狭間の逢瀬②
玲が強制連行されてから、一週間と少し経った日。
いつもの訓練の終わり、残夏は彰良に話しかけられた。
「久遠?」
「ああ。お前、久遠家については知ってるか?」
彰良の問いに、残夏は記憶を辿る。
久遠。
確か、雄星が言っていた五大名家の一つで1番隊専任の家。
少し特別だとか。
「知ってたか。……その久遠家に週末、行ってみないか?玲がお前を連れて行きたいって。」
その提案よりも何よりも、残夏の心を掴んだのは玲という名前だ。
東條家に連行されてからというもの、本当に何ひとつ音沙汰のないあの人は大丈夫なのだろうか。
残夏は咄嗟に彰良の袖を引くとそのまま声を上げた。
「隊長、お元気なんですか!?」
食ってかかるような残夏の勢いにも彰良は動じることなく肩を竦める。
その表情は少し苛立ちが滲んでいた。
「さあな。昨日電話きて、一方的に喋って切りやがったから……。」
深い溜息の音に残夏の心も萎んでいく。
しかしふと思い立った。その週末の久遠家に行くというイベント。
それに参加すれば玲に会えるのではないだろうか。
会えなくとも彰良の報告ついでに声が聞けたら安心できるかもしれない。
「あ、あの!行きます!行きたいです!」
会話を無視するような言葉だったが、彰良は正確に理解してくれたのだろう。面白そうに眉を上げると、こくりとひとつ頷いた。
「分かった。週末、14番隊の執務室で。凪と一緒に来い。」
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「久遠家ってのはな、予知夢の一族なんだ。その霊力は莫大で、代償に短命。これから起こる未来を夢に見てそれを組織に伝達する。1番隊なんて名前だけの仮初だ。隊員もいない、執務室もない。予知夢を見ることだけが奴らの仕事だ。……そしてこの予知夢ってのは、一族の中で一人だけ。つまり先代の久遠が亡くなれば、一族の中で霊力の高い子供がその力を発現するんだ。その継承した人物を『久遠』と呼ぶ。名前はない。その身一つが『久遠』を意味する。能力を継承されたものは殆どの時間を寝て過ごし、夢を漂うという。そういう、一族だ。」
週末、久遠家へと向かう道すがら彰良は久遠についての説明をしてくれた。
しかしそれは、残夏の思っていたような華やかなものではなく、どちらかと言うと人形の様だと感じた。
「くそみたいな一族だけどな、霊力自体は継承されてしまえば使おうが使わなかろうが、そういう運命を辿る。逃れられないんだ。だから有効活用っていうと嫌な感じだろうが……組織とは持ちつ持たれつなんだと。組織が久遠の衣食住、全てに出資してるからな。」
「そうなんですね……。」
バスを乗り継ぎ、川の流れを聞きながら歩くこと数十分。
少しの疲労を感じ始めた頃、残夏の目の前には赤い鳥居とその後ろに聳え立つ青々とした緑に包まれた山。
そして急勾配の石造りの階段が現れた。
「こ、ここが久遠家ですか?」
家というより神社のようだが。
それよりもこの階段。まさかこれを登るなんて言わないで欲しい。
しかしそんな願いも虚しく、彰良は階段に足を掛けると残夏を振り返った。
「違う。ここは俺の家だ。」
「へ?」
「彰良くん、神社の息子なんだよ。三島神社っていうんだ。」
「???」
凪の明るい声も、彰良の言葉も意味が分からない。残夏が頭に疑問符を浮かべていると、彰良は肩を竦めてみせた。
「久遠家にその服じゃ行けないんだよ。あそこは和装じゃないと門前払いだ。だから、お前たちを着付けるためにうちに寄るんだ。……うちはこの山に湧く清水の源流を御神体とした神社なんだよ。親父が神主しててさ。源流に棲む龍神を祀ってる。」
「彰良くんの綺麗な髪は、龍神様のご加護なんだって。」
「三島家は皆んな生まれつき銀髪だよ。親父もな。」
そうなのか。
いや、日本人には無い色だとは思っていたがまさか生まれつきとは。
しかも神主の息子。
何故それで組織に入ろうと思ったのか。
そもそも、そんな神が棲まう所に人が住んでいいのか。
疑問は尽きないが、それら全てを質問する時間もないのだろう。
さっさと登り始めた彰良の背を残夏は慌てて追った。
残夏の後ろには、まだまだ元気がありそうな凪が着いてくる。
「あの、家って……。」
「山頂。」
その言葉に、残夏は深く息を吐き出した。
5分ほど登った頃だろうか。まだ中腹にも辿り着いていなかった景色が、何故か急に変貌した。
慌てて後ろを振り返れば、着いてきていた凪の楽しげな表情と町の景色が遥か下に見える。
気がつけば残夏は山頂にいたのだ。
「え、え?なんで?」
「山頂まで馬鹿正直に歩くわけないだろ。そもそも、山頂は神域。許可した奴らしか入れないようになってんだ。」
「?どういう事ですか?」
「つまりは結界だ。階段に途中の道を省略して、許可された者だけを通す術式がかけられてる。一般人はあの階段を登っても中腹までしか通れないんだよ。」
そんな事も出来るのか。霊力や術式は残夏が知らないだけで、かなり奥が深いのかもしれない。
そんな感慨を胸に周りを見渡すと、そこには立派な木造建築の日本家屋が建っていた。
2階はないのか、屋根は低いが通常の家よりも大きい。
そしてその隣には、瓦屋根の蔵と道場らしきものまで併設されていた。
「すごい……。」
彰良ってもしかして、かなりの名家出身なのでは。
「普通の家だよ。ちょっと古いってだけでな。ほら、早く来い。」
そう促されて入った玄関もそれなりの広さがあった。
綺麗に掃除されて磨かれた床と、古い木の匂い。
床の軋む音ですら、どこか暖かいこの家の温もりを感じさせる。
そして何よりも残夏の目を惹いたのは、家の裏側。
縁側に沿う廊下の窓から見えた庭の奥、そこにひっそりと佇む池だった。
大きな岩に囲まれ、隙間から睡蓮が見える。
「わあ……。」
しっかりと庭に降りなければ全体は見えないが、それでも薄青の睡蓮が咲き誇る池は見事で美しい。
それに見惚れていれば、振り返った彰良がひとつ頷いた。
「凪、残夏。少し準備するから庭に出てていいぞ。池、落ちるなよ。」
「いいんですか?」
「いい。行ってこい。」
その提案に何度も頷いて、残夏は凪と顔を見合わせる。
期待に満ちた雰囲気に、二人で駆け出した。
「綺麗……。」
近くで見た池は驚くほど澄んでいて、息を呑むほどだった。
源流が流れ込んでいるからか透明で深い水底まで見える。
そして何といっても睡蓮が。
白に近い薄青の花弁を綻ばせ、大小様々に浮かんでいる様はこの世のものではないようだ。
「綺麗だよね。この池、ぼくも大好き!」
そう言いながら、凪の手が池の水に浸される。
掬い上げられた水はこんなに透明なのに、どうして覗き込むと青く輝くのだろう。
「この池ね、ぼくの名前の由来なんだよ。」
「名前の?」
「そう。ぼくの苗字の『蓮池』ってこの池の事なんだって。ぼくの名前、玲ちゃんがくれたんだけど苗字に玲ちゃんの1番好きなものを入れてくれたんだよ。」
「すごく……綺麗な名前なんだね。」
うん、と嬉しそうな凪に残夏も目を細めながら、もう一度池に目を向ける。
凪の名前の由来の池。玲の1番好きなもの。
それを残夏が今目の当たりしている事がどこか不思議だった。
そのまま言葉もなく見つめていると、風もないのに急に凪の手元で水面が揺れ始める。
少しずつ激しくなる揺れに驚いていれば水面がゆっくりと盛り上がった。
「え?な、なに!?」
「えっと、えっと、水の精霊?だったかな?」
「何それ!?」
「この池に棲んでる精霊だよ。優しくて遊ぶのが好きで、でもちょっと悪戯も好きだから人を池の中に引き摺り込んじゃう……って……、」
凪の言葉が終わるよりも前に、水の精霊が凪の腕に巻き付く。
悪意は感じられない。
だけど凪の腕には力が入っている。
残夏は驚いて凪のもうひとつの腕を掴んで引いた。
しかし相手の力が強すぎて残夏ごと引き摺り込まれそうだ。
それに焦っていれば、背後から足音が聞こえた。
「おい。そいつらはダメだ。また今度遊んでやるから離してやれ。」
低く落ち着いた声は彰良のものだ。
その声に水の精霊は力を弛めると、凪の腕から離れていく。
そのままトポンと音がして、水の盛り上がりも消えてしまった。
「悪いな。悪い奴じゃないんだが……最近遊び相手が居なくて寂しがってんだ。……大丈夫か?」
「あ、ありがとうございま……、」
差し伸べられた手に掴まり、礼を口にしたその瞬間。
目の前にいる彰良の姿に残夏は言葉を飲み込んでしまった。
残夏に手を差し伸べてくる、その人。
彰良は、いつもの制服ではなく和装に着替えていた。
濃紺の落ち着いた着流しに黒の帯を合わせ、灰色の羽織を羽織ったその姿は普段よりもずっと大人びて見える。
普段真後ろで高い位置に結ばれている銀髪も、前に流して顎下の高さで結えられていた。
帯にさりげなく添えられた睡蓮と水の意匠の銀の帯飾りが美しい。
「彰良さん……?」
「なんだその顔。ほら、早くしろ。玲に連絡つかないから、急がないと約束に間に合わなくなるぞ。」
「は、はい!」
「彰良くん、すっごくかっこいいね!」
「はいはい。凪も早くしろ。」
凪の手放しの賞賛にも軽く答え、また家の中に戻っていくスッと通った背筋に、残夏は何故だか緊張した時のように自分の背も伸ばした。
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待ち合わせ場所に指定された駅には、少しばかりの騒めきが漣のようにひしめき合っていた。
そしてその中心で、道ゆく人々の視線を集めている人物。その浮世離れした様相に、残夏は正直言葉も出なかった。
薄紫から裾にかけて白に変わっていくグラデーションの着流し。袖や裾には銀糸や金糸で縁取られた淡い色合いの秋桜が品よく散りばめられている。
その淡さを引き締めるような銀の帯と、着物と合わせた秋桜と真珠の帯留。
羽織りはなく、代わりに白いレースのストールが上品だ。
普段は下ろしている肩までの黒髪は艶やかに結い上げられ、眼鏡も取り払われた顔は花の顔と言っても遜色ない。
唯一の装飾品である左耳のピアスは、シルバーの睡蓮と深い青色の霊力石が光に反射して煌めいていた。
その余りにも人間離れした美しさに、人々の視線は彼へと惹きつけられている。
しかし肝心の玲は気がついていないのか、着流しと合わせた薄紫の日傘をさして、視線は手元の懐中時計に注がれていた。
ーー隊長に会ったら、ってずっと思ってたのに……。
残夏は一瞬足を止める。
近づくことも憚られそうな雰囲気は、顔から表情が消えているからだろうか。
そのせいで余計にこの世のものではないように見える。
しかし彰良はそんな事を気にしないのか、人混みをずかずかと掻き分けると簡単に玲に近づいた。
「おい。お前、電話でろよ。連絡取れないだろ。」
「彰良。」
彰良の声に、玲の表情が一瞬でぱっと明るくなる。
まるでビスクドールに命が吹き込まれたような。
そのまま柔らかく目を細めると、玲は眉を下げて笑った。
「ごめん。東條さんから電子機器没収されてて。電話も、隠してたの見つけてだったから一方的になっちゃってごめんね。」
「なに強制タイムスリップさせらてんだ。……つーか、身体は?」
「すっごく無理やり休まされたから大丈夫。ほんと、めちゃくちゃ怖かったから……。」
「英断だな。」
はあ、と溜息を吐き出して彰良が振り返りながら半身を横にずらす。
背後にいた残夏と凪が玲の視線に入るようにだろう。
玲は残夏たちの姿を認めると、一層優しげに眦を下げた。
「凪、残夏。ふふ、かわいい。彰良に着付けて貰ったんだね。良かった。」
その視線に、凪が嬉しそうに頬を紅潮させる横で残夏は照れで視線を逸らした。
彰良に着せて貰った黒の着流しと、凪の深緑の着流し。
少しばかり着慣れなくて、服に着られているようで恥ずかしい。
彰良と玲は着こなしているから余計だ。
しかし玲は優しい表情のまま、白い指先を伸ばして残夏の横髪を耳にかけた。
「こっちの方がいいかな。彰良、見立てがいいね。二人ともよく似合ってる。」
「玲ちゃんもすっごく綺麗!」
「凪もかわいいよ。」
ふわりと笑う顔は、二週間前よりも赤みがさしている。
少しばかり肉もついただろうか。それでもまだ細くはあるのだけど。
残夏は何か言いたくて、だけど言葉にすると色んな感情が溢れてしまいそうで口を閉じた。
ただ、元気そうな姿に心底安心した。
「てかお前、ここまで電車で来たのか?」
「?うん。」
「眼鏡は?」
「久遠様のとこに行くのに、認識阻害なんてつけていけないよ。」
「……。……東條さんに、車で送るって言われなかったか?」
「よく分かったね。仕事がひと段落するまで待ってろって言われたけど……忙しそうだったし、柳瀬さんも俺の代わりに仕事まわしてくれてるから迷惑かなって。手紙置いて出てきちゃった。」
「……東條さんに同情するわ……。」
深い深い溜息を彰良が吐き出す。
それに玲はきょとんとしているが、残夏にはその意味が何となく分かった。
ここに来た時の人々の視線と騒めき。どう考えても悪目立ちしている。
しかも先程までは無表情で近づき難かったが、彰良が話しかけたことで玲の表情はにこにこと柔らかいものに変わった。
そのせいで遠巻きだった人々の雰囲気がそわそわとしたものに変化している。
どう考えても話しかける隙を探しているのだ。
彰良はそんな人々をひと睨みで散らせると、玲に手を差し出した。
「それ貸せ。」
「?日傘?なんで?」
「お前の隣歩くと露先が目に入りそうだから。」
「隣歩かなければいいじゃん。」
「うっせーばーか。いいから貸せ。」
不思議そうなまま、玲は彰良に日傘を渡す。
それを彰良は玲に代わってさしてやると連れ添って歩き出した。
途端に密着する距離に、根気強く隙を待っていた人々も諦めて散っていく。
なんとも効果的だが、どうにも勘ぐってしまうのは残夏の偏見だろうか。
「二人とも、仲良しだね。」
「そうだね……。」
凪の無邪気な笑顔に、残夏は微妙な心持ちで頷いた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード5-2完了です。
次回はエピソード5のラスト、久遠家が舞台になります。
次回更新は11/22土曜日です!(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします!)
水曜日は短編、見に来てくださった方はありがとうございました!
また来週も投稿予定ですので、よければぜひ見にきてください。
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これからもよろしくお願いします!




