も東條は彼に会いに行けていなかった。忙しいからなんて理由で。

だけど本当は、ただ死期が近づいている友人の痩せた姿を見たくないからだ。

だってきっと、見てしまえば置いていかれる現実がありありと理解できてしまうから。

そして、久遠もまた強情だった。

いつでも会いにきていいと結界を出入りする権利はくれる癖に、夢で会いにくることもしない。

最早お互い、意地のようなものだ。どれだけくだらなかろうと。

それでも、心は。

心はきっと同じ場所にあると信じられるから。


「……その内な。」


東條の言葉に、玲は何も返さなかった。

聡い彼は、追及などして来ない。なぜなら玲もまた、久遠と同じで置いていく側の人間なのだから。

 

 大切な友人。

優秀な部下で手の掛かる弟分。

東條の手には何も残らない。

それでも、自分はこの道を進むと決めている。それが例え、どうしようもない道だったとしても。


ーーだけど、まだ……。


あと少しだけは、時間がゆっくり流れたらいい。

自分を見上げてくる弟分の、水晶のような瞳に東條はそっと祈りをのせた。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

エピソード5完了です。

次回はエピソード6。残夏たちが初の危機に直面するエピソードです。

よければ楽しみにしていただけると嬉しいです。


次回更新は11/28土曜日です!(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします!)


水曜日は短編を投稿予定ですので、よければぜひ見にきてください。


よければ感想、評価、リアクションなど頂けると励みになります。

これからもよろしくお願いします!

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